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教皇来崎を待つ 「運命」感じる殉教の丘 日本に帰化したイエズス会司祭 泉類治神父

2019年11月22日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!
法王来崎を待つ<中> 「運命」感じる殉教の丘
日本に帰化したイエズス会司祭 泉類治さん

2019/11/20 09:19 (JST)11/20 09:37 (JST)updated
©株式会社長崎新聞社

ザビエル家の末裔(まつえい)で日本に帰化した泉神父=長崎市、西坂公園
 長崎市西坂町の二十六聖人修道院の司祭を4月から務めている泉類治さん(88)は、「運命」という言葉でしか表現できない縁を感じながら今、聖なる西坂の丘に立っている。泉さんは、日本にキリスト教を伝えたイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルの兄の子孫という。
 スペイン出身。本名はルイス・フォンテス。16歳の時に読んだ「大日本帝国」という書物の中で偶然にザビエルの書簡を目にした。「日本人は非常に豊かな才能があり、知性に富み、鋭敏な国民」。遠い異国への憧れが募った。その年にイエズス会に入り、25歳で日本に渡った。
 上智大神学部で日本文化などを学び、卒業後、同大などで倫理学講師として働く傍ら、31歳で司祭に。5年後「日本の土になる」つもりで帰化した。それからは、福岡の高校で教壇に立ったり、山口県のチャペルを備えたブライダル施設「フェリース」で神父を務めたりして人生の大半を日本で過ごしてきた。
 1995年、一族の家系図を調べていた祖国の兄から連絡があり、ザビエルの長兄ミゲルの15代目の子孫であることが分かった。「どうして日本で神父になったのか。すべてはザビエルの導きだと思った」と語る。
 ザビエル来日が1549年8月15日。泉さんのイエズス会入会も8月15日だった。そして今年は、ザビエルの布教開始から470年に当たる。
 カトリックにとって西坂は特別な地。安土桃山時代に豊臣秀吉の命で処刑された二十六聖人をはじめ、禁教下で信仰を貫いた幾百の人々が西坂の刑場に送られ命を散らした。24日、法王フランシスコが西坂を訪れる意義は小さくない。
 フランシスコはイエズス会員出身の初の法王だ。若いころは日本宣教を志していた。「法王もきっと、私と同じようにさまざまな書物で信仰を守って処刑されたキリシタンの存在を知り、日本に対して特別な感情を抱いてきたはずだ。殉教者のこと、世界平和のことを深く思いながら、ここに立つのではないか」
 泉さんのその思いは確信に近い。






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