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韓国での自発書簡スンモールム・ポンティフィクム Summorum Pontificum の反響

2007年07月19日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

【参考資料】韓国カトリック教会での自発使徒書簡スンモールム・ポンティフィクム Summorum Pontificum の反響をご紹介します。


カトリック新聞
「トリエント・ミサ典礼」再び許されるようになる

平和新聞(カトリック系)
トリデンティン方式ミサ挙式許容 教皇ベネディクト十六世、文献「最高司祭長」発表

聖パウロ宣教サイト
バチカン:教皇、ラテン語典礼許可する教令を発表

朝鮮日報ドットコム
教皇「ラテン語ミサ」再導入決定

ボイス・オブ・アメリカ韓国語
教皇ベネディクト十六世、ラテン語ミサ再導入「教皇自発教書」承認


パランメディア
教皇ラテン語ミサ38年ぶりに再導入へ


韓国語での非公式訳
「恩寵の泉」というハンドルネームを持つ人が、「スンモールム・ポンティフィクム」と司教様たちへの手紙の韓国誤訳を自由掲示版(【注意】「ナジュの聖母」支持サイト)へ投稿(7月17日)

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聖ピオ十世会韓国のホームページ
トレント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会



公会議宣言『信教の自由に関する宣言』に即したカトリック国家に対するローマ教皇庁の政策

2007年07月19日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

■ 公会議宣言『信教の自由に関する宣言』に即した、カトリック国家に対するローマ教皇庁の政策

 1965年以来、カトリック国家に対する、ローマ聖座の政策の根本的な変化を示す事実を、いくつか引用するのは、興味深いことと思われます。それまでの聖座の施策は、とりわけ政教条約(コンコルダート)による教会と国家との(さまざまな形態による)一致団結を助長するものでしたが、同庁の新しい政策の目的は、教会と国家との分断し、ならびにカトリック教を国民の宗教ないしは国家によって保護される宗教、あるいは国家の宗教として認める憲法の条項を排除することにありました。


1-バチカンの圧力によるコロンビア国家の世俗化

 国民の圧倒的大多数(98%)がカトリックのコロンビアにおいて、ローマ教皇庁の要請により、カトリック教のみが唯一国家によって公認される国家であると定める憲法の条項が削除されました。削除の理由としてあげられたのは、人間の尊厳および信教の自由でした。これが起きたのは、1973年のことです。
 バチカンの国務長官は2年間にわたってコロンビア共和国大統領に圧力をかけ、同条項の廃止にいたらせたのでした。これはルフェーブル大司教がコロンビア司教協議会の書記の口からじかに聞いたことです。
(マルセル・ルフェーブル大司教 バルセロナでの講話 1975年12月29日)

 憲法上、「カトリック教が国家によって公に認められる唯一の宗教である」と定める同国において、当の憲法条項を廃止するよう求めたのは、国家首長ではなく、ローマ教皇庁に他なりませんでした。ルフェーブル司教は、同国大統領、教皇大使ならびに司教団代表のスピーチを直接に耳にしたのですが、それによると、「この三つのスピーチの中で、一番カトリック的だったのは、共和国大統領のスピーチだった」のです。

一方、他の2人(共に司教)は次のように言ってはばかりませんでした。「我々は、公会議の信教の自由に関する宣言によって定められた原則にしたがって行動しますが、これは、国家において全ての宗教が自由を享受し、カトリック教会はもはや、優遇されないと言うことを意味します。」これは国家の世俗化の宣言に他なりませんでした。教皇大使は、フリーメーソンのものと言ってもおかしくないスピーチをしました。

共和国大統領ただ一人が、次のように述べて国家の世俗化について公に遺憾の意を表しました。「個人としてカトリックである私が大統領であるかぎり、私は自分のカトリック信仰を表明し、祖国がカトリックであり続けるよう、そして祖国が非宗教と無神論に陥らないように私は全ての努力をします。」しかし、角の親石が取り払われた限り、建物は崩壊するしかありません。そしてそれは実現しました。一週間後にはプロテスタントの全ての諸団体が、カトリックと同じ立場で信教の自由を要求したのでした。

(マルセル・ルフェーブル大司教 アンジェでの講話 1980年11月23日)



2-ルフェーブル大司教とスイスの教皇大使アンブロジオ・マルチオニ司教とのベルンでの会話 
1976年3月31日


ル大司教 「第2バチカン公会議の中には危険なものがたくさんあることが分かると思います。・・・信教の自由についての宣言には、歴代の教皇様たちが教えてきたことと正反対があります。カトリック国家はもやはあり得ないとされています!」
教皇大使 「勿論ですよ。」

ル大司教 「カトリック国家の廃止とか、そんなことをしたら教会の利益になると思いますか?」
教皇大使 「ああ、でも分かりますか、カトリック国家を廃止したらソビエトでもっと大きな信教の自由が得られるでしょう。」

ル大司教 「でも私たちの主イエズス・キリストの社会統治はどうなるのですか?」
教皇大使 「そんなのは今では不可能です。遠い未来にはどうなるか分かりませんがね。今の時代はイエズス・キリストの統治は個人的なものです。

ル大司教 「では回勅『クワス・プリマス』はどうなってしまうのですか?」
教皇大使 「ああ、今では教皇様はそんなことは書きませんよ。」

ル大司教 「ご存じの通り、コロンビアには聖座が国家のキリスト教的憲法を廃止するように要求しました。」
教皇大使 「はい、そうです。ここでもそうです。」

ル大司教 「ヴァレー州ですか?」
教皇大使 「はい、ヴァレー州です。今ではいいですか、そのために、私はいろいろなミーティングに参加しなければなりません。」

ル大司教 「それではあなたはアダム司教様(ヴァレー州にあるシオンの司教)が書いた手紙に賛成するのですか?その中で、アダム司教様は司教区民たちに政教分離に賛成の投票をしなければならないと説得しているのです。」
教皇大使 「私たちの主イエズス・キリストの社会統治は今では難しいのですよ。」

(ルフェーブル大司教 エコンでの副助祭への講話 1976年4月1日、アンジェでの講話 1980年11月23日)

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第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 人間人格の尊厳?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 存在論的尊厳、行動の自由?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 主観的権利、それとも客観的権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 拘束を伴わない探求?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 対話、それとも説教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真理の宗教? それとも偽りの宗教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 誤った諸宗教の有する権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 権利、それとも認容?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の信仰にとって有利となる国家の不介入?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 自由な国家における自由な教会?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の宗教の原則が認知されないことこそ「正常な」状態?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: すべての信教の自由が最良の制度?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教の真理から独立した法的秩序?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 信教の自由: どこまでが「正しい範囲」か?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教上の問題におけるすべての人間的権力による一切の強制からの免除?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 教導権に反する『信教の自由に関する宣言』?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 『信教の自由に関する宣言』かクァンタ・クラか?

第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 『信教の自由に関する宣言』かクァンタ・クラか?

2007年07月19日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

■ 『信教の自由に関する宣言』か、それともクァンタ・クラか?

 公会議宣言『信教の自由に関する宣言』と、19世紀の諸教皇の教皇としての通常教権との対立は、教皇福者ピオ九世の回勅『クヮンタ・クラ』に関するかぎりにおいて、ことさら明白である。最後の4つの疑問 を裏付けるために、福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』で排斥されている三つの命題と公会議宣言『信教の自由に関する宣言』においておしえられている三つのこれに対応する命題とを、両者の論理的含意をも含めて検討してみたいと思う。

* * *


(A)- 福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』
「市民社会にとって最良の状態とは、カトリック宗教を侵す者たちを、公共の平和がそれを必要とする場合を除き、法制に基づく刑罰によって抑圧するいかなる義務も、世俗権力に対して認められていないことである」

(A’)- 公会議宣言『信教の自由に関する宣言』
「宗教問題において、何人も、自らの確信に反して行動するよう強制されることなく、また私的あるいは公的に、単独にあるいは団体の一員として、正しい範囲内で自らの確信にしたがって行動するのを妨げられない」

● (A)と(A’)の比較
 「正しい範囲」の問題については後ほど検討することとして、当座のところ、(A)と(A’)という2つの命題間の論理的関係(同一性、もしくは内包ないしは含意、あるいはまた他の関係)を確定することから始めなければならない。

◆ まず最初に、(A)が述べるところの社会の状態(a)は、宗教上の事柄における社会的権力からの干渉の免除(a’)に他ならない。事実、(a)と(a’)という2つの命題は、互いにもう一方を含意するという関係にある。
(a)社会的権力に、カトリック宗教を傷つける者たちを抑圧する職務を認めない。
(a1) カトリック宗教を傷つける者たちは、国家の権力からの干渉を免れる。
(A’)の述べるところの社会の状態(a’)は、すべての宗教の信奉者、とりわけカトリック教を傷つける者たちが、一切の人的権力、特に国家の権力からの干渉を免れる特権を享受する状態である。
 したがって、(a1)ならびに(a)が(a’)の個別的なケースであることが明白となる。その結果、(a’)と(a)の間に論理的関係が存在することになる。

◆ 第二に、(a)と(a’)について下される(A)ならびに(A’)という2つの判断の様式は、次のとおりである。
―(A)は、社会にとって最良の状態を述定する。
―(A’)は、社会において存在しなければならない状態を述定する。
したがって、(A’)は(A)と同一の命題ではないことが分かる。しかるに、次のように言うことができる。たしかに最良のものは、必ずしもそうでなければならないものではない、なぜなら具体的な最良の状況は理論上の理想以下のものたり得るからである。反対に、存在しなければならないものは(少なくとも具体的状況を捨象するかぎりにおいて)必然的に最良のものである。したがって(A’)<存在しなければならない> と(A)<最良の>という述定様式の間には論理的な含意の関係があると言うことができる。

* * *


(B) - 福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』
「良心および信教の自由は、各人に固有の権利である」

(B’) - 公会議宣言『信教の自由に関する宣言』
「人間は信教の自由に対して権利を持つ。この自由は(中略)、何人も、私的あるいは公的に、単独にあるいは団体の一員として、正しい範囲内で自らの良心に反して行動するのを妨げられないことにある。」

● (B)と(B’)の比較
 (B)の意味は、拙著の端々ですでに十分説明したし、また(B’)の意味も公会議宣言『信教の自由に関する宣言』自体が命題(A’)で与えている説明から容易に把握される。したがって、(B)の排斥と(B’)における、同じ権利の肯定、すなわち宗教上の事柄における、外的かつ公的な、いかなる宗教の信奉者であれ例外なく全ての人に認められる行動の自由の肯定が、矛盾していることは明白である。
 しかし、次のように反論する人もいるだろう。(B’)は(A’)の「正しい範囲内で」という条件を認めている。しかるに(B)は、何らの制限なしに要求される権利であるように思われる。言葉を換えて言えば、クァンタ・クラが(制限なしの)見境のない放逸な自由を排斥しているとすれば、第二バチカン公会議は、中庸な、度を過ごさない自由をうたっているのであり、したがって福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』の定める排斥を免れる。
 この反論に答えるのは、いたって容易である。(B)が述べているのは、ただ当の自由が権利であるということにすぎない。しかしこの権利は、(A)が明白に述べているように、それを行使するにあたって、公共の平和が要請するところによって制限される。したがって、福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』は当の自由を見境のない放逸な自由として排斥しているのではないことが分かる。
 無論、「公共の平和」は、第二バチカン公会議の示す「正しい範囲」が指す内容をすべて含むわけでは到底ないだろう。先に述べたように『信教の自由に関する宣言』が指定する正しい範囲は「公の秩序」が要求するところのものである。しかるに、この「公の秩序」という概念は、公共の平和のみならず、各人の権利の尊重および「客観的道徳秩序」にしたがうべき公共道徳の保護をもその意味内容に含むからだ。
 しかし実際のところ、この違いは取るに足らないものである。(B)と(B’)は、当の信教の自由が(特定の宗教が偽りのものであるという)本質的な理由 によってではなく、公共の平和ないしは客観的道徳秩序という付帯的な理由によってのみ制限され得る、という点において共通している。
 実にこれこそ第二バチカン公会議が、例えば次のように述べるとき提唱しているところである。「公権が、宗教行為を(中略)妨害することができると考えるならば、その限界を超えていると言わなければならない。」(『信教の自由に関する宣言』 第三項末)すなわち、公権が宗教行為を、それらが誤った宗教である、ないしはカトリック教にもと;悖るものであるという理由のみによって、あるいは、何であれ、当の宗教の宗教としての本質に属する理由から妨げるならば、自らの権利を逸脱するというのだ。
 また、これは福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』が命題(A)において、一方で「カトリック宗教を侵す者たち」、すなわちカトリック教会の純粋に礼拝行為または規律に関する規定を破る者たち(当の宗教の本質に関わる動機)、また他方で「公共の平和」を乱し得る者たち(当の宗教の信奉に付帯的な要素)とを区別することによって現していることである。したがって(B)と(B’)は同一の権利を主張していることになる。そして、この権利の行使に関して言えば、(A)と(A’)は共にその範囲を指定し、また信教の自由に対する権利は、当の宗教の本質に関わる理由からは制限され得ないとしている点で共通している。
 そしてこれこそ、第二バチカン公会議が提唱し、福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』が排斥していることである。あるいはより正確に言うと、これこそ第二バチカン公会議が無条件的に、そのもの自体として提唱し、ただ、ある特定の観点からのみ制限を加えるところのこと、また福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』が無条件的に、そのもの自体として排斥し、また単に特定の観点からのみ設けられる制限は、信教の自由を抑制すべき唯一の制限範囲ではないことを明言するところのことである。

結論: 命題(B)と(B’)は、信教の自由に対する権利を主張していること、またかかる自由の行使における制限範囲は、当該宗教の本質に即した制限範囲であってはならないとしている点において全く一致している。

* * *


(C)- 福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』
「しかるべく構築された全ての社会において宣言され、保証されなければならない」 

(C’)- 公会議宣言『信教の自由に関する宣言』
「信教の自由に対する人格のこの権利は、社会の法的制度において、市民的権利として受け入れられるべきものである。」

● (C)と(C’)の比較
 命題 (C)と(C’)は、両者共に、宗教上の事柄にける行動の自由に対する自然的権利が市民的権利として認められ、法律によって保証されなければならない、と主張している点において一致している。
  
* * *


 先に反論に対する返答として示した、両文書によって無条件的に、そのもの自体として表明されている事柄、すなわち信教の自由と、この自由の、当該宗教自体の本質に基づく制限を被らない行使についての解説を念頭に置くかぎりにおいて、公会議宣言『信教の自由に関する宣言』により表明されている諸命題と、福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』により排斥されている諸命題との間には、同一性[命題(B’)と(B)および(C’)と(C)]、ないしは少なくとも含意[命題(A’)と(A)]という論理的関係が存在していると言わなければならない。
 したがって、もし誰かが、信教の自由について第二バチカン公会議が公言していることを主張するならば、必然的に、福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』によって排斥されているところのことを主張することになる。あるいは、言葉を換えて言えば、福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』が定める排斥は、必然的に『信教の自由に関する宣言』が公言していることの排斥を含むことになる。
 これらの前提を示した上で、以下に私の疑問を呈したい。

【疑問点 36】
 先に引用した三つの命題に関して、公会議宣言『信教の自由に関する宣言』福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』に矛盾していると言うことができるか。もしできるとすれば、公会議宣言『信教の自由に関する宣言』福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』によって打ち出された排斥に該当すると言うことができるか。

【疑問点 37】
 先述の三つの命題に対して福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』が定める排斥は、教皇の通常教権の最高段階の権威に基づいて、ないしは不可謬の聖座宣言(エクス・カテドラ)としての定義として発されているのか。もしそうだとすれば、公会議宣言『信教の自由に関する宣言』は、教会の教導権による不可謬の排斥の対象となる、と言えるのではないか。

【疑問点 38】
 公会議宣言『信教の自由に関する宣言』が表明する信教の自由に対する権利は、福者ピオ九世回勅『クヮンタ・クラ』って排斥された諸命題と同様の神学的譴責の対象とならないか。そして、その結果、当の権利は「カトリック教会および霊魂の救いに及ぼす影響において至って致命的な見解、「常軌を逸した考え」、聖書と教会、教父らの教えに反し、拒絶され、禁止され、排斥され、またそれらがカトリック教会の全ての子らによって拒絶され、禁止され、排斥されたものとして見なされなければならない」と形容されるのに値するものとならないか。

【疑問点 39】
 信教の自由が「真の宗教とキリストの唯一の教会とに対する(中略)団体[したがって市民社会の]道徳的義務に関する伝統的なカトリックの教説に、いかなる変更をも加えない」と言明し、パウロ6世教皇が1965年12月7日に「自らの教皇としての権能に基づき(中略)聖霊において承認し、制定し、布告し、神の栄光のためにこれが発布されることを命じ」た信教の自由に関する公会議宣言は、きわめて重大な教会論上の問題を生むものである、と言うことができるか。そしてこの問題を、教会は早急に解決しなければならず、さもなくば同宣言が発布されて20年以上経た後に、なおもつまずきの石、教会史上先例を見ないつまずきの石を残し続けることになる、と言うことができるか。

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第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 人間人格の尊厳?
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自発教令 Summorum Pontificum を読んで:「決して廃止されていない」

2007年07月19日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

「決して廃止されていない」 ≪ numquam abrogatam ≫:自発教令 Summorum Pontificum を読んで

幻想の禁止 "Present" du 13 Juillet 2007 より

  ≪ numquam abrogatam (決して廃止されていない)≫、この二つの単語は、聖伝のミサが受けていた三十七年の受難の年月を物語っている。

 全世界で聖伝のミサが1969年に「廃止」された、というのは事実上の間違いだった。ベネディクト十六世は司教様たちの手紙の中で三つ目の単語を付け加えて正確を期してこう書いている。

今迄決して法的に廃止されたことはなかった」(司教達へ宛てられた書簡 2007年7月7日

"this Missal was never juridically abrogated."

 つまり、いままでの聖伝のミサ禁止令は、不当であり不正であり不法であったということだ。

 スイスのシオン司教区(ここにエコンの神学校がある)では、アダム司教(Mgr Adam)は、1973年1月に「警告≪ mise au point ≫」を公布し、聖ピオ五世の典礼様式による聖伝のミサは1969年に「使徒憲章『ミサーレ・ロマーヌム』によって廃止された(ママ)」ので聖伝のミサを捧げることを禁止した。アダム司教は当時「この宣言は、教会当局の正当な情報と正式な指導に基づく」 ≪ La presente declaration est faite sur renseignement authentique et indication formelle de l’Autorite. ≫ とさえ書いていた。

 1974年1月には、スイスの司教評議会の総会は「聖ピオ五世の典礼様式による聖伝のミサを捧げることはもはや許されていない」と宣言した。

 世界中何処でも同じような公式の禁止令が繰り返されて出されていた。

「教会への従順のために、どのような状況であっても聖ピオ五世の典礼様式による聖伝のミサを捧げることは禁止される」と。

 パウロ六世は、1976年5月24日の枢機卿会議で「新しいミサは古いミサの代わりに発布された」とさえ言った。

E nel nome della Tradizione che noi domandiamo a tutti i nostri figli, a tutte le comunita cattoliche, di celebrare, in dignita e fervore la Liturgia rinnovata. L’adozione del nuovo ≪Ordo Missae≫ non e lasciata certo all’arbitrio dei sacerdoti o dei fedeli: e l’Istruzione del 14 giugno 1971 ha previsto la celebrazione della Messa nell’antica forma, con l’autorizzazione dell’ordinario, solo per sacerdoti anziani o infermi, che offrono il Divin Sacrificio sine populo. Il nuovo Ordo e stato promulgato perche si sostituisse all’antico, dopo matura deliberazione, in seguito alle istanze del Concilio Vaticano II.

(教皇様の御言葉といえど、カトリック教会においては、枢機卿会議での言葉など立法行為の性格を持たない言葉は、法の効力を持つものではない。)

 これが1978年までだった。ところが1978年から、そして特に1986年からは、新しいミサの「義務」というや、聖伝のミサの「禁止」ということが言われなくなっていった。聖座の担当司教たちは、聖伝のミサ禁止は権力の濫用であると理解していたからだ。しかしそのことを公言するものは殆どいなかった。

 世界中の小教区では、聖伝のミサが「許されていない」という幻想を思いこみ続けていた。

 日本のカトリック新聞は「公会議前のミサ」が「規制緩和」だと見出しを付けた。(この記事の画像は「護教の盾」さんがアップしてくれている。

 何故なら、聖伝のミサがもつ正当な権利を認めたことだということを理解できなかったか、それを認めたくなかったからだろう。だから新しいミサが ordinaria expressio であるという時それを「主要形態」と訳して "「主要形態は新しいミサ」も強調" と言い、聖伝のミサが extraordinaria expressio であるという時、その extraordinaria を(普通に「特別」と訳す代わりに)「通常外」と訳して「祈りの規範の通常外の表現」としたのだろう。(それほど色を付けて訳すのが許されるなら ordinaria を「平凡な」と訳し extraordinaria を「素晴らしい」と訳すのも許されるはずだ。何故ならベネディクト十六世教皇はラッツィンガー枢機卿時代に、新しいミサのことを「一つの平凡な即席の産物」と言っているからだ。)

 「今迄決して法的に廃止されたことはなかった(never juridically abrogated)」し「規制」もなかったのに、事実上、不当に取り扱われてきただけだったからだ。何故なら、カトリック教会は、その聖伝を禁止することができないからだ。何故なら「ある共同体は、それが突然その最も聖なるそして最も高い所有物であったものが厳格に禁止されると宣言するとき、そしてそれを望むことがまさに不作法なことであるとするとき、共同体の存在そのものに異議を唱える」ことになってしまうからだ。

 何故ならルフェーブル大司教の言う通り「自分の過去と断絶してしまった教会、それはカトリック教会ではない」 (ジュネーブにおいての説教1978年5月15日)からだ。

 しかし日本の司教様たちは、この自発書簡はヨーロッパのことで日本とは関係ないとでも言うような態度で、日本がカトリック教会の聖伝と断絶し続けるように望んでいるようだ。何故なら、世界中で話題になった7月7日の自発使徒書簡の日本語訳が未だに公式に出されていないからだ。司教様たちは、選挙運動のほうが優先的にやることだと思っておられるのではないか? それともいつまでも無視し続けようと決意しておられるのだろうか? カトリック教会の二〇〇〇年の聖伝をいつまで「通常外」として排除し続けたいと思っているのだろうか? この日本語訳がいつ公表される(されない)かによって、日本の司教様たちの聖伝との断絶度が測られる(やいやい急かされて、ようやく遅くればさながら出た(出ない)なら、その遅れによって測られる)と思う。そして教会の聖伝との断絶度とは、すなわち離教度だ。

 おそらく日本では、「教皇様の自発使徒書簡がでたから、私たちが何をしなくても日本の教会に聖伝のミサが帰ってくる、これでまたグレゴリオ聖歌が聞ける、荘厳なミサに与れる、やれやれ、良かった、めでたしめでたし」と思うのは甘い幻想だろう。聖伝のミサほどいわゆる「信徒の積極的な参加」が要求されているものがないからだ。私たちは、日本の司教様、司祭、修道者、信徒の方々のために祈ろう。特に司教様たちのために祈ろう。


(この記事を書くのに、JEAN MADIRAN, Article extrait du n° 6377 de Present, du vendredi 13 juillet 2007 を参考にしました。)

 これに関連して「教皇文書はラテン語ミサの支持者たちの正当性を証明している」の記事もお読み下さい。

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■ 現在、教会に危機は存在するか?
■ 教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのか?
■ 教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのか?(つづき)
■ イエズス・キリストは、市民社会の王であるか?
■ イエズスは「自分の王国はこの世からのものではない」と言われたのではないか?
■ 第二バチカン公会議はどこが特別なのか?
■ ミサ聖祭とは何か?ミサがいけにえであるということを誰が否定したのか?
■ 新しいミサの第二奉献文(Prex eucharistica II)は、極めて古代のものではないのか?
■ 決して廃止されたことのないこの古い典礼を求める新しい刷新された関心 聖伝のミサは廃止されているか?
■ どのように御聖体拝領をすべきか?
■ 現在手による聖体拝領を拒むことは、進歩への跳躍と発展をも拒むことであるか?
■ ミサ聖祭はラテン語でなければならないのか?ベネディクト十六世教皇のラテン語奨励はいいアイデアか
■ カトリック典礼が普通に有するべき三つの性質:新しいミサはこの三つの特徴を満たすか?

兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します!

2007年07月18日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア!

 ■ 聖伝のミサにようこそ! ■ WELCOME TO THE TRADITIONAL MASS!

 兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します! 
(聖伝のミサは、本来なら「ローマ式典礼様式のミサ」と呼ばれるべきですが、第二バチカン公会議以前のミサ、聖ピオ五世のミサ、古いミサ、昔のミサ、旧典礼、ラテン語ミサ、トリエントミサ、トリエント公会議のミサ、伝統的ミサ、伝統ラテン語ミサ、「トリエント公会議ミサ」「公会議前のミサ」(カトリック新聞の表現による)・・・などとも呼ばれています。)

■何故なら、聖伝のミサは、聖ピオ5世教皇様の大勅書によって義務化され永久に有効なミサ聖祭だからです。(1570年7月14日聖ピオ5世の大勅令『クォ・プリームム』


■何故なら、聖伝のミサは、ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡によって確認された通り、今迄決して法的に廃止されたことがなく、常に許されていたミサ聖祭だからです。


■ 聖アルフォンソ・デ・リグオリの言葉
「ミサは教会でもっとも良いものであり最も美しいものである・・・悪魔は常に、異端者達を通してミサをこの世から取り除こうと常に努力してきた。そうすることによって彼ら異端者達は、反キリストの先駆者となった。・・・」
S. Alfonso Maria de Liguori
Messa e officio strapazzati

     <2007年7月の予定>

【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館511号(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」


【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館1F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

21日(土)(都合により、この日の午後の聖伝のミサは(ミサのみ)キャンセルになりました。ご了承下さい。)
午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会(http://sound.jp/gregorio/
     午後8時30分 グレゴリオ聖歌による終課
22日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
午前10時半  聖霊降臨後第八主日(2級)緑
     午後2時半  霊的講話

■今回は、霊的講話の内容として、ベネディクト十六世の自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」についてお話ししたいと思っています。

     午後4時   グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課

23日(月)午前7時 殉教者司教聖アポリナリス(3級祝日)赤
34日(火)午前7時 平日(4級)


それでは、皆様のおこしをお待ちしております。

 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2007.html
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
http://sspx.jpn.org/schedule_tokyo.htm
 などをご覧下さい。

For the detailed information about the Mass schedule for the year 2007, please visit "FSSPX Japan Mass schedule 2007" at
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/tradmass/


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トレント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

ルフェーブル大司教の従順

2007年07月18日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

DICI No 156 に掲載された「ルフェーブル大司教の従順」の記事を紹介します。
(ロラン神父様の記事に少し手を加えてあります。)

 自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム』は、聖ピオ五世のミサ典書が一度も廃止されたことがなかったことを確認したばかりだ。ルフェーブル大司教は、永久のミサ聖祭に忠実であったために、「不従順」であったとレッテルを貼られたことを思い出し、今一度、ルフェーブル大司教の言っていたことを思い出すのが正義に適っている。

「これらの新しい司祭たちが、教会のミサに、聖伝のミサに、永遠のミサに忠実であることを。だからこそ私たちに叙階するな、と圧力をかけるのです。私にはその証拠があります。6回、ここ3週間というもの6回にわたって私たちは、ローマと通常の関係を結ぶようにと求められました。そして、その証拠として新しい典礼様式を受け入れ、私自身これを捧げるようにと言われました。私が新しい典礼様式で共に共同司式をして、私が喜んでこの新しい典礼を受け入れたと言うことを示せ、そして、それさえすれば、ローマと私たちの関係は平らになると言われました。私は、手に新しいミサ典書を手渡され、「ほら、これが、あなたがしなければならないミサです。そして、あなたの全ての修道院で、捧げなければならない新しいミサです。」と言われました。また、今日この6月29日、皆の前で、私たちが新しい典礼様式でミサを捧げれば、ローマと私たちの関係は、何もなかったかのようになる、とも言われました。ですから、ミサの問題でエコンとローマとの間のドラマが展開されていることは、明らかではっきりとしています。
(ルフェーブル大司教の説教 1976年6月29日)

「聖伝のミサは禁止されていないし、禁止され得ないのです。・・・ このことから、もしもある司祭が、聖伝のミサのためにカトリック教会法典の制裁を受けたとしたら、或いは破門されたとしたら、この排斥は絶対的に無効です。・・・ 私たちは、聖伝のミサを全く良心の平安の内に捧げることが出来ますし、カトリック信徒たちも、何らの心配もなく、これこそが信仰を維持するための最善の方法であるという確信の内にこれに与ることが出来ます。(教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ ルフェーブル大司教の公開書簡 その20)


「私たちは今、本当に劇的な状況にいます。私たちは、選ばなければなりません。敢えて言えば見かけ上の不従順か、あるいは私たちの信仰を捨てるかのどちらかです。ところで、教皇様は私たちに信仰を捨てるようにと命じることは出来ません。それは不可能です。ですから私たちは、信仰を捨てないことを選びます。なぜなら、そうすることによって私たちは間違うことがないからです。なぜなら、教会が2000年間教えてきたのです。教会がその間ずっと誤っていたと言うことはありえません。全くありえません。」
(ルフェーブル大司教の説教 1976年6月29日)

「私たちは今、劇的な状況の中を生きているのです。選択をしないと言うことは不可能です。ただしこの選択とは従順と不従順とのどちらかを選ぶというものではありません。人々が私たちに提示していること、はっきりと厳しく私たちをそれに招いていること、そしてそれを私たちにさせるために私たちを迫害しているのは、それは見かけ上の従順を選ぶことです。何故なら、教皇様は私たちをして私たちの信仰を放棄することを要求することが出来ないからです。私たちは信仰を守ることを選びます。私たちが、教会が二〇〇〇年間教え続けてきたことに固執するなら、私たちが間違うことは有り得ないからです。・・・カトリック信者たちをして従順の名によって全聖伝に不従順であるようにし向けることが出来たのは、正に、サタンの強烈な一撃です。」(教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ ルフェーブル大司教の公開書簡 その18)

「私たちは教会から離れたくありません。その全く反対です。私たちは、カトリック教会を続けたいのです! 自分の過去と断絶してしまった教会、それはカトリック教会ではありません。・・・ 将来、真理が再び明らかになることでしょう。私たちはそれを確信しています。それ以外では有り得ないからです。天主様は、ご自分の教会をお見捨てにはならないからです。」
(ジュネーブにおいての説教1978年5月15日)

アラン・ロラン神父

 ルフェーブル大司教は、聖伝のミサを捧げ続けたがために、迫害を受け馬鹿にされ忘れられ続けた。しかし、ベネディクト十六世の自発使徒書簡により、聖伝のミサが禁止されていなかった事実・法的には決して廃止されていなかった事実が公に再確認された。この自発使徒書簡以前のカトリック教会における状況は、極めて重大な不当で不正なものだったこと、それに付ける名前がない程のスキャンダルであったことが確認された。

 何故なら、ラテン教会の古代からの典礼様式が、事実上、公式に「禁止」され・追放され・ほぼ「破門」状態におかれていた、ということは、カトリック信仰の正しい秩序に暴力を加えていたことであった。多くの霊魂たちは、教会を離れ・道を迷い・失望した。

 しかしベネディクト十六世の発言はこの状況の転換期を作った。

Art. 1. ... Proinde Missae Sacrificium, iuxta editionem typicam Missalis Romani a B. Ioanne XXIII anno 1962 promulgatam et numquam abrogatam, uti formam extraordinariam Liturgiae Ecclesiae, celebrare licet.

第一条 ・・・ それゆえ、福者ヨハネ二十三世が1962年に公布した且つ決して廃止されていないローマ・ミサ典書の規範版に従ったミサ聖祭の犠牲(いけにえ)を教会の典礼の特別形式として献げることは許されている。

「ミサ典礼の特別な形式としての1962年版典書の使用に関して、私は、この典書が今迄決して法的に廃止されたことはなかったし、従って原則として常に許されていた、という事実に注意を引きたいと思います。」
司教達へ宛てられた書簡 2007年7月7日


As for the use of the 1962 Missal as a Forma extraordinaria of the liturgy of the Mass, I would like to draw attention to the fact that this Missal was never juridically abrogated and, consequently, in principle, was always permitted.

 この断言は、今までの迫害と異常な状況ウソのプロパガンダと真理への圧迫にたいして、大転換である。

 メディナ枢機卿は、1999年7月13日、また1999年10月18日にも、典礼聖省長官として公式文書に、新しいミサ典書こそが「典礼一般法により、ローマ典礼様式のミサ聖祭祭儀の唯一の有効な形式」(≪ l’unique forme en vigueur de la celebration du saint sacrifice selon le rite romain, en vertu du droit general liturgique ≫)であると書いていたことがウソであったことになる。

 パウロ六世自身も、1976年5月24日の枢機卿会議でこう訓話していたことも、ウソであったことになる。

「聖伝の名前により、私は全ての私の子供達とカトリック共同体に、熱心と尊厳をもって新しい典礼の典礼様式を捧げることを求めます。新しいミサを取り入れることは、司祭や平信徒の自由な決定に委ねられているのではありません。・・・ 新しいミサは古いミサの代わりに発布されました。」

≪ C’est au nom de la Tradition elle-meme que Nous demandons a tous Nos fils et a toutes les communautes catholiques de celebrer avec ferveur et dignite les rites de la liturgie renovee. L’adoption du nouvel Ordo Missa n’est certainement pas laissee a la libre decision des pretres ou des fideles. (…) Le nouvel Ordo a ete promulgue pour prendre la place de l’ancien. ≫


 だから、私たちは、2007年7月7日の自発使徒書簡の発布を喜ぶ。しかし、聖伝のミサが全てではない。私たちの求めていることは、十全な全きカトリック信仰です。聖伝のカトリック信仰です。

私たちが反対していること、私たちが同意できないこと、それは第一にミサの問題ではありません。何故ならミサは、プロテスタント主義に近づこうと望むことから、つまり天主への礼拝・秘跡・公教要理を変更させようと望むことの結果の一つに過ぎないからです。根本的な対立は、私たちの主イエズス・キリストの統治に関することです。聖パウロは私たちにこう言います。Oportet Illum regnare 主は統治しなければならない、と。私たちの主イエズス・キリストは統治するためにこの世に来ました。彼らは「違う」と言い、私たちは全ての教皇様たちと共に「そうだ」といいます。」
(ルフェーブル大司教)


「今では、三つの根本的な誤謬があります。これらはフリーメーソンを起源とし、教会を占領している近代主義者達によって公に宣言されています。
(1)天主の十戒を人権によって置き換えようとすること。人権と言うことこそ、道徳のライトモチーフ(主題)になりました。実際上、人権が天主の十戒の場所を占めるようになってしまいました。人権の主要な条項は、特に信教の自由であり、これはフリーメーソンによって特に望まれたものでした。それまでは、カトリック宗教が真の宗教(LA religion)でありその他の諸宗教は間違いでした。フリーメーソンはその排他性を望みませんでした。これを廃止させるために信教の自由を発布したのです。
(2)諸宗教の平等を事実上確立させる偽りのエキュメニズム。それは教皇(ヨハネ・パウロ二世)が具体的なやり方で様々な機会に見せていることです。教皇様自身が、エキュメニズムが自分の教皇職の主要な目標の一つだと言っていました。教皇様はこうして使徒信経の第一条に反し、教会の第一の掟に反して行動しています。これは例外的な重大性を帯びています。
(3)現在よくある第三の行為は、国家の政教分離(laicisation)による私たちの主イエズス・キリストの社会統治の否定です。教皇(ヨハネ・パウロ二世)は、社会を非宗教化する(laiciser)ことを望みそれに実際上成功しました。つまり、諸国における私たちの主イエズス・キリストの統治を廃止したのです。

 この三つの根本的な変化を合わせると、実のところこの三つは同じことなのですが、私たちの主イエズス・キリストの宗教の唯一性の否定であり、従って、その統治の否定です。何故そのようなことが起こったのでしょうか? いったい何のために? おそらく、全ての諸宗教を一致させようと目ざすある種の混宗主義的な、世界中の宗教的感情のためでしょう。
 状況は極めて重大です。何故なら、フリーメーソンの理想の実現がローマによって、教皇様と枢機卿たちによって、達成されているからです。フリーメーソンたちはこのことを常に望んでいました。そして彼らは自分たちでではなく、教会の聖職者達によってそれに到達したのです。
 高位聖職者、あるいはその側近によって書かれた記事を幾つか読んでみるだけで、第二バチカン公会議以後なされた抜本的な変化、教会の変容にどれ程満足しているかを見るのに十分です。このことは、彼ら自身では、考えつくことも難しかったことです。

ルフェーブル大司教の言葉、1987年1-2月号 Fideliter 誌に掲載された

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■ 現在、教会に危機は存在するか?
■ 教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのか?
■ 教会における現代の危機の責任は、司教様たちなのか?(つづき)
■ イエズス・キリストは、市民社会の王であるか?
■ イエズスは「自分の王国はこの世からのものではない」と言われたのではないか?
■ 第二バチカン公会議はどこが特別なのか?
■ ミサ聖祭とは何か?ミサがいけにえであるということを誰が否定したのか?
■ 新しいミサの第二奉献文(Prex eucharistica II)は、極めて古代のものではないのか?
■ 決して廃止されたことのないこの古い典礼を求める新しい刷新された関心 聖伝のミサは廃止されているか?
■ どのように御聖体拝領をすべきか?
■ 現在手による聖体拝領を拒むことは、進歩への跳躍と発展をも拒むことであるか?
■ ミサ聖祭はラテン語でなければならないのか?ベネディクト十六世教皇のラテン語奨励はいいアイデアか
■ カトリック典礼が普通に有するべき三つの性質:新しいミサはこの三つの特徴を満たすか?

ベネディクト十六世教皇は1962年版のミサ典書で個人的に聖伝のミサを捧げている

2007年07月17日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、
 ベネディクト十六世教皇は1962年版のミサ典書で個人的に聖伝のミサを捧げているそうです。

Informed sources at the Vatican have confirmed reports that the Holy Father regularly celebrates Mass using the 1962 Roman Missal.

 くわしくは、Pope Benedict uses older ritual for his private Mass の記事をご覧下さい。

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教皇グレゴリオ十六世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代の誤謬の排斥『クヮンタ・クラ』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
すべてのプロテスタントおよび非カトリック者にあてた教皇書簡『ヤム・ヴォス・オムネス』 1868年9月13日
教皇レオ十三世 フリーメーソンの悪について『フマヌム・ジェヌス』1884年4月14日
教皇レオ十三世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
教皇レオ十三世 フリーメイソンについて『クストディ・ディ・クエラ・フェーデ』1892年12月8日
教皇レオ十三世 聖公会の叙階の無効性について『アポストリチェ・クーレ』(抜粋)1896年9月13日
アメリカ主義について『テステム・ベネヴォレンチエ』1899年1月23日
教皇聖ピオ十世 聖楽に関する自発教令『Inter Pastoralis Officii』(MOTU PROPRIO "TRA LE SOLLECITUDINI" SULLA MUSICA SACRA)1903年11月22日
教皇聖ピオ十世 近代主義の誤りについて『パッシェンディ Pascendi Dominici gregis』1907年9月8日
教皇聖ピオ十世 司祭叙階金祝にあたって、カトリック聖職者への教皇ピオ十世聖下の勧告『ヘレント・アニモ』1908年8月4日
教皇聖ピオ十世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務 Notre charge apostolique』1910年8月25日
教皇聖ピオ十世 近代主義に反対する誓い『サクロールム・アンティスティトゥム』1910年9月1日
教皇ピオ十一世 真実の宗教の一致について『モルタリウム・アニモス』1928年1月6日
教皇ピオ十一世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日
教皇ピオ十二世 福者ピオ十世の列福式に於けるピオ十二世の説教 1950年6月3日
教皇ピオ十二世 進化論及びその他の誤謬について『フマニ・ジェネリス』1950年8月12日
教皇ピオ十二世 支那の国民に対し『アド・シナールム・ジェンテム』1954年10月7日
教皇ピオ十二世 日本国民に対するメッセージ 1952年4月13日
教皇ピオ十二世 童貞聖マリアの無原罪の教義宣言の百年祭 回勅『フルジェンス・コロナ・グロリエ(輝く栄光の冠)』 1953年9月8日


エコンでの司祭叙階式の様子のビデオ・ファイル(Youtube)

2007年07月17日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、幾つかの動画を紹介します。

 今年のエコンでの司祭叙階式の様子です。
Ordinations, Econe 2007

 今年の5月のシャルトル-パリ(サクレ・クール)巡礼の様子です。
26, 27 et 28 mai 2007 : videos du pelerinage 2007 du Sacre Coeur

聖ピオ十世会のフランスでの学校の一つです。
Ecole Saint Jean Baptiste de la Salle

聖ピオ十世会のアメリカでの学校の一つです
Saint Mary's Academy and College

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トレント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
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ハンス・キュンクがドイツ・フリー・メーソンの文化章受賞

2007年07月17日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 ハンス・キュンクがケルンで、ドイツ・フリー・メーソンの文化章をグランド・マスターのイェンス・オバーハイデから授与されたそうです。

■ くわしくは、Kulturpreis fuer Hans Kueng の記事をご覧下さい。

■ 或いは、聖ピオ十世会ドイツ管区の月報Mitteilungsblatt fuer den deutschen Sprachraum Juli 2007 Nr. 342

2007: Hans Kueng erhaelt Kulturpreis der Deutschen Freimaurer
Freimaurer: Die Architekten der neuen Weltreligion

をご覧下さい。

教皇レオ十三世 フリーメーソンの悪について『フマヌム・ジェヌス』1884年4月14日


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自発書簡への反対勢力

2007年07月16日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 聖伝のミサの復活のために教皇様は、モートゥー・プロプリオを出された。しかしながら、革新勢力はあらゆる手を使ってこれに反対してきた。反対の口実の一つが、いわゆる「反ユダヤ」だった。しかし、これはまったくのつくり話しだった。何故なら、聖伝のミサでは聖金曜日に、ユダヤ人の回心のために祈るのだが、ローマからの情報によれば、教皇様はユダヤ教のトップのラビ(指導者)に相談したところ、自分たちはカトリックの祈りには関係無し、と回答していたからだ。しかも、今回のモートゥー・プロプリオでは聖木曜日からの3日間は聖伝ミサでの規定は例外となっているからだ。またモートゥープロプリオのニュースを聞いて最初に聖伝のミサのミサ典書を再発行に動いたのはローマのユダヤ商人だったそうだ。

 レーマン枢機卿らが自分の後ろで、このカードを切って反対したのを知り、側近の人々が驚くほど、いつも穏やかな教皇様は憤慨されたそうだ。

 聖伝のミサのカトリック教会に復活させようという教皇様のために、私たちは祈り続けよう。

カルメル山の聖母よ、我らのために祈り給え!

フランス革命とカインの罪と新都市エノク、そして、天主の国

2007年07月14日 | 共産主義
アヴェ・マリア!

フランス革命とカインの罪と新都市エノク、そして、天主の国


 7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日だった。7月6日は、『ユートピア』を書いた聖トマス・モアの殉教の日で、イギリスでは7月9日がその祝日だ。
 そして、今日7月14日は、キリスト教世界で世俗の領域でキリストの場所を占める代理者(lieutenant)であったフランス王権を転覆させたフランス革命の始まりの日だ。

 1920年7月25日、第一次世界大戦の終戦数ヶ月後に、教皇ベネディクト十五世は普遍教会の守護者たる聖ヨゼフの制定五十周年を祝うために自発教令(モートゥー・プロプリオ)『ボヌム・サネ(BONUM SANE ET SALUTARE)』(AAS 12 (1920), pp. 313- 317)を発表した。

「戦争の災難は、人類が自然主義(=天主の超自然に頼らずに天主を無視して人間の自然の力だけで充分とする考えのこと)に深く影響されたその瞬間に人類に降り注いだ。」

「社会の全ての反乱的な人々の希望と期待において、人々の絶対的平等と物資の共有性との上に或る世界共和国の到来を待ち望む考えが熟している。この世界共和国においては国籍の区別もなく、子供達に対する父親の権威も認められず、市民に対する公権力もなく、市民共同体において一致団結する人々の上に天主の権威も認められていない。これらのこと全ては、もしもそれが現実のこととなったとしたら、ヨーロッパの少なからずの地域で今体験し感じているような恐るべき社会的大変動を引き起こすだろう。」

 私たちには名前があり、個性があり、性別があり、年齢があり、特技がある。人間は自己充足することが出来ない。人間は創造主に依存している。人間は互いに助け合い、奉仕し合わなければならない存在だ。人間は他の人間によって統治される必要さえもある。天主によって助けられる必要がある。子供達に対する父親の権威も、市民に対する公権力も、天主の権威も存在している。

 そこで、全宇宙を創りそれを保ち給う天主の御子が、人間とその社会問題を解決するために人間となって、ある意味で「国籍の区別のない」聖なるカトリック教会を創った。そこで罪を赦された人々が、全世界どこででも一つの信仰を持ち、一つの言葉を話し、天主にまで到達することができるように。王であるイエズス・キリストがその角石(おやいし)となり基礎をおいた。人類が知る唯一の完璧な国際社会組織だ。何故なら、復活して聖父の右に座し給う私たちの主イエズス・キリストが、ご自分の設立した新統治に、天の王の玉座から聖霊を送り給うたからだ。バベルの塔の建設時に受けた天罰と反対のことが起こった。イエズス・キリストの教会は、「天主が設計し、建造される、たしかな基礎をもっていた」。「かれは、主なる天主によって父ダヴィドの王座を与えられ、永遠にヤコブの家をおさめ、その国は終ることがありません」(ルカ)天主の御子は、人となり、人類社会の問題を解決するために真の平和のための理想社会(ユートピア)を創った。今から2007年前に真の意味での「新世界秩序」を創った。それが聖ペトロの船であり、新約の第二の「ノエの方舟」であり、母にして聖なるカトリック教会だ。

 社会の再建築のために必要なのは会議ではない。天主の創造の秩序だ。キリストの力だ。自然な健全な聖なる家族だ。ベネディクト十五世は言う。

「家庭は人類の基礎をなしているのであるから、家庭生活を貞潔と忠実と和睦とによって強めることにより、新しい力といわば新しい血液が人間社会の全ての成員を通して、キリストの力の生かす影響力のもとで与えられるだろう。その結果は個人の道徳を矯正するのみならず、公的な市民制度も復興させることができるだろう。」『ボヌム・サネ(Bonum Sane)』

 しかし人類は天主の創造の秩序を認めようとしなかった。人類は天主の無き「世界共和国」を作ろうとしてその一歩を踏み出した。だから、ベルサイユ条約にも国際連盟の規約にも、天主の名前は無い。

 ジュネーブに本部を持つ国際連盟は、第二次世界大戦を防ぐことはできなかった。既に天主の御母は1917年ファチマで、最初の虐殺が中断する少し前に、第二次世界大戦のことを預言されていた。

 第二次世界大戦は「分解して固める」(Solve et coagula)のモットー通り行われた。天主無き民主主義を世界中に広めるために。国際連合が作り上げられ、「ヨーロッパ合衆国」(United States of Europe)を作り上げる努力もなされ、今、進行中であるた。人類は、天主の無いイエズス・キリストの無い「ユートピア」を作り上げようとしている。


 アダムとエワの最初の子供であるカインは自分の兄弟アベルを殺害した。この地で呪われた(maledictus super terram)カインはこの地を彷徨い逃げ回り(vagus et profugus eris super terram)、地はその実を与えないだろう(non dabit tibi fructus suos)。妻と共に、カインは天主の御顔から遠ざかりエデンの東に逃げて住んだ(egressusque Cain a facie Domini habitavit in terra profugus ad orientalem plagam Eden)。天主から遠ざかり、父の家から離れ、歴史と断絶し、カインはいわば伝統を無視する「進歩主義者」だった。カインは将来の世界にかけた。カインは妻を知り、妻は子供を産んだ。カインは子供をエノクと名付け、自分の創った新都市に子供の名前を付けて「エノク」と呼んだ(cognovit autem Cain uxorem suam quae concepit et peperit Enoch et aedificavit civitatem vocavitque nomen eius ex nomine filii sui Enoch)。

 カインの新都市エノクは、歴史もなく天主もなく自主自立の社会だった。カインの理想は物質的な進歩だった。地上の富をかき集めることがカインの新しい「宗教」だった。親への恩義から郷土愛が生まれ、伝統と歴史への愛着が生まれ、過去の偉人を記念してその名前を町に付ける、ということが人間の普通の心情だ。親に対する命を受けた恩義はお金では計られないものだ。カインはそうではなく革命家だった。新しい都市の名前エノクの意味は「創始」「始まり」という意味だ。だからそれは「革命」の都市だ。

 兄弟を殺したカインは自分だけのユートピアを創ろうとした。現代も「よりよい世界を子供達に残すために」「将来の社会のために」という口実で、堕胎・避妊・安楽死により多くの兄弟姉妹が殺されている。

 エノクはイラドを生み、イラドはマヴィアヘルを生み、マヴィアヘルはマトゥサヘルを生み、マトゥサヘルはラメクを生んだ(porro Enoch genuit Irad et Irad genuit Maviahel et Maviahel genuit Matusahel et Matusahel genuit Lamech)。天主を離れては道徳は腐敗するばかりだった。カインの第五代目ラメクは、重婚を導入した(accepit uxores duas nomen uni Ada et nomen alteri Sella)。正妻はアダだった。そして影という意味を持つ第二の「妻」セラからは、タバルカインが生まれた。カバルカインは真鍮と鉄とを加工する技術を持った(Sella genuit Thubalcain qui fuit malleator et faber in cuncta opera aeris et ferri)。人類最初の新都市「ユートピア」エノクでは、人間の支配力を高める高度技術を重視した。しかし天主が築かない「ユートピア Utopia」は、そのギリシア語源(ウ (ou) +トポス (topos))の通り「無い場所」(Nowhere)である。

 カインが、最初の人工都市作り上げて自分の子供の名前を付けたように、人工国家では、新しいものが良いもので古いものを軽蔑するようになった。古いものを良いと表現するような語彙は人工国家から消えてしまった。年寄りは「生産性がない」、「高度技術についていけない」ので、彼らはむしろ邪魔者となる。革命家にとっては、青少年だけが大切で尊敬の対象だ。何故なら、革命家には過去も現在もないからだ。彼らは将来の革命を夢想し計画し生きる。何故なら、将来は現実ではないからだ。私たちは第二バチカン公会議後の「世界青少年の日」(World Youth Day)を様々な行事を思い出す。

 しかし「社会問題ならびに社会科学は、つい最近になって生まれたものではない。教会と国家は全ての時代にわたって健全な協調のうちにこの目的を達すべく種々の実り豊かな組織を育成してきた。教会は妥協に満ちた協定で一度として人々の幸福に対する裏切りを為したことがなく、したがって、過去をうち捨てる必要がない。また必要なただ一つのことは、真の意味で社会の復興のために働く人たちの助けを借りて、フランス革命がうちくだいた諸々の機構を再び採用し、それらを生み出したのと同じキリスト教的精神において、現代社会の物質的発展に由来する新たな環境にそれらを適合させることである。事実、人民の真の友は革命家でも革新派でもなく、伝統主義者だ。」(教皇聖ピオ十世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務』1910年8月25日 』)

 残念なことにフランス革命によってキリスト教世界が生み出した一種のユートピアであった世界統一秩序は崩壊へと向かってしまった。そして、別のキリストの無い、天主の秩序を無視した新しい人工のユートピアを作ろうとした。

 フランス革命を起こしたの革命勢力は、ベネディクト十五世が指摘するような「国籍の区別もなく、子供達に対する父親の権威もなく、市民に対する公権力もなく、天主の権威もない人間絶対平等と物資共有の世界共和国」を作ろうとしている。

 しかし人工の「ユートピア」は、ソランジュ・ヘルツ(Solange Hertz)が巧く言っているように、言葉の本当の意味でのユートピア、つまり何処にも無い場所(NOWHERE)である。しかし、王たるキリストの統治、母にして聖なるカトリック教会、人類社会の問題を解決するために真の平和のための「天主が設計し、建造される、たしかな基礎をもつ」イエズス・キリストの教会は、真の理想社会(ユートピア)であり、それは幸いなことに、いま、ここに(Now Here)現実にある。

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教皇グレゴリオ十六世 自由主義と宗教無差別主義について『ミラリ・ヴォス』1832年8月15日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代の誤謬の排斥『クヮンタ・クラ』 1864年12月8日
教皇福者ピオ九世 現代社会の誤謬表『シラブス』 1864年12月8日
すべてのプロテスタントおよび非カトリック者にあてた教皇書簡『ヤム・ヴォス・オムネス』 1868年9月13日
教皇レオ十三世 フリーメーソンの悪について『フマヌム・ジェヌス』1884年4月14日
教皇レオ十三世 自由について『リベルタス・プレスタンティッシムム』1888年6月20日
教皇レオ十三世 フリーメイソンについて『クストディ・ディ・クエラ・フェーデ』1892年12月8日
教皇レオ十三世 聖公会の叙階の無効性について『アポストリチェ・クーレ』(抜粋)1896年9月13日
アメリカ主義について『テステム・ベネヴォレンチエ』1899年1月23日
教皇聖ピオ十世 聖楽に関する自発教令『Inter Pastoralis Officii』(MOTU PROPRIO "TRA LE SOLLECITUDINI" SULLA MUSICA SACRA)1903年11月22日
教皇聖ピオ十世 近代主義の誤りについて『パッシェンディ』1907年9月8日
教皇聖ピオ十世 司祭叙階金祝にあたって、カトリック聖職者への教皇ピオ十世聖下の勧告『ヘレント・アニモ』1908年8月4日
教皇聖ピオ十世 シヨン運動に関する書簡『私の使徒的責務』1910年8月25日
教皇聖ピオ十世 近代主義に反対する誓い『サクロールム・アンティスティトゥム』1910年9月1日
教皇ピオ十一世 真実の宗教の一致について『モルタリウム・アニモス』1928年1月6日
教皇ピオ十一世 王たるキリストについて『クワス・プリマス』1925年12月11日
教皇ピオ十二世 福者ピオ十世の列福式に於けるピオ十二世の説教 1950年6月3日
教皇ピオ十二世 進化論及びその他の誤謬について『フマニ・ジェネリス』1950年8月12日
教皇ピオ十二世 支那の国民に対し『アド・シナールム・ジェンテム』1954年10月7日
教皇ピオ十二世 日本国民に対するメッセージ 1952年4月13日
教皇ピオ十二世 童貞聖マリアの無原罪の教義宣言の百年祭 回勅『フルジェンス・コロナ・グロリエ(輝く栄光の冠)』 1953年9月8日

【参考資料】ベネディクト十六世の自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム 』の日本語訳

2007年07月14日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

兄弟姉妹の皆様、
 参考資料として、ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』の非公式日本語訳を紹介します。

 この日本語を作成に当たりブログ「カトリック的」さんの極めて良くこなれたセンスの良い日本語訳を参考にさせて頂いたことを感謝して記したいと思います。

 日本語を訳すに当たってラテン語の表現をできるだけに大切にしながら訳すことにしました。カトリック教会では、聖人や歴代教皇の名前を日本語にする場合、ヘブライ語系の固有名詞など一部の例外を除いて、奪格で音を写しますので、それに従いました。


自発的に与えられた
ベネディクト十六世教皇の使徒書簡
『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM 』


 現代に至るまで常に諸教皇の配慮であったことは(SUMMORUM PONTIFICUM cura ad hoc tempus usque semper fuit)、「主の聖名の賛美と栄光のため」また「主の聖なる全教会の利益のため」にキリストの教会が天主の御稜威にふさわしい礼拝を捧げることができるようにとの気遣いである。

 いつ始まったかも分からない昔から将来に至るまで守られなければならない原理は「信仰の教義や秘蹟のしるしに関することのみならず、使徒から継続して伝えられた聖伝から普遍的に受けいれられた習慣 (usus) に関することさえもそれぞれの地方教会が普遍教会と調和を取らなければならない、そのような習慣は、誤謬を避けるためのみならず、信仰の完全性を伝えるためにも守らなければならない、何故なら教会の祈りの規範はその信仰の規範に対応するからである」(1)ということである。

 このような然るべき気遣いを払った教皇たちのうち、大聖グレゴリオの名前はとりわけ抜きん出ている。彼はヨーロッパの新しい人民たちに、カトリック信仰およびローマ人たちによって以前の時代に蓄積された礼拝の宝かつ文化が伝えられるようにと配慮した。彼は、ミサ聖祭と聖務日課の聖なる典礼の形式が、ローマにおいて執行されている通りに定義され保存されるように命じた。彼は、聖ベネディクトの規律の下で生活する修道士および修道女を最大に促進した。その生活においては、福音を宣教することによると同時に更に救いをもたらす規律のかの命題「天主の御業(=聖務日課と典礼のこと)よりも優るものがないように」ということを自分たちの生活によって、彼らは示した。このような方法でローマの慣習に従う聖なる典礼は信仰と敬虔のみならず多くの民族の文化を豊饒にした。またラテン典礼は教会の様々な形式においてキリスト教時代のいつの時でも霊的生活において極めて多くの聖人達を生みだし、そして同時にかくも多くの民族を宗教の徳において強めまた彼らの敬虔を豊かにしたことが認められている。

 聖なる典礼がこの権能をより効果的に発揮することができるように、その他の多くのローマ教皇たちは長い歴史の間、特別の注意を払ってきた。それらの教皇たちの中でも抜きん出ているのが聖ピオ五世であり、彼は多くの司牧的努力をもって、トリエント公会議の勧告を受けて、全教会の礼拝を刷新し、改正され「教父たちの規律に基づいて復興された」様々な典礼書を出版するように注意しそれらをラテン教会の使用のために与えた。

 ローマ典礼様式の典礼書の中でもローマ・ミサ典書が明らかに優位に立つ。これはローマ市で発展し長い世紀にわたって徐々に形を取ったが、その形は最近それが持っていた形と極めて似ている。

 「この同じ目的のために歴代のローマ教皇たちは、その後数世紀にわたり、典礼様式や典礼書を新しい時代に合わせて定めた。そしてその後、今世紀の初めから教皇たちはより一般な改革(redintegratio)に手を付けた」(2) 私の先任者たちであるクレメンテ八世、ウルバノ八世、聖ピオ十世 (3)、ベネディクト十五世、ピオ十二世、そして福者ヨハネ二十三世たちもこのように行動した。

 つい最近では、第二バチカン公会議が天主の礼拝にふさわしい奉仕(observantia)と崇敬とが再び復興し現代の必要性に適応するようにという望みを表明した。この望みに動かされ、私の先任者であるパウロ六世教皇は1970年に復興され一部革新した典礼書をラテン教会のために認可した。これらの本は全地で各国語に訳され、司教や司祭そして信徒たちによって喜んで受け入れられた。ヨハネ・パウロ二世は、ローマ・ミサ典書の第三版規範版を認可した。このようにローマ教皇は「この典礼という建物のようなものが・・・もう一度尊厳と調和(concinnitas)によって輝かしく」(4) 現れ出るように働いた。

 一部の地域ではしかしながら少なくない信徒たちが、自分たちの文化と精神とにかくも深く染み込んだ以前の典礼の形式に、多くの愛と愛情をもって執着し、そして執着し続けた。そこでヨハネ・パウロ二世は、これらの信徒たちの司牧の世話に動かされ、1984年に典礼聖省によって発布された特別許可「クヮットゥオル・アビンク・アンノス(Quattuor abhinc annos)」で、福者ヨハネ二十三世が1962年に出版したローマ・ミサ典書を使う許可を与えた。1988年にヨハネ・パウロ二世はもう一度、自発的に与えられた使徒書簡「エクレジア・デイ(Ecclesia Dei)」で、これを求める全ての信徒たちのために、このような許可を広く寛大に与えるようにと司教たちに勧告した。

 これらの信徒たちの絶え間ない願いを私の先任者ヨハネ・パウロ二世はすでに熟考しており、私は2006年3月23日に枢機卿会議で枢機卿たちの意見を聞き、全てのことをよく熟考した上で、聖霊を呼び求めつつ、天主の御助けに信頼しながら、この使徒書簡において次のことを発布する(Decernimus)。

第一条 
 パウロ六世によって公布されたローマ・ミサ典書は、ラテン典礼様式に属するカトリック教会における「Lex orandi(祈りの法)」の通常の表現である。一方、聖ピオ五世によって公布され福者ヨハネ二十三世によって改訂されたローマ・ミサ典書は、教会の同じ「Lex orandi」の特別の表現であると見なされる(habeatur)。そしてその敬うべきまた古代からの使用のゆえに当然の敬意が払われなければならない。教会の「Lex orandi」におけるこれら二つの表現は、決して教会の「Lex credendi(信仰の法)」を分裂させるものではない。実のところ、これらは唯一のローマ典礼様式の二つの執行方法である。
 それゆえ、福者ヨハネ二十三世が1962年に公布した且つ決して廃止されていないローマ・ミサ典書の規範版に従ったミサ聖祭の犠牲(いけにえ)を教会の典礼の特別形式として献げることは許されている。このミサ典書を使用するために以前の文書『Quattuor abhinc annos』と『Ecclesia Dei』で定められた条件に替えて、以下の通り定める。

第二条
 会衆の参加しないミサ(Missa sine populo)において、ラテン典礼様式に属するすべてのカトリック司祭は、在俗・修道を問わず、復活の聖なる三日間を除き、いかなる日においても、福者ヨハネ二十三世によって1962年に出版されたローマ・ミサ典書またはパウロ六世によって1970年に公布されたローマ・ミサ典書を使用することができる。その挙行に当たっては、どちらのミサ典書を用いるにせよ、司祭は使徒座からも教区長からも許可を得る必要はない。

第三条
 聖座または教区の管轄下にある、奉献生活の修道会および使徒的生活の修道会における共同体が、彼らの固有の聖堂で、修道会ないし共同体の祭儀のために1962年に公布されたローマ・ミサ典書の規範版に従ってミサを献げることを望むなら、そのようにすることができる。個々の共同体または修道会ないし団体の全体が、その祭式を頻繁に、継続的に、もしくは永続的に挙行することを望むのであれば、その決定は、法に従いまた彼ら独自の会憲ないし会則に従い、長上らによってなされる。

第四条
 第二条で言及されたミサの祭儀には、――法のすべての規定に従って――自分の意志によって参加を求める場合、信者が参加することができる。

第五条
第一項 小教区 (paroecia) において、従来の典礼の伝統を支持する信者の集団がある場合には、彼らの主任司祭 (parochus) は1962年に出版されたローマ・ミサ典書の典礼様式に従ったミサを献げるという彼らの要求を喜んで受け入れるべきである。彼は、教会法392条に則り司教の指導の下で、不一致を避け全教会の統一性を堅持して、そのような信者の福祉が小教区における通常の司牧的配慮とも調和するということに注意するべきである。

第二項 福者ヨハネ二十三世のミサ典書に従う祭儀は、平日に挙行することができる。主日および祝日においても、そのような祭儀を一回挙行することができる。

第三項 信者や司祭が要求すれば、主任司祭は、婚姻、葬儀、または巡礼など種々の機会の特別な祭儀のために、この特別形式の祭儀を許可すべきである。

第四項 福者ヨハネ二十三世のミサ典書を使用する司祭は、ふさわしくなければならないし、法的に障害があってはならない。

第五項 小教区もしくは修道会に属さない教会においては、上述の許可を与えるのは教会管理司祭 (Rector ecclesiae) の務めである。


第六条
 会衆が参加するミサ(Missa cum populo)が福者ヨハネ二十三世のミサ典書に従って献げられる場合、使徒座の認可を得た翻訳を用いて、聖書朗読を各国語で行うことができる。

第七条
 第五条 第一項で言及された信者の集団が、司牧者に要求を満たしてもらえない場合、かれらは教区司教に通報すべきである。司教は、彼らの願いを実現するよう強く求められている。もし彼がそのような祭儀の挙行を手配することができないのであれば、その問題は教皇庁立「エクレジア・デイ」委員会へ委託されるべきである。

第八条 司教が、そのような要求を満たしたいと望みながら、様々な理由によって不可能である場合、助言と援助を得るために問題を「エクレジア・デイ」委員会へ委託することができる。

第九条
第一項 主任司祭は、あらゆる側面を慎重に検討し、霊魂の善のために必要と思われるのであれば、洗礼、婚姻、改悛、病者の塗油の秘跡の執行に際して以前の典礼を用いる許可を与えることができる。

第二項 霊魂の善のために必要と思われるのであれば、教区長には、以前のローマ司教儀式書を用いて堅振の秘跡を授ける権限が与えられている。

第三項 上級品級を受けた聖職者は福者ヨハネ二十三世によって1962年に公布されたローマ聖務日課書を用いることができる。


第十条 教区長(Ordinarius loci)は適切と思われる場合、教会法518条に則って、ローマ典礼の古来の形式に従う属人小教区を設立することができる、あるいは法のすべての規定を遵守して、聖堂付司祭を任命することができる。

第十一条 
 ヨハネ・パウロ二世によって1988年に設立された「エクレジア・デイ」(5) 委員会は、自分の権能を遂行し続ける。同委員会はローマ教皇がそれに帰属させることを望む形と職務と運営規定を持つ。

第十二条
 同「エクレジア・デイ」委員会は、現在享受している権能の他に、上記の遵守と適応を監督する聖座の権威を行使する。


 この自発的に与える使徒書簡によって私が決定したことは全て、これに反するいかなる以前の規定にもかかわらず、今年の9月14日、聖十字架称揚の祝日から適用され制裁されると命ずる。

ローマ、聖ペトロのかたわらにて
2007年7月7日、
私の教皇職第三年に

教皇ベネディクト十六世

(1) 2002年第三版ローマ・ミサ典書総則 397番
(2) ヨハネ・パウロ二世、1988年12月4日の使徒書簡 "Vicesimus quintus annus," : AAS 81 (1989), 899.
(3) 同上
(4) 聖ピオ十世、1913年10月23日の自発使徒書簡 "Abhinc duos annos," : AAS 5 (1913), 449-450; ヨハネ・パウロ二世使徒書簡 "Vicesimus quintus annus," 3 番: AAS 81 (1989), 899. 参照
(5) ヨハネ・パウロ二世、1988年7月2日の自発使徒書簡 "Ecclesia Dei," : AAS 80 (1988), 1498. 参照

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LITTERAE APOSTOLICAE
MOTU PROPRIO DATAE
BENEDICTUS XVI
SUMMORUM PONTIFICUM



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聖ピオ十世会韓国のホームページ
トレント公会議(第19回公会議)決議文
第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
グレゴリオ聖歌に親しむ会

ベネディクト十六世の自発使徒書簡 パトリック・ブキャナン「聖伝主義者達の凱旋」

2007年07月11日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

パトリック・ブキャナン「聖伝主義者達の凱旋」

A Triumph for Traditionalists
by Patrick J. Buchanan

【要旨】78歳で教皇となったベネディクト十六世にとって、カトリック教会のために「ラテン語ミサが、信徒の要求に応えて全ての司教区で捧げられなければならない」と自発書簡で宣言したこと以上に意味のある偉大な行為はないだろう。司教たちは嫌々でもこれに従わなければならない。

 第二バチカン公会議以前は唯一の典礼様式であった聖伝のミサを許可しながら、「昔の世代に聖なるものだったことは、今の私たちにとっても聖なるものかつ偉大なもととしてある」と教皇様はその使徒書簡の中で述べた。これに対し多くのカトリック信徒たちは「アレルヤ!アレルヤ!」と答えるだろう。

 新しいミサの導入と第二バチカン公会議以後、ヨーロッパとアメリカで信仰の危機が起きた。教会は閉鎖され、信徒たちは散らされ、他の宗教に行った。修道会は衰退し、修道院は空となった。召命は以前の数から激減した。カトリックの信ずべき内容は、第二バチカン公会議以前のものではなくなった。

 ベネディクト十六世の決定の効果がどういうものかは誰も分からない。しかしこれに反対して凶暴な闘いがあったことは、古いラテン語ミサの力とこれの神秘と荘厳さが若い世代に訴える力に気が付いていたからに違いない。

 聖伝を復興させる、それはいかなる害も与えることが有り得ない。そして聖伝の復興は、宗教改革以後最も深い危機にいる信仰の復興の希望を与えてくれる。

【くわしくはリンク先の英文をご覧下さい。】

Elevated to the papacy at 78, Benedict XVI will take no action greater in significance for the Catholic Church than his motu proprio declaring that the Latin Mass must be said in every diocese -- on the request of the faithful. Dissenting bishops must comply.

"What earlier generations held as sacred remains sacred and great for us, too," said the Holy Father in his apostolic letter, as he authorized the universal use of the sole official version of the mass allowed in the four centuries between the Council of Trent and Vatican II.

To which many Catholics will respond: "Alleluia! Alleluia!" ....
The introduction of the new mass has been attended by a raft of liturgical innovations by freelancing priests that are transparently heretical. And the years since Vatican II and the introduction of the new mass have been marked by a crisis of faith in Europe and the United States.

Churches have closed. Faithful have fallen away, or converted to other faiths. Congregations have dwindled. Convents have emptied out. Vocations are a fraction of what they once were. Belief in the creedal truths of Catholicism is not what it was in the years before Vatican II
-- the halcyon days of the great pope and future St. Pius XII.

One cannot know the effect of Pope Benedict's decision. But the ferocity with which it was fought suggests some bishops are aware of the power of the old Latin Mass and the appeal of its mystery and solemnity to the young.

Pope Benedict, raised Catholic in Nazi Germany, once a reformer, but shaken by the events of 1968 and the social, cultural and moral revolution that followed, seems to have concluded that the Catholic Church's apertura a sinistra, its opening to the left, has run its course theologically, liturgically and morally, and failed. Restored tradition can do no harm, and may offer hope for the revival of a faith that is in its deepest crisis since the Reformation. ....

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ルフェーブル大司教著
『DUBIA 信教の自由に関する私の疑い』

第一章
■ 自由についての一般的考察 「自由」の3つの意味
■ 法とは何か? 法は自由にとって敵なのか?
■ 良心とは何か。行為の実効的規範とは客観的真実のみ。
■ 良心および強制に関する一般的考察:良心を侵すことになるか。法律上の強制についてどう考えるべきか
■ 基本的諸権利とは何か。その限界は?誤謬または道徳的悪に対する権利は存在するか
■ 誤謬または悪に対する消極的権利は存在するか?また、寛容に対する権利は?

第二章
■ 本来の意味での「信教の自由」:人間人格の尊厳は、真理を考慮に入れない自由には存しない。
■ 19世紀の教皇たちはこぞって、いわゆる「良心と諸信教の自由」を排斥した
■ 諸教皇は、何故「良心ならびに信教の自由」を排斥したのか、理由は?
■ 信教の自由とその新たな「根拠」:およびそれへの反駁
■ 真理探求の自由は宗教的自由の根拠となり得るか
■ 宗教無差別主義について確認しておくべき点
■ 信教の自由は人間人格の基本的権利なのか、歴代の教皇様は何と言っているか?
■ 聖書の歴史に見られる、宗教的事柄においての強制
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非
■ 「宗教的事柄における一切の拘束からの免除」としての宗教的自由の是非 (つづき)
■ 世俗の共通善、カトリック宗教とその他の諸宗教
■ 真の宗教に対して国家が取るべき奉仕の役割
■ 教会と国家との関係
■ 宗教的寛容
■ 宗教的寛容についての結論

第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 人間人格の尊厳?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 存在論的尊厳、行動の自由?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 主観的権利、それとも客観的権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 拘束を伴わない探求?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 対話、それとも説教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真理の宗教? それとも偽りの宗教?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 誤った諸宗教の有する権利?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 権利、それとも認容?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の信仰にとって有利となる国家の不介入?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 自由な国家における自由な教会?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 真の宗教の原則が認知されないことこそ「正常な」状態?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: すべての信教の自由が最良の制度?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教の真理から独立した法的秩序?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 信教の自由: どこまでが「正しい範囲」か?
第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 宗教上の問題におけるすべての人間的権力による一切の強制からの免除?

フィリピン司教評議会はラテン語ミサに関する教皇書簡を歓迎:評議会会長トリエントミサ歓迎声明

2007年07月11日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

フィリピン司教評議会はラテン語ミサに関する教皇様の手紙を歓迎する

 願わくは、日本カトリック司教評議会も教皇様の手紙を同じように歓迎して受け入れて下さいますように!
 聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!

フィリピン司教評議会会長ラグダメオ大司教の「トリエント」ミサについての声明
STATEMENT ON THE "TRIDENTINE" MASS


 私たちは尊敬と感謝を持って最近の「トリエント」ミサに関する教皇ベネディクト十六世の使徒書簡を心から歓迎します。これは私たちのためにラテン語によるトリエント・ミサの置かれている状況を明らかにしてくれます。・・・・

We fully welcome with respect and appreciation the recent Apostolic Letter of Pope Benedict XVI on the "Tridentine" Mass. It clarifies for us the status of the Tridentine Mass in the Latin Language.

In accordance with the Apostolic Letter ("Motu proprio") entitled "Summorum Pontificum" of Pope Benedict XVI, the celebration of the so-called Tridentine Mass, which is in the Latin language, as approved by Blessed Pope John XXIII in 1962 continues to be fully permissible as an extraordinary form of the Mass. The Tridentine Mass was never forbidden or abrogated.
The so-called "New Mass" which was introduced after the Second Vatican Council and approved by Pope Paul VI in 1970 has become more popular among the people because it allowed the use of some approved adaptations, including the use of the popular languages and dialects. It became the ordinary form of the Mass, widely celebrated in the parish churches.

When may the Tridentine (Latin) Mass be celebrated? According to the letter of Pope Benedict XVI, it may be celebrated by catholic priests of the Latin Rite:
a) in private masses,
b) in conventual or community mass in accordance with the specific statutes of the Congregation,
c) in parishes upon request of the faithful and under the guidance of the bishop (in accordance with Canon 392).

In such Masses, however, the readings may be given in the vernacular.

This permission given by Pope Benedict XVI means that the Mass in Latin and in accordance with the formula of the Council of Trent, hence Tridentine, with the celebrant's back to the faithful may be celebrated, as it was never forbidden or abrogated. For new priests, this will require formation in the Latin Mass.

Now, we are instructed that in the liturgy of the Mass, there is the ordinary form which is that approved by Pope Paul VI in 1970 after the Vatican II; and there is the extraordinary form - the Tridentine (Latin) Mass which is that approved by Blessed Pope John XXIII in 1962. The two forms will have their way of leading the faithful to the true worship of God in prayer and liturgy; and may even be a factor for unity in the Church.

+Angel N. Lagdameo
Archbishop of Jaro
President, CBCP
JULY 9, 2007

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CBCP welcomes Pope's Letter on Latin Mass

CBCP welcomes Pope’s Letter on Latin Mass
MANILA, 09 July 2007 “We fully welcome with respect and appreciation the recent Apostolic Letter of Pope Benedict XVI on the “Tridentine” Mass. It clarifies for us the status of the Tridentine Mass in the Latin language,” said CBCP President Archbishop Angel Lagdameo in a statement released today.

Pope Benedict XVI issued Saturday a motu proprio Pastoral Letter entitled “Summorum Pontificum" saying that Tridentine Mass approved by Pope John XXII in 1962 “continues to be permissible as an extraordinary form” of celebrating the Mass.
In the same statement, Lagdameo said that the mass being practiced today by Catholics throughout the world is the “new mass” which was introduced after the Second Vatican Council and approved by Pope Paul VI in 1970, which has become the ordinary form of the mass and more popular among the people because it allows the use of some approved adaptations, including the use of popular languages and dialects.

Supporting the Pope’ Pastoral Letter, Lagdameo stressed that the Tridentine mass has never been forbidden and abrogated but should be celebrated by priests of the Latin Rite only in private masses, in conventual or community celebrations, or in parishes when requested by the faithful but under the guidance of the local bishop.

Lagdameo further said that permission by Pope Benedict to celebrate the Tridentine mass is given on condition that it should follow the formula of the Council of Trent.

But news priests, he said, will require formation before celebrating the Latin mass. (Roy Lagarde)

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【推薦図書】
聖骸布の男 あなたはイエス・キリスト、ですか?
脳内汚染からの脱出

第二バチカン公会議についての疑問および問題点: 教導権に反する『信教の自由に関する宣言』?

2007年07月11日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

■ 教導権に反する『信教の自由に関する宣言』?

 先に説明したように、19世紀の諸教皇は「良心および信教の自由」という名の下に、あらゆる行動の自由宗教の信奉者に対して認められる、宗教上の事柄において、外的かつ公共の次元で自由に行動する(すなわち行動するのを妨げられない)自然的かつ市民的権利としての信教の自由を排斥した。また先に詳述し、証明したように、当の諸教皇が、この意味での信教の自由を排斥したのは、当時の歴史的状況(リベラリズムおよび徹頭徹尾の理性主義)のためにではなく、それ自体として、少なくとも誤りかつ不条理なもの、すなわち理性によって把握される自然的秩序に反するものとして、またそこから直接的に生ずる教会の公権(天主によって教会が創立されたという事実の必然的帰結)の侵害、および宗教無差別主義という悪疫の普及という結果のためだった。

 最後に、ピオ6世、ピオ7世、グレゴリオ16世、ピオ九世ならびにレオ十三世教皇により、常に同じ意味、同じ言葉で(in eodem sensu eademque sententia)この誤謬が繰り返し排斥されたこと、また、これらの排斥が教会全体で受け入れられたことを見ると、当の信教の自由が、教皇の通常教権の最高の権威をもって排斥されたということができる。

 しかるに、第二バチカン公会議は、『信教の自由に関する宣言』において、人間人格がまさにこの「信教の自由」、すなわち宗教上の事柄において、外的かつ公共の次元で自由に行動する(すなわち行動するのを妨げられない)自然的かつ市民的権利としての信教の自由を享受する権利を有し、またこの権利がすべての個人および「宗教団体」(つまりあらゆる宗教の信奉者とその集会[疑問点 9参照])に対して認められなければならないと宣言している。

【疑問点 35】
 第二バチカン公会議の信教の自由に関する宣言が、教皇の通常教権の最高の権威に反する見解を表明している、と言わなければならないか。もしそうだとすれば、『信教の自由に関する宣言』の打ち出す信教の自由が、少なくとも誤り、かつ不条理なものであり、また天主による教会の設立の教義に反し、宗教無差別主義の誤謬を広げるものとして、この同じ教皇の通常教権の最高の権威によって排斥されているとみなすことができるのではないか。

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