Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2021年東京のマーチフォーライフにはカトリック司祭が三名参加しました。

2021年07月23日 | プロライフ
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
昨日のミサとマーチフォーライフはとても良いものでした。素晴らしい一日となりました。

マーチフォーライフには、カトリック司祭が三名参加しました。

7月22日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計53人でした。

今日、スポーツの日には、大阪で午後3時からマーチフォーライフがスタートします!

【報告】
Dear Fathers:
Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 53, including children.

09:00 mass
M: 17 (incl. 3 children)
F: 13 (incl. 2 children)
Total: 30 (incl. 5 children)

11:00 mass
M: 12 (incl. 4 children)
F: 12 (incl. 2 children)
Total: 24 (incl. 6 children)

Total of 2 masses (excl. 1 person who participated in multiple masses)
M: 29 (incl. 7 children)
F: 24 (incl. 4 children)
Total: 53 (incl. 11 children)

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Fr Demornex's conference on the sin of abortion

Participants: 16 adults and 5 children = 21 participants





















皆様を「マーチ・フォー・ライフ2021年」にご招待いたします。東京では7月22日(木)(うみの日)に、大阪では翌23日(体育の日)に開催されます。

2021年07月21日 | お説教・霊的講話

2021年7月11日(主日)聖霊降臨後第7主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ

聖父と聖子と聖霊との御名よりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、
今日は皆様を「マーチ・フォー・ライフ2021年」にご招待いたします。

東京では7月22日(木)(うみの日、日本の祝日)に、また大阪では翌23日(体育の日、日本の祝日)に開催されます。

東京では16時に常盤公園、東京駅のすぐ近くの公園で集まって、16時30分ごろからマーチが始まります。
大阪では、大阪市役所のすぐ近くの公園に集まって、15時から始まります。

私たちの未来である、私たちの宝物である小さな赤ちゃんたちのために、このマーチ・フォー・ライフを、「生命のための行進」を行いましょう。

今年は特に、「カトリック教会の生命に対する、人間の生命に対する教えをはっきりと表明する」という観点から、ぜひこの行進に参加なさってください。

何故かというと、今日、カトリック教会、そして全てのカトリック信者は、その教義と信仰の実践において強められる、固められる必要があるからです。

特に「人間の命の始まり」について、その「人間の命の神聖なこと」について、「人間の命が天主から与えられていること」について、発言する声がますます聞かれなくなっているからです。私たちは、人間の生命に関する真理の証しをし続けていく必要があります。これは私たちの光栄ある義務であって、そして使命であって、責任であって、天主の御旨です。

「カトリック教会には、中絶は完全に拒否されなければならない、という真理をはっきりと証しする義務があります。目的が手段を正当化することはできません。私たちは、今まで見たこともない最悪の大虐殺の中で生きています。世界中で何百万人もの赤ちゃんが母親の胎内で虐殺され、この隠された大虐殺は、中絶産業、生物医学研究、堕胎技術を通じて日々続いているからです」。
(「1人の枢機卿、4人の司教が明確に教える」Catholic Family News, Dec.12, 2020.)

たとえ良いものであったとしても、健康や、快楽や、私たちの評判、あるいは私たちの出世キャリア、世間体などは、最高の善ではありません。私たちの都合の良い快適な生活というのは、人身御供を生け贄を捧げなければならない最高の「神」ではありません。私たちの生命は、他の人間の生命の死に基づいて守られるべきものではありません。... 身体の健康ということも絶対的な価値ではありません。「天主の掟に従う」ということ、「永遠の霊魂の救い」ということが最優先されなければなりません。

つい最近、シュナイダー司教様は『カラマーゾフの兄弟』というドストエフスキーの小説の一節を引用して、自分の考えとして表明されましたので、私もその真似をしたいと思っています(『クライシス』誌、2021年4月1日号)。
「ドストエフスキーの有名な小説『カラマーゾフの兄弟』に登場するイワン・カラマーゾフは、運命的な質問を投げかけています。--- "あなた自身が、最終的に人類を幸せにして、遂に平和と安らぎを与えるということを目的として、人類の運命という建造物を建設していると想像してみてください。しかし、そのためには、どうしても、たった一人の小さな生命、小さな拳で胸を叩いていたあの赤ちゃんを拷問して、その子供の報われない涙の土台の上にあなたの建造物を建てなければならないとしたら、あなたはそのような建築家になることを同意しますか?" --- 」

では、愛する兄弟姉妹の皆さん、一人でも赤ちゃんの命が大切に扱われますように、救われますように、7月22日には東京で、そして23日には大阪で、一緒にマーチ・フォー・ライフを致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名よりて、アーメン。

March for life

March for Life Osaka 2021


主イエズス・キリストの聖心の思い「私は、この群衆を憐れむ。」Misereor super turbam.

2021年07月20日 | お説教・霊的講話

2021年7月4日(主日)聖霊降臨後第6主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父様 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

7月23日金曜日は、日本ではスポーツの日で休日です。その日に大阪では昨年に続いて、昨年のようにマーチ・フォー・ライフを行ないたいと思っています。

午後の15時から市役所の前からマーチをする予定です。いらして下さい。多くの方が参加して下さるように期待しております。

今日は聖霊降臨後第6主日です。

私たちの主の御言葉が、聖心の想いをピタリと表しているように思われます。
「私は、この群衆を憐れむ。」“Misereor super turbam.”

私たちの主は私たちを憐れんで下さったので、つまり私たちの弱さに同情して、私たちが無力で何もできなくて、このままではもうどうなってしまうか分からない、このまま道の途中で、目的地にも届かずに、そのまま倒れてしまう、そのまま不幸になってしまう、という事を御存知だったので、何とかして私たちを助けようと同情されました。今日の福音での出来事は、そのほんの一部です。

しかし永遠の昔から、この憐れみ、私たちを憐れむという心は、永遠の未来まで続いています。

私たちは何と幸せな民でしょうか。何故かというと、天主が私たちを憐れんで、王の王が私たちを憐れんで、私たちを綺麗に浄めて下さる為に、御自分の血潮を全て流されようとしたからです。天主が、御血を流す事ができるように人間となって、わざわざ、わざわざ苦しまれる事を御望みになって、浄めようとされました。

私たちが一人で、友達から捨てられて、裏切られて、馬鹿にされて、あるいは私の大失敗、愚かさで、もう辛い思いをしている時、がっかりしている時に、イエズス様は天主は、私たちのすぐ傍に寄り添って下さって、励ましたり、慰めたり、力付けたりして下さいます。

私たちが罪を犯して、弱さに倒れて、そして辛い、「何でこんな罪を犯してしまったのか」と痛悔をするならば、イエズス様はその御血の功徳で、更にまた、更にまた赦そうと、私たちの元に身を屈めて下さいます。何度でも、何度でも、私たちの過ちは、イエズス様によって憐れまれて、そして赦されます。

私たちが天国への道を歩むには、せっかく浄めてもらったにも関わらず、あまりにも力がないので、弱いので、弱々しいので、このままではおそらく辿り着かないだろうと憐れんで下さって、御聖体を制定して下さいました。御自分の体で、清い体で養おうと思われました。

私たちがもしも、誰も助けがなくて、絶望のどん底に落ちいっているかのようになったとしても、イエズス様だけは決して私たちを離れずに、そのすぐ傍に寄って助けて下さいます。イエズス様に叫べば、すぐに来て下さいます。そしてもしも危険があれば、「危ないよ。土砂崩れが起きるよ。さぁ避難しなさい。」聖霊の助力で、聖霊の声を私たちに聞かせて下さいます。

私たちが御血の功徳を、無限の功徳を受ける事ができるように、司祭職さえも制定して下さいました。私たちに日々、この御血の功徳が、そして御聖体の功徳が適用されますように、十字架の御血のその憐れみの御業が、私たちの目の前で毎日行なわれる事ができますように、イエズス様の聖心の憐れみは、特に司祭には、特別の憐れみをして下さいました。

御血の聖変化の時には、「これは罪の赦しの為の私の血の盃である。『お前たち』と、そして多くの人々の為に流される血である。」司祭だけが、特別に、「お前たち」と、使徒たちの為に、使徒の後継者の為に、そして多くの人々に特別な憐れみを示して下さいました。

私たちはそのような憐れみの主を持って、どれほど感謝しなければならないのでしょうか。
皆さんもご存知の通り、このような憐れみの主は、感謝されていません。その主の同情に対して、多くの人は拒否と冷淡を示しています。私たちは少なくとも、その憐れみに感謝致しましょう。今日はその御聖体を、イエズス様の御体を、感謝を以って聖体拝領なさって下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 

マーチフォーライフ


マニフィカト:私の霊魂は主を讃美し、主を偉大なるものと致します。私の精神は、その主に喜び踊る。

2021年07月20日 | お説教・霊的講話

2021年7月3日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は初土曜日です。ミサの後に初土の信心を、御聖体降福式を行ないながら致しましょう。

昨日は、マリア様の御訪問の祝日でした。この御訪問の時に、マリア様の有名な『マニフィカト』の歌が生まれました。

訪問を受けた聖エリザベトは、聖霊に満たされて、マリア様が一体どなたであるか分かりました。「天主の御母が、主の母が私に訪問されたとは、一体何という素晴らしい事が起こったのか!そしてあなたは女性の内で祝福されて、あなたの胎内の御子も祝福されています。主の御言葉が実現するという事を信じたあなたは、幸いである。」マリア様を褒め称えます。

マリア様はそれに対して、それを否定せずに、全てを天主に栄光を帰します。
「私の霊魂は主を讃美し、主を偉大なるものと致します。私の精神は、その主に喜び踊る。この主のはした女の卑しさを御覧になったからだ。」

そしてマリア様の霊魂はひたすら、「自分は何でもない。主にのみ栄光と讃美があるように」と歌います。そして「主は驕る者を散らし、辱め、卑しい者を高められる」と歌います。

マリア様のこの精神がいつも私たちにありますように、私たちではなくて、主が、主の憐れみが、主の愛が、ますます讃美されますように、そしてこのような私たちを御覧になって、そして私たちを恵んで下さった主に永久に栄光がありますように、マリア様に、マリア様と共にこの歌う事ができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

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喜びの玄義 第2玄義黙想
2021年7月3日(初土)御聖体降福式にて
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

『喜びの玄義 第2玄義:この一連を捧げて、聖母がエリザベトを訪問し給いたるを黙想し、その御取り次ぎによりて、人を愛する徳をこい願わん。』

初土の信心として、マリア様の汚れなき御心に対して犯される罪を償うという意向で、15分間、ロザリオの玄義を黙想致しましょう。

今日は、マリア様の御訪問の玄義、喜びの第2玄義を黙想致しましょう。

御告げを受けた直後、天主の御母となったその直後に、マリア様がなさった事は、天使から教えられたばかりの、聖エリザベトの妊娠をお世話をするために急いで旅たつ事でした。

ユダの山岳地方に行かれたマリア様は、聖エリザベトに奉仕します。召使いのように、愛徳の業を行ないに参りました。天主の御母、ユダヤの、全人類が待ちに待ち望んでいた救い主の御母、その最も高貴なる身分の方が、ただただ奉仕する為に、老婆の元に駆けつけます。

ここにマリア様の憐れみと、愛と、ご謙遜がよく現れます。

メガネも、水道も、電気も、何もなかった聖エリザベトの時代は、マリア様の助けが非常に大きな力と慰めになったに違いありません。

同じマリア様は私たちに対して、天国から、私たちの弱さや惨めさ、弱点をよくご存知でいらっしゃいます。私たちをいつも助けたい、助けたい、と思っていらっしゃいます。イエズス様をお運びになろうとされています。マリア様がいつも私たちの傍にいて下さいますように。


聖母が天主の御母となって一番最初になさった事は、老婆エリザベトの手伝うという愛徳の業だった

2021年07月20日 | お説教・霊的講話

2021年7月2日(初金)童貞聖マリアの御訪問のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は初金です。ミサの後の祈りの終わりに、聖時間を、御聖体降福式を行ないましょう。
今日の初金は特に、マリア様の御訪問の祝日と重なりました。そこでこの神秘を一緒に黙想致しましょう。

聖母が天主の御母となって一番最初になさった事は、一番弱い、おそらくその時は人々から馬鹿にされていた、石女(うまずめ)の老婆エリザベトの手伝いに行く事でした。天主の御母が、わざわざ山の中を急いで行って、この老人の助けをする、という愛徳の業をしました。

これを見ると、天主に一致すれば一致するほど、聖心の愛に燃えて、イエズス様がお愛しになった人々を、人間を愛する、という事が分かります。天主を愛すれば愛するほど、人を大切にする、という事が分かります。

もしも天主を信じないならば、人間は、別の人間は機械か何かのように思って、道具であるかのように、自分が高くなる為の足場であるかのように考えてしまうことでしょう。天主を信じない人は、人間を自分の使う資源や酸素を奪うもの・地球温暖化の根源として、邪魔者のように考えることでしょう。天主を信じなければ、人間たちは無用なものとして捨てられてしまうことでしょう。

しかし、マリア様の態度はそうではありませんでした。

マリア様の御訪問の第2は、イエズス様をお運びになった、そしてマリア様の声を通して、マリア様を通して、イエズス・キリストの御恵みを洗者聖ヨハネに、そして聖エリザベトに伝えた、という事です。

マリア様の声を聞いた時、聖エリザベトの胎内の子は喜び踊りました。そして聖エリザベトも聖霊に満たされて、訪問された方がどなたか、という事をすぐ理解しました。「天主の御母が来られた!」洗者聖ヨハネはその罪が赦されました。原罪がその瞬間に赦されました。最初の奇跡が、マリア様の介入で行なわれました。

イエズス様はその最初から、この世に来られたその最初から、「マリア様を通して奇跡を行なう」という事を見せました。この態度は、世の終わりまで必ず続きます。

イエズス様は世の終わりまで、マリア様を通して、私たちに回心と超自然の御恵みを、そして物質的な奇跡も行なって下さいます。

ある時、聖ジェンマ・ガルガーニは罪人の回心の為に祈っていました。イエズスの聖心に祈りました、ノベナをしていました。すると、私の読んだところによると、イエズス様が非常に辛そうな顔をして、聖ジェンマに言います、「でも彼は、こんなに悪い事をした。こうだ、これもこうだ、こうだ、こうだ。」もちろん、そうだからこそジェンマは祈っていたのです。「そんな彼を回心させてほしい」と。

でもイエズス様は辛そうな顔をされたので「分かりました。ならマリア様に言います」と答えたそうです。すると私の読んだところによると、イエズス様は「あぁ、マリア様が言うならば、分かった」と。
そして実際に、その回心の恵みが与えられた、との事です。

御訪問の神秘は私たちに、マリア様の、その「仲介のマリア様の取次ぎの力強さ」を表しています。私たちも今日、マリア様が御訪問なさって下さった事を感謝して、そしてマリア様の御取次ぎを乞い願いましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


カトリック聖伝のミサ報告 聖ピオ十世会 Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka, SSPX Japan

2021年07月20日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2021年7月18日の聖伝のミサの報告を御紹介いたします。
東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計94人でした。大阪では23人でした。天主に感謝いたします。
先々週は大阪では葬儀ミサが行われました。彼の霊魂に永遠の安息が与えられますように!
7月17日には婚姻のミサがなされました。秘跡で結ばれた新しい夫婦が良きカトリック家族を築き上げますように!

今週はいろいろな予定がつまっています。
7月22日には、例年通り、東京でマーチフォーライフが開催されます。
7月23日にも、昨年のように、大阪で第二回目マーチフォーライフが開催されます。
多くの愛する兄弟姉妹の皆様が参加されることをお願いいたします。
次の主日には、名古屋でも夕方にミサがあります。ミサの開始時間は午後5時半になりました。お間違えの無いようお願い申し上げます。

March for life

【報告】【東京】【入谷ホール】
Dear Fathers:
Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today.
The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 94, including children.

09:00 mass
M: 22 (incl. 5 children)
F: 20 (incl. 3 children)
Total: 42 (incl. 8 children)

11:00 mass
M: 17 (incl. 4 children)
F: 22 (incl. 8 children)
Total: 39 (incl. 12 children)

12:30 mass
M: 12 (incl. 3 children)
F: 12 (incl. 2 children)
Total: 24 (incl. 5 children)

Total of 3 masses (excl. 11 people who participated in multiple masses)
M: 46 (incl. 12 children)
F: 48 (incl. 13 children)
Total: 94 (incl. 25 children)


命のための行進:マーチフォーライフ[2021]は、7/22(木)東京と、7/23(金)大阪で開催です!

2021年07月19日 | プロライフ

今年2021年も、東京と大阪でマーチフォーライフが開催されます。



いのちのための行進:マーチフォーライフ
[マーチフォーライフ東京]・・・7月22日(木) ”産み”の日 午後4時 日本橋常盤公園に集合
日本橋常盤公園 → 日比谷公園までの3㎞ほどを行進します

【所在地】東京都中央区日本橋本石町4-4-3
【アクセス】●JR総武線 新日本橋駅 徒歩4分
●東京メトロ 半蔵門線 三越前駅 徒歩4分
●東京メトロ各線 大手町駅 徒歩5分
●JR山手線・京浜東北線・中央線 神田駅 徒歩4分
●東京メトロ銀座線 神田駅 徒歩4分



[マーチフォーライフ大阪]・・・7月23日(金) スポーツの日 午後2時半に大阪市役所となり中の島公園女神像まえに集合
午後3時に大阪市役所まえを出発 → 難波までの約4㎞、御堂筋を行進します

【所在地】大阪市北区中之島1-3-20
【アクセス】●Osaka Metro 御堂筋線・京阪電車京阪本線「淀屋橋」駅下車すぐ(1番出口)
●京阪電車中之島線「大江橋」駅下車すぐ(6番出口)



あなたに、できることがあります。
生まれる前の赤ちゃんのいのちを助けてください!
わたしたちといっしょに、ファチマの聖母といっしょに歩いてください!


聖ピオ十世会総長による自発教書「トラディチオーニス・クストーデス」に就いてのコメント

2021年07月19日 | お説教・霊的講話
Traditionis Custodes
聖ピオ十世会総長によるミサの中の説教での、自発教書「トラディチオーニス・クストーデス」に就いてのコメント


【要旨】
聖伝のミサに対する戦いは、イエズス・キリストとルチフェル(サタン)との戦いである。
何故なら、ミサは十字架の犠牲だから。聖伝のミサは、罪の赦しのもととなる主の受難と犠牲をまざまざと表現している。したがってサタンは聖伝のミサを憎む。【新しいミサは兄弟の会食。】
公会議後の教会は、人々にイエズスの十字架なしでも救われると思わせようとしている。だから、聖伝のミサが邪魔なのだろう。





ヴィガノ大司教「主の敵が主から剥ぎ取った王冠を私たちの王に回復させるために全力を尽くして下さい。」

2021年07月18日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】
参考資料として、ヴィガノ大司教の5月30日の発言を日本語でご紹介いたします。

ヴィガノ大司教の主張の中核は、今私たちが体験している残念な結果を嘆くだけではなく、その原因を認識する勇気を持たなければならない、ということです。

たとえば、
パチャママに偶像崇拝を捧げるという背教の段階にまで達したのは、第二バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」の論理的結論であること、
世界諸宗教の祈りの集いは、第二バチカン公会議の「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」の論理的結論であること、
ドイツのシノドスの道、つまり、聖座による公式な断罪のない離教宣言は、第二バチカン公会議の「現代世界憲章」の論理的な帰結であること、などです。

ルフェーブル大司教は、自分は三つの世界大戦を経験したと言っていました。第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして第二バチカン公会議だ、そして最後のものがもっとも損害が大きい、と。

この意味における「第三次世界大戦」は、ますます酷くなって今でも続いているようです。

人類が、天主と現実に対して戦いをいどんでいるので、その結果として、人類同志が戦うことになってしまっているのです。まず、罪のない胎児を大量虐殺するという弱い者いじめをしています。その次の攻撃のターゲットは、老人に向かっている(安楽死)ようです。攻撃の対象は、ますます拡大していくことでしょう。

天主を否定し、現実を否定し、理性を放棄し、男は女だ、女は男であるとし、いわば2+2=5としているからです。天主と現実に対する戦いこそが「現代の真のパンデミック・ウイルス」です。

天主の御憐みによって、この戦争が終結するように祈らなければなりません。全世界の共産化(私有財産の廃止)という「グレートリセット」を止めることができるのは、ひたすら主の憐れみです。王たるキリストに反対する戦いを止めて、キリストを王として戴く以外には、本当の恒久の平和はありえません。

ファチマのシスター・ルチアはよく考えた上で強調してこう言いました。「聖母が望んでおられることは教皇と世界のすべての司教たちがある特別の日に聖母の汚れなき御心にロシアを奉献なさるということです。もしこのことがなされるならば、聖母はロシアを回心させられるでしょう。そして平和が訪れるでしょう。もしこのことがなされないならば、ロシアの諸々の誤謬が世界のあらゆる国々に広まるでしょう。
トマス・ウォルシュ教授「このことはあなたの意見では例外なしにあらゆる国が共産主義によって制覇されるだろうということを意味するのですか?」
シスター・ルチア「そうです!」
トマス・ウォルシュ教授「そしてそのことはアメリカ合衆国もまたそうだということを意味するのですか?」
シスター・ルチア「そうです!」

Archbishop Viganò: More Reflections on the Great Reset
ヴィガノ大司教「グレート・リセットについてのさらなる省察」

2021年5月31日

【編集者注】以下は、5月30日に大司教が「ベネチア哲学祭」(Venice Philosophy Festival)で行ったスピーチの英語版です。このビデオは二つの異なるユーチューブ・チャンネルですぐに検閲されました。もし大司教の言っておられることが無意味な陰謀論であるならば、彼らはなぜ人々がそれを聞くのを、それほど恐れているのでしょうか。まことの牧者でいてくださり感謝します。大司教の著作集は次のサイトから入手できます。「Angelico Press

STAT VERITAS
真理は立ち止まる

グレート・リセット:最新のグレートな嘘

Lazare, veni foras!
「ラザロ、外に出なさい」
ヨハネ11章43節

この第一回の哲学祭は、モンシニョール・アントニオ・リヴィに捧げられています。信仰の証人であると同時に、神学分野における稀に見る博識の持ち主であった彼に、私たちはみな、心からの、そして感謝の思い出を持っています。このローマの学識ある高位聖職者アントニオ・リヴィ師は、聖伝への「回心」の道を歩んだことで、私と特別に結びついています。聖伝によって、彼は私よりも数年前に、非常に精通していた教理と完全に一致する、由緒ある使徒の典礼を熱心に捧げるようになりました。私たち二人は、叙階式のミサの宝物を再発見し、自分たちの司祭職を完全な形で再発見したという慰めを得ました。

今日、私たちがモンシニョール・リヴィをふさわしく記憶しておきたいと思うなら、彼が創始者となった「常識 Common Sense」の学派を無視することはできないと思います。また、この学派は今、現在の現実に対する理解を深める良き機会となっています。各個人の「常識」の欠如が、「グレート・リセット」とそれが表すイデオロギーに代表される、天主、教会、そして人類に対する攻撃を可能にしている面があります。非合理性、理性の放棄、批判的判断の消滅、証拠の否定が、現代の真のパンデミック・ウイルスであり、このウイルスは、"天主への反抗において全能"というせん妄(delirium)を示し、集団的狂気の中で、この邪悪な挑戦の正しい敵を明らかにします。

聖パウロは、理性的な信仰、「道理にかなった崇敬」(rationabile obsequium)(ローマ12章1節)を私たちに勧めています。この信仰と理性は、二つの翼のように、私たちを真理、すなわち天主ご自身の観想へと昇らせるのです。ですから、この使徒の警告は、「この世にならわず」(nolite conformari huic sæculo)(ローマ12章2節)という、世の考え方から健全な距離を置くことも意味しています。

今日、私たちが特に、フランチェスコ・ラメンドラ氏、この会議の主催者であるアンドレア・コメッティ氏、そして著名な講演者の方々(その中には私が知っている親しみのある顔も少なくありません)とモデレーターの方々の顔にも見て取れると感じる警告です。5月15日にトリアリイ連合で行われた私の講演をすでにお聞きになった方は、それが、これから私が詳しく説明する内容の要約版であることに気づかれると思います。私は、この講演の動画がユーチューブによって同様の検閲を受けることを願っています。というのも、前の講演が削除された後、主流メディアの言論統制(gag)によって当然かき立てられた騒動のおかげで、さらに多くの人々に広まり、見られているからです。


一つの重要な前例

スターリンは、1932年に「ホロドモール」の集団虐殺で何百万人ものウクライナ人を抹殺することを決めたとき、社会工学の手段として飢饉を計画し、農地を国有化してその利益を産業に配分することにしたのです。スターリンは、こう書いています。
「自営農家(kulak)を階級として排除するためには、自営農家の単一集団を限定して排除する政策だけでは不十分である。(中略)この階級の抵抗を公然と戦いで打ち砕き、その存在と発展の経済的源泉を奪う必要がある」(Josef Stalin, Questioni di leninismo, Rome, 1945)【ヨシフ・スターリン「レーニン主義の諸問題」】。

スターリンは、小麦、ビート、ジャガイモ、野菜など、あらゆる食品を押収し、あらゆる商業を禁止しました。商業を禁止し -- これに聞き覚えがあるでしょう? -- ウクライナ人の財源を没収しました。田舎から逃げてきた子どもたちは逮捕され、「コルホーズ」と呼ばれる集団農場や孤児院に送られ、栄養失調で死んでいきました。中央委員会は移動を禁止し、――これは一種の都市封鎖の「前触れ」(ante litteram)【下書き状態】です――ウクライナ人の虐殺を非難する者は人民の敵である、と非難しました。言葉の本来の意味でのホロドモール否定派は、1932年から1933年にかけてのソビエト・ウクライナでの大虐殺は「起こらなかった」あるいは「事前の計画なく起きた」と主張します。今日では多くの国々が人道に対する罪と認識している一つの悲劇、その方法と目的を分析すると「グレート・リセット」の一例でもあった一つの悲劇を隠微するのに、体制側の検閲が寄与しているのです。

もし、あるウクライナ人が、飢饉に直面したロシア政府が、食料を送ることで人々を助けるのではなく、むしろ商業活動や移動を禁止して状況を悪化させたことを不思議に思っていたとしたら、それは今日、パンデミックとされている状況下で、なぜ政府は先制的に公衆衛生を損ない、国家のパンデミック計画を弱め、効果的な治療法を禁じ、死に至らないまでも有害な治療法を施し、さらに、永久封鎖、自宅待機命令、違憲の「グリーンパス」【ワクチンパスポート】という脅迫手段を用いて、免疫を保証しないばかりか、短期的にも長期的にも深刻な副作用を伴うワクチンを市民に投与することを強要し、さらにはウイルスの耐性を高めさせているのかと問う多くの人々と同じ過ちを犯したことになります。

私たちの物の見方を変える

主流メディアや政府関係者、ウイルス学者やいわゆる「専門家」が私たちに語ることに何らかの論理性を見いだすことは、困難な挑戦です。論理性のようなものは、まるで魔法を使ったかのように消えてしまい、自分の物の見方を覆すだけの知的誠実さが私たちにありさえすれば、最も冷笑的な合理性に変わります。

したがって、私たちは、指導者たちが私たちの善のために行動するという安心できる前提を捨てなければなりませんし、さらに一般的には、私たちの対話相手が正直で、誠実で、良き原則によって動かされているという考えを捨てなければなりません。

確かに、「すべてがうまくいく」という幻想に浸り、このパンデミックが本当に誰も準備していなかった大災害であると考える方が簡単だということを私は理解しています。「見えない敵」との戦いにおいて、同じ立場の人なら誰でも犯しかねない過ちを許し、世界の指導者たちを感謝の念を持って寛大に裁くべきだと考える方がずっと簡単です。多国籍の製薬会社や国際的な保健機関は、私たちの利益を第一に考えており、私たちを慢性的に病気にしたり、絶滅させたりするような実験的な薬を、経済的な計算だけで配布することはないと信じることは、心を温めてくれます。また、新型コロナウイルス感染症のナラティブ(物語)が不条理であるという理由だけで、親戚や友人、知人や職場の同僚との内輪での争いに日々直面するのは、信じられないほどつらく、心理的に疲れるものです。「陰謀論者」や「否定論者」と見なされ、同情や軽蔑、社会的非難の対象とされることは、特に世界的な嘘を信じている人々が私たちにとって大切な存在である場合には、ありがたくない運命です。また、教会の共同体からも差別され、排斥されていると感じることは、さらにありがたくないことです。ましてや、司教たちの一部や位階階級の最高レベルの人々による、主流のナラティブ(物語)に合わせたイデオロギー的なお世辞を目の当たりにすると、なおさらです。

現実は全く異なっていて、それを受け入れたくないために、私たちは社会心理学が広く研究している認知的不協和に陥ってしまうのです。現実は、異なるだけでなく、言われていることとは正反対なのです。私たちが現実を理解し、認識し、現実に直面し、全力で現実を戦うことを望むならば、私たちにとってさらに良いことになるでしょう。また、歴史の中で同様のケースの場合に、行われてきた手口(行動様式:modus operandi)は実質的に同じでもあるのがその理由です。

「グレート・リセット」推進派の立場に立って考えてみよう

まずは、知らないままこの陰謀で苦しんでいる人々ではなく、この陰謀を企てた人々の立場から考えてみましょう。ビル・ゲイツ、ジョージ・ソロス、クラウス・シュワブの立場になって考えてみれば、こうでしょう。

恥知らずにも遺伝子血清によって世界の人口を減らすことを決めたと宣言しても、おそらく、大衆の同意も諸団体の支援も得られないだろうということを理解するのは難しいことではないだろう。なぜなら、われわれの犯罪計画を公表することは反乱を引き起こすだろうし、何よりも手の内を明かしてしまうからだ。

実際には、われわれは何度か計画を公表さえし、それを会議の議事録に書き、インタビューや組織の会合でも繰り返し述べ、「ジョージア・ガイドストーン」にも刻ませている。おそらく、われわれがこの犯罪計画を認めたことは、あまりにも大胆に聞こえたため、脅威を感じた人々は他に目を向けようとし、代わりに、ラオコーン【トロイ戦争で木馬を持ち込ませないよう警告したが受け入れられなかったトロイの神官】のように耳を傾けられずに警告を発した人々を非難したのであろう。

そこでわれわれは、われわれが出資した武漢の研究所で、多分われわれ自身が作ったウイルスを前にして、世界的な関与、環境維持、包括性、レジリエンス(回復力)といった「美しい物語」を語ることにした。そして、これは単なるインフルエンザ症候群であり、例年通りのほぼ正常なコロナウイルスであるため、実際には緊急事態ではないのだが、われわれはWHOの関係者(ほとんど完全にわれわれと同盟者である中国共産党独裁政権が出資している組織)に、治療を禁止する指令を出し、新型コロナウイルス感染症に起因する死亡者数を多くし、強制的な人工呼吸を患者に課すことで患者を死に至らしめるよう求めなければならない。

われわれがブラックロック投資ファンドを通じて株主となっている製薬会社が、通常の治験期間を経ずにワクチンを製造することに興味を持っているのは明らかである。治療が禁止されると同時に、公衆衛生を守る法律も免除され、ワクチンというか遺伝子の血清を実験的に配布することが許可されるからだ。そして、中国の政権との間の「邪悪な合意」(pactum sceleris)を封印するために、マスク、綿棒検査【PCR検査】、人工呼吸器、医療用品などの注文をなだれ込ませることができるのだ。その間、ほとんどが元社員であるか、われわれがスポンサーとなっている研究所やコンサルタント会社の「専門家」たちは、恐ろしくも不合理な予測や予想をメディアに流してパニックを引き起こし、ジャーナリストやテレビ司会者たちは、職業倫理や真実を尊重する義務を放棄して、金のために新しいボスに自らを売っているのだ。

しかし、金と名声があれば、多くの人のおべっか使いや共謀的な沈黙を簡単に買うことができることを、われわれはよく知っている。特に、彼らがわれわれのおかげでその地位を得ているのであれば、われわれが彼らの勤める新聞社の株主であったり、広告スペースの主な買い手であったりするのであればなおさらだ。同時に、われわれは、公的資金がメディアへの資金提供に割り当てられていることを確認している。それは明らかに、メディアが公式のナラティブ(物語)を促進し、反対意見の声をすべて検閲することを暗黙のうちに期待してのことである。

もう何年も前から、医療もわれわれの手に委ねられている。われわれは、各国政府やEU、国際機関の人材を活用して、公的医療制度を徐々に破壊してきた。破壊した後は、その非効率性を嘆き、われわれが株主となっている民間医療に置き換えることを推奨した。残った公衆衛生は、サービスの提供よりも利益を優先するビジネスモデルになっており、いずれにしても、医療会社の負債を返済するのは常に国である。

われわれは、パンデミックで得られる利益が多くの人にとって魅力的であることをよく知っている。無駄な入院や、自宅療養ではないこれまで述べてきたような治療の結果、患者の死につながるような入院に直面しても、黙っていることさえある。新型コロナウイルス感染症患者の集中治療用ベッドに一日三千ユーロを支払うことは、社会的な警告を正当化するものである。なぜなら、これらのベッドは数が少なく、近年、政治家の自己満足のおかげでその数は減少しているからであり、パンデミックの完全な緊急時にベッドを増やすために、国は入札のプロセスを経ることなく法外な金額を費やすのである。綿棒を使った検査【PCR検査】で、非常に高い割合の人々がウイルスに陽性であると人々に思わせることができれば、非常事態の継続が保証され、経済を破壊する都市封鎖・封じ込め措置も保証される。そして、これこそがわれわれの狙いである。中小企業を潰し、地元の家族経営の店で買えなくなったものをすべてオンラインで購入させ、生き延びるためにわれわれが株主となっている宅配会社を利用せざるを得ないピザ屋やレストランでさえも儲けるのである。

最後に、この攻撃を完全なものにするために、われわれは「人道的な」財団やNGOのおかげで不法移民を増やし、それによって犯罪を増やし、代わりに移民費用に充当される市民からの資金を流用し、欧州を、権利を要求するイスラム教徒の波に侵略させる。彼らの存在は、「歓迎」の名の下に、罪悪感や人種差別の危険性、そしてカトリック教会にさえ受け入れさせることに成功した善意のレトリックを利用して、国家の社会的・宗教的構造を不可避的に破壊することを可能にしているのだ。明らかに、われわれが作り出した社会的な不安定さは、差別や人種的憎悪を禁止する法律を公布し、侵略されたと感じている人々の反対意見を抑圧することを可能にしている。

最終的に、パンデミックによる国家の負債と、われわれが人為的に作り出した社会的緊急事態のおかげで、われわれは国際通貨基金(IMF)、欧州中央銀行、欧州連合(EU)からの資金の支出を強要することができる。これにより、国民は負債の縄張りに縛られ、社会の変革、技術社会、「グリーン経済」をさらに不可逆的なものにするだけの基準や「融資条件」(conditionalities)に従って、これらの資金を投資するように拘束される。

まず、「見えない敵」への恐怖心を煽り、科学者や知識人、一般市民の反対意見を封じることに成功し、次に、世界の救いがワクチンにかかっていると人々に信じ込ませることに成功した。そして今、われわれは何十億もの人間を脅迫することができる。彼らは、これまで課されてきた規制を何らかの形で緩和した状態に戻したいのであれば、海外旅行やスタジアム、買い物に行くための「グリーンパス」を受け入れなければならないと言われるだろう。われわれが大衆にかけた圧力は、多くの人がこのような形の統制を受け入れるようになっている。もうすぐ彼らは、われわれの計画を完成させるために、皮下に埋め込まれたチップを手につけることだろう。

必ずしも新型コロナウイルス感染症に限定されないワクチンパスポートも、現金に代わる電子決済も、すべてが現実のものとなった。「(獣の名あるいはその名の数を)しるされていない者の他は、誰も売買することができない」(黙示録13章17節)のだ。このように、ボタンを押すだけで、その人を社会生活から抹消することができるようになるが、そのボタンを押すのはわれわれなのである。

われわれが憎んでいる文明への侮辱として、われわれは大衆に甲虫や幼虫を食べさせ、その栄養特性や環境への影響の少なさを褒めたたえ、一方でわれわれは自分たちのために選りすぐりの肉を確保している。われわれは私有財産を放棄するよう彼らに求める代わりに、ユニバーサルインカム【ベーシック・インカム】を導入し、排出ガスゼロの30平方メートルの住宅の賃貸料をわれわれに支払ってもらう。彼らを中国製の電気スクーターで走らせる一方で、われわれはあらゆる種類の公害を引き起こす特注車に乗り、非常に高価なヨットでクルージングし、ヘリコプターで旅行する。そして、リストラされた50代の人々が配達員として働く一方で、われわれはタックスヘイブンにある会社から何十億もの配当を受け取る。われわれは大衆を奴隷化するレベルに達しているので、反乱を恐れる必要はない。いずれにしても、メディアや同盟者の左派が沈黙を守っていれば、警棒で殴られてその反乱は鎮圧されるだろう。

パンデミックという茶番劇が不測の事態で期待した効果を上げられなかったとしても、われわれはすでに次のステップを用意している。すなわち、「環境保護的移行」と「持続可能な開発」を押し付ける口実としての気候変動の緊急事態である。さもなければ、中東で新たな紛争を起こし、都市でのテロを誘発し、人々にパニックを起こさせるだろう。これらの方法がうまくいかない場合、われわれが考案することができるのは、宇宙人による攻撃である。なぜできないことがあろうか。これについては、われわれの友人の中には、有名な「オヴァートンの窓」を開け始めている人もいる。何十年にもわたる外宇宙からの生物による侵略を描いた映画の後で、集団的な恐怖心を煽る「見えない敵」として、地球外生命体以上のものがあるだろうか。その一方で、ここ数カ月で見てきたように、大衆は主流メディアの言うことをすべて信じてしまう。それがどんなに不合理で不条理なことであっても。テレビで見たことがあれば、それは真実であるに違いないのである。

以上が「グレート・リセット」推進派の計画でしょう。

グレート・リセットの手口(modus operandi)

さて、ゲイツやソロスの立場から離れて、外からこの活動全体を観察し、共通する要素を見つけ出しましょう。

一つ目は、先ほど述べたように、エリートの犯罪的な計画が見えないようにすること、そしてそれを受け入れられる理想で覆い隠す必要があること、です。

二つ目は、過去には武器を使った戦争、今日では細菌戦争や金銭的な紛争など、エリートが準備し計画した解決策に頼らざるを得ないような緊急事態が発生することです。

三つ目の要素は、平時であれば受け入れられない違法な「改革」や個人の自由の制限を実施することを可能にする明白な解決策です。これは、社会を内部的に分裂させ、人々の新たな敵を作り、紛争の真の立役者から人々の目をそらすことになります。

2001年9月11日の攻撃について考えてみると、その手口(modus operandi)は湾岸戦争やリビア内戦で起きたことと本質的に同じであることが分かります。テロリストの脅威は、軍事産業への投資、民衆への統制強化、政治的混乱、イラクやリビアのエネルギー資源の確保、フランスの旧植民地である西・中央アフリカ諸国の経済的独立を妨げるための「言い訳」(prophasis)、見かけ上の原因、偽りの口実として利用されました。このようにして達成された不安定化は、欧州での民族代替計画に拍車をかけると同時に、アフリカを繁栄させ、自立させることができるはずの若い世代をアフリカから奪いました。また、血なまぐさい紛争の前提となるイスラム狂信主義を煽って旧植民地のカトリック共同体に打撃を与え、その紛争を脱キリスト教化された欧州に輸出しており、その欧州は、毎日のように教会が焼かれるのを何もできずに見ている一方で、小心者のスウェーデン人少女が気候変動や地球温暖化の黙示録的な説教家としてシステムに利用されています。

この手口(modus operandi)の根底には常に嘘があり、エリートの真の意図を隠し、相対的に正常な状態であれば鎮圧するのが困難な反乱を引き起こしたであろう変化を、必然的なものとして受け入れさせています。反対者を非難し、ワクチン接種を受け入れない人々を犯罪者とし、「否定論者」や「陰謀論者」を精神病治療が必要な者とすることは、ここ数カ月の間に、収容所の形成、健康診断なしの渡航の禁止、そして何よりもメディアの大々的な報道によって具体化しています。多くの国々では都市封鎖のため、5G技術の普及に気づいていませんが、この技術により、インターネットに常時接続されたアプリや皮下チップで、人々の追跡が可能になるでしょう。

グレート・リセットには多くの前例がある

したがって、嘘は過去数世紀のさまざまなグレート・リセットの立役者たちの一貫したしるしです。プロテスタントの偽宗教改革がグレート・リセットであり、欧州の信仰の一体性に打撃を与え、今日もなお悲惨な結果をもたらす裂け目を作りました。フランス革命も、イタリアのリソルジメント(統一運動)も、ロシア革命も、グレート・リセットでした。二つの世界大戦も、産業革命、1968年の革命、ベルリンの壁の崩壊と同様にグレート・リセットでした。

お気づきのことでしょうが、これらの革命は、見かけの理由と本当の理由が一致していません。
ルターの反乱の口実となった贖宥状の販売が、修道院や教区を手中に収めたいというドイツ諸侯の欲望を利用し、世界に異端を蔓延させ、キリスト教の最初の防衛手段である教皇権の弱体化をもたらしたのは間違いありません。
フランスでは、国民の貧困が、王政廃止とフリーメーソン的かつ反キリスト教的な共和国設立の口実となりました。
イタリアの諸州の分裂と国民統合の理想への憧れが、王国や公国を破壊し、教皇領をイタリア王国に併合する口実となりましたが、その王制はフリーメーソンのロッジに従属しており、任務が完了すると同時にロッジによって取り消されました。
ロシアの農民の抑圧は、皇帝(Czar)を排除し、共産主義者の独裁体制を確立するための口実でした。
個々の民族の主張が、オーストリア・ハンガリー帝国を解体し、民族紛争を永続させるために第一次世界大戦の口実となりました。
第二次世界大戦では、最初は資金を提供し、その後戦いを挑んだナチズムが口実となって、欧州を植民地化し、米国の自由主義的資本主義とロシアの共産主義とに経済的・文化的に服従させ、欧州を弱体化させるために使われました。
労働者の状態は、工場で労働者を搾取し、近代資本主義のモロク【Moloch。モレク(Molech)ともいう。古代中東で子供をいけにえとして捧げた神の名】を養うための口実でした。
若者の自由への欲求は、彼らの知性と意志を堕落させ、離婚で伝統的な家族を崩壊させ、避妊具と中絶で母性を取り消し、権威という概念そのものを打ち砕く口実となりました。
ソ連圏とその衛星国の終焉は、自由主義的資本主義と消費主義を広め、70年間の共産主義独裁に疲弊した人々を道徳的に堕落させる口実となりました。
最近のプーチン大統領への攻撃の理由は、新世界秩序(New World Order)への激しい反対です。


グレート・リセットには教会も関与している

同じ陰謀家のエリートによって組織されたこの長期にわたる一連のグレート・リセットにおいては、カトリック教会さえも逃れることができませんでした。教会もまた、第二バチカン公会議で、会衆の典礼への理解を深めることを口実として、使徒継承のミサを破壊し、聖なる言葉を取り消し、儀式を冒涜したのを目にしました。また、異端者や離教者との一致を切望することを口実に、公会議のエキュメニズムが開始され、これが現在の背教のイデオロギー的な基盤を置いたのです。教会の民主化は、いわゆる信徒の参加拡大の名の下に、徐々に教皇の権力を弱めて司教の権力を議会化するための口実としてしか機能しておらず、今日では司教たちは、司教協議会の決定を単に実行するだけの者に成り下がっているのです。

さまざまなグレート・リセットの嘘

すべての詐欺と同様に、悪魔とそのしもべが仕掛ける詐欺は、決して守られることのない偽りの約束に基づいており、それと引き換えに私たちは、決して元に戻ることのない確かな善を手放すことになります。

エデンの園では、神々のようになるという見込みは、天主との友情を失い、永遠の救いから排除されることにつながりました。それは主の贖罪の犠牲だけが修復できました。カトリック君主制に対する革命は、下層階級に繁栄と減税を提供するという、決して守られることのない約束によって獲得されました。その詐欺を信じた人々は、自分たちの世界が崩壊するのを目の当たりにし、自分たちが以前よりもはるかに抑圧されていることを知りました。産業革命は、工場での新たな雇用を約束したために受け入れられましたが、田舎や家族経営の店を離れた人々は、組み立てラインで搾取され、村の伝統的なリズムから引き離され、大都会の荒涼とした郊外に押し込められてしまいました。

パンデミックとともに、隔離、都市封鎖、マスク、外出禁止、「同時配信ミサ」、遠隔学習、「スマートワーキング」、復興資金、ワクチン、「グリーンパス」があれば、私たちは緊急事態を脱することができるということを少しずつ言われ、この嘘を信じて、私たちは、二度と戻らないと警告された権利や生活様式を放棄しました。「ニューノーマル」(「新しい日常」)は、それまで当たり前だと思っていた自由がはく奪されるのを受け入れるための譲歩として提示され、それに従うことの不条理さと、理性と尊厳を完全に放棄することを真に必要とするような不条理な命令を下す命令者の要求の不条理さを理解することなく、妥協することになります。一歩進むごとに、新たなネジの回転があり、奈落の底に向かってさらに一歩を踏み出すのです。もし私たちがこの集団自殺への競争を止めなければ、決して後戻りすることはできないでしょう。

ですから、嘘なのです。もし、蛇がアダムとエバに「あの木の実を食べると、不死の命と天主が与えてくださったすべての賜物を失う」と言っていたら、私たちはまだエデンにいたでしょう。しかし、「始めから人殺し」「嘘つきで、嘘の父」(ヨハネ8章44節)である者に何を期待できるでしょうか。主が最高法院(サンヘドリン)に、チェザルに税金を払わないように言ったと非難されたのは、嘘と偽りの証言のおかげではないでしょうか。大司祭たちがピラトに天主の御子を十字架につけるように迫り、もし彼を無実だとするなら、ローマ皇帝に刃向かうことになるとピラトを脅したのも、欺瞞と恐喝によるものではなかったのでしょうか。


グレート・リセットは新世界秩序への最後のステップである

このグレート・リセットの欺瞞を明らかにすることは、私たちの義務です。なぜなら、この欺瞞は、歴史の流れの中では、贖罪のみわざを無効にし、反キリストの専制政治を確立しようとした他のすべての攻撃にまで遡ることができるからです。なぜなら、実際には、これこそが、グレート・リセットの設計者が目的としているものだからです。新世界秩序(New World Order: Novus Ordo Saeculorum)とは、公会議のノブス・オルド(Novus Ordo)を十分に連想させる名称ですが、天主の秩序(cosmos)を転覆させて地獄の無秩序(chaos)を広め、その無秩序によって、文明が恩寵の霊感の下で何千年もかけて苦労して構築してきたすべてのものを転覆させ、変質させ、堕落させ、取り消すものなのです。

私たち一人一人が理解しなければならないのは、今起きていることは不幸な偶然の連続の結果ではなく、むしろ悪魔の計画に一致しているということです。つまり、邪悪なる者【悪魔】がこのすべての背後にいるという意味ですが、この計画は何世紀にもわたって単一の目標を追求してきました。それは、創造のみわざを破壊し、贖いを無効にし、地上から善の痕跡をすべて取り消すことなのです。

この目的を達成するために、最終的には、権力を渇望する少数の顔のない専制君主が指揮権を握り、彼らは死と罪の礼拝と、命、聖徳、美への憎悪とに身をゆだねるのです。なぜなら、命、聖徳、美には、天主の偉大さが光を放っており、その天主に反対して彼らは未だに地獄の「私は仕えない」(Non serviam)を叫んでいるからです。この呪われたカルトのメンバーは、ビル・ゲイツ、ジョージ・ソロス、クラウス・シュワブだけでなく、何世紀にもわたってキリストの御国を転覆させるために影で陰謀を企ててきた人々、すなわちロスチャイルド家、ロックフェラー家、ウォーバーグ家、そして今日、教会の最高レベルと同盟を結び、教皇や司教たちの道徳的権威を利用して信徒にワクチンを受けるように説得している人々です。

権力の腐敗はグレート・リセットに必要な前提である

私たちは、システム全体の犯罪的な嘘を認識するとともに、権威の腐敗と、革命の産物である"社会的、政治的、宗教的モデル"の失敗に気づかなければなりません。現代の民主主義は、反キリスト教的(anti-Christian)かつ反キリスト的(antichristic)なエリートに事実上奪われてきた権力を人々に与えるという見かけ上の口実の下に、王たるキリストを、個人や社会に対する王権から追い出すことを目的とした欺瞞であることが、再び証明されました。

権威が天主に由来するものではなく、民にあるとされるとき、宗教が超自然的な超越的原理としてではなく、無定形の内在的感情主義(amorphous immanent sentimentalism)や人間学の一種であるとされるとき、道徳が天主によって人間の本性に刻まれた永遠の法との結びつきを失い、流行に合わせられるとき、統治する者も統治される者も、不誠実になったり自分の特定の利益を追求したりすることを妨げるものは何もありません。なぜなら、善と悪、報いと罰、天国と地獄がもはや存在しないからです。そうすると、すべては、放埓へと堕落した自由という倒錯した概念に基づくことになります。他の時代には私たちの悪への傾きを抑制することができた天主への恐れがなければ、つまり、創造主にして贖い主への愛からとはいわないまでも、少なくとも私たちの悪行が容赦なく引き起こすことになるであろう罰への恐れからではないならば、人は躊躇なく裏切り、盗み、殺し、嘘をつくことができるのです。

私たちは、理想を持たない政治家たちに直面しています。彼らにおいては、共通善(bonum commune)が、まず同意を得るための政治プログラムに取って代わられ、今日では、私たちを統治する人々が、彼らを当選させ、彼らに報酬を与え、新世界秩序の要求に絶対的に従うことを要求する者たちの利害に単純に従属するようになっています。かつては民主主義の最高の表現として称賛されていた投票権でさえ、責任ある者が自分に有利になるように曲げられると確信した場合にのみ認められ、そうでないと分かった場合には修正されたり無視されたりする、厄介な見掛け倒しとみなされる段階に達しているのです。米大統領選挙の巨大な不正選挙は、その顕著な例です。

しかし、政治家や世界の指導者が世界統一主義者のエリートに従属し、市民の利益を追求しないならば、社会契約は破綻し、彼らが与えられていると信じている権威は、権威の持つ超自然的な原理との結びつきが取り消されたことにより、上から、あるいは下からも、承認されないため、失われるのです。そして、これは悪名高い独裁体制にして憎むべき暴政に他なりません。この暴政は、それを決定づけた革命的な原理に訴えることによって打倒することはできません。「天主から出ない権威はない」(ローマ13章1節)という認識に立ち返ることによってのみ打倒できます。また同様に、国家の「世俗主義」は、創造され贖われた人々に対して創造主にして贖い主が持っている主権を否定するものであるため、天主への冒涜であるということを認識することによって打倒できるのです。

位階階級をも巻き込んだ権威の危機

フランス革命以降、主から奪われ、民意に基づくとされるその権威は、教会内部ではある程度維持されていました。60年前までは、教会はキリストの王権を、その民や社会、国家に対してだけでなく、おもに自分自身に対しても宣言し、主を神秘体のかしら、教皇を地上における主の代理者として認めていました。しかし第二バチカン公会議は、キリストの王権を終末論的な鍵で変えてしまい【訳注:キリストは現代の世界ではなく終末の後でのみ王であるとしてキリストの王権を実際的に否定する】、こうして教会は、約2世紀前に世俗社会が陥ったのと同じ民主主義の欺瞞の犠牲者となりました。罪に関する教理を弱め、それぞれの状況だけに応じた道徳性をつくり、誤謬や偽りの宗教の正当性を認めることにより、カトリック教会は自らの手で自らを退位させ、この世の権力者に承認と正当性を請い求め、その命令に従わなければならない状態に貶めたのです。ベルゴリオが「キリストの代理者」という称号を過去のものとしたのは偶然ではありません。教会が、「緑の神学」を説き、ロスチャイルド家の「包括的資本主義」を推進し、アンソニー・ファウチとワクチンに関する会議を開催するNGOに置き換えられた場合、教会を司る者はキリストの名の下に権威を行使するのではなく、人形遣いの手による操り人形という共犯者になり果ててしまうのです。

私のあの地位、
神の子の御前では空席になっているあの私の地位、
あの私の地位を地上で簒奪している者は、
私の墳墓の地を血で穢し、塵芥悪臭の
掃きだめとした。それでこの天から落とされた
あの背教の徒が地上で大いに満悦しているのだ。
(ダンテ「神曲・天国篇・第27歌第22行以下」)
【平川祐弘訳】

世俗的、霊的な権力の両方に関わるこの権威の危機において、大きな責任を負うのは、いわゆる穏健派ですが、彼らは社会組織の中にいる自発的あるいは非自発的な第五列【スパイ】のように見えます。これらの人々の中には、各国の議会の野党(まずイタリアの野党)と、いわゆる中道右派の政党のほとんどすべての代表者を含めなければなりません。現在の政府がパンデミックを口実に制定した違法・違憲の規則を批判する人々でさえ、今日、他の時代には考えられなかったような同盟関係で共産主義と融合している自由市場の資本主義のイデオロギー的基盤を少しも疑問視していません。そして、彼らがこれらの基盤に疑問を抱かないのは、それに同意しているからなのです。

「穏健派」の誤謬

原因を認識し戦うことなく結果を嘆くという同じ過ちを、保守派のカトリック教徒は犯しています。彼らは、ベルゴリオの統治下にある位階階級の最高レベルの背教を理解しながらも、次のことを認める勇気がありません。つまり、(1)この背教がパチャママに偶像崇拝を捧げるという段階にまで達したのなら、これは公会議の「信教の自由に関する宣言」(Dignitatis Humanae)のおかげであり得ること、(2)アスタナの安息日は公会議の「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言」(Nostra Aetate)の首尾一貫した適用であること、
(3)ドイツのシノドスの道、つまり、聖座による公式な断罪のない離教宣言は公会議の「現代世界憲章」(Gaudium et Spes)の論理的な帰結であること―です。ですから、公会議の文書が、革命的かつフリーメーソン的な原理を教会の文脈に翻訳したものにすぎないことを証明する必要はないのです。

しかし、私たちは、嘘が悪魔の紋章であり、悪魔のしもべの特徴的なしるしであり、天主と教会の敵の証明であることを知っています。天主は真理であり、天主の御言葉は真実であり、御言葉ご自身も天主です。真実を語り、屋根から叫び、欺瞞を明らかにすることは聖なる仕事であり、カトリック教徒はもちろん、ほんの少しでも良識と名誉を保っている人であれば、この義務から身を引くことはできません。

善人の応答

私たち一人一人は、天主に栄光を帰すために、また、御摂理の偉大なるデザインの一部となるために、望まれ、考えられ、創造されました。主は、永遠の昔から、贖いのみわざに参加し、霊魂の救いと善の勝利のために協力するために、私たちを召されました。今日、私たち一人一人は、キリストに味方するかキリストに敵対するのか、善のために戦うか不義の徒の共犯者となるかを選択することができます。天主の勝利は最も確実であり、王の中の王の和賀に立って戦場に入る選択をした者を待つ報酬と同じくらい確実です。また、敵【悪魔】に仕える者の敗北も確実であり、彼らの永遠の滅びも同じです。

皆さんは、静かな生活のためだけに、群衆から目立たないために、臆病さと世間体とから、永遠を見かけ上のつかの間の善と交換して、皆さんのために用意された最高の善を失いたいのでしょうか。私は皆さんに、キリストの証人となり、勇気ある真理と善の擁護者となるようにお勧めします。国会議事堂のベンチで、病院の病室で、学校や大学の椅子で、祭壇や説教壇から、仕事の際に、オフィスで、店で、家庭で、日々の義務で、そして、そうです、痛みや試練の中にあってさえも。皆さんの沈黙、皆さんの共謀、皆さんの悪への協力について(天主に)お答えしなければならないことを忘れずに、皆さんに先立つ聖人たちの相続人としてふさわしくあってください。皆さんは人の非難を免れることができても、天主の審判を免れることはできません。皆さんが行ったり証ししたりした良いことが報われるのと同じように。

この反抗的で背教的な世代と戦うことができるのは、すべての人の貢献によってです。例えば、犯罪的な手順で押しつけられる有害な治療を最終的に非難する医師から、違法な規則の適用を拒否する警察官まで、不公正な法律に反対票を投じる国会議員から、人道に対する罪のファイルを開く判事まで、学生に自分で考えることを教える教授から、権力者の欺瞞や利益相反を明らかにするジャーナリストまで。ワクチン接種への怒りから子どもを守る父親から、年老いた親を老人ホームで見捨てずに守る息子まで、天賦の自由の権利を主張する市民から、開業を妨げる人々の抑圧を受け入れない職人やレストラン経営者まで、独裁政権の危険を孫に警告する祖父から、流行やインフルエンサーに誘惑されることを自らに許さない若者まで。


革命によって剝ぎ取られた王冠を王たるキリストに回復させよう

そして、この茶番劇が崩壊したとき(それは必然的に崩壊するものであり、すぐに崩壊するでしょうから)、皆さんはみな、新たな熱意をもって、主の敵が主から剥ぎ取った王冠を私たちの王に回復させるために全力を尽くしてください。皆さんの霊魂、家族、地域社会、国、仕事、教育、法律や裁判所、芸術、メディア、私生活と公生活のすべての分野で、私たちの主に統治していただくようにしてください。私たちの至聖なる母であり元后である至聖なるマリアが、回心と償いをしなければ、世界を待ち受けている危険と天罰について、何度も私たちを諭してくださいますように。イエズス・キリストが聖なる教会を支配し、ふさわしくない者、姦淫者、傭い人を追い出してくださいますように。

キリストが支配するところにのみ、真の平和と調和があります。「pax Christi in regno Christi」(キリストの支配におけるキリストの平和)。すべてのものの始まりであり終わりであり、アルファでありオメガであるイエズス・キリストに向かって、私たち一人一人から、そして人類の共同体(family)から、確信に満ちた熱烈な祈りが湧き起こり、イエズス・キリストの恩寵において私たちを守り、聖徳において私たちを強め、私たちを福音の勇気ある証人としてくださり、こうして私たちが天国での永遠の幸福を得ることができますように。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ
2021年5月30日
至聖なる三位一体の主日


【参考資料】教皇フランシスコによる自発教令として発表された使徒的書簡「トラディチオニス・クストデス」«TRADITIONIS CUSTODES» の日本語訳

2021年07月18日 | カトリック・ニュースなど

【参考資料】教皇フランシスコによる自発教令として発表された使徒的書簡「トラディティオニス・クストーデス」«TRADITIONIS CUSTODES» の日本語訳をご紹介いたします。

APOSTOLIC LETTER
ISSUED "MOTU PROPRIO"
BY THE SUPREME PONTIFF
FRANCIS

«TRADITIONIS CUSTODES»

教皇フランシスコによる自発教令として発表された使徒的書簡

「トラディチオーニス・クストーデス」

1970年以前のローマ典礼の使用について

聖伝の守護者たち、つまり、ローマ司教との交わりにある司教たちは、それぞれの地方教会の一致の目に見える原理と基盤を構成しています。[1] 聖霊の導きのもとに、福音の宣教を通じて、また聖体祭儀の挙行によって、司教たちは、自らに委ねられた地方教会を統治します。[2]

教会の調和と一致を促進するために、第二バチカン公会議が望んだ改革に先立つ典礼様式を固守するあらゆる地域の人々に対する父としての配慮をもって、私の敬うべき先任者である聖ヨハネ・パウロ二世とベネディクト十六世は、1962年にヨハネ二十三世が編集したローマ・ミサ典礼書を使用する権限を認め、規則を与えました。[3] このようにして、彼らは、「以前のいくつかの典礼様式に愛着を感じ、」その他の典礼形式には愛着を感じない「これらのカトリック教徒の教会的な交わりを促進する」という意向を持ちました。[4]

自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)の発表から3年後に、その適用状況を評価するよう司教たちを招いた私の敬うべき先任者ベネディクト十六世のイニシアチブに沿って、教理省は、2020年に司教たちとの詳細な協議を実行しました。その結果は、この数年間に成熟した経験に照らして慎重に検討されてきました。

今回、司教団が表明した望みを考慮し、教理省の見解を聞いた上で、私は今、この使徒的書簡をもって、教会の交わりのための絶え間ない追求をさらに推し進めたいと望みます。したがって、私は次のように定めることが適切であると考えました。

第1条 聖パウロ六世と聖ヨハネ・パウロ二世が、第二バチカン公会議の決定に従って公布した典礼書は、ローマ典礼の祈りの法(lex orandi)の唯一の表現である。

第2条 自らの教区の典礼挙行に規則を与えることは、自らに委ねられている部分教会の典礼生活全体の調整者、推進者、守護者としての[5]教区司教に属するものである。[6] したがって、使徒座の指針に従って、自らの教区で1962年版ローマ・ミサ典礼書の使用を認可することは、司教の独占的な権限である。

第3条 1970年の改革に先立つミサ典礼書に従って祭儀を挙行するグループが今まで一つまたは二つ以上存在している教区の司教は、

第1項 これらのグループが、第二バチカン公会議と教皇の教導権によって指示された典礼改革の有効性と正当性を否定しないことを判定するものとする。

第2項 これらのグループに忠実な信徒が聖体祭儀挙行のために集まることができる一つまたは二つ以上の場所を指定するものとする(しかし、教区の教会の中ではなく、新たな属人の小教区を設立するのでもない)。

第3項 指定された場所において、聖ヨハネ二十三世が1962年に公布したローマ・ミサ典礼書を用いる聖体祭儀挙行が許される日を定めるものとする。[7] これらの祭儀挙行では、朗読は、各司教協議会によって典礼使用に認可された聖書の翻訳を用いて、現地語で伝えられる。

第4項 司教の委任を受けて、これらの祭儀挙行とこれらの信徒グループの司牧を委ねられる一人の司祭を任命することとする。この司祭は、この責任にふさわしく、1970年の改革に先立つローマ・ミサ典礼書(Missale Romanum)の使用に習熟し、ルブリカと典礼文を完全に理解するのに十分なラテン語の知識を持ち、生き生きとした司牧的な愛徳によって、また教会の交わりという感覚によって、動かされているべきである。この司祭は、典礼の正確な挙行だけでなく、信徒の司牧的かつ霊的な世話をも心に留めるべきである。

第5項 これらの信徒の利益のために教会法的に設立された小教区が、彼らの霊的成長に効果的であることを検証し、その小教区を維持するかどうかを決定するよう、適切に進めていくものとする。

第6項 新しいグループの設立を認可しないように注意するものとする。

第4条 この自発教令が発表された後に叙階され、1962年のローマ・ミサ典礼書を用いて挙行することを望む司祭は、教区の司教に正式な要請をすべきであり、司教はこの認可を与える前に使徒座に相談すべきである。

第5条 すでに1962年のローマ・ミサ典礼書に従って祭儀を挙行している司祭は、この能力を継続して享受する認可を教区司教に求めるべきである。

第6条 教皇庁エクレジア・デイ委員会によって設立された奉献生活の会と使徒生活の会は、奉献・使徒的生活会省の権限の下にある。

第7条 典礼秘跡省および奉献・使徒的生活会省は、それぞれの特定の権限を持つ事項について、これらの条項の遵守に関して聖座の権威を行使する。

第8条 この自発教令の条項に適合しない以前の規範、指示、許可、慣習は廃止される。

私が自発教令の形式のこの使徒的書簡において宣言したすべてのことは、たとえ特別に言及すべきことであっても、それに反したことがあるにもかかわらず、この書簡のすべての部分において遵守されるように命じ、「オッセルヴァトーレ・ロマーノ」に掲載される形で公布され、直ちに効力を持ち、その後、聖座の公式解説書である「アクタ・アポストリチェ・セディス」(AAS)に掲載されるように定めるものです。

私の教皇在位9年目の2021年7月16日、カルメル山の聖母の典礼記念日に、ローマの聖ヨハネ・ラテラノ大聖堂にて。

フランシスコ

[1] Cfr 第二バチカン・エキュメニカル公会議、教会に関する教義憲章(Lumen Gentium)、1964年11月21日、n. 23 AAS 57 (1965) 27.

[2] 第二バチカン・エキュメニカル公会議、教会に関する教義憲章「Lumen Gentium」、1964年11月21日、n.27: AAS 57 (1965) 32; 第二バチカン・エキュメニカル公会議、教会における司教の司牧職に関する教令「Christus Dominus」、1965年10月28日、n.11: AAS 58 (1966) 677-678; 「カトリック教会のカテキズム」、n.833.を参照。

[3] Cfr ヨハネ・パウロ二世、自発教令の形式による使徒的書簡「エクレジア・デイ」(Ecclesia Dei)、1988年7月2日:AAS 80 (1988) 1495-1498; ベネディクト十六世、自発教令の形式による使徒的書簡「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)、2007年7月7日; AAS 99 (2007) 777-781; 自発教令の形式による使徒的書簡「Ecclesiae unitatem」、2009年7月2日: AAS 99 (2007) 777-781。AAS 99 (2007) 777-781; 使徒的書簡Motu proprio "Ecclesiae unitatem"、2009年7月2日。AAS 101 (2009) 710-711.

[4] ヨハネ・パウロ2世、自発教令の形式による使徒的書簡「エクレジア・デイ」1988年7月2日、n.5: AAS 80 (1988) 1498。

[5] 第二バチカン・エキュメニカル公会議「聖なる典礼に関する憲章」(Sacrosanctum Concilium)1963年12月4日、n.41: AAS 56 (1964) 111; Caeremoniale Episcoporum, n.9; 神聖な礼拝と秘跡の規律に関する会 議「至聖なる聖体に関して守るべきまたは避けるべき特定の事項に関する教令」(Redemptionis Sacramentum)2004年3月25日、n.19-25......を参照。19-25: AAS 96 (2004) 555-557.

[6] CIC, can. 375, § 1; can. 392.

[7] Cfr 教理省、ローマ儀礼の臨時様式のための7つの聖体序文を承認する教令「Quo magis」(2020年2月22日)、およびローマ儀礼の臨時様式における聖人を称える典礼の祝典に関する法令「Cum sanctissima」(2020年2月22日)。L'Osservatore Romano, 26 march 2020, p. 6.

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2021年7月18日(主日)前後の聖伝のミサの予定:In Tokyo, at Iriya Hall. Traditional Latin Mass for July 18, 2021

2021年07月18日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します。

年間の予定はSSPX JAPAN MISSION CALENDARをご覧下さい。

今週末:2021年7月16日(金)17日(土)18日(主日)のミサの予定です。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

 7月16日(金)  17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 7月17日(土) 09:20 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

 7月18日(日) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

【東京】 東京では7月18日(日)のみ会場を変更してミサを捧げる予定です。この主日だけで後は通常に戻ります。ご注意下さい。

住所: 東京都台東区入谷1-27-4 
会場の名前:プラーズ入谷 『入谷ホール』  Special Mass Location-0412.pdf - Google ドライブ

7月18日(日)主日ミサが三回捧げられます。

午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。

09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live

11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ

それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。司祭は待機しております。

【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

I want to reconfirm the Mass schedule for the weekend of July 18, 2021. In Tokyo, the Mass venue is at Iriya Hall.

Mass times in Tokyo:
09:00 - Sung mass Facebook live
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
It would help us maintain proper social distancing if you could consider spreading your mass attendance among the three masses.
 
Mass location:
Address: Plars Iriya 3F, 1-27-4, Iriya, Taito-ku, Tokyo (near Metro Iriya, JR Uguisudani and JR Ueno stations)
Map and directions: Please see the pdf file.
 
Mass schedule in OSAKA:

Fri, July 16: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Sat, July 17: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Sun, July 18: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30


「不正の富で友人をつくれ」の意味とは?かりそめのこの世で私たちに委ねられているものを使って施しをしなければなりません。煉獄の霊魂のために、罪のない胎児たちの命を守ることは、大きな愛徳の業、施しです

2021年07月17日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2021年7月18日は聖霊降臨後第八主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「聖霊降臨後第八主日の説教」の動画をご紹介いたします。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


イエズス・キリスト「心の貧しい人はしあわせである、天の国はかれらのものだからである。」

2021年07月17日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

マテオによる聖福音の第五章からの引用です。

人々のむれを見たイエズスが、山に登っておすわりになると、弟子たちは、おそばに近よった。イエズスは、話しはじめて、こうお教えになった。

心の貧しい人はしあわせである、天の国はかれらのものだからである。
柔和な人はしあわせである。かれらは地をゆずりうけるであろうから。
悲しむ人はしあわせである。かれらは慰めをうけるであろうから。
正義にうえかわく人はしあわせである。かれらは飽かされるであろうから。
あわれみのある人はしあわせである。かれらもあわれみをうけるであろうから。
心の清い人はしあわせである。かれらは天主を見るであろうから。
平和のためにはたらく人はしあわせである。かれらは天主の子らと呼ばれるであろうから。
正義のために迫害される人はしあわせである。天の国はかれらのものだからである。

私のために、あなたたちをののしり、あるいは責め、人々が、あるいは数数のざん言をいうとき、あなたたちはしあわせである。よろこびによろこべ。あなたたちは、天において大きなむくいをうけるであろう。先人の預言者たちも、同じように迫害された。

あなたたちは、地の塩である。塩がその味を失ってしまったら、何で塩の味をつけられようか。もう役にたたず、外にすてられて、人にふまれるばかりである。
あなたたちは世の光である。山の上にある町はかくしておけない。また、あかりをともしたら、桝の下にはいれないで、燭台の上におくものだ。こうすれば、あかりは、部屋中の人をみな、てらしだしてくれる。このように、あなたたちも、人の前で光を輝かせよ。そうすれば、人は、あなたたちのよい行ないを見て、天においでになるおん父をあがめるであろう。

私が、律法や預言者を廃するためにきたと思ってはいけない。廃しようとしてきたのではなくて、完成するためにきたのである。

まことに、私はいう。天地のすぎゆくまでは、律法の一点一画もすたれず、ことごとく実現するであろう。だから、たといもっとも小さな掟の一つでも、それを破り、そしてそのようにおしえる人は、天国でいちばん小さなものとなるであろう。ところが、それを実行し、他人にもそのように教える人は、天国で偉大な人となるであろう。

私はいう。もしあなたたちの正義が、律法学士やファリザイ人たちのそれにまさらないかぎり、たしかに天国にはいれないだろう。

あなたたちも知っているとおり、昔の人は"殺すな、殺す者は審判される"と教えられていた。
しかし、私はいう、兄弟に怒る人はみな審判をうけ、兄弟に向かって"白痴"という人は衆義所にわたされ、"気違い"という人はゲヘンナの火をうけるであろう。だから、あなたが、祭壇にそなえものを捧げようとするとき、兄弟が、何かあなたに対して、ふくむ所があるのを思い出したら、供え物を、そこ、祭壇の前において、まず、兄弟のところに行って和睦し、それから帰って、供え物をささげよ。あなたは、反対者と、道の途中で和解せよ。そうしないと、相手はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、ついに牢に入れてしまう。
まことに私はいう。あなたは、一厘のこらずかえすまで、その牢を出られないだろう。

あなたたちが知っているように、"姦通するな"と教えられていた。
しかし、私はいう。色情をもって女を見れば、その人はもう心の中で姦通したのだ。右の目がつまずきになるなら、抜き出してすてよ。あなたにとっては、全身がゲヘンナに投げこまれるより、体の一部をうしなう方が、ましである。右の手がつまずきになるなら、切りすてよ。全身がゲヘンナにいくよりは、休の一部をうしなう方が、ましである。

また、"妻を離縁するときには、離縁状を与えよ"といわれている。
しかし、私はいう。同棲の場合は別だが、それ以外の場合に妻を出す人は、妻に姦通の機会を与えることであり、出された女をめとる人も、姦通することになる。

また、あなたたちも知っているとおり、昔の人は、"にせの誓いをするな、主に対する誓いをはたせ"と教えられていた。
しかし私はいう。決して誓ってはならない。天を指して誓ってはならぬ。そこは天主の玉座である。地を指しても誓ってはならぬ。そこは天主の足台である。イエルザレムを指しても誓ってはならぬ。そこは大王の都である。自分の頭を指しても誓ってはならぬ。あなたは、一本の髪の毛さえ、白くも黒くもできないものである。あなたたちは、はいならはい、いいえならいいえ、とだけいえ。それ以上のことは、悪魔から出る。

また、あなたたちも知っているとおり、"目には目を、歯には歯を"と教えられていた。
しかし、私はいう。悪人にさからってはならない。人が、あなたの右の頬を打ったら、ほかの頬も向けよ。人が、あなたを訴えて、上着をとろうとしたら、マントもやるがよい。人が、あなたを一千歩歩かせるために徴用したら、かれといっしょに二千歩を歩け。あなたにものを乞う人があったら与え、借りたい人にも、背中を向けてはならない。

あなたたちも知っているとおり、"隣人を愛し、敵を憎め"と教えられていた。
しかし、私はいう。あなたたちは、敵を愛し、迫害する人のために祈れ。こうして、あなたたちは、天においでになるあなたたちの父の子となるのである。天の父は、悪人の上にも善人の上にも、陽をのぼらせ、義人にも不義の人にも、雨をお降らせになる。自分を愛してくれる人を愛したとて、なんのむくいがあろう?そんなことは、税吏でさえも、しているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したとて、なんのすぐれたことがあろう?そんなことは異邦人でさえも、しているではないか。

あなたたちの天の父が完全であるように、あなたたちも完全なものになれ。


聖ジェンマ・ガルガーニが聖心に対する9日間の祈祷によって奇跡的に治癒を受け、聖徳に進歩する大きなきっかけになった

2021年07月14日 | お説教・霊的講話

2021年6月27日(主日)聖霊降臨後第5主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

6月は聖心の月です。聖ジェンマ・ガルガーニが聖心に対する9日間の祈祷ノベナによって、奇跡的に治癒が起こって、聖徳に進歩する大きなきっかけになった話を今日はしたいと思っています。

ジェンマ・ガルガーニは、1878年にイタリアのルッカという町に近い所で生まれました。ご両親はカトリックの熱心な信徒でしたけれども、大きな不幸や辛い事がたくさんありました。

ジェンマがまだ8歳であった頃、お母さんを失いました。そしてお父さんは1897年に、ジェンマが20歳になるかならないかの時に亡くなりました。そしてお父さんが亡くなるとすぐに、ジェンマは非常に病気になりました。

まず結核になって、そして髄膜炎という脳の病気になって、そして聴覚を全く失ってしまいました。それから体を動かす事が出来なくなって、麻痺をしてしまいました。ですからいつも体の全身に痛みを感じていて、ベッドに寝たきりでした。そして自分で体を動かす事も出来ずに、ただ隣人の愛徳に全く依存して生きるだけしかありませんでした。

体の調子はますます悪くなるばかり、痛くなるばかりで、遂には1899年、まだジェンマが21歳になったばかりの2月2日、遂にジェンマの命はもうこれで終わりで、この夕方には亡くなってしまう、もうないという風に思われました。そこで聴罪司祭、あるいは御聖体を受けて、そして皆が、「さようなら。良い天国への旅路を」と祈りました。

ところが、ジェンマは生き延びました。実はこの最後の「もうだめだ」と思われたその前のある日、ある一人の婦人が、その時ちょうど有名になっていた『悲しみの聖母の聖ガブリエル』という聖人の本を持ってきたのです。伝記を持ってきたのです。「これを読むように。」でもジェンマはその時にあまり興味がありませんでした。「すぐにそれをつまらなさそうに持って、ベッドの枕の下に置いた」と後で日記に書いています。

日本語でもこの聖ガブリエルについては、『我が青春に悔いはなし』という伝記があります。昔出ていました、私も読んだ事があります。とても立派な聖人です、是非お読み下さい。

そしてでもある時、ジェンマが悪魔からの誘惑を感じて負けそうになってしまった時に、この聖ガブリエルの名前を呼んで、「助けて下さい!」と祈ったのです。すると聖ガブリエルが来て、そのジェンマを助けてくれて、そしてそれに打ち勝つ事ができました。それ以後、特別の保護者として守護者として、ジェンマはブラザー・ガブリエルを御受難会の修道士、天国にいる修道士を、自分の守護者として選んだのです。「そして特別な信心を持ち始めた」と言っています。

2月2日の苦しみの時を生き延びて2週間ほど経ったある主日、2月19日、大司教であったボルピ司教様がジェンマの所にやって来て、そして、「(今では聖人ですけれども、その当時には福者だった)マルガリタ・マリア・アラコックにノベナをしなさい。ノべナをすれば、きっとすぐにその時に治るだろう」と約束しました。「絶対治るからやりなさい。」

そこでジェンマはそのノベナを始めます。主日に始めて、月曜日にもノベナをするのですけれども、火曜日にはお祈りをする事を忘れてしまいます。夜中近くになったところ、聖カブリエルがやって来て、「ジェンマ、お前まだノべナやってないよ。本当にそれでいいの?御恵みもらえないよ?」と。それで一緒に、ガブリエルと一緒にノベナをするのです、聖マルガリタ・マリア・アラコックのノベナ。水曜日、ノベナをしようと思いつつも、忘れて眠ってしまうと、やっぱりブラザーガブリエルがやって来て、「ジェンマ、ノベナどうなったの!?あんた本当に御恵みもらう気があるの?」とたしなめます。

すると聖ガブリエルは、このようなジェンマに、「むしろ、イエズス様の聖心のノベナをした方が良いよ」と教えてくれます。「一緒に聖心のノベナをしよう。そしてお前が忘れないように、天にましますと、めでたしと、それから栄唱を9回唱えよう。そして9日間一緒に唱えよう。同じ時間に唱えよう。そしてその9回唱えた後で、マルガリタ・マリアへのお祈りも唱えよう。栄唱を9回唱えよう」という事で、9回始めます。

そしてそのノベナを始めたのです。ノベナを始めたその9日目、最後の日が3月3日でした。初金曜日で、この初金曜日のノベナが終わった時に、実は奇跡的にジェンマ・ガルガーニは病気が治ってしまうのです。そして大聖人に変化します。

その時にはどんな事があったかと言うと、ノベナが終わって、するともうこれで終わったので、と言って、聴罪司祭を呼びに行ってもらいます。そして神父様はやって来て、そして告解を聞いて、御聖体拝領を授けます。御聖体拝領を授けてもらうと、聖ガブリエルがやって来てジェンマにこう言った、と書いています。
「ジェンマ、イエズス様に全ての約束を更新しなさい。そして、イエズス様に聖別された6月には、自分自身を奉献する事も約束しなさい。」

そこでジェンマは、御聖体拝領の後に、イエズス様への約束を新しく更新しました。そして「イエズス様にたくさんの事をお話した」と言います。そしてジェンマはとても幸せでした。

すると、イエズス様が今度はジェンマの心に語りかけてきました。ジェンマは後にこう書いています。
「娘よ、私はお前に、私の全部をあげる。私のものになりたいか?」イエズス様はそう仰るのです。ジェンマは後にこう書いています。「イエズス様は私から、私のお父さんも取ってしまったし、お母さんも取ってしまったし、そして時にはもう私は捨てられたと思って、もう絶望していました。でもその御聖体拝領したその時には、イエズス様はとても優しくて、とても親切で、こう仰いました。『娘よ、私はお前といつも一緒にいるよ。私はお前の父だ、父親だ。そしてこの方がお前の母親だ』と言って、マリア様を指した」と言います。

「私の手の中にある者は、決して父親の保護を失う事がない。だからお前は決して私の父としての保護を欠く事がない、足りない事がない。たとえこの世では、慰めや支援がお前から取り去られてしまったとしても、私がいつもいる。さぁ、私においで。私の娘よ。私の娘である事が幸せではないか?」とイエズス様は仰ったので、そしてその時にあまりにも幸せで、ジェンマは何も言う事ができなくなりました。

そして、こうやってイエズス様と親しい話をしている2時間の後に、ジェンマはあれほど体が麻痺して何も動かす事ができなかったにも関わらず、いきなり立ち上がって、健康になりました。皆それを見て、喜びの涙を流しました。ジェンマも言っています、「私も嬉しかったのです。でも健康だから嬉しかったというよりは、イエズス様の娘だ、という事が分かって嬉しかった」と言っています。そして「イエズス様が自分から離れる前に、こう言った」と言います。

「私の娘よ、私が今朝お前に与えた御恵みよりも、もっとすごい御恵みはこれから与える」と。

そしてその後、ジェンマは毎日御聖体拝領するようになりました。そして3ヶ月の後には、ジェンマは聖痕を体に受けました。まだジェンマがそれから生き延びた4年の間には、イエズス様は聖ジェンマ・ガルガーニに、大聖人だけが受けるような特別な御恵みや、特別な啓示、特別な事をイエズス様からたくさん受けて、そして聖徳の内に天国に行かれました。ピオ十二世は、聖ジェンマ・ガルガーニを1940年5月2日に列聖しました。

ジェンマ・ガルガーニがこのように大聖人になったのは、実は、イエズス様の聖心へのノベナがきっかけだったのです。私たちも聖ジェンマ・ガルガーニに倣って、イエズス様への信心を熱心に致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


司祭がイエズス様の聖心に近ければ近いほど、多くの方がイエズス様をますます愛する事ができるようになる

2021年07月14日 | お説教・霊的講話

2021年6月27日(主日)聖霊降臨後第5主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(東京)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、
今日はダビデ・パリャラーニ神父、聖ピオ十世会総長の叙階25周年記念です。特に「日本に修道院を作る」という事を決定して下さった総長様です。
パリャラーニ神父様に代わって、皆さんからのたくさんのお祈りを感謝致します。

インタビューで仰っていたのですけれども、皆さんが特にロザリオの十字軍で多くの祈りをなさって下さった事に感謝申し上げます。総長に代わって感謝致します。そしてこのミサが、私たちがここでミサを捧げる事ができているというのも、天主様の特別の御恵みと、そして皆様の祈りと犠牲と、寛大なご協力のおかげだと思っております。感謝申し上げます。

6月はイエズス様の聖心の月ですので、イエズス様の聖心の神秘の中に深く入るように致しましょう。

今日の集祷文は、非常にイエズス様の聖心の良さを、愛に満ち溢れる心を表して、そしてそれに従って祈っている、という事がよく分かります。
“Deus, qui diligéntibus te bona invisibília præparásti : infúnde córdibus nostris tui amóris afféctum ; ut te in ómnibus et super ómnia diligéntes, promissiónes tuas, quæ omne desidérium súperant, consequámur.”
「天主よ、御身は主を愛する者たちに、見えざる善きものを準(ととの)え給う、われらの心に、御身の愛の愛情を注ぎ給え。我らが、すべてにおいて、且つすべてにまさって、御身を愛しつつ、すべて望みを超える御身の約束をわれらが得んがためなり。」

聖心は私たちに、目に見えないとても良いもの準備して下さっています。そして私たちが主を、聖心を、全てにおいて、全てを超えて愛する、そのお礼として、その報いとして、私たちの想像をはるかに超える良いものを私たちに約束して下さっています。

私たちはどうしたらイエズス様の聖心を愛する事ができるでしょうか?

それは、イエズス様が私たちになさって下さった事を理解すればするほど、愛することができます。
イエズス様が人になった事、私の為に苦しまれた事、御聖体などです。
特に御自分が私たちを愛して下さる事を、イエズス様は、司祭を通して、私たちに知らせようと思っています。

特にイエズス様の聖心は、特に司祭を愛しています。司祭には特別の愛と御恵みを注いで、イエズス様の聖心と司祭たちが一つであるように、イエズス様の生き写しになるようにと望んでいます。イエズス様の聖心の愛をそのまま反射して、そのまま映し出す事ができるように、特に司祭には特別の御恵みを注いで、その司祭を御自分の聖心の中に入るようにと招いています。

聖ピオ十世会のこの創立の一番の目的は、イエズス・キリストのその願いに従ったものでした。つまり、「司祭を通して、世界を聖化する。イエズス様の望んだように、司祭の業を通して、霊魂たちを天国に導く。そこで一番大切なものは、教会にとって一番大切なものは、司祭が聖であること。聖なる司祭を養成する事である。」

そこに、聖ピオ十世会の究極の一番大切な意味があります。

そして私も今までの司祭生活で、聖ピオ十世会の多くの同僚の神父様たち、聖なる模範に囲まれて、本当に天主に感謝しております。たとえノブスオルドにいた司教様であっても、「聖ピオ十世会の修道院で引退生活を送りたい」と思っておられる、あるいはますます多くのノブスオルドの神父様たちが、私たちのところにコンタクトを取って、そして「司祭職について、一緒に助け合いたい」と仰る神父様たちがますますいらっしゃる、世界中でいらっしゃる、という事を、「確かにその通りだ」とますます思うようになります。

何故かというと、その司祭職の、そのイエズス様がお望みになったそのままを、私たちが何も変えずに伝えようとしているからです。そしてそれを創立してくださったルフェーブル大司教様に感謝致します。総長も皆様にお祈りに支えられて、御恵みに支えられて、ルフェーブル大司教様がなさったことをそのままを続けようと思っておられます。どうぞ皆さんも、多くの司祭が聖なる者となりますように、お祈り下さい。

できれば、新しいミサをしている神父様たちにも、聖ピオ十世会に是非コンタクトを取って、「司祭職とは何か」「ミサとは何か」について、ますます深い知識を持って頂けたらと願っております。

カトリック教会は、イエズス・キリストの唯一の、本当の、教会です。イエズス様が立てた、御自分の教会、それがカトリック教会です。キリストを頭(かしら)として、私たちは一つの神秘体を作っています。一つの体を作っています。イエズス様が「頭」であって、マリア様はイエズス様から来る全ての御恵みを、全ての体に通す「首」だと言われています。その神秘体を生かしているのは聖霊であって、神秘体の「霊魂」だと言っています。

私たちは、その役割に従って、あるいは手であったり、あるいは足であったり、あるいはその他の部分で、神秘体の色んな部分です。

司祭は神秘体の「心臓」だと言われています。何故かというと、毎日ミサを立てて、イエズス様の聖なるいと尊い御血を神秘体の全身にまわして、イエズス様の御恵みを私たち全てに与える役目があるからです。

ですから、心臓が強ければ強いほど、教会は生き生きとしています。しかし心臓が弱ってしまうと、司祭が弱ってしまうと、神秘体も弱ってしまいます。もちろん、司祭職、最高の永遠司祭のイエズス様ですから、心臓が弱い事はありませんけれども、しかしイエズス様の代わりになって働く司祭たちが弱ってしまうと、私たち信徒に御恵みが行き届かなくなってしまう危険があります。

ですから司祭たちがイエズス様の聖心をよく知る事ができますように、イエズス様を愛する事ができるように、たくさん神父様の為にお祈りして下さい。司祭がイエズス様の聖心に近ければ近いほど、多くの方がイエズス様をますます愛する事ができるようになるからです。

6月は聖ピオ十世会の多くの新司祭が生まれる月でもあります。ほとんどの司祭はこの6月に叙階の式を受けました。どうぞ司祭たちの為にたくさんお祈り下さい。イエズス様の聖心を愛する、イエズス様の聖心に倣う司祭になりますように。

そして私たちも、司祭がますますイエズス様の聖心の司祭となりますように、イエズス様の愛を受けて、イエズス様の愛を皆さんに伝える、イエズス様がどれほど愛に満ちているか、という事を伝える事ができる司祭となりますように、お祈り下さい。そして多くの全てのカトリックの神父様方の為に、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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