新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

第九 by 九州交響楽団

2013年12月26日 | 音楽

Img_2年も押し詰まった23日に、「第九」のコンサートに行ってきました。日本で年末に「第九」が恒例化したのは何でも戦後間もなくだそうです。今月の第九の演奏回数は全国で173と新聞にも出ていました。

欧米では年末演奏のパターン化は無いそう日本独自のものだとか。むしろ今では日本がその「年末の行事」を逆輸出している、とNHK番組でオペラ歌手の錦織さんが言われていました。

「第九」はベートーヴェンの最後の交響曲で「交響曲第9番ニ短調作品125」が正式名称ですが、「だいく」の愛称の方が浸透しています。

 

指揮:小泉裕和氏の1時間の熱演に会場は引き込まれました。
圧巻は抒情豊かな3楽章、独唱と合唱が加わる4楽章です。
4楽章では「恐怖のファンファーレ」と独唱が繰り返され、合唱がそれを引き継ぎ、楽器がならされクライマックスに至ります。「歓喜の歌」の旋律は誰でも口ずさむような親しみもあります。この場面はテレビでもよく放映される所です。

ライブで1時間、かなりの緊張感をもって身を乗り出して聴き入りました。会場は3階まで満席。演奏後は大きな鳴り止まない拍手が会場に響き渡りましたが、九州人はなかなか自主的にスタンディングオベイションができません。誰かが立つのを待っている感じなのです。そういう私もその一人。この感激と感謝を演奏家に伝えたかったのですが・・・。
とに角素晴らしい年末を締めくくるコンサートに、とてもとても満足です。

 

パンフレットの解説によると、「日本人」が初めて『第九』 を演奏したのは福岡で、大正13年1月26日のこと。「摂政宮殿下御成婚奉祝音楽会」で九大フィルハーモニーにより第4楽章のみ合唱付きで演奏されたそうです。
ベートーベンが第九を作曲した当時は、今からは想像もつかないほどの陰鬱な社会状況でした。保守的な圧政によりスパイ、検閲が横行し、ベートーヴェンは不安、怒り、愛国感情をため込んでいました。この感情をシラーの「歓喜に寄す」の言葉を用いてコンサート通じて世に出したのだそうです。
第九は平和や平等への希望にとどまるのでなく、人間に許された自由を勝ち取ろうという明確な決意表明だったそうです。

 

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