もし辻邦生著『西行花伝』『嵯峨野名月記』を読んでいなかったら、まずは手に取ることはなかったであろう本がこの『背教者ユリアヌス』です。3巻からなる長編歴史小説を前にするとため息が出ましたが、読み始めると4世紀前半のローマ帝国を舞台にした壮大な叙事詩にすっかり心を奪われてしまいました。
ストーリーの運び方はわかり易いし、細やかな美しい表現はその場面をカラーでイメージできる楽しみを与えてくれます。極力抒情を配した表現には、じっとりとした湿度の重苦しさが感じられません。思いもかけず短期間で読み終わりました。
小説の舞台もヨーロッパからユーフラテスまでと広く、実在、架空も含めて登場人物が多く名前も似ているので地図とメモなしには読めません。
西暦337年にコンスタンティヌス大帝が病死した後、息子のコンスタンティウス帝は自分の権力を脅かすことになる叔父、従弟を含めて大部分の親族を粛清します。そんな時にかろうじて死を免れたのが、従弟のガルス12歳、ユリアヌス6歳の兄弟です。権力欲に目覚めたトップは、親、子、兄弟ばかりでなく叔父、従弟までもいとも簡単に謀殺してしまうのは、日本史でも然りです。
二人の存在におびえたコンスタンティウス帝の命令で幽閉状態の少年期を送りますが、山野を駆け巡り狩猟に明け暮れる兄と違って、ユリアヌスは哲学や古代ローマ・ギリシャの信仰への礼賛へと心を向け、ここでユリアヌスの人格が形成されていきます。さらに二人は十代の最も多感な時期を、奥地の過酷な環境のマケルスの古城で育つことになりました。
大帝コンスタンティヌスと息子のコンスタンティウス帝がキリスト教優遇の路線を引きましたが、ユリアヌスはそこにいつも違和感を覚えていました。表面上はキリスト教の教えを受けていますが、古代ローマ、ギリシャの信仰に帰ることこそがローマ帝国の繁栄につながるものだと強く信じていました。
コンスタンティウス帝は直系に恵まれなかったので、仕方なく都に呼び戻したのが生き残っている従弟の26歳ガルス。不遇だったガルスにもやっと光が差し初め東部ローマを統治する「副帝」に任じられます。しかし、ガルスの抑制のきかない性格と皇帝の持ち前の猜疑心と悪名高い宦官の権謀術数により、皇帝殺害を謀ったかどで処刑されてしまいます。二十九歳でした。
ユリアヌスは従弟コンスタンティウス帝の逆鱗に触れないようにひたすら哲学の道を究め権力には無関心をを装いますが、ガルス亡き後に唯一の親族として皇帝に呼び戻され、これもまた「副帝」を命じられてガリアを統治することになります。
そんな時にコンスタンティウス帝は、ペルシャ戦線に参加すべく、ガリアのユリアヌスの軍団の東部への移動命令を出します。ガリアの地で安定していた軍団はそれを強硬に拒否し、ついには心を寄せていたユリアヌスを「皇帝」に擁立し、ユリアヌスはこれを受託します。謀反者となったユリアヌスはコンスタンティウス帝と戦うことになりますが、進軍の途上で皇帝が急病死し、その皇帝の遺言通りに「ユリアヌス帝」が誕生したのです。361年の終わりです。
このころキリスト教会は特権を得て世俗化しており、教理を巡って内部抗争が頻発していました。ユリアヌス新皇帝はまずギリシャ、ローマ伝統の宗教を復活させることに力を注ぎ神殿を再建ます。ミトラス神へのいけにえの儀式を民衆の生活に破たんがくるほど強引に推し進めます。
ユリアヌスは正面からキリスト教を禁じたわけではありませんが、キリスト教聖職者階級の特権や財産をはく奪し宗教活動をにぶらせます。二代続いた親キリスト教の皇帝一族が反キリスト教的な政策を行ったということで「背教者」と呼ばれる所以があるのです。さらにアンティオキア滞在時代に、中小市民層の皇帝に対する反感と侮蔑を広げていきます。
363年3月ペルシャ遠征のために東方ユーフラテスに赴き首都の近くまで迫りますが、作戦がうまくいかず退却の途中でペルシャ軍の攻撃を受けて戦死してしまいます。363年6月、31歳7か月の人生でした。
哲人皇帝アウグストゥスを仰ぎ、自分もそれを目指したのですが、古代回帰の独りよがりの考えが人間的にも政策的にも破たんをきたしていました。長い間ユリアヌスを心からサポートしてきた優秀な側近たち、哲学者の友人たちたちもユリアヌスの弱点・欠点を冷静にわきまえていたところが、なんとも哀しい終わり方でした。
この全3巻では、皇帝になるまでの幼年、青年ユリアヌスは非常に魅力的な人間味のある人物として描かれています。皇帝になり権力を持った後、強い宗教心と哲学心が人格の変容をきたしたかの如く変貌していったところが、短命の皇帝で終わらざるを得なかったのでしょう。
変貌というより、プラトンを愛したユリアヌスは、高い精神を目指し理想を実現させるために、自分の心に忠実に生きたといった方がいいのかもしれません。皇帝の期間は1年9か月でした。
乾ききったダムに少しでも水が行くように~
背教者ユリアヌスを全3巻も読み終えられて、私もストーリーを読ませていただきました
ヨーロッパは昔からこのように戦いに暮れた地域ですね
政略結婚なども多かったようで、ユリアヌスのように堅い意思を持った人は
きっと大変だったでしょう
風の吹くままに流される人もいれば、強固な意志を持って臨む人もいる~
今の日本はそれほど強固な意志を持って臨んでいる人はいなくて、皆党利党略、後の選挙のことばかり考えているようにも思えます
強力なリーダーはなかなか現れそうにもありませんが、今の平和が長く続いてくれることを望みたいですね
そういえばそんな名前も・・・・程度です
きちんとメモと地図を用意して読むあたりは素晴らしいですね
人間味ある魅力的なユリアヌスも権力の座についたらそれが変わってしまったというのも
理想と現実の違いのむずかしさでしょうか
古代ローマから今に続くヨーロッパの歴史は侵略に次ぐ侵略の歴史だったことを
今回の中欧への旅で思い知らされた事でした
九州はあちこちで大水害が起きて、ふれば土砂降りというような
状態です。まさにゲリラです。
広くはない日本なのに、雨量にもずいぶん差がありますね。
『背教者・・・』は2か月ほど前に読み終わっていましたが、超暑くて
超忙しい夏だったのでそのままにしていました。
が、やはり感銘を受けた本のことは自分のためにもと思って
本をめくりながら書きました。
後で記憶をたどるときなど結構役に立ちます。
》ビオラさん
ヨーロッパに行くと、いたるところに古代ローマ帝国の「かけら」を見ます。
日本がまだ文字も持たなかったころにローマ帝国は…と考えると
イメージがどんどん膨らんで一人楽しんでいます。
そんなことから世界史が楽しくなりました。
「権力欲」が、ずっと今日まで戦争を続けさせているのが悲しいですね。
ずいぶん長い本ですが、ところどころに図説があり、とても楽しく読みました。
ユリアヌスは、為政者として一神教の危険性を感じていたのでしょうね。
古来のギリシャ・ローマの神々を復活させようとしたのは
ある意味、宗教に寛容さを求めたのでしょうか。
ギリシャ・ローマの神々は、日本の八百万の神に似ているような気がします。
ユリアヌスが亡くなりローマが一気にキリスト教化すると、皇帝までもが洗礼を受けていて、政治はキリスト教会の支配下に置かれます。
それこそが、ユリアヌスの恐れていたことだったのでしょうね。
もし、ユリアヌスがもっと長生きをしていれば、今のキリスト教の在り方も変わっていたかも知れない・・・と、つい思ってしまいます。
背教者呼ばわりされたユリアヌスですが、実は為政者としての先見の目があったのかもしれない。
ただ、あまりにも正直すぎて、急ぎ過ぎたところに悲劇を感じますね。
ローマ帝国も初期の頃のはつらつさが薄れてきて、深読みできない私には特に魅力がなくなって印象に残る皇帝ではありませんでした。
再度パラパラと、『背教者…』と合わせて読むと、地図も系図もわかり易く得した気分でした。
短い人生が辻さんによって3巻に表されると、質も品格も申し分ないユリアヌスの存在感が増しました。
歴史は勝者の歴史。今頃になって評価されてきたような感があります。
二冊もお読みになる、読書家の粋、感じ入っております。
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こちらは長い4巻ですね。
『・・・ユリアヌス』も分厚かったけど、それを感じさせない
くらいに心がはやりました。
でも『夏の砦』はちょっと難解で、ギブアップです。