タイトルが時代小説みたいで後回しになっていましたが、何のなんの歴とした歴史小説でした。以前読んだ前野良沢も間宮林蔵も然り、厖大な資料に忠実に・・・を旨としている吉村さんの秀作です。
560ページほどで、最近の一番の心を打つ小説でした。私の中では『おろしや国酔夢譚』と双璧をなします。
熊野灘沖で回船「永力丸」が難破。乗組員17人は太平洋の真ん中で、2か月間木の葉のように浮き沈みしながら幸運にもアメリカ商船に助けられました。
主人公13歳の彦蔵は実在の人物で、武士ではないので名前だけです。日本に帰るべく香港まで行きますが、日本の状況から帰国を断念して再びアメリカに戻ります。
それから7年、ようやく日本の土を踏んだ時は漂流から9年が経っていました。ただ、アメリカ国籍、キリスト教の洗礼を受けている「アメリカ人」としての彦蔵でした。
しかし、幕末の日本は攘夷の嵐が吹き、アメリカ人の彦蔵は身の危険を感じて再びアメリカに戻ります。
アメリカでは身分の差がなく温かく迎え入れられており、税関長サンダース夫妻に望まれて生活を共にします。教育も受けさせてもらい親子のような温かい絆で結ばれていました。
世界と時代と運に翻弄されながらも常に前向きの生き様が見事です。悲惨さがなく前を向いた彦蔵だから幸運を引き寄せたのかもしれません。ピアース大統領、ブキャナン大統領、リンカーン大統領と三代にわたって謁見もします。
アメリカから離れること三度目は、ハリス総領事の通訳になって日本へ帰ります。
日本では英語ができることで政府の高官と親しくなり、グラバー商会の通訳など積極的に活躍します。
伊藤博文のサポートもあり、凱旋のつもりで帰った故郷は、夢に描いていたものとは大きな隔たりがありました。
見慣れたアメリカとは程遠く、眼にする村は荒廃し、人々の眼にも生気が失われ、全く打ち解けようとする気配が見られません。
墓には既に自分の戒名が書かれていて「自分は村人には亡霊なのだろう。村は故郷ではなく、むしろアメリカこそが故郷ではないか」と空しくなりました。
「帰国してからあわただしく生きてきたが、それは大海を漂流していた折の延長のように思えた。英語に通じていることで重宝がられたが、冷静に考えてみると多くの外国人と日本人に利用されて生きてきただけのことで、自分が今でも坊主船に乗って漂い流れているような気がする」と来し方を顧みます。2つの国の狭間で揺れ動き、どちらにも根を張る場所を見つけられないもどかしさと哀しみに胸を打たれました。
彦蔵がサンフランシスコ、ニューヨーク、ワシントン、清国、ハワイで生活したこと、アメリカ政府の要人との出会い、アメリカの会社に勤めた体験が詳しく丁寧に描写されて興味を引きます。
幕府役人、伊藤博文、井上薫、木戸孝允らと交流する場面では、また違った角度から幕末・明治の外交の内外が見られました。
冒頭の漂流の場面の描写が迫力があり秀逸で息が詰まるようだったし、江戸時代の若者の、降ってわいたようなアメリカ体験。異文化への戸惑いと初々しさが、新鮮に心に響いてきました。
ジョン万次郎は歴史年表に載っても、載らなかった彦蔵の重たく深い人生の物語です。