二日目、最後の朝食。口コミ通りのスタッフさんの笑顔と心配りに朝から爽快です。
この後、再度『青根御殿』のガイドツアーに参加して、しっかりと脳裏に焼き付けてきました。
竹に雀と縦三つ引紋は伊達家の家紋で、欄間に使われていました。
山本周五郎は、ここ不忘閣に滞在して長編小説を書き終えましたが、どうしても本のタイトルが思い浮かばず思い悩んでいたそうです。その時、窓越しにふと目にした樅の木を見てひらめいたのが『樅の木は残った』です。屋根の上の真ん中に見えるのが、くだんの樅の木です。
チェックアウトして、蔵王エコーライン経由で「御釜」を見に行きました。1700mの標高にあるために、新緑のトンネルを通ってのドライブは実に気持ちのいいもので、九州と違う木立の美しさが目立ちました。
6月なのに、まだ雪が残っているのが九州人には珍しくて、残雪にも紋様ができているのを発見しました。
前日は霧がかかって見えなかったようですが、この日は快晴でラッキーでした。御釜の近くまで車の乗り入れができます。エメラルドグリーンの火口湖は酸性が強くて、生物は生息していないそうです。
テレビでしか見ることのなかった火口湖「お釜」を、実際に目にすることが出来るとは全く考えてもみなかったことでした。感激、感激!
昼食は人気の高い「たんとろ」で。メニューはタン塩のみ。炭火の上で、タンを返すごとにトングで「トン」と叩いて音を出しながら、焼きにもリズムが必なようです。
こんなにおいしいテールスープは初めてでした。私は塩だれを選びましたが、味噌だれの方がおいしいといっていました。タン塩とずんだ餅はどうしても食べたいと思っていました。二つともクリアできてよかった!
昼食後海岸に向かいました。津波の後、海岸がどれくらい復興しているのかを息子は見たかったようです。震災当時息子は海外勤務で、国内の連絡先である我が家に赤十字から寄付の御礼状が送られてきました。その額を見て、息子が遠い異国で如何に胸を痛めているかをはかり知ったものです。
あれから7年・・・かなり大がかりな復興計画がすすみ、「千年希望の丘」が復興のシンボルとして整備されていましたが、あの恐ろしい震災の模様がよみがえり、その広さは悲しみの広さでもあるのです。
津波で住めなくなったとてつもなく広い土地を活用し、10キロにわたり6つの公園整備が計画され、毎年植樹が行われています。
震災の瓦礫を再利用し、津波で堆積した土砂を使って人工の丘をつくり、生き残った松の木や遺構などを保存して記憶にとどめるようにということです。
年金の支給日毎に、無理と思える寄付をすることで自分の気持ちを納得させていましたが、慰霊碑の鐘を突き、手を合わせることが出来て、ずっとくすぶっていた気持ちにけりがつきました。
海との間には頑丈な堤防ができています。松林の中から生き残った松が力強くもあり、物悲しくもあります。
旅の最後に訪れることができた鎮魂の場所。本当によかったと思います。すべてが充実して満足の旅でした。
今回の旅は、出張の合間の2週間だけ日本にいることで計画してくれたものです。旅行が終わった2日後にまた海外へ・・・とは、母親としてはとても考えることが出来なくて断りましたが、日程が詰まっているのは日常茶飯事、この機会を逃したらいつになるかわからないという息子の言葉に甘えてしまいました。行ってよかったと思います。