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聖ピオ十世会会員が叙階をうける前に必ずしなければならない宣言と誓い

2006年09月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア!



兄弟姉妹の皆様、


 聖ピオ十世会の会員は、副助祭、助祭、司祭の叙階をうける前に、また聖ピオ十世会の全ての長上、神学校の教授たちは、聖ピオ十世教皇の命令に従って、この信仰宣言と誓いとをなさなければなりません。この宣言と誓いとをご紹介します。


 これは「近代主義の誤謬に反対する誓い」と言って、聖ピオ10世教皇自発教令 Sacrorum antistitum (1910年9月1日)によるものです。今では残念ながら、無くなっていました。


(これについて詳しくはhttp://fsspxjapan.fc2web.com/papal/pius10_jusjurandum.htmlをご覧下さい。)


 かく我ら約束し奉り、かく我ら誓い奉れば、願わくは、天主と天主の聖なる福音我らを助け給わんことを!



 * * * * *



トレント公会議の信仰宣言 (Professio fidei Tridentina, DzS1862-1870)



 私(氏名)は聖なるローマ教会で使われている信経(ニケア・コンスタンティノープル信経)に含まれることすべてと、その各部分を固く信じ、宣言します。すなわち、


 我は、唯一の全能の聖父(ちち)なる天主、すなわち、天と地、見ゆるものと見えざるものの創り主を信じ奉る。また、天主の御一人子、唯一の主イエズス・キリストを。すなわち代々の前に聖父より生まれ、天主よりの天主、光よりの光、真の天主よりの真の天主、創られずして生まれ、聖父と同一本質なり、全ては主によりて創られたるなり。主は、我ら人間のため、又我らの救いのために天より下り、聖霊によりて御托身し給い、童貞マリアより、人となられ給うた。更には我らのためにポンシオ・ピラトの管下にて十字架に付けられ、苦しまれ、葬られ、聖書にありし如く三日目に蘇り、天に上がり、聖父の右に座し、生ける人と死せる人とを裁かんために栄光を伴って再び来たり給う。その主の御国は終わることなからん。


 また、生命の与え主(ぬし)なる主なる聖霊を。聖霊は聖父と聖子とより発出し、聖父と聖子と共に礼拝され、共に栄光を受け給い、予言者を通して語り給いし。また、一、聖、公、使徒継承の教会を信じ奉る。我は唯一の罪の赦しのための洗礼を宣言し、死者の蘇りと来世の生命とを待ち望み奉る。アーメン。


 私は使徒および教会の伝承、その他この教会の規定と憲章を固く認め、受入れます。私は聖書を、聖にして母なる教会が今まで主張し、今も主張している意味に従って認めます。聖書の真の意味を決定し、解釈するのは教会の任務です。私は、教父たちの一致した意見以外の意味で、聖書を受入れたり、解釈したりすることを、決していたしません。


 全人類の救いのために、私たちの主イエズス・キリストが制定した新約の秘跡が七つであることを信じます。すなわち、洗礼、堅信、聖体、告解、終油、叙階、婚姻の七つがあり、全ての人に全ての秘跡が必要ではないけれども、恩恵を与えるものであることを信じます。洗礼、堅信、叙階を繰返して授けることは汚聖の罪であることを。上にあげた秘跡の荘厳な執行にあたって、カトリック教会が認めている儀式を受入れ、認めます。


 原罪と義化について、トレント公会議において決議され、宣言された全体と各部分を信じ、受入れます。


 ミサにおいて生者と死者のための真実で正しいなだめのいけにえが、天主に捧げられること。至聖なる御聖体の秘跡の中に真実に、現実に、実体的に私たちの主イエズス・キリストの御体と御血が、その魂と神性とともに実在すること。パンの全実体が御体に、ブドー酒の全実体が御血に変化し、この変化をカトリック教会が全実体変化と呼んでいることを信じます。一つの形色のもとにキリストの全体と真の秘跡を受けることを信じます。


 練獄が存在し、そこに留められている霊魂を信者の代祷によって助けることができると固く信じます。キリストとともに天国にいる聖人を尊敬し、彼らに祈りを捧げるべきこと、また聖人は私たちのために天主に祈っていること、聖人の遺物を尊ぶべきことを信じます。キリストと終生童貞である天主の母および他の聖人たちの像を持ち、保存すべきであり、それに対してふさわしい栄誉と崇敬を捧げるべきであると強く主張します。贖宥の権力がキリストによって教会に残され、それを活用することはキリスト信者にとって非常に有益であると確信します。


 聖、カトリック、使徒伝来のローマ教会は、全てのキリスト教会の母であり、教師であることを承認します。使徒たちの頭である聖ぺトロの後継者であり、イエズス・キリストの代理者である教皇にまことの服従を誓います。


 聖なる規定と諸公会議、特に聖なるトレント教会会議およびバチカン公会議による全ての伝承、定義、宣言、特に教皇の首位権と不可謬権についてを疑うことなく受入れ、宣言します。これに反する全てのこと、および教会によって非難され、排斥され、呪われた全ての異端を、同じように非難、排斥し、呪います。


 これなしには誰も救われることがない、この真のカトリックの信仰を、今ここに、私は自発的に宣言し、真実に信じます。私(氏名)はこの信仰の全体を、天主の助けによって、最後の息を引きとるまで、傷つけることなく堅く守り、宣言します。また私に従属する者および私が司牧している者たちによって、これが信じられ、教えられ、説かれるように、全力を尽くすことを誓い、約束します。天主と天主の聖福音書が私を助けてくださるように。

 


近代主義の誤謬に反対する誓い
(Iusiurandum contra errores modernismi, DzS3537-3550)


 我 (某) は、教会の無謬の教権によりて定義、確認、宣言されし事を、就中今の時代の謬説に直に反対せる主要なる教義を、悉く、一つ残らず堅く信じ、受け入れん。


 先づ第一に、万物の原因且つ目的たる天主の存在は、結果より原因を知るが如く、理性の自然の光によりて「造られし物を通じ」(ローマ1・20参照)、即ち目に見ゆる被造物を通じ、確実に知り得る事、また故に証明可能たる事を、我は宣言す。


 第二に、啓示の外的論証、即ち天主がなし給いし御業、とりわけ奇蹟と預言とは、キリスト教が天主に由来せん事のいとも確実なる徴しと自認し承認す。またこの同じ外的論証が、全ての世と全ての人間の知性に、今の世と今の世の人間の知性と雖も之にいと相応しきものたる事を、我は堅く信ず。


 第三に、啓示されし御言葉の保護者かつ教師たる教会を、主が我らの内に住み給ひし時、真の歴史的キリスト御自身が、主御自ら直接に制定されし事、及びその同じ教会が使徒位階制度の頭たるペトロと、時の終りに至るまで全ての後継者らの上に建てられし事を、我は堅き信仰をもって信ず。


 第四に、使徒達より、正統信仰の教父達を通じ、常に同じ意味及び解釈に従いて我らに至るまで伝えられし信仰の教義を、我は誠実に受け入れん。故に、教義が、教会が初めに保持せしものとは異なり、一の意味より他の意味へと進化すると説く異端説を、我は拒否す。同じく、キリストの花嫁たる教会に任され、これによって忠実に守らるべき天主の信仰の遺産を、人間の努力により徐々に形作られ将来に亘る無限の発展によりて完成さるべきとする謬説を、我は全て排斥す。


 第五に、信仰が、心の欲求と意志の衝動との下で道徳的に未発達なる潜在意識の奥底より湧き出づる盲目的宗教感情にあらざる事、またかえって信仰とは聴覚を通じ外的に受けた真理に対する真なる知性の同意たる事、即ち我らの創造主且つ主たる位格的天主が曰い、証明し、啓示し給いし事を、最高の真理なる天主の権威の故に、我ら信じ奉る事を、我は最も確実に堅く信じ且つ誠実に宣言す。


 更に、回勅「パシェンディ」および教令「ラメンタビリ」に含まるる全ての、特に所謂教義の歴史に関する排斥、宣言、規定に対し、我は尊敬の心持て服従し、且つ我が魂全てをもって、之を厳守す。


 同じく、教会によりて提示されし信仰が歴史と矛盾し得ると主張する者達の誤謬、またカトリック教義が今日理解されし意味において、カトリックの宗教のより真正なる起源と調和し得ざる旨主張する者達の誤謬を、我は拒絶す。


 また、信仰者の信仰に矛盾せる事を奉ずる事、若しくは教義をあからさまに否定せぬ限りにおいては教義が誤りたるないしは疑わしきものたるとの結論を導くべき前提を打ち立てる事があたかも歴史家には許さるるが如く、教養あるキリスト教徒は信者と歴史家のの双方の人格を持てりと主張する者達の説を、我は排斥且つ拒絶す。


 同じく、教会の聖伝、信仰の類比、更には使徒座の規範を無視すると共に、理性主義者達の意見に従い、随意にまた大胆にも、原典批判をもってのみ唯一最高の規範とする聖書研究・解釈方法を、我は拒絶す。


 更には、先づカトリック聖伝の超自然的起源若しくは啓示されし真理を永久に保存せんが為天主の約束し給うた御助けに就いての先入観を捨てねばならぬとの説、また教父一人一人の著作は、その天主からの権威を打ち捨て、科学の諸原則のみに従い、通常世俗の文献を研究せん時に用うる判断の自由をもってこれを行うべきとの説を、我は排斥す。


 最後に、聖伝には神的なる点無しとの近代主義者達の謬説、或いは、より増して悪しき事には、聖伝に神的な点無しとの説を凡神論的意味において認め、共通の歴史事実に同化さるべき単なる純然たる事実、即ち人間がその働き、技能、才能によりキリスト及びキリストの使徒達によりて始められし学派を後世に継続したとの事実以外には何ものをも認めずとする説を主張する近代主義者達の謬説には、我は全く反対する事を宣言す。


 故に我は、使徒達に由来せし司教座の継承 の内にあり、今もあり、また未来においても常にあり続くべき真理の確実なる徳能(カリスマ)に関する教父らの信仰を最も堅く守り、これを最後の息まで堅く守り抜かん。そは各時代の文化により良く似つかわしく見ゆる事が信ぜらるる為にあらず、むしろ初めより使徒達によりて説かれし不変の真理が、別様に信ぜられ或いは別様に理解さるる事決してあらざらんが為なり 。


 上述の全ての事を、忠実、完全、誠実に守り、教えるに当たりてもその他の業においても、話す言葉にても書く言葉にても、決してこれより離るる事なき様守り通さん事を、我は約束す。かく我約束し奉り、かく我誓い奉れば、願わくは、天主と天主の聖なる福音我を助け給え。

 


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--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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