Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

イエズスの聖心は、聖心の祝日に、あるいは毎月の最初の金曜日に償いの御聖体拝領をすることを望んでおられます

2021年07月01日 | お説教・霊的講話
2021年6月13日(主日)聖心の荘厳祭:聖霊降臨後第3主日

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、
イエズスの至聖なる聖心への真の信心というのは、イエズスの聖心に対して、償いを実践させます。

天主は愛であり、世の終わりまで私たちと一緒にいるために、一片のパンになられるほど、私たちを情熱的に愛しておられます。

しかし残念ながら、この天主の愛はほとんど愛されていません。しばしば忘れられて、屈辱され、冒辱(ぼうじょく)されています。私たちがイエズスの聖心を愛すれば愛するほど、御聖体の秘跡における、愛に満ちた聖心に対する不忠実や、忘恩や、不敬な態度を見て、悲しみを覚えざるを得ません。

既に17世紀、イエズスの聖心は、人類に対する主のあまりにも大きな愛に対して、忘恩と軽蔑だけを受けている事を非常に悲しみ、償いをして欲しいと、その望みを聖マルガリタ・マリア・アラコックに打ち明けられました。

聖女は次のように書いています、「私(イエズス様)は、受難の時に苦しんだ全てよりもさらに、苦しみを感じる。もしも人々が私の愛に対して何らかの返礼をしたならば、私が彼らにしてあげた全てを何でもないと思うだろう、もしもできるならば、さらに苦しみたいとさえ思う。しかし、私が持つ彼らのために善をしたいという熱烈な思いに対して、彼らが私にする唯一の返礼は、私を拒絶し、私を冷淡に取り扱うことである。それゆえ、せめておまえだけでも、おまえの力に応じて少しでも私を慰め、私の心に報いてほしい。」

聖心を慰めて、聖心に報いようとする、愛による返礼、この償いというのは特に、「償いの御聖体拝領」によってなされます。

後に、同じイエズス様の聖心は、最高の償いのやり方を、同じ聖女マルガリタ・マリア・アラコックに教えました。主は、この償いのための特別の日付さえも選んで、教えて下さいました。聖女に御自分の聖心をお見せになって、イエズスはこう言われました。イエズスの聖心の訴えを聞いてください。

主は、御自分の聖心を手に持って聖女に言っています。
「この聖心を見よ。この心は、人々を愛して何ものをも惜しまず、愛を証するためには、いさぎよく万事を犠牲にして燃えつくした。それなのにこの返礼として、多数の人々がこの愛の秘跡に対して見せる彼らの不敬と冒瀆、冷淡と軽蔑によって、私は忘恩しか受けていない。しかも、私がもっとも敏感に感じるのは、私に捧げられた聖職者たちが、私をそのように取り扱うことだ。」

「だから、私は、御聖体の祝日の八日目の後の金曜日が、私の聖心を崇敬するための特別の祝日とするようにおまえに求める。その日には、聖体拝領をして、特別な行為によって御聖体に対して償いをして、御聖体が祭壇に顕示される間に受ける冒辱を償うためである。私は、このように聖心を崇敬し、また聖心を崇敬させる人々に、私の聖心の恵みが広く与えられることを約束する。」

こうしてイエズスの聖心は、聖心の祝日に、あるいは毎月の最初の金曜日に、初金に、償いの御聖体拝領をすることを望んでおられます。

この特別の日に聖体拝領をすると、これがイエズスの聖心に特別の大きな喜びを与えることになります。主が次のような約束をしたほどの喜びを与える事になるでしょう。
「私は、このように聖心を崇敬し、また聖心を崇敬させる人々に、私の聖心の恵みが広く与えられることを約束する」と。

愛する兄弟姉妹の皆様、イエズスの聖心を喜ばせるために、御慰めするために、初金曜日に、聖伝のミサに与り、そして償いの聖体拝領をするようにいらしてください。

暁の星の聖母修道院では、初金曜日には朝の7時半から、また大阪の聖母の汚れなき御心聖堂では夕方の18時から、初金のミサが捧げられています。どうぞいらして下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




イエズス様は、御聖体において受難を、世の終わりまで続けなければなりませんでした。

2021年07月01日 | お説教・霊的講話
2021年6月6日(主日)御聖体の荘厳祭 小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日は私たちは御聖体の祝日の荘厳祭を祝っています。

先日の木曜日は御聖体の祝日でした。そこで今日は主日に特別に、御聖体を荘厳にお祝いする日です。

イエズス様が人間になられたのは、私たちを愛する為でした。イエズス様の御生涯は、生まれた時から亡くなる時まで、苦しみと、殉教と、十字架の御生涯でした。

生まれた時には、貧しい馬小屋で、寒い夜にお生まれになりました。生まれるとすぐに、ヘロデ王から命を奪われようとされました。異教のエジプトで、幼少年時代を過ごさなければなりませんでした。ナザレトでは貧しい御生活でした。

公生活の間、人々に奇跡を施し、病を癒し、悪魔を追い出して、福音を宣べ伝えたその返答に、人々からは、「十字架に付けろ!」と叫ばれました。

十字架を担って、鞭を打たれて、茨の冠を被せられて、弟子たちから裏切られて、友人から捨てられて、そして命を、私たちの為に与えて下さいました。

イエズス様はこれらを、喜んでなさって下さいました。私たちを愛して下さったからです。

もしもイエズス様が御聖体を制定しなかったら、この苦しみは復活で終わった事でしょう。

しかしイエズス様は、私たちを極みまで愛されて、「私たちと共に一緒にいたい、傍にいたい、離れたくない、いつも私たちに慰めと祝福を与えたい、世の終わりまで共に留まりたい」と思われたので、私たちの霊的糧として、地上に残ろうと、御聖体を制定されました。

ですから、この愛の秘跡において、イエズス様は私たちを愛そうとされます。

しかしイエズス様は、御聖体において受難を、世の終わりまで続けなければなりませんでした。

なぜかというと、イエズス様はこれほど私たちを愛しておられるのに、愛された人間が、私たちが、御聖体に対して無関心であったり、冷淡だったり、信じなかったり、あるいは冒瀆をしたり、その愛に報いようとしないからです。イエズス様の御受難は世の終わりまで続くかのようです。

恐ろしい十字架の御受難も、イエズス様は喜んで受けました、「何の辛い事もない」と。

しかし、朝飯前だったその十字架の苦しみも、イエズス様から愛された私たちから受ける冷淡と無視を見て「それだけは、あまりにも辛い」と思われたからです。

聖女マルガリタ・マリア・アラコックには、苦しい御様子で現れて、聖女に頼まれました。
この心臓、自分の聖心を見せて、「人類の為に、人々の為に、ここまで愛した私の心を見よ。しかしこれに対して人々は、冷淡と、無関心と、冒瀆で、私に返事をする。少なくともお前は、私を慰めてほしい。」

イエズス様が十字架を担いで、エルサレムを引き回された時に、マリア様と少数の御弟子たちは、マリア様と共にイエズス様の十字架の後を慕って歩きました。どれほどイエズス様は慰めを受けた事でしょうか。

今日は御聖体荘厳祭、天にまします復活された真の天主が、私たちのこの大阪の道を、私たちと一緒に行幸して下さいます。私たちの街を、そして私たちの国を、世界を、祝福して下さろうと思われています。

私たちはそのかたじけない御恵みを受けるにはふさわしくない者ではありますけれども、イエズス様の寛大な憐れみ深い愛にひたすら感謝しつつ、王の傍で一緒に、この王様の行幸のお供をさせて頂きたいと思っております。

イエズス様が受けた、過去に受けた屈辱や冒涜を、イエズス様と一緒に歩く事によって、感謝して、そしてそれのできる限りの償いをしたいと思っています。

特に現在、カトリック教会で、イエズス様が受けられる冷淡な態度、御聖体が受ける冒瀆、礼拝の欠如、あるいは無関心など、できる限りマリア様の御助けを以って償いたいと思っています。

今日は多くの方がミサに与って下さって感謝します。ぜひ御聖体行列も皆さんなさって下さい。イエズス様に感謝と讃美を御捧げしましょう。皆さんを御覧になって、イエズス様はどれほど御喜びになるか、感謝されるか、その皆さんからの温かい愛を受けて、どれほどの祝福で返して下さるか、私たちの想像を超える祝福が、皆さんと、そして皆さんのご家族の方や、そして日本に、世界に、与えられると確信しています。

どうぞイエズス様を讃美して、礼拝して、感謝し、今日この聖なる主日、荘厳祭をより聖なるものとする事に致しましょう。マリア様にその御取次ぎを願いましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




マリア様の御心と共に、イエズス様の聖心を御慰め致しましょう。

2021年07月01日 | お説教・霊的講話
苦しみの玄義 第5玄義黙想
2021年6月5日(初土)御聖体降福式にて(大阪)
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父

『苦しみの玄義 第5玄義:この一連を捧げて、主が十字架に釘付けにせられて死し給いたるを黙想し、聖母の御取次ぎによりて、救霊の恵みを乞い願わん。』

初土曜日の信心として、15分間、ロザリオの玄義の一つを黙想致しましょう。

6月はイエズスの聖心の月ですので、イエズスの聖心が開いた、十字架の上、マリア様がそこで佇む、足下で佇む、苦しみの玄義の第5玄義をマリア様と一緒に黙想して、イエズス様の聖心の神秘を黙想する事を提案します。

では、マリア様と共に、十字架に付けられ給う天主の聖子、人となった天主の御言葉、私たちの為に死を受け給う天主の命御自身、美しさを全て失った、見分ける事もできないほどボロボロになった私たちの主イエズス・キリスト、血だらけの、傷だらけの主、贖い主を、マリア様と共に黙想致しましょう。

イエズス様の聖心が開かれて、そこからは御血と水が流れ出ました。

トゥイではやはり、三位一体のビジョンで、十字架に付けられたイエズス様の聖心から御血が、御聖体を通してカリスに滴り落ち、『憐れみ』と『聖寵』この2つの文字が現れました。

マリア様が、イエズス様の聖心からの全ての功徳を私たちに分配して下さいます。

それと同時に、イエズス様の聖心は、「人類をこのように愛する聖心を見よ。このこれに対して受けているのは、冷淡と無関心と冒瀆だけだ。少なくともお前は、私を慰めてほしい」と仰いました。

マリア様の御心と共に、イエズス様の聖心を御慰め致しましょう。

御聖体の内に真に在し給うイエズスの聖心に、礼拝と、感謝と、讃美、罪の償いを御捧げ致しましょう。

私たちの捧げ物はあまりにも足りないので、マリア様が補って下さいますように。

全人類が苦しんでいるコロナ騒ぎ、マリア様の御憐れみによって縮められますように、マリア様の御取次ぎを乞い願いましょう。




残念ながら、多くの人は無関心と、冷淡と、そして軽蔑で、イエズス様の愛に応えようとしています。忘恩でお礼をしようとしています。

2021年07月01日 | お説教・霊的講話
2021年6月5日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は初土曜日、マリア様の汚れなき御心の随意ミサを御捧げしています。

イエズス様が、天主の聖子が、十字架の上に付けられて、御血を、尊い御血を流されました。主が茨の冠を被せられて、釘付けにせられた時、太陽は喪に服し、大自然はそれを見て慄きました。

ポンシオ・ピラトでさえも、鞭打たれて、茨の冠を被せられたイエズス様を見た時に、あまりにも可哀想になって、情けをかけようと思いました。何とか助け出そうと、ユダヤ人たちに訴えかけました。

血だらけの主を見てユダヤ人も、心を動かさざるにはいきませんでした。

しかし、大司祭が、群衆を先導して、十字架に付けるように訴えました。

イエズス様の御姿を見て、天主聖父も、全人類の罪を赦そうと思われました。「これで十分だ。」もうここまで、ここまでそうするのを見て、「もう、これで良いにしよう」と思われました。

イエズス様の聖心が開かれた時に、血と水が流れた時に、ローマの野蛮な兵士であっても、「これこそ天主の聖子であった」と、イエズス様の事を認めました。

御受難のその御苦しみだけで、私たちの愛を勝ち取るのに十分すぎるはずだったのですけれども、イエズス様は満足しませんでした。

イエズス様は「御聖体」を以って、私たちをどれほど愛しているか、という事を示そうと思われました。

しかしイエズス様はご存知でした。21世紀に住む私たちは、イエズス様の御受難も、イエズス様の聖心も、御聖体の愛も、それを見ても、私たちの心はいつも冷たく、感動もせずに、無関心で、そのままいるという事を御存知でした。

イエズス様には一体これ以上何をする事ができたでしょうか?私たちにイエズス様が愛される為には、もっと何をする事ができたでしょうか?特に御聖体で全てを、御自分全てを与え尽くして、こんなにもへりくだってパンの形になって、世の終わり留まろうとされて、これ以上一体、何をする事ができたでしょうか?

イエズス様は十字架の上で更に考え付きました。「御自分の御母を与えよう」と。
「これ、汝の母なり。」

マリア様に、私たちを子供として愛するように頼みました。
「これ、汝の子なり。」

イエズス様は私たちからの愛を得ようと、100年前には天使を送りました。マリア様をも送りました。日本にも送られました。御聖体を大切にするように、御聖体をどうやって礼拝すべきか、模範を天使に示させました。

それでも、残念ながら、多くの人は無関心と、冷淡と、そして軽蔑で、イエズス様の愛に応えようとしています。忘恩でお礼をしようとしています。

ですから今日は、初土の信心を皆さんと一緒にして、このあまりにも無視されている、忘恩と冒瀆を受けているイエズス様の聖心を、マリア様の御心を以って御慰めする事に致しましょう。このミサの直後には御聖体降福式を行ないましょう。初土の信心を行ないましょう。

そして少なくとも、明日天主が御許しになれば、イエズス様の聖体が愛されますように、崇敬されますように、ここで御聖体荘厳祭を、そして聖体行列を行ないましょう。マリア様がいつも私たちの弱さを助けて下さいますように。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。




--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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