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断食についての説教 【四旬節第一主日】

2021年03月02日 | お説教・霊的講話

断食についての説教 ドモルネ神父様

はじめに

この前の水曜日に、四旬節が始まりました。典礼年のなかで、四旬節は、特に、祈りと悔い改めの時です。今日は、断食についてお話します。また、その意義と、私たちが断食から得る霊的な利益についても、お話ししたいと思います。

断食についてのキリスト教的意味

断食についてお話しするというとき、それはもちろんキリスト教的断食のこと、つまり宗教的な理由によって行う断食のことです。天主を讃美するため、罪の悔い改めをするため、誘惑と戦うため、といった目的からです。医療目的や健康美容のために行われる断食は、私たちの霊的生活には何の価値もありません。

カトリックの規律によれば、断食には3種類あります。

・まず、私たちが「自然の断食」と呼んでいるもの、つまり、どんな食べ物や飲み物も控えることがあります。私たちが聖体拝領の準備をするときの断食です。

・第二に、年に何日か、教会がすべてのキリスト教徒に命じている断食【すなわち大斎】があります。四季の斎日、四旬節、待降節、【大きな祝日の】前日といったものです。この断食では、十分な食事を取るのは24時間以内で1回だけです。私たちはこれを「教会の断食」と呼んでいます。つまり、これは教会が命じた断食なのです。現在の教会法によると、信者に課せられたこの義務は、灰の水曜日と聖金曜日という2日だけです。

・最後に、断食はまた、私たちが自発的に行う食べ物や飲み物の制限のすべてを意味する包括的な言葉でもあります。私たちは、この断食を「道徳的断食」と呼んでいます。なぜなら、これは私たちの良き道徳を向上させるため、つまり徳を高めたり、欠点を修正したりするためのものだからです。

断食をする理由

なぜ断食をするのでしょうか? 食べ物や飲み物は、私たちのいのちを維持するために大変必要なものですから、私たちは食べ物【や飲み物】を私たちのいのちそのものと結び付けています。したがって、天主を愛するために自発的に食べ物【や飲み物】を断つということは、天主に自分のいのちを捧げるという一般的な意味を持っているのです。この一般的な意味に、断食の種類に応じた特別な意味が付け加えられます。

聖体拝領前の断食を行うことによって、私たちは、私たちの主をいただくために、自分のすべての財産や自分のいのちさえも捨てる覚悟があることを、主にお伝えしたいのです。さらに、聖体拝領前の断食は、私たちの体から食べ物をなくして体をもっと軽くすることで、私たちの霊魂が罪やこの世への愛着から解放されて清められる、ということを象徴しているのです。

教会の断食を行うことによって、私たちは自分の罪に対する心からの悲しみを示したいのです。私たちの主イエズスは、私たちにこう警告されました。「悔い改めないなら、あなたたちもみな同じように滅びる」(ルカ13章5節)。ですから、教会は、私たちの主イエズスの警告に従って、自分の子どもたちの救いを確実にするために、少なくとも年に数日は断食【すなわち大斎】をし、かつ肉を控える【すなわち小斎をする】よう、子どもたちに義務づけているのです。しばしばあることですが、何かをするよう法で強制されていないなら、私たちは弱さのせいで決してそれをすることはないということを、教会は非常によく知っているのです。

道徳的断食をすることによって、つまり、自発的にある程度の食べ物や飲み物を断つことによって、私たちは自分の罪を償いたいのです。実際、私たちが天主の掟を破るとき、その理由は天主よりも何か別のもの(お金、快楽、権力など)をもっと愛しているからです。逆に、天主への愛のために自発的に食べ物を拒否するとき、私たちは、何よりも、自分のいのちよりも天主を愛していることを示したいのです。

断食の霊的な利益

四旬節のミサの序誦には、こうあります。「聖なる主、…身体の断食をすることにより、邪欲を抑えさせ、心を上げさせ、徳と報いとを与え給う」。これは、断食によって私たちが得る霊的な利益を要約したものです。

断食は、私たちの心を上げさせるのに、つまり祈るのに役立ちます。おそらく私たちのほとんどが、たくさん食べた後に祈ることがいかに難しいかを経験したことがあることでしょう。断食は、超自然的な現実に関して、私たちの心をより鋭くさせ、より洞察力のあるものにします。なぜなら、断食は私たちの心に、聖霊の霊的な光を受けるために十分な心構えを持たせるからです。

断食はまた、「邪欲を抑えさせ」ます。断食をするとき、私たちは、何の罪も犯さずに合法的に取ることのできる食べ物と飲み物を自発的に断つのです。そうすることで、私たちは肉の欲望に打ち勝つ意志の力を強めます。私たちが肉体の合法的な欲望に抵抗することができるならば、肉体の違法な欲望が生じるときには、なお一層それに抵抗することができるようになることでしょう。

結論

霊性の大家(たいか)たちが一致して言っていることは、断食は真剣で深遠なキリスト教生活を送りたい人に必要なものであり、他の人々の回心を得るために力のあるものだということです。この四旬節の間、勇気を持って教会の掟に従い、また勇気を持って私たちの寛大さと能力に応じた個人的な断食を加えましょう。皆さんの決心を固め、一日の終わりに確実に「私は自分の罪を償うために、また自分より天主を愛していることを天主に証明するために、あれやこれやを行いました」と言えるようにしてください。

童貞聖マリアが、この四旬節の間、私たちに、断食をする勇気を与えてくださいますように。






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