新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

信長と光秀••••『安土往還記』辻邦生

2020年04月07日 | 本・新聞小説
1.信長 2.秀吉 3.家康。小学生向けの偉人伝を読んだその頃に、いつの間にか好きな順位が決まっていました。3人を17文字で表した鳴かないホトトギスへの対処の仕方も小学生には分かりやすい例えでした。
その後、本でもドラマでもこの3人に出会う機会は沢山ありましたが、この順位は風化しつつもずっと残っていました。
以来、私には信長はずっと孤独だったのではないかという漠然とした思いが流れていました。

私のその思いを納得させてくれたのが『安土往還記』でした。著者辻邦生氏がフランスに留学したときに構想して、本になるまで10年をかけたということです。
文体の美しさからも歴史小説というより、外国人の目を通して信長の内面を深くえぐりとった文学作品です。

宣教師オルガンティーノと一緒に来日した船員、つまり一西洋人の視点で日本を見て、民衆を見て、政治を見て、信長を見た作品です。

自己の運命に挑戦してでも「事を成す」ことにすべてをかけている信長。ひたすら「理」を求める合理精神は日本では理解されず、だから信長は孤独でした。
フロイス、オルガンティーノ、ヴァリニャーノらは、「キリシタン布教というただその一事の為に危険な航海を冒して遠い異国へやって来ました。自分の恣意を捨てひたすら燃焼して生き抜くそのひたむきさに信長は心を打たれました。同じ孤独のなかに生き、それを限度まで持ちこたえようとする生き方」に、信長は同じものを感じ共感したのです。

信長の論理を理解できた明智光秀は、それ故、その限界まで自分を持ちこたえられず滅びたというのが著者の見方です。
信長と光秀に「外観の冷たさは事を成すため、理に従うことに徹しようとする人間の刻印だったのかもしれない」と共通するところをあげています。しかし冷徹な理知の光秀は反面、人間的な弱さに同情する人間愛も持ち合わせていました。
光秀は、信長の自分を見る眼は『憎悪でも怨恨でも軽蔑でもない。それは共感の眼なのだ。ひそかに深い共感をこめて、おれを高みへと駆り立てる眼なのだ。この眼がおれをみている限りおれはさらに孤独な虚空へのぼりつめねばならぬ。名人上手の孤絶した高みへと。しかしおれにはもはやこれ以上のぼりつめる力はない。ああ、おれは眠りたいのだ』
『さらに高い孤独の道を辿るように促す一つの眼を感じた。この眼が鋭く自分をみているうちは、自分は休むことはできないのを感じたのである』。光秀はその孤独の極限を支えきれない自分を感じ始めていました。
本能寺の変は謎として随分語られてきましたが、ここでやっとの私の疑問が解けたという感じです。

信長と宣教師たちの警戒心のない友情、ヨーロッパ人を驚かせたという安土城の全貌の描写が見事で目に見えるようです。
建物、障壁画のテーマや配置には信長の芸術性や知識がうかがえ、幻の安土城を再現するかのようにイメージが膨らみます。
活気溢れる安土の町並みや人の動きが優しい眼差しで美しい文体で描かれています。最初から最後まで研ぎ澄まされた辻氏の美しい文章は他の著書でも同じですが、私にはゆっくりしか読み進めません。

信長の孤独...。かなり前に大河ドラマで演じた反町隆史の信長がずっと心に残りました。庭に降りて虚空の一点を見つめる姿は、孤独さに覆われていて胸が張り裂けそうでした。あれが信長の姿だった。この本とぴったり一致して、問題が解けたような快感がありました。

「麒麟がくる」の明智光秀を見ていると、信長と光秀が似ていると思えそうな予感です。

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