1978年6月24日。
場所はシネラマ梅田OS劇場。
ここの前から7列目のほぼ中央の席で私は中学時代の友達数人と一緒に「スターウォーズ」を初めて鑑賞した。
8列め以降を選ばなかったのはそこはS席で値段が高くて高校生には買うことができなかったからだ。
OS劇場は当時は珍しい全席指定の劇場で、スクリーンサイズも今でいうところのIMAXシアター。
巨大なスクリーンは東京のテアトル東京とこの梅田OS劇場の2つしなかった。
このOS劇場で初めて見た映画はこの年のお正月に公開されたスピルバーグ監督「未知との遭遇」だった。
巨大なスクリーンに映し出される巨大なUFOの母船に圧倒され、スターウォーズを見るのならこの映画館でないといけないと決めていたのだった。
そして、その期待は裏切られることがなくスター・ウォーズの冒頭のシーン。
レイア姫を乗せた共和国の宇宙船を追いかけるスター・デストロイヤーの画面の上を通過するその迫力のすごいこと。
以後、そのワクワク感、ドキドキ感は今も忘れることができない。
この独特の雰囲気は以降製作された他の作品では再び感じることはなかった。
しかし結局40年間に製作された9つの作品の全部とスピンオフの2作品を律儀にもちゃんと鑑賞したのは、やはりあのワクワク感とドキドキ感を感じたいという思いそれだけだったのかもしれない。
スターウォーズは作品を重ねるごとに特撮技術はぐんぐんあがったが、それと反比例するようにストーリーはずんずん面白くなくなってしまった。
とりわけディズニーに買い取られた後の作品はともすれば見るに耐えないものだったことは否定できない。
なんでこんなになっちゃったの?とスクリーンを見ながら冷ややかになってしまったことも事実なのだ。
スターウォーズのキャラクターはミッキーやドナルドとは違うのに。
このため次第に劇場に行く回数も少なくなり、ついには前作を見たのは最終上映週。
たまたま時間をとることができたので駆け込みで劇場に足を運んで見た、というのが実情なのであった。
最後の作品と言われる「スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け」はもはや同窓会みたいな作品になっていた。
しかも見どころは水戸黄門の印籠を見せるシーンに酷似していたのだ。
ここで〇〇が出てくるかな、と思っていたらきっちりと出てきたのだ。
ハン・ソロは出てくるレイア姫婆は出てくる、Xウィング戦闘機のレッドファイブは出てくる。
お約束なのであった。
かといってオビワンやヨーダが出てくることもなく中途半端な感じはしないものではなかったが、もはや新作というよりも従来作品の振り返りという要素が強かったような気がして見ているものからすると懐かしいの一言に尽きる内容だった。
その「懐かしい」の集大成が惑星タートウィンで地平線に沈みゆく2つの太陽をレイが見つめるシーン。
私は最初に見たスターウォーズでルークが2つの太陽を見つめるシーンで流れる重厚なオーケストラレーションによるルークのテーマと、そのアナログだが完成された特撮に魅了された。
このオーケストラのストリングスによるサウンドをなぜ家では再現できないのか。
映画館の立体音響にも気付かされた一瞬なのであった。
そのシーンを彷彿とさせるタートウィンの廃墟になったルークの家のシーンはそれを思い起こさせしばし見とれてしまったのであった。
「スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け」は正しくは「スターウォーズ スカイウォーカーの日没」が正しいんじゃないだろうか。