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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖母はなぜ天の最も高い栄光を受けられたのか?聖母が今喜んでおられるその永遠の幸せというのは一体どのようなものなのか?

2022年10月07日 | お説教・霊的講話

2022年8月12日(金)童貞聖クララのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

きたる8月15日は聖母被昇天の大祝日です。
私たちは今日から、聖母被昇天の祝日を準備致しましょう。

マリア様は、天の最も高い栄光を受けられました。天と地の元后。御霊魂が肉体を離れたその瞬間、肉体の腐敗をみることのないように、肉体も霊魂とそのまま天に高く上げられました。マリア様は今では御自分の肉体を以って天国の最も高い所に、天使たちよりもはるかに上に、聖人聖女たちをはるかに凌いで、私たちの主イエズス・キリストのすぐ隣に栄光を受けておられます。

一体、なぜそのような栄光をマリア様は受けられたのでしょうか?
一体、マリア様はなぜ、どのようなことをしたが為にそうなったのでしょうか?

一体マリア様の被昇天は私たちに何を教えているのでしょうか?

マリア様が今喜んでおられるその永遠の幸せというのは、一体どのようなものでしょうか?

今日そのマリア様の栄光を受けた秘密を一緒に黙想致しましょう。

【聖母はなぜ栄光を受けられたのか】

マリア様はその天の最も高きに上げられる功徳がありました。それはまず、マリア様がいつも、「我は主の婢女なり。仰せの如く我になれかし」と言い続けてきたからです。天使ガブリエルにお告げを受けた時に、はっきりとそう仰いました。しかしそれはただ一回だけのことではなくて、御生涯に渡って、いつも、仰っていた言葉でした。「私は主の婢女(はしため)である。主から造られた被造物であって、全く無に等しい、奴隷と同じものである。主の婢女。仰せの如く我になれかし。主の御旨がなされますように」と。

これは、別の言葉で言うと、マリア様の「ご謙遜」でした。マリア様はマニフィカトの時に、「私の霊魂は主を崇め、私の精神は主を崇め奉る。なぜなら主は、私の卑しさに目をとめられたから。見よ、今より後、人々は私のことを幸せな者と言うでしょう。」

なぜかというと、主がどれほど、なぜマリア様がこれほど幸せな方かというと、永遠の、最高の栄光を受けたかというと、主は聖母のご謙遜に目をとめられたからです。聖母のご謙遜とはつまり、ご自分が主のしもめであるということを、いつも自覚していたということです。

どういうことでしょうか?これは、マリア様が私たちの存在を、私たちが今ここに在る秘密を、私たちがどうしても変えることができない真理を、いつも知り、自覚していて、それの通りに生きておられたということです。

一体どういうことかというと、私たちは自分でこの世に出て来た、自分の力でこうやってこの世にいるのではないということです。私たちは、主によって生かされている、主によって在らしめられている、私たちが今ここにこうしているのも、自分が力んだからではなくて、そうではなくて、主が私たちを今ここに存在するように、こうして生きていることができるようにして下さっているから、そのおかげで私たちは今こうしているということです。

私たちが今受けている全ての良いものは、全て主から無償で与えられている、私たちは無だけれども、今在らしめられている、全ては主に依存している、ということです。私たちが持っている全てのものは主から与えられたものであって、私がそれを所有しているのでもなく、それを作り出したのでもない、ということをマリア様は理解していたのです。

マリア様は、天主のみが受けるべき持っているその栄光を、その権利を横取りしようとはしませんでした。自分のものだとは仰いませんでした。ただ、それを素直に認めて、「私は、全てを主から受けたので、主の婢女である。主の御旨を行なうが為に、ここに今生きているものである」ということをはっきりと認めて、それを実践されたということです。

【何の為に私たちは今、ここに生きているのか】

では一体、天主は何の為に私たちを無からここに今生活するようにして下さったのでしょうか?
私たちは何の為に生きているのでしょうか?
私たちは主から創造を受けて、一体どこに向かっているのでしょうか?

それは、マリア様の被昇天が私たちに教えてくれています。
私たちが今生きているのは、天国での永遠の幸せを受ける為である。三位一体の限りのない至福を私たちが分かち合って、永遠に喜ぶ為である。その為に私たちは無から創造された。その為に、私たちがその永遠の命に辿り着くことができる為に、私たちはこの地上での命を与えられた、ということです。

マリア様はよく知っていました。私たちの人生は、二つの部分に分けられる。

この人生の最初の部分は第一の部分は、有限です。マリア様はおそらく60年か70年、もしかしたらご健康で80年、この地上での生活を送られたかもしれません。イエズス様は33年、ある人は100年、ある人は健康が与えられて120歳。しかし、どのように長く生きたとしても、しかし終わりがあって、有限であって、第二の部分と比べると、あっという間の儚いものです。

なぜかというと、第二の部分は、私たちがその為に造られた、今生きている、マリア様が今それを味わい、楽しんでおられる第二の部分、私たちもその為に生きているその第二の部分は、終わりがないからです。無限であるからです。無限の天主の命の喜び、それを得る為に造られました。

ほんのちょっとした短い人生と、無限の永遠の命。

聖母の被昇天は、「さあ、子らよ、私の元にいらっしゃい。永遠の命の為に、おまえたちはこの地上で、涙に谷に生きているのだ。しかし、この涙の谷はあっという間に終わって、喜びが待っている。私と天使たちと諸聖人たちの喜びが待っている。さあ、ここに必ず辿り着きに来なさい」とお祈りして下さっています。

【聖母の受けた幸せとは】

では、マリア様が今喜んでおられるその永遠の幸せというのは、一体どのようなものでしょうか?
マリア様は私たちにどのようなものを与えようと、イエズス様に取り次いで下さろうとしているのでしょうか?

もしも私たちが、人生で一生忘れられないという、とても喜ばしい、嬉しい、楽しい時間があったとします。そしてもうこれほど嬉しい時はなかった、これほど喜びに満ちた時がなかった、皆と一緒に練習をして、競技で優勝したあの瞬間、あるいは一緒に山に登って見えた山頂からの美しい姿、それらの最も美しい幸せな瞬間を全部集めて、そして世界中で色々な人々が持っていた最も美しい喜びの幸せの瞬間を集めて、そして私たちが想像できる友情、あるいはお父さんとお母さんの子供への愛情、あるいは夫婦の愛情、あるいは想像できる全ての最も崇高な祖国への愛などを集めて、凝縮させて、それを何倍にもして、私たちにマリア様はそれを与えたとしたら、私たちはその喜びにとてもあまりにも喜びで耐え切ることができなくて、もう目からは涙がボロボロとこぼれて、「マリア様、本当にこんなに幸せをどうして私が受けることができるのでしょうか。マリア様、本当にこの全てのこの喜びを何と感謝したら良いでしょうか」と申し上げたとします。するとマリア様が、「これは、天国の喜びのまだほんの一滴に過ぎません。これは、もしも天国の喜びをすぐ与えると、きっとその為にそのまま死んでしまうかもしれない、心が破裂してしまうかもしれないので、それはまだほんの序の口、匂いだけだ。」

では、ちょっと味見をしたらどうなるのでしょうか?その味見も、私が先ほど申し上げたことの何十万倍、何百万倍、何千万倍の喜びと、天使たちの全ての喜びを集めたような喜びを私たちが垣間見たとしても、それでもまだ、天国の味見にしか過ぎない、ときっとマリア様は仰るに違いありません。

なぜかというと、天国の喜び、栄光というのは、「天主御自身」であるからです。天主御自身が私たちのものとなって、天主御自身が私たちの報いとなるからです。つまり無限の善、計り知れない富、永遠の喜び、私たちが今想像さえも、目にも、耳にも、頭にものぼることさえもできないものすごい計り知れない喜びの為に、私たちは生きている、ということを被昇天のマリア様は私たちに仰っています。その為に今、この地上での生活を、謙遜に、主のしもべとして、主の御旨を果たす為に生きているのだ、とマリア様は仰っています。

ですから、教会は私たちに、マリア様の被昇天をよく祝うように励ましています。心をいつも天に上げることができますように。イエズス様も私たちに、祈る時にはこう祈れと言いました。「天にまします我らの父よ、」心をいつも天に上げておくことができるように。

聖パウロも言っています、「あなたたちがキリストとともによみがえったのなら、上のことを求めよ。キリストはそこで、天主の右に座しておられる。あなたたちは、地上のことではなく、上のことを慕え。」
Si consurrexistis cum Christo: quae sursum sunt quaerite, ubi Christus est in dextera Dei sedens: quae sursum sunt sapite, non quae super terram

マリア様のいらっしゃる天のことを、天国のことを高く仰ぎ、そして慕い、そしてマリア様の栄光を讃美致しましょう。そしてマリア様のおられる所に私たちも、聖母の御助けによって辿り着くことができますように、お祈り致しましょう。

今日は聖クララの祝日です。聖女クララに、その特別の御恵みを乞い求めましょう。良い聖母被昇天を迎えることができますように、特に御取り次ぎを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


「天使のパン」である御聖体を実り豊かに受けるために、信仰、謙遜、清さ、敬い、愛によって、天使たちに倣いましょう。

2022年10月05日 | お説教・霊的講話

天使のパンとそれを受ける心構えについての説教

ドモルネ神父(2022年10月2日)

はじめに

今日は、守護の天使の祝日をお祝いしています。また、今日、この聖堂にきている子どもたちのうちの一人が、初聖体を受けます。この二つにからめて、今日は、ご聖体の「天使のパン」という名前についてお話しします。

1.天使のパンであるご聖体

ご聖体に対する「天使のパン」という表現は、詩篇77篇に由来します。そこでは、次のように言われています。「天主は、人々に天のパンを与えられた。人は天使のパンを食べた」(詩編77篇24-25節)。天使のパンとは、天のパンのことです。しかし、地上に下った天のパンは、ご聖体にまします私たちの主イエズス・キリストです。「私は、天から下った生きるパンである。このパンを食べる者は、永遠に生きる。そして私の与えるパンは、世の命のためにわたされる私の肉である」(ヨハネ6章51-52節)。

ですから、ご聖体は「天使のパン」と呼ばれます。これは、善き天使たちが、私たちと同じようにご聖体を受けるということを表しているのではありません。そうではなく、これは、食べ物が、私たちを生かし続け、また私たちに力と喜びを与えるように、私たちの主イエズスが、天使たちに超自然の命とあらゆる恩寵、また力と永遠の幸福をお与えになることを表しています。大天使ラファエルは、トビアにこう言いました。「私は、確かに、あなたたちと食べたり飲んだりしているように見えたかもしれないが、私は目に見えぬ肉を食べ、目に見えぬ飲み物を飲む」(トビア12章19節)。

2.天使のパンとご聖体を受ける心構え

この「天使のパン」という表現は、ご聖体を正しく受けるためには、天使のような心構えをしなければならない、ということを、私たちに示しています。その心構えとは、どのようなものでしょうか。

a)第一の心構えは、ご聖体に対する信仰を持つことです。ご聖体は、パンとぶどう酒の外観の下に隠れて、実際に現存しておられる私たちの主イエズス・キリストです。天使たちは、そのことを非常によく知っています。聖ヨハネ・クリゾストモは、特にミサの犠牲の間、聖なる天使たちが内陣にいるのを、しばしば見ることができました。司祭が奉献唱を唱え始めると、天使たちが祭壇を取り囲み、聖体拝領が終わるまでそこに留まっているのを、見ることができたのです。私たちが天使のパンを受けるためには、信仰によって、天使たちに倣わなければなりません。もし、ミサの間、これらすべての天使たちが礼拝しているのを私たちも見ることができたとしたら、私たちは、自分には信仰や注意力や、敬虔さが欠けていることに、恥じ入ることでしょう。

b)第二の心構えは、謙遜です。先週、大天使聖ミカエルの謙遜についてお話ししました。善き天使たちは、すべて謙遜です。彼らは、自分が天主に依存していること、また自分が受けたすべての賜物は天主からのものであることを認めます。そして、天主に完全に従い、本来自分のものではない卓越性を自ら誇ることなく、すべての栄光を天主に捧げます。例えば、黙示録の中で、聖ヨハネはこう言っています。「私はそれらを見聞きしてから、それらを私に示した天使を礼拝しようとして、その足元にひれ伏した。しかし、天使は私に言った。『そうするな。私はおまえと…同様に、しもべである。天主を礼拝せよ』」(黙示録22章8-9節)。「天使のパン」を受けるには、私たちも、私たちの主イエズスに対して、同様に謙遜な態度を取らなければなりません。私たちは、被造物として完全にイエズスに依存し、すべてのことについてイエズスを必要としています。そして私たちは、罪人として罰せられるに値する者であり、イエズスの御あわれみを必要としているのです。

c)第三の心構えは、霊魂の清さです。天使は、肉の欲望を持っていません。私たちの主イエズスは、こう言われました。「復活の時の人間は、めとりもせず、嫁ぎもせず、天にいる天使と同じようなものになる」(マテオ22章30節)。天使は、富に対する歪んだ愛を持っていません。例えば、若いトビアが、大天使ラファエルに助けてもらったことへの感謝のしるしとして、自分の巨大な富の半分を差し出したとき、この大天使は、それを全く気にも留めませんでした(トビア12章5節)。すでに述べたように、天使たちは高慢ではありません。天使たちは、いかなる罪もなく、清らかです。「天使のパン」を受けるためには、私たちの霊魂は清くなければなりません。もし、私たちが大罪を犯したなら、まず悔悛の秘跡で天主のお赦しを願わなければなりません。もし、小罪を犯したなら、心からの痛悔の祈りによって、天主にお赦しを願わなければなりません。それから、自分の歪んだ情欲と戦う決心をしなければなりません。

d)第四の心構えは、敬いの態度です。聖書のマカべ書の中で、ヘリオドロに起こったことを思い出してください。ヘリオドロは、エルザレムの神殿の宝を盗むよう、王によって派遣されていました。ヘリオドロが宝を持ち去ろうとしたとき、突然、「美しい馬具で飾り立てた馬が現れ、それには恐ろしい騎手が乗っていた。その馬は、激しく跳ね上がり、前足のひづめで、ヘリオドロに打ちかかった。騎手は金のよろいを着け、二人の若者を従えていた。この二人の姿形は力強く、輝くばかりに美しく装っていた。二人はヘリオドロの両側に立ち、絶え間なく、彼を打ち続けた」。(マカバイ後書3章25-26節)。この二人は、聖なるものを敬わないヘリオドロを罰する天使たちでした。私たちの主イエズスが、ご聖体に対する冒涜を犯すすべての人々に対して、天使たちに同じような罰を与えさせられることを、私たちはどれほど望んでいることでしょうか…。「天使のパン」を受ける準備をするために、私たちは、聖堂内で敬いの態度を保つ必要があります。それは、きちんとした身なりをし、行儀をよくし、小声で話し、正しくひざまずき、気を散らさないようにする、などのことです。

e)最後の心構えは、私たちの主イエズス・キリストと共にありたいという愛と望みです。天使は、イエズスに対する、燃えるような愛を持っています(詩編103篇4節参照)。思い出してください。イエズスのご誕生のときの、ベトレヘムの天使たちの喜びを。砂漠での誘惑の後、イエズスにお仕えする天使たちの熱意を。私たちの主のご苦悶のとき、主をお慰めするための天使の訪問を。イエズスが十字架上で亡くなられたときの、天使たちの悲しみを。「神殿の幕は、上から下に二つに裂け、地は震い、岩は割れた」(マテオ27章51節)のは、天使たちによってなされたものだったのです。黙示録が啓示するのは、天国では、天使たちが、イエズスへの愛を絶え間なく宣言していることです。「天使たちは、大声で、こう言っていた。『ほふられた小羊は、力と、神性と、知恵と、勢力と、誉れと、栄光と、賞賛を受けるのにふさわしいお方である』」(黙示録5章12節)。「天使のパン」を受けるためには、私たちは、私たちの主イエズスへの愛と、この世と永遠にわたって、私たちの主イエズスと共にありたいという強い望みを、強く心に抱いていなければなりません。ご聖体を受ける前に行う3時間の断食は、私たちが、何よりも私たちの主イエズスを望んでいることを意味しているのです。

結論

親愛なる信者の皆さん、「天使のパン」を実り豊かに受けるために、信仰、謙遜、清さ、敬い、愛によって、天使たちに倣いましょう。私たちがそのような心構えを持てるよう、私たちの守護の天使と天使の元后が、私たちを助けてくださいますように。

 

 


カトリック聖伝のミサ報告 聖ピオ十世会 Traditional Latin Mass SSPX Japan

2022年10月02日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
今日、東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計119人でした。大阪では24人でした。
東京では、一人の子供が初聖体を受けました。先週も東京で初聖体を受けた子供が一人います。

大阪では、大天使聖ミカエルへの聖ピオ十世会日本の奉献を大阪の信徒の方々とともに更新しました。この奉献は、聖フランシコ・ザベリオが日本の宣教の最初に日本を大天使聖ミカエルに奉献したのに倣い、一年前に聖ピオ十世会日本が行ったものです。修道院では9月29日に朝のミサの直後に奉献しました。

毎年アジア管区では、10月3日に一番近い主日に、アジア管区のすべての教会や聖堂で、オブレート修道女のための特別献金を行います。今年は、東京からは51,301円、大阪からは27000円、合計78,301円が集まりました。愛する兄弟姉妹の皆様に深く感謝申し上げます。

明日は、幼きイエズスの聖テレジアの祝日です。

【報告】
Dear Fathers:
Shown below are the numbering of attendees at the masses in Tokyo today. The total number of attendees at the masses in Tokyo today was 119 including children.

09:00 mass
M: 29 (incl. 3 children)
F: 33 (incl. 8 children)
Total: 62 (incl. 11 children)

11:30 mass
M: 25 (incl. 5 children)
F: 36 (incl. 5 children)
Total: 61 (incl. 10 children)

Total of 2 masses (excl. 4 people who participated in multiple masses)
M: 51 (incl. 8 children)
F: 68 (incl. 13 children)
Total: 119 (incl. 21 children)

Photo Credit


第一の最大の掟と第二の掟は、愛の掟|聖トマス・アクイナスの考察を解説します

2022年10月01日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2022年10月2日は聖霊降臨後第17主日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「聖霊降臨後第17主日の説教」の動画をご紹介いたします。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

SSPX JAPAN聖ピオ十世会日本にチャンネル登録もお願いいたします。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】