近くの大学の市民講座に、映像を通してヨーロッパ文化について考える映画会があります。今回は仏映画「めぐり逢う朝」1991年作でした。
「私の音楽は俗物だ。だが彼は音楽そのものだった。」という、宮廷音楽家のトップとなった年老いたマレの苦悩の回想から映画は始まります。マレもコロンブも実在した人物です。
『18世紀、古楽器ヴィオールの名匠と謳われたサント・コロンブは地方に隠遁、娘マドレーヌを側に置き、ただ一人演奏に没頭する生活を続けていた。そこへ潜り込み弟子となったマラン・マレは師と違い栄華を求め、破門されるが、なお娘を通じて師の技術を盗もうとする。宮廷音楽界の第一人者となっても師を越えられないと自覚する老マレの回想です』(YAHOO!映画の解説より)
コロンブがマレに「貴方の演奏は上手だ。世の人々に受け容れられるでしょう。だが音楽が聴こえない」。この台詞が映画を貫いている音楽とは何かという命題でしょう。
マレが楽団を指揮しながら表現に苦悩する時に、亡きコロンブを深く偲びながら回想し、やっと目指した音に出会えたその瞬間に冥界からコロンブ出てきます。
コロンブは「貴方に音楽を教えて良かった」と優しく軟らかい表情で言います。死者を思う心で演奏すること、それこそが音楽そのもので、やっとマレは真の音楽にたどり着き、師と弟子の心が一緒になったのです。
この映画には中世の音楽と絵画がさりげなく数多く使われています。例えば、ヴィオラ・ダ・ガンバともいわれるヴィオールは古楽器。少し音が小さいから優しさも感じます。弟子のマラン・マレは、宮廷のヴィオール奏者、指揮者としても成功をおさめ数多くの作曲をして、それが映画中にも使われています。
娘たちの台所での働き方や衣装、室内など、そこを切り取れば17世紀のオランダ風俗画を彷彿させるものがあり、今までに見た数多くの絵画がよみがえってきました。
妻の亡霊が出てきて卓上を挟んでコロンブと会話する、その大切な場所を画家に依頼して絵に描きとめます。そこに使われたのがボージャン「巻き菓子のある静物」です。映画の中世的な部屋の暗さとロウソクの灯かりはラ・トゥールの絵を思い起こさせるものでした。
音楽と絵画を何の違和感もなく取り入れてあるところに、映画の広がりと深さを感じました。とにかくカメラのアングルも、色彩も考えつくされた感がありました
こんな風に自分の今までの体験が巧く組み合わされている映画は、もうただ嬉しいばかりです。
1992年には、米のアカデミー賞に当たる仏のゼザール賞で7部門に及ぶ評価を得ています。音楽、絵画・・・、ヨーロッパの歴史の奥の深さと厚みに改めて感慨を深くしています。
解説のエレーヌ・ドゥ・グロート先生がとても素敵な方でした。美しい銀髪、真っ赤なブラウス、幅広の茶のベルト、濃いグレーベージュのスカートでカラーは3色に抑えてあります。やっぱりパリジェンヌかな。
余計なものを省いたファッションに知性が輝く美しい方でした。フランスだもの、やっぱりねー、ハイセンスです。