萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第63話 残照act.1―side story「陽はまた昇る」

2013-03-18 23:39:22 | 陽はまた昇るside story
途惑い、残していくものは 



第63話 残照act.1―side story「陽はまた昇る」

遅い午後の太陽、けれど8月は日が長い。

西日ふるガラス戸を時おり眺めながら向かうパソコンデスク、手許のペンに陽が射し込んだ。
画面にはデータ提出された登山計画書が写しだされて、そのチェックをしながらメモを執っていく。
いま英二の他は誰もいない駐在所をキータッチとペン先の音だけが響く、そんな静謐に来月のことが想われる。

―俺が異動したら御岳は二人だけになる、でも原さんも大分慣れたから大丈夫だろうけど、

思案しながら書類に意識を走らせ手はキーボードを敲いていく。
今も原は単独で御岳山から大岳山までの巡回に出ている、あと30分ほどで戻るだろう。
どちらの山も土曜日の今日は登山客が多い、その割に登山計画書が少ないのは気になってしまう。
夏休み期間だと初心者も多くて登山計画書の存在自体を知らないハイカーもいる、もっと周知の徹底が必要だろう。
明日の日曜は登山口での声掛けをしようか?そんな思案と書類整理の大半を終えたとき奥の扉から岩崎が出て来てくれた。

「すまんな宮田、奥にばっかりいて。すこし交替しよう、」

申し訳なさそうに笑いかけてくれる、その笑顔は少し疲れていても明るい。
いつもタフで優しい上司に微笑んで、パソコンの手を止めると英二は立ちあがった。

「ありがとうございます、でも俺は大丈夫ですよ?息子さんのおかげんはどうですか、」
「おかげで熱は下がったよ、今は眠ってる。ただの夏風邪らしいし、母親の留守で緊張もしたんだろう。いつも気を遣わせて悪いな、」

微笑んで教えてくれる顔が父親になる、そんな様子どおり岩崎の家庭は温かい。
まだ岩崎の息子は4歳、きっと具合が悪い時に大好きな父親がいることは嬉しいだろう。
そういう親子の時間は自分には少なかった、だからこそ岩崎には大切にしてほしくて英二は綺麗に笑った。

「大したこと何もしてないですよ、俺は。さっき差入でプリン頂いたんです、息子さんに持って行ってあげて下さい、」
「ありがとう、好きだから喜ぶよ、」

嬉しそうに笑ってくれる顔に、こちらも嬉しくなる。
冷蔵庫から3つ取出して袋に入れ手渡すと、受けとりながら岩崎が言ってくれた。

「そういえば宮田、そろそろ異動の挨拶を始めていいぞ?町の皆さんには世話になったろうし、御岳の剣道会にも言っておきたいだろう?」

異動まで後十日を切った、そんな日限に寂しさと喜びが綯い混ざる。
異動すれば光一と再びパートナーを組める、周太とも同じ七機の同僚になれる、それは素直に嬉しい。
けれど馴染んだ奥多摩の日常から離れることは寂しい、そんな想い素直に英二は微笑んだ。

「はい、そうさせて頂きます。剣道会の練習は行けてないですけど、皆さんには仲良くしてもらってますし、」
「宮田は忙しいからな、吉村先生のお手伝いもあるし。でも異動したら逆に少し時間出来るだろう、練習にも顔出させてもらうと良いよ、」
「はい、そうします。異動しても吉村先生のお手伝いには来ますし、ここにも顔出させて貰って良いですか?」
「もちろんだよ、大歓迎だ。国村も一緒に来るよう言ってくれな、」

笑顔で勧めてくれる声はいつものよう明るくて、すこし寂しさが滲んでくれる。
こんなふう惜しんで貰えることは嬉しい、その感謝と岩崎を奥へ見送って踵返すとガラス扉から笑顔が覗きこんだ。

「こんにちは、宮田くん、」

可愛らしい声に振り向くとブラウスにサブリナパンツ姿の美代が笑っている。
今日は土曜日で聴講の日だから大学の帰りだろう、その推察に懐かしい俤を見ながら英二は微笑んだ。

「こんにちは、美代さん。大学の帰り?」
「うん、さっきまで湯原くんと一緒でした、ごめんね?」

ちょっと自慢気に笑ってくれる、その雰囲気に周太への親愛が優しい。
きっと今日も大学で楽しい時間を周太と過ごした、そんな空気が本音すこし羨ましい。
なんだか嫉妬してるかな?そう自分に笑った前に美代は紙袋を1つ差し出してくれた。

「これね、いつもと同じでJAの試作品なんだけど。また感想を聴かせてほしいの、皆さんで食べてもらえる?」
「ありがとう、岩崎さん達も喜ぶよ、」

素直に受け取ると袋は持ち重りがする。
中身は何だろう?軽く首傾げると美代は教えてくれた。

「柚子のゼリーなの。常温保存が出来るタイプよ、でも冷やして食べてね?ポイントは3つの味が楽しめるとこです、」
「へえ、面白いな。美代さんの開発?」
「そうよ、ちょっと自信作、」

きれいな明るい瞳が楽しく笑って、どことなく周太と重ならす。
やっぱり二人は似ている部分がある、そこに寛ぎながら英二はずっと訊きたかった事を口にした。

「あのさ、美代さん。光一は女にも男にもモテる?」
「うん、モテるね、」

あっさり答えて美代は微笑んだ。
いま「男にも」と入れたのに頷かれてしまった、この意味に困ってくる。
自分で訊いたクセに困るなんて可笑しい、そう苦笑した前から美代が教えてくれた。

「光ちゃんって男だけど黙ってれば美人でしょ?でも喋ると気さくなとこが人気みたいで、小さい時から色んな人に告白されてるの。
でも断っちゃってばっかりよ、自分から好きにならないと駄目だって光ちゃんは言うのよ。だけどそんなひと、なかなか居ないみたいね?」

想っていた通りの答えを言われて、罪悪感と哀惜が傷みだす。
この通りなら光一はもう、誰とも寄添わずに生きてしまうだろう。
そんな未来予想に心裡ため息こぼれて、それでも英二は訊きたいことを続けた。

「美代さん、内山って覚えてる?いちど周太と会ってると思うけど、」
「うん、覚えてる。真面目で、根が素直そうな感じの人よね、」

なにげなく答えてくれる、その回答に確信が落ちてくる。
やはり内山は「根が素直」だと美代も見た、この評価はたぶん正解だろう。

―たぶん内山はあの男に利用されている、でも、どんな目的を持って?

内山を周太の同期に「させた」あの男の意志は何だろう?
その利用価値を意識の片隅に留めて、英二は会話に微笑んだ。

「そっか、内山って本当にそんな感じだよ。あいつ、美代さんによろしくって言ってたよ、」
「こちらこそよ、あ?」

気軽に答えて美代は軽く首傾げこんだ。
なにか想い出したのだろうか、その答えを待ってすぐ美代は教えてくれた。

「そういえば私、内山くんにも同じ質問されたね?国村さんってモテるんでしょうね、って。もしかして光ちゃんのこと好きなのかな、」

ほら、美代は人間の核心を突くのが巧い。
こんな油断ならない聡明が美代にはある、だから怜悧な光一とも姉弟のようつきあえる。
それは周太に対しても同じだろう、そんな美代だからこそつい嫉妬したくなる。

―もし周太が女の子と恋愛するなら美代さんだろな、花屋のひとは憧れって感じだし、

心のなか自分勝手に嫉妬を想いながら、今の解答に困る。
このまま黙ってやり過ごそうか?そう思案した向うから救助隊服姿が入口を潜った。

「原、戻りました。あ、」

すぐに精悍な瞳は美代を見つけて、日焼顔がすこし困りだす。
一見は仏頂面、けれど本当は照れ始めている原に、美代は気さくに笑いかけた。

「こんにちは、原さん。JAの試作品を差し入れさせて貰いました、また感想を聴かせてくださいね、」
「どうも、」

いつもの短い返答で会釈して、原はロッカーに入っていった。
その背中を見送って美代は可笑しそうに英二を見上げた。

「無口だけど面白そうな人ね、原さんって。光ちゃんとは正反対って雰囲気だけど、ちょっと似てるとこあるね?」

やっぱり美代は原にも真直ぐな視線を向けている。
そんな信頼ごと英二は美代に笑いかけた。

「うん、良いヤツだよ。だから美代さん、俺が異動した後も仲良くしてやってね?」
「え、」

小さく息呑んで、きれいな明るい目が大きくなる。
もう十日前だから話して良い、そう岩崎とさっき決めたよう英二は微笑んだ。

「9月の一日で光一と同じところに異動するんだ。その後も訓練とかで奥多摩には来るし、いつかまた青梅署に戻るけどね。今までありがとう、」

本当に色々、ありがとう。

そう感謝をこめて笑いかけて、けれど美代の貌が動かない。
こんな美代は初めて見る、すこし驚いて英二は美代の瞳を覗きこんだ。

「美代さん?大丈夫?」

呼びかけて、けれど応えないまま美代の瞳がゆらいだ。
そして明るい綺麗な目から雫ひとつ、あわい日焼けの頬へ零れて息呑んだ。

「…あ、」

ちいさな声が美代の唇もれて、そのままブラウス姿は踵返し出て行った。
開けられたままのガラス戸からは風ゆるやかに吹きこんで、足音は遠くなる。
すぐに遠ざかって消えてゆく、その靴音と空白を英二はただ見つめた。

―なんで美代さんが泣くんだ?

涙の理由が解らなくて、友人の消えた空間に途惑ってしまう、
あんなふうに美代が泣くなんて驚かされる、いったい美代はどうしたと言うのだろう?
ひとり駐在所に立ったまま見つめるガラス戸の向こう、繁れる森から風が水の香を運ぶ。
その涼やかな香と風にほっと溜息こぼし振り向くと、すこし笑った貌の原が制服姿で立っていた。

「おい、なに泣かしてんだよ?」

低くても透る声は気遣うよう、重苦しさを払うトーンで訊いてくれる。
その問いかけこそ自分が知りたくて、英二は困ったまま微笑んだ。

「岩崎さんから許可を頂いたので異動のこと話したんです、それだけなんですけど、」

本当にそれだけしか言ってない、なのになぜ美代が泣くことがあるのだろう?
この謎が解らなくて途惑ってしまう、そう首傾げた英二に精悍な瞳が困ったよう笑った。

「それだけだから泣いたんだろ?」
「え?」

どういう意味だろう?
そう見返した先で呆れたよう原は唇の端を上げ、休憩室を指さした。

「差入あるんだろ、」

それだけ言って踵返すと原は給湯室に入り、コップに水を汲んで向うの扉を開いた。
英二もパソコンを閉じると、冷蔵庫に美代の差入をしまって箱を出し麦茶を2つ注いで休憩室に座りこんだ。

「美代さんの差入は冷やしてからだそうなので、先にこっちからどうぞ、」
「ああ、」

頷いて原はプリンを黙々と食べだした、きっと巡回で腹が減っていたのだろう。
そんな雰囲気を眺めながら英二はスプーンを取らず、ただ麦茶のコップにだけ口付けた。
いま原の健啖を前にしているのに食欲が無い、こんな自分に途惑う。

―女の子に泣かれるの、慣れてたはずなんだけどな、

たぶん自分も空腹のはず、それなのに今は食べる気になれない。
こんな事は周太のこと以外では珍しい、初めて死体見分をした時でも食事が出来た自分なのに?
こんな自分に途惑いながら麦茶を啜る前、さっさと食べ終えた原は麦茶を一息に飲んで英二を見た。

「今の子は『しゅうた』じゃ無いよな?」

原には美代が男に見えるのだろうか?

そう質問が浮んでつい笑ってしまう、可笑しくて英二は笑い出した。
そんな英二に仏頂面も愛嬌の笑顔ほころばせて、一緒に笑いながら低い声は微笑んだ。

「あの子が泣く理由なんか解かりそうなモンなのにな?ホント意外に不器用だな、」
「じゃあ原さんには解るんですか?」

原のほうこそ不器用だろう、それどころか女性経験も1人しかいないのに?
それでも原は1人と深く付き合うタイプだから、自分に解らないことも解かるのだろうか?
それなら教えてほしくて見つめた向こう、不器用で寡黙な男は困ったよう笑った。

「宮田に惚れてるからだろ?」

ひと言でもストレート、だから余計に鼓動を突かれる。
いつも言葉少ないだけに一言が肚に重たい、その重量に英二は降参と微笑んだ。

「原さんにも解るんですね、そういうの、」
「毎日のよう見てたら解かる、」

ちょっと呆れた、そんな語調が無口にも笑っている。
空のコップを片手に遊ばせながら、原は率直に言ってくれた。

「宮田がココにいると色んな女が挨拶してくよな。宮田は誰でも挨拶は返すけどマトモに会話するのはあの子だけだ、仲良いんだろ?」

原はよく見ている、けれど普段は黙っているだけだ。
その観察眼は言葉と同じにストレートで的を射てくる、そして今も核心近くを指摘されて英二は微笑んだ。

「美代さんは国村の幼馴染で、周太の大事な友達なんです。だから俺も大事な友達だと思ってます、でもそれだけです、」

それだけ、あとは御岳の同じ剣道会に所属する仲間でしかない。
ただ「友達」としか自分は美代を想えない、けれど原は困ったよう微笑んだ。

「それだけでもデカいだろ?」

返された短い言葉に、真直ぐな指摘が堪える。
その通りだと本当は解かってしまう、つい唇を噛んだ英二に精悍な瞳は笑ってくれた。

「大事な友達なら逃げんなよ、」

さらり短い台詞は図星を突いて痛い、けれど実直な優しさが温かい。
そんな言葉をくれた本人はコップ2つと空の容器を手に提げ、立ち上がった。
そのまま給湯室に向かう背中がいつもより大きく見えて、もう少し話したい気持ちに英二は声かけた。

「原さん、今夜は飲みませんか?吉村先生のお手伝いの後になりますけど、」

酒を挟んで原と話してみたい。
先週のビバークでも酒と焚火で話せた、あの続きが出来たら良い。
そんな想いに笑いかけた向こう、1歳年上の先輩は振向いてくれた。

「いいぞ、藤岡も声かけるか?」
「はい、」

藤岡も誘って良い、そう原が思ってくれることは嬉しい。
自分が異動すれば藤岡と原は差し向かいになる、互いに酒を誘いあえたら良いだろう。
そう想うまま笑って英二も立ちあがると休憩室を片づけて、駐在所へと出た。







(to be continued)

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春花陽麗、時の訪れに

2013-03-17 21:28:29 | 雑談
麗らかな陽に花、ほころんで 



こんばんわ、春らしい太陽の明るい神奈川でした。
ちょっと風は強かったのですが、春の花が咲きだした山野は気持ちいいもんです。

今朝UPの第62話「弥秀2」加筆校正がほぼ終わっています。
あとすこしチェックすれば校了です、今夜中には終わります。
で、連載短篇「銀雪の月」続編のUPをしたいなあと考えている所です。



この花、なにかご存知ですか?
馬酔木、あしび・あせび、と呼ばれる春の花です。
古くから日本に咲く低木で『万葉集』にも詠まれ、日本人のDNAに刻まれた花とも言える?
一見は地味な風情ですが、鈴蘭と似た花姿の一輪ずつは可憐で惹かれます。

下は辛夷、こぶしの花です。
白木蓮と間違われやすいですが、辛夷の方が掌を開いたような感じになります。
白木蓮は合掌する形と似ていて、花色も辛夷が薄紅ふくむのに対して黄味がかった白です。

春爛漫、そんな単語が咲きだす季節ですが小説は真夏と真冬。
物語に描く季節の真中に居ながらカメラを遣い、パソコンで文章を綴っています。










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第62話 弥秀act.2―another,side story「陽はまた昇る」 

2013-03-17 09:19:10 | 陽はまた昇るanother,side story
受容、そして知ることの先に、



第62話 弥秀act.2―another,side story「陽はまた昇る」

デスクライトの光ふる机上、ペンは奔っていく。
広げたファイルのデータを見、ルーズリーフに短機関銃の感覚と視覚を綴る。
今日、訓練で扱った H&K MP5 の使用感は1月とはどこが同じで違うだろう?

…あのときの弾道に対して射程の距離感と角度、照準のズレる癖と、それから…

心裡につぶやきながら銃器の特性や癖をメモして比較する。
もう7ヶ月前になる1月に協力した弾道調査、あの記憶は紙面のデータにも重たい。

豊和M1500バーミントンハンティングモデル
全長 1,118mm
重量 4,200g
装弾 5発

警察では機動隊の銃器対策部隊、そしてSATで導入されている日本では唯一の大口径ボルトアクションライフル。
これを日本警察では装備品名「特殊銃I型」と表示し、狙撃手用は木製の銃床に二脚と照準器・スコープを装着する。
このM1500バーミントンハンティングモデルを周太も1月のときテスト射手として使用した。
そのときの詳細データは今デスクに広げたファイルの中、的確に記されてある。

…このファイルを作るためにも英二は、吉村先生の助手をしてくれてる、

ペンを奔らせる紙面、ファイル作成者の心は痛切なほど温かい。
このデータベースがあるから今日使った MP5 についてもシュミレーションできる。
こんなふうに新たな銃器を使うたびデータをチェックして、より精密な狙撃を可能にしたい。

精密で迅速な狙撃が「適確」であるほど、標的と自分の尊厳を護る可能性を高くする。

そう信じて今ここに座り銃器のデータを推測で数値化し「実戦」の推定をしていく。
トリガーと発砲の反応速度、重量、衝撃、M1500の全ては7ヶ月前でも感覚記憶は残っている。
この記憶とファイルのデータ数値を照合し、MP5 使用実測の近似値を割り出していく。
こうしたシュミレーションから精度を少しでも上げたい、その願いに試算が終わった。

「…合っていますように、」

独り言に願いながら数式と数値を見つめて検算していく。
M1500を周太が使用した実測データ、これがあるから他の銃器にも応用できる。
その感謝に脳内が計算していく数値は照合が終わり、ほっと息吐いた。

…これで明日はもっと正確に撃てるかな、でも標的の検分はそんなに細かく出来ないし写真だから…

明日もMP5での狙撃訓練はあるだろう、けれど訓練であって鑑識調査では無い。
もちろん1月のM1500ほどには正確に狙撃内容のチェックが出来ず、実測は不可能だ。
だから実地で狙撃した標的、人体に与える傷害度合は未知数と覚悟しておく必要がある。
それでもデータを把握して狙撃する方が「可能性」は残される、その希望へと周太は微笑んだ。

「いざって時はお願いします…お父さん、」

懐かしい笑顔へ祈りを想い、父の軌跡をトレースする。
こんなふう父も銃器の計測データを演算したのだろうか?
そう考えかけて、けれど父には難しいことだとすぐ気づかされる。

…お父さんにはこのファイルが、実測データが無かったんだ。それに専門的な工学知識も無い、英文学を勉強してたんだから、

自分は父の軌跡を追うために大学も機械工学を学んだ、そのお蔭で銃器データの演算を考えられる。
けれど英文学者になるはずだった父には、データ数値から狙撃の精度を確保する発想はあったろうか?
それ以上に、狙撃という行為に「可能性」を探すことを父は思いつけていた?

…俺みたいに最初から計画的にここへ来たんじゃない、きっと覚悟と勇気だけでお父さんは来たんだ、…それに30年近く前なら風潮も違う、

自分と父の立つ場所は同じ、けれど携えている条件は違う。

自分は父を知りたい為に14年間を懸けてきた、父が居た場所を探して父の実像に辿り着く事が生きる目的だった。
そして警察官の狙撃手という存在を知り、父がその存在だった可能性を知り、自分も同じ存在になる覚悟を決めた。
その為に必要な経歴と知識を積みあげ今ここにいる、それは父が警察官の狙撃手になるまでの軌跡とは全く違う。

英文学者になるはずだった父に「生きた人間を狙撃する」練磨のチャンスは、どれほど与えられたと言うのだろう?
元から父は狙撃手になりたかったと思えない、そんな「ならされた」人間にはどれだけの苦痛があったろう?
そんな父の想いが熱に変って涙ひとつ、ペンを持つ手に言葉と零れた。

「…きっと俺よりもずっと怖かったよね、」

狙撃手になることは「殺人者になる」可能性に常駐すること、それに恐怖を抱かない「人間」なんて居ない。

もしも殺人に恐怖を欠片も感じないのなら、それは生命と人生への無知が為すことだろう。
もしも殺人を犯して罪悪感を見ないのなら、その心は想像力を失ったまま尊厳を放棄している。
もし殺人者になることをプライドに誇るなら、そこに自身の「生命」としての誇りはもう、無い。

『いいか、湯原?お父さんのように殉職はするんじゃないぞ、』

新宿駅前交番で上司が言ってくれた言葉、あの意味も「人間として生きろ」だった。
若林所長も銃器対策レンジャー経験者であり、父の殉職事件にも真直ぐな敬意を示してくれる。
あの交番は父の殉職現場を管轄に持つ、それも全て解かって若林は周太を部下として受容れてくれた。
そんな上司の温情を異動前日に贈ってくれた言葉から気づかされて、ここに座る今あらためて心に温かい。
そして自分は知っている、若林の他にも出会った沢山の心と言葉が「生きろ」と自分に望み、励ましてくれている。

…だから俺は絶対に諦めない、自分も相手も生きられる可能性を諦めない、

生きろ、そう願ってもらえるのなら孤独じゃない。

狙撃手の死線にある瞬間も孤独じゃない、いつも沢山の「生きろ」に支えられている。
この温もりを自分に気づかせ導いた人がこのファイルも与えてくれた、その人は今この瞬間も山で救助に駈ける。
いつも人命救助のために汗と血と泥にまみれ、ザイルを握る手に夢と誇りを見つめて、生命と尊厳を護り英二は生きている。

From  :宮田英二
subject:出ます
本 文 :おつかれさま、周太。今から道迷いの夜間捜索に出ます、夜の電話は出来ないかもしれない。
     周太の声聴きたいけど我慢するよ、その分だけ俺のこと想っていてくれる?

さっき受信されたメールの言葉、その1つずつに英二の想いは温かい。
あんなふう求めてもらえる事は素直に嬉しくて、その想いが不屈の意思に変ってくれる。
だから自分は絶対に諦めない、不屈の祈りを抱き続けることを忘れない、そんな意志にページを捲ったときノックが響いた。
その叩き方に誰かすぐ解かってファイルを閉じながら立ち上がると、部屋の扉を開いて微笑んだ。

「おつかれさまです、国村さん、」
「こんばんわ、湯原くん。今夜も盗聴チェックさせてもらうね、」

お互い公人としての態度と言葉でも、光一の底抜けに明るい目は親しい。
その笑顔にほっとしながら笑いかけて、部屋に入ってもらうとチェックが始まった。
第七機動隊舎全体での盗聴器探索が常態化して2週間近く、光一が周太の部屋を担当してくれる。
隣室だから担当して当たり前、そんな空気に毎晩の訪問をしても公人以外の関係を疑われることは無い。

自分は新宿で見張られていた、ここでも自分は観察されるだろう。
自分と親しいことが知られたら、きっと光一も見張られることになる。

そんなふう初日に光一へ告げて、自分と距離をとるよう促した。
それから4日後の夜に光一の部屋で盗聴器が見つかり、隣室の周太の部屋も捜索され発見された。
そうして第七機動隊全体でのチェックが必要と判断されて、毎日の空き時間ごと探索は行われている。
これら盗聴のターゲットは山岳救助レンジャー第2小隊長国村警部補、そう誰もが考えているだろう。
けれど本当は自分なのだと解っている、だから夕方に菅野から教えられたことは逆に盲点でもあった。
あのことを光一に教えた方が良いだろう、そう思案する前でレシーバのスイッチを切った光一が笑った。

「今夜も無事みたいだね、さ、周太。今夜もふたりでイイコトしようね、」

またいつもの変な冗談が始まったな?
そんな普段どおりが可笑しくて、周太は幼馴染に笑顔で返した。

「ん、イイことしようね。止血リンクの作り方をおさらいさせて?」
「包帯プレイだね、いいよ、」

なんだか怪しげな用語で笑いながら光一はベッドの定位置に腰掛けてくれる。
その前にレスキューセットから三角巾を2つ出すと、慣れた手つきで光一は説明を始めた。

「まず八折だよ、で、手刀にした親指の上に中心を載せたらね、三分の一くらい引いて短い方の端っこをコウ巻いて、輪っかにする。
この輪っかを芯にして長い方の端っこをずらしながら固く巻きつける、もし患部の陥没が広かったら輪っかの大きさも調整するね、」

話しながら白い手は器用に三角巾を円座に形作っていく。
その手並みにコツを見つけながら周太も、出来るだけ素早く作りあげた。

「ね、大きい輪っかを作りたい時は光一はどうしてるの?」
「手刀の指を広げて調整だね。陥没の怪我は落石とか転落での頭だろ、デカくてもこのくらいだね、」

山岳救助の現場にからめ説明して、その顔がふっと寂しげに微笑んだ。
もしかして英二のメールのことだろうか?気になって周太はそっと訊いてみた。

「光一、夜間捜索のこと心配してる?…英二からメール貰ったんだけど、」
「うん?」

すこし首傾げた瞳は明るいまま、かすかな寂しさが微笑む。
小さな溜息ひとつ吐くと光一は困ったよう笑ってくれた。

「なんか変な感じなんだよね、山の現場に自分が加わんないってさ。救助するヤツを待つ側に俺がなるって、なんか落着かないね?」

いつも光一は山岳救助隊のエースとして現場の先頭を駈けて来た。
けれど今は第七機動隊所属の小隊長として応援要請なく所轄の現場に立つことは無い。
そんな立場の変化が「離れてしまった」途惑いと寂しさになっている?そんな理解に周太は微笑んだ。

「ずっと自分の現場だった山と仲間から、離れてしまってるのが寂しい?」
「だね、なんか置いてきぼりって言うかさ、仲間ハズレみたいで妬けるね、」

妬ける、その言葉に光一の本音が寂しく笑う。
この気持ちは自分も解かる、想うまま率直に周太は笑いかけた。

「英二とパートナー組んでる人に嫉妬して、山の現場に立っている英二自身にも嫉妬してる?」

山ヤは山でこそ輝ける。
そして山ヤの警察官は山こそ現場、その誇りに駈けていく。
だから同じ山ヤとして今、山の現場に立つ英二を光一は嫉妬しても仕方ない。
幼い頃から山に生きてきた光一なら尚更に「山」の最前線で先頭に立つことは誇りだろう。
そんなプライドは同じ男として理解できる、そう笑いかけた前で底抜けに明るい目が笑ってくれた。

「だね、誰よりも英二にジェラシーしちゃってんね?あいつのパートナーに対して以上に、山にいる英二が羨ましくって歯がゆいね、」

歯がゆさが可笑しい、そんな目が周太に微笑んで白い指が黒髪かきあげる。
いま風呂の後で光一の髪は前と変わらない、けれど日中は軽くセットして前髪を上げている。
そうした髪型の変化もきっと、小隊長として幹部候補の責務を担ってゆく決意の表れだろう。
そんな光一の覚悟と進路を見つめる想いに夕方の話が映りこんで、すこしの思案と尋ねてみた。

「本当のこと言うと光一、昇進するとかよりも現場に立っていたいんでしょ?…ずっと奥多摩で暮らして山にいたいよね、」

故郷、奥多摩の山には光一の大切な人々と記憶が眠る。
その全てを護り続けるためにも光一は警視庁で山岳レスキューになった、そう知るから光一の「歯がゆい」も解かる。
なぜ光一が山を愛し生涯の居場所と決めているのか、その無垢な願いを見つめる透明な瞳が笑ってくれた。

「うん、正直言っちゃうとそうだね、」

からり笑って応えてくれる顔もテノールも、いつものよう明るい。
けれど透明の瞳は周太を見つめて、悪戯っ子に訊いてくれた。

「ソンナこと訊くなんて周太、俺の昇進について誰かに何か言われたね?キャリア組のヤツ等がドウのとかさ、」

もう自身で把握している、そんな肚の坐りが光一の瞳に明るい。
やっぱり自分が心配するまでも無かったかな?頼もしい幼馴染で先輩に周太は微笑んだ。

「ん、キャリア組の人たちの噂を聴いたんだ…自分たちと並ばれて面白くないから粗探しとかしたがってるって、」
「そりゃ無理ナイだろねえ?」

何のことは無い、そんな軽妙が雪白の貌で悪戯に笑う。
なにも動じない明朗のままでテノールの声は言ってくれた。

「でもソイツラに感謝すべきだね?お蔭で俺がターゲットってコトで警戒網は張れるし、七機全体のシマリも出てイイことずくめだね、」

嫉妬、監視、こうしたマイナス要因も光一は「好都合」に転化できる。
その智慧はもちろん優れているだろう、それ以上に底抜けな明るさが眩しく温かい。
こんな幼馴染が傍で生きて援けてくれる、その感謝が今あらためて本当は泣きたいほど嬉しい。
だって自分は知っている、光一がどんな想いで16年間を生きてきたのか、今を生きようとするのか?

―…雅樹さんが本気で恋愛した相手は俺だけ、俺が生まれて最初に恋して愛してくれた…お互いが初めての相手同士で独り占めしあってる 
  そんなの一生変えられっこない、体が消えたって心まで消せないね、姿が見えなくても触れなくっても変んない、ずっと両想いで大好きだ

きっと光一の心は雅樹の後を追いたいと願っている、それでも「今」を光一は生きている。
亡くした人への想いを抱いたままでも真直ぐ明日を見つめ、生きて、周太のことも援けてくれる。
それがどんなに強く大きな優しさか解るから嬉しくて有難くて、周太は敬愛する友人に心から微笑んだ。

「ありがとう、光一。俺もそうやって良い方に考えるようにするね、」
「だよ、周太?ナンでも良い方に考えた方がイイね、その方が物事って良い方に転がるからさ、」

明るく笑って光一は周太の額を小突くと、手にした止血リンクを綺麗に解き始めた。
その馴れた手許をお手本に三角巾を広げていく、そんな今の時間に29年前の父が想われる。
こんなふうに応急処置について学び実行できるチャンスは、狙撃手としての父には与えられていたろうか?

…俺には光一も英二もいてくれる、でも、お父さんには誰もいなかったんだ…本当に頼れる人はいなくて孤独だった、

父には同期で親しい安本が居てくれた、それでも父は殉職を選んだ。
あの哀しい選択に父の本音は「孤独」だと訴える、これに安本は殉職の瞬間まで気付けなかった。
それを安本は後悔と懺悔し続けている、それは自分たち母子も同じよう遺された傷が消えることは無い。
だからこそ自分は孤独に殉じる死は選ばない、父のよう孤独に瞳を塞がれることなく大切な人の笑顔を護りたい。

…俺ね、お父さんのこと今も大好き、でも、お父さんみたいに孤独だって思うことはしないね?だってこんなに哀しいんだから、

どうか孤独の壁を破って「真実」を話してほしかった。

どんなに哀しい真実でも息子と妻を信じて分けてほしかった。
そして一緒に泣いて一緒に超えたかった、どうか孤独だなど思わないでほしかった。
まだ父が孤独を選んだ事情の全ては解らない、それでも、どんな事情でも息子の誇りに懸けて分けてほしい。
だから自分は今ここに居る、父が選んだ孤独の事情を知りたくて、父の哀しみも喜びも全てを抱きしめたい。
父の生と死、その全てに向き合い全てを知り、その全てを自分は超えて抱きしめたまま生きてみせる。

…ここで生き残ったら俺ね、お父さんを怒ってあげたいんだ、だから覚悟してね?

父の苦痛を経験することで父の気持ちを理解する、そして初めて父を怒る権利も得られる。
そうして権利を得ることが出来た「いつか」父の墓前に向かって存分に文句を訴えて叱ってあげたい。
そんな自分だから言える、孤独に囚われて自死を選ぶことは、最も大切な人に惨酷な傷を永遠に刻むことだ。

誰よりも自分を想ってくれる人を無限に苦しめる、だからこそ自死は重罪だ。
孤独に囚われること、それは最も大切な人を傷つける諸刃の剣だ。

そう気づけたのは今、この前に広げたファイルの贈り主が13年の孤独から救ってくれたから。
今この前に座る幼馴染がいてくれるから気づける、その他にも沢山の人が自分と出会い励ましてくれて気づけた。
だから自分はもう二度と孤独に誤魔化さない、この現実に与えられた出会いの感謝を忘れない、そして自分を信じて生きる。

『生きろ』

そう全てが願うまま過去の真実を信じ、明日の彼方を信じて生きる。
そして「いつか」父の墓前に思い切り怒って、父が選んだ沈黙と死を論破したい。

My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old Or let me die!
The Child is father of the Man : 
And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.

私の心は弾む 空わたす虹を見るとき
私の幼い頃も そうだった
大人の今も そうである 
年経て老いたときもそうでありたい さもなくば私に死を!
子供は大人の父
われ生きる日々が願わくば 自然への畏敬で結ばれんことを

ウィリアム・ワーズワス「My Heart Leaps Up」別名「虹」
いつも父が口遊んだ詩に謳われる「死」は自死のことなど言っていない。

“So be it when I shall grow old Or let me die!And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.”

この意味を自分の経験を以て父に教えてあげたい。
そうして今度こそ本当に、父と約束した夢の場所へ立ちに行く。

『東京大学大学院 農学生命科学研究科 修士課程学生募集要項』

父が夢見た学問「虹」の世界で自分は年を重ね、全うする最期まで生きてみせる。






【引用詩文:William Wordsworth「My Heart Leaps Up」】

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白銀花披、弥生

2013-03-16 22:57:26 | お知らせ他
移ろいの季節に、



こんばんわ、麗かな3月の真昼だった神奈川です。
けれど夜は冷えこんでいます、が、やはり春になったかなあと。
それでも雪景色にまた行きたくなります、笑

昨夜・今朝と短編連載「銀雪の月」を続けてUPしました、校了済みです。
予定では本篇の続きもと思っていましたが、雅樹の続きを書きたくなりました。
もし湯原サイドが楽しみな方いましたら、またコメントorメールででも督促して下さいね。笑



いま3月、春に向かう時に本篇では真夏8月、短編では12月と違う季節を描いています。
元々は季節もリアルタイムに描いていましたが、宮田視点のみから4人の視点に広がって進捗が遅くなりました。
こんな季節感のずれもリアルと作中の相違になっていますが、本当は同じにさせたかったなあと。

雪と氷の季節から花ひらく時になる今、小説も本篇・短編とも展開していきます。
読んでいて何か少しでもプラスになるものがあれば、嬉しいです。

取り急ぎ、









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風香共鳴、赤と白

2013-03-15 12:35:36 | お知らせ他
新色、色彩の交差



こんにちは、晴天の明るい神奈川の空です。
写真は曽我梅林、白梅と紅梅の中間にある淡紅色の一輪です。

ホワイトデー特別編の後半「P.S.清香、親愛なる君へfrom Feb.14 to Mar.14 inclusive act.2」加筆校正が終わりました。
バレンタインデーの1箱に喜びながら現実を見すえる関根の、家族との対話から掴んでいく解答と1ヶ月後への物語です。
昨日の前後2話はバレンタインデー特別編「P.S.清風、この瞬間を重ねて 14.Feb.2012 」の対称譚になります。

英理と関根の物語は「清香」で関根が言うよう身分違いの恋です。
もう昔から伝統的な恋愛設定ですが、現代版のリアルが描けたら面白いかなあと。
殊に英理サイドは弟・英二の事情が結婚には深く関わってきます、その辺りは本篇・第47話にある通りです。
対して関根サイドは等身大の自分と彼女に横たわる「格差」の壁を超える、その覚悟と成長が課題でもあります。
今回はそんな関根の諦観を越えていく第1歩の物語です。

本篇では同性の恋愛がメインになっていますが、その周囲を象るのは男女の恋愛です。
同性で恋愛する主人公たちを育んだのも男女による結婚と家庭環境、なのでその辺を描くことが面白いなと。
英二、周太、光一、そして雅樹。この4人ともそれぞれの夫婦の間に生まれ育ち、互いの出逢いに同性を選んでいます。
この4人の環境や考え方は当然に相違があります、その違いが生まれるバックグラウンドは両親「夫婦」が起点です。
いわゆる家族の中核になる男女、その家族という背景ごと関根と英理の短編では描いてみました。

異性でも同性でも人間ふたりが恋愛で繋がることは、違う色が重なるのと同じこと。
関根母の台詞にもあったよう、互いの違いに喧嘩することも当然ありますし擦違いも避けられません。
それでも違いに歩み寄っていく努力を楽しめる、そんな恋愛が続くと家族が出来るのかな?など思います。

このあと短編連載「銀雪の月」と第62話「弥秀」の続きをUPする予定です。
取り急ぎ、









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第62話 弥秀act.1―another,side story「陽はまた昇る」 

2013-03-13 23:27:25 | 陽はまた昇るanother,side story
現実と相克、その超える術 



第62話 弥秀act.1―another,side story「陽はまた昇る」 

H&K MP5、

ドイツのHeckler & Koch GmbH社製の短機関銃。
高性能機関拳銃、高性能自動短銃とも呼ばれる銃器を携え壁を見る。
ヘルメットとマスクのはざま瞳は動き、現れた写真標的に視覚から腕が反応した。

―刃物、

視覚認識に一瞬で腕が上がり警告を与え、即座にトリガーを弾く。
銃口の先でサバイバルナイフの男が写真に斃れる、そのまま次の壁に視界を移す。
そこから写真標的はまた現れて、反射的に視点が判断を下した。

―携帯、

携帯電話を持った男の姿に、発砲は行わない。
すぐに視界の壁は切り替わり女性が現われる、その拳銃を携えた手許へ周太は狙撃した。
それら瞬発的稼働を行う体は突入服にボディアーマーとタクティカルベストの重量に包まれる。
ヘルメットは機関拳銃に頬付けるために防弾仕様のフェイスガードは外され、実戦なら被弾の可能性は否めない。
だから一瞬の判断で標的を狙撃することだけが、自身の生命と犯人確保の安全を護る術になる。

目視、判断、警告、発砲。

この瞬間的連鎖運動に条件付けを反復することで、筋肉の記憶を完成させていく。
そして緊迫した現場状況でも無意識の反射運動を起こすよう、幾度も訓練を積み上げる。
そこにはコンマ1秒以下の散漫も赦されない、ただ全神経の集中に視覚と脊髄を連動させる。

―拳銃、

写真標的の得物に唇は警告を発し、腕はトリガーを弾く。
被弾に映像の男は消えて、ようやく訓練終了の合図が示された。
そして緊迫の解かれた意識は呼吸の希薄を自覚して、周太は息吐いた。

「…は、っ、」

溜息がマスクに遮られ、肺への酸素が幾らか薄い。
希薄な呼吸が気管支を突きあげて周太はゆっくり息を吸った。

―すこし苦しいけど、でも耐えられる、

他の隊員に気付かれぬよう呼吸を整え、素早く整列に加わった。
小隊長の訓示と礼が終わり解散すると、周太はマスクを外しヘルメットを脱いだ。

「は、っ…ふ、」

ぐんと呼吸が楽になって酸素が肺から取りこめる。
やはりマスクを着けての運動は辛い、そんな現実に幼い記憶が警鐘を知らす。
小学校1年生のころ、父と登った高山で森林限界を超えた途端に歩けなくなった。
そして山から戻って受けた検査の後、のど飴をいつも持っている習慣が出来た。

―…周、オレンジのど飴だよ、いつも持っていようね?すこしでも喉が痛くなったら食べるんだよ、

そう父と母に念押しされて、以来、森林限界より高所には登っていない。
それがどういう意味だったのか、英二が遠征訓練に行くため被験した高所適性テストを聴いて解かった。
おそらく自分は高所適性が低いのだろう、そして心肺機能に何らかの欠陥がある。

―お母さんにまだ聴いていないけど多分そうだ、普通の身体検査では解らなくても、

普通、体力テストや身体検査は低地で実施される。
この低地という条件下では高所適性に関する事項は判明し難いだろう、当然に自覚も無い。
だから健康になんの不具合もないと信じていた、けれどマスクを着けての訓練が証明してしまう。
もちろんマスクは酸素透過も考慮された素材で出来ている、それでも鼻筋から口許を押える圧迫だけで息が詰まる。
これが実戦で駆けるならもっと苦しいだろう、そう考えると自分の適性が「狙撃」であることは幸運かもしれない。

銃器対策レンジャーの任務は篭城事件におけるSATの後方支援、ヘリコプターやビルからロープで降下し突入を行う。
そしてSATの狙撃チームなら犯人に気付かれぬよう遠隔から発砲する、だから全力疾走する事は幾らか少ないはずだ。
その出動現場となる可能性は都市部に多い、それならば高所適性や希薄な酸素に多少の支障があっても何とかなる。

―でも何が駄目なのか知っておく方が良いよね、大学のこともあるし、

聴講生として学ぶ森林学では当然、山に登って実地調査をする。
そのことを考えても自分の体を知った方が良いだろう、吉村医師に相談してみようか?
自身が山ヤである吉村ならアドバイスをくれるはず、そんな思案と歩く横から落着いた声が笑いかけた。

「おつかれ湯原、全弾的中だったな、」

振り向くと涼やかな瞳が笑ってくれる。
もう2月の射撃大会から見知った笑顔に、周太は笑いかけた。

「おつかれさまです、菅野さんも全部的中でしたね、」
「実戦の方が得意なんだよ、だから大会とか苦手でな。どっちもの湯原はすごいよ、」

可笑しそうに笑って、軽やかに肩を叩いてくれる。
こんなふう親しみを示してくれる、その感謝へ素直に周太は微笑んだ。

「ありがとうございます、でも合同訓練は難しそうで、」
「そうだな、自衛隊と一緒だと臨場感が違うな、」

話しながら歩く廊下、黄昏の光が長く射す。
いま8月の下旬に掛かる頃、昨日よりすこし陽の短くなった空は暮れなずむ。
もう奥多摩の山は夜に包まれる、その遠い空に俤を見上げた横から菅野が問いかけた。

「湯原、標的の手許を狙ってたな?それも利き手だった、どうしてそこを狙った?」

利き手、そこまで菅野は見切っている。
本部特練らしい才能に周太は敬意をこめ笑いかけた。

「はい、犯人の動きを封じるには一番良いと思いました、」

利き手を撃たれたら武器を操り難くなる。
けれど実戦において「手だけ」を狙うことは難しい、それでも一番に可能性がある。
この可能性を確実にする手段を身に着けたい、そんな意志と笑いかけた先で菅野が微笑んだ。

「動きを封じることが俺たちの任務だもんな、出来れば一滴の血も流さずに解決したいけど、」
「はい、」

素直に頷きながら嬉しくなる。
自分と同じ考えの先輩がいる事が嬉しくて、頼もしい。
そして菅野が柏木と親しいことが解る気がする、それも嬉しくて周太は笑いかけた。

「菅野さんは、柏木さんと少し似ていますね、」
「お、湯原も思うんだ?よくそう言われるんだけど何でかな、」

涼やかな瞳を細めながらヘルメット片手に笑ってくれる。
その気さくで穏やかな空気が先輩を懐かしませて、なんだか嬉しい。

…柏木さん相変わらずお茶淹れてるんだろうな、若林さんも元気かな?…深堀のメールで佐藤さんのことは解かるけど、

新宿署で親しくしてくれた4人を想い、ほっと心が温まる。
そして「彼」の視線が思い出されて突入服の中、すっと汗ひとすじ落ちた。

…あの人は見張っているんだろうか、今こうして訓練している時も、

第七機動隊 銃器対策レンジャー第一小隊。
それが今の所属部署になる、ここにも新宿署のように「彼」の部下がいるのだろうか?
まだ「彼」が何者なのか正確には掴んでいない、けれど平日の図書館でいつか現実は解かるだろう。
そんな想いに心裡ため息吐いた横から、菅野が尋ねてくれた。

「そういえば湯原、盗聴器は大丈夫か?」

約10日前の第七機動隊付属寮で、周太と光一の個室から盗聴器が見つかった。
他にも共同スペースの2ヶ所から発見されている、以来、七機全体が盗聴器への警戒を強めた。
その事実を第七機動隊所属の全員が知っている、けれど盗聴対象の真相は光一と自分以外に知らない。
そんな現実の秘匿を呑みこんだまま周太は、ただ気遣いへの感謝に微笑んだ。

「はい、あれからは異常ありません、」
「なら良かったよ、着任早々に災難だったな、」

穏やかなトーンで言いながら涼やかな目が笑いかけてくれる。
その優しい笑顔は困ったよう首傾げ、そっと教えてくれた。

「隣の部屋じゃなければ話す必要ない事だがな、国村さんは実際のところ敵も多いんだ。だから盗聴も仕掛けられたんだろうな、」

光一の敵が多い、それは警察組織の仕組みからだろう。
そんな予想と見上げた先で菅野は少し歩調を緩め、静かに話し始めた。

「国村さんは高卒だけど23歳で警部補になった、これはキャリア組が大学校を出た時の階級と年齢に同じだ、要は並んだって事になる。
それがな、農業高校出の男が自分たち国家一種のエリートと並んだって癪に障るらしい、だから粗探しをしたいって連中も居るんだよ、」

確かにそういう考えは存在するだろう、それは納得できる。
けれど菅野はどこから情報を得たのだろうか?この疑問に周太は尋ねた。

「後輩の方とかにキャリアの人が?」
「ああ、高校の後輩で東大に行ったヤツだ、今は察庁の警備課にいる、」

答えてくれる言葉に、幾つかの単語が引っ掛かる。
菅野の後輩が言った事なら情報として信頼度は高いだろう、けれど解らない。
そんなことを考えながらも歩く廊下、ゆっくり黄昏が薄暮へ変わっていく。

きっともう奥多摩の山は夜だろう、そこから自分のいる場所は、遠い。



開錠した扉の10cm上方を見ながら、いつものよう開いていく。
その視界にごく細い線が現われて、ほっとしながら周太はさり気なく繊維を外して自室に入った。

ぱたん、

閉じた扉に鍵をかけて次は窓の開錠をする。
ゆっくり開いて2cmになった窓、桟との間に細い糸が真っすぐ張られた。
その確認をするとまた慎重に窓を閉め、施錠して溜息がこぼれ微笑んだ。

…良かった、誰も侵入していない、

たった2本の細い糸、けれど侵入者の存在有無を知らせてくれる。
こんな警戒方法を使う日常が今の自分、その緊迫感が全神経の集中を絶えさせない。
自分は警察官になる為に多くの覚悟をした、けれどこんな「監視」状況は予想外だった。

「…どうして?」

ぽつんと独り言こぼれて瞑目する、その瞼に父の俤が微笑んだ。
1年前の自分が知っている父は穏やかな知識人で、庭仕事と茶の湯を好む家庭人だった。
あとは射撃でオリンピックに出場した事、幼い頃から登山と読書を愛していること、料理が得意なこと。
どれもが警察官の姿を示さず、そして父の過去も真相も、祖父母たちすら遠く隠して顕わすことは無い。

けれど父の軌跡を辿り警察官の世界で直面する現実は「謎」が多すぎる。
そして意図せずに辿り着いた父の母校で見た事実には「意志」の残像たちが語ってくる。
その全てを考えあわせても、今この自分が立たされている「監視」の理由はまだ解らない。
ただ「彼」の存在だけが影を射し、父を象るパズルのピースたちを深い翳りへと隠してしまう。

…あの人のこと調べるには図書館が一番良いんだ、でも平日じゃないと書庫は開かれない、

きっと図書館の書庫にヒントがある。
そう解っているのに、閲覧に行く時間が簡単には掴めそうにない。
それでも調べるなら平日に休暇を取る算段を考えるか、別の閲覧場所を探すしかない。
考えながら風呂に行く支度をしていると携帯電話の受信ランプが赤く輝いた。

「あ、」

光の色と、現在の時刻に鼓動が跳ね上がる。
今は19時過ぎ、もし道迷いが発生すれば捜索依頼が舞い込む時間だろう。
そんな予想に小さく息呑んで携帯を開き、受信メールの文面に呼吸を呑んだ。


From  :宮田英二
subject:出ます
本 文 :おつかれさま、周太。今から道迷いの夜間捜索に出ます、夜の電話は出来ないかもしれない。
     周太の声聴きたいけど我慢するよ、その分だけ俺のこと想っていてくれる?


夜間捜索、その単語に不安がこみあげ緊張が昇りだす。
けれどもう一度読み直した2行目の単語たちに、今度は紅潮が昇った。

「…っ、こ、こんな非常事態にだめでしょえいじ?」

遭難救助の現場に行くのに、こんな事を言って来るなんて呑気すぎる?
そう思いかけて、けれど直ぐに気づかされて信頼と優しさに心掴まれてしまう。
こんなふう言って英二は心配や不安を除こうとしてくれている、その配慮に微笑んで返信を作った。


T o  :宮田英二
subject:Re:出ます
本 文 :気を付けてね、無事を信じて想っています。


短い一行だけの返信、けれど全てを懸けた祈りが籠る。
どうか無事で帰ってきてほしい、綺麗な笑顔のまま山を駈けてほしい。
その願いのままに携帯電話を握りしめてBook Markから天気予報を検索する。
そこに表示された奥多摩地方の天気を見つめ、独り、窓から北西の空を周太は仰いだ。






(to be continued)

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白花陰翳、師走と葉月

2013-03-12 20:28:05 | お知らせ他
陽に透ける花、その核心



こんばんわ、いくぶん寒の戻った神奈川です。
梅の花は散り始めましたが、駅までの道は花びらふるアスファルトが佳い風情でした。

今朝UPの「銀雪の月」もうじき加筆校正が終わります。
side K2「雪花の鏡」の雅樹サイド、都心のビルにて忘年会に座るワンシーンです。

第62話「夜秋5」加筆校正が終わっています。
宮田と原の夜間捜索とビバークの最終話、宮田にとって初めてなタイプのキャラクター原幸隆と英二の意地と信頼の物語です。

写真は曽我梅林にて。
陽光あわく透ける白梅、なんだか雅樹のイメージです。
冬の寒さから春を招く香をながし、夏には果実もたらす梅の果樹。
高潔で優しい性質と質朴に香り高い花木は、雅樹の純真な生き方を想わせます。

このあとは第62話の湯原サイドor「銀雪の月」続編の予定です。






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第62話 夜秋act.5―side story「陽はまた昇る」

2013-03-11 22:27:06 | 陽はまた昇るside story
明辰、掌中の器 



第62話 夜秋act.5―side story「陽はまた昇る」

銀砂の夜が山にふる。

霧の晴れた梢に星は響き、その光へ焚火の煙は昇りゆく。
夏に繁れる林間に銀のきらめき揺れて、谷からの風に水の気配が香る。
すこし気温がまた下がった、その体感温度と山風のなか英二はコッヘルを焚火にかけた。

「あんた、コッヘルまで持ち歩いてんだ?」

すこし驚いたよう低い声が訊いてくれる。
その声に英二は笑いかけた。

「はい、救助の時に役立つと思って。あったかい飲み物は体温を上げますし、精神的にも落着きますから。カップ出してくれますか?」
「ああ、」

頷きながら原はマグカップをザックから出し、英二に渡すと足を組んだ。
腿を支えに頬杖つき、寛いだよう目を細めるといつもの一本調子が言ってくれた。

「本当にレスキューのプライドが高いんだな、あんた、」
「ありがとうございます、」

素直に礼を言って笑いかける、その先で精悍な瞳が笑った。
一見は仏頂面に見える貌、けれど笑うと意外な愛嬌が原にはある。
寡黙な性分の根は素直なのだろうな?そう感じるまま英二はさっきの質問を繋いだ。

「高校の山岳部に入ったのは、元から山が好きで?」
「いや、半分強制的だった、」

答えた低い声が半分笑っている、その言葉が気になってしまう。
半分強制的とはどういう意味だろう?目で問いかけた先で原は口を開いてくれた。

「俺は口が重いだろ?それで高校は入学早々に浮いてな、だから担任が顧問してる部活に俺をひっぱりこんだ。それが山岳部だった、」

社交的の正反対、そんな原らしいエピソードだろう。
この寡黙で実直な山ヤが育まれていく初歩、その物語を聴きたくて英二は笑いかけた。

「その先生がさっき教えてくれた、元県警の山岳救助隊だった方ですか?」
「ああ、家の事情で転職したらしい、」

すこし微笑んで答えてくれる、その目がふっと和む。
たぶん良い先生だったのだろうな?そんな予想と耳傾けた先、低くても透る声は話し始めた。

「静岡県警の山岳遭難救助隊で南アルプスの管轄に居たんだ。体力も化けモンみたいでさ、マラソン大会も体育の先生より強かったよ。
社会科で地理の担当してた、山とか気候のことが詳しくて部活でも教わったよ。山が楽しくて仕方ないって感じで、でも怖さもよく知ってた、」

ひとつ息吐いて精悍な瞳が瞬いた。
かすかな哀切の映った瞳が英二を見、原は教えてくれた。

「先生は教師になるつもりで大学に入ったらしい、でも3年の春休みにワンゲルの友達が行方不明になった。一ノ倉沢で滑落したんだよ。
先生は大学の合間に探しに行ってたんだ、そのとき長野県警の山岳警備隊の人と色々と話したらしい。で、地元の県警で救助隊員になったんだよ、」

仲間の遭難死、それは山ヤの誰もが遭遇する哀しい可能性だろう。
それを通して山岳レスキューに生きた男は今、教師として「山」を教え続けている。
その教え子は警視庁山岳救助隊の隊服姿で座り、英二に向きあって物語をつないだ。

「発見出来たのは5ヶ月後の盆休みだったそうだ、白骨化してたけどザックとか残っていて、免許証から身元確認が出来たらしい。
見つけられて嬉しいけど悔しいって話してくれた、生きて帰ってほしいって。そういうの援けたいから先生、自分が山の警察官になったんだ、」

語られる物語のはざま、コッヘルに湯の沸く音がやわらかい。
山ふる静寂に湯音を聴きながら微笑んで、原は続けてくれた。

「救助隊を俺に奨めてくれる時、先生は山の現実を全部話してくれたよ。どうやって遭難が起きるのか、遭難者はどんな状態になるのか。
遭難者を救助しても酷い言葉を投げられる事もある、遭難者の態度にムカつくことも、逆に泣かされることもある。そういうの話してくれた、」

遭難現場、そこの現実は美しいばかりじゃない。
むしろ危険の冷淡と醜態がうずくまる、そこに向きあう日常は楽だとは言えない。
その全てを語られても山岳救助隊員の道を選んだ男は今、精悍な瞳を細めて率直に笑った。

「それから俺の適性と弱点を教えてくれた。俺はビビりな分だけ慎重に行動できるから、命を救える行動に繋げて活かすことが出来るって。
誰かの為に危険に立ち向かったら、臆病も少しずつ治るぞって言ってくれた。俺がビビりな自分に悩んでんの、先生はよく解ってるんだ、」

いつもの一本調子、けれど言葉一つずつに温度がある。
大切な恩師を語っている、その穏やかな敬愛の空気に英二は微笑んだ。

「先生とは卒業後も一緒に登ったんですか?」
「年に一回は一緒する、俺のビビりチェックらしい、」

頷いて精悍な瞳が英二を見る、その眼差しは寛いで暖かい。
こんな貌を見せてくれるようになった、それが素直に嬉しくて微笑んだ向こう、原が困ったよう笑った。

「だから今怖いんだよ、たぶん俺、遠征訓練の辞退したこと滅茶苦茶に絞られる、」

警察の山岳レスキューOBならば勿論、遠征訓練も公務として考えるだろう。
それは怒られて当然かもしれない、その予想に英二も困りながら微笑んだ。

「厳しい先生なんですか?」
「普段は優しいけどな、山のことはマジ鬼にもなる、」

鬼、そんな表現を原がするのは余程だろう?
ふたりの遣り取りを想像して可笑しくて、つい笑った英二に原も笑いだした。

「ははっ、完全に他人事で笑いやがって?あんたビビりの正反対だもんな、羨ましいよ、」

臆病の正反対、言われて見ればそうかもしれない。
元来が傲慢なところが自分にはある、それでも今は「怖い」相手が1人いる。
その俤に微笑んで英二はコッヘルを火からおろし、マグカップに注ぎながら答えた。

「俺もビビる時あるけど?」
「マジかよ、一度見てみたいな、」

愛嬌の笑顔ほころばせ原が笑う、その貌は肚が透けるほど明るい。
こういう男なら守秘にも信頼が出来るだろう、そんな信頼とマグカップを手渡した。

「インスタントコーヒーですけど、」
「どうも、」

大きな手にカップを受けとる、この仕草にも寛いだ気楽が明るい。
英二のカミングアウトもプライドも丸呑みしてくれた寡黙の実直、それが何げない仕草と表情に見える。
この思案に吹く風は樹木と清流を香らせながら冷えていく、いま夜明に近づくごと下がる大気に焚火は心地いい。
炎に爆ぜる木音と光を見つめながらカップに口付けて、湯気くゆらす熱い芳香を英二は啜りこんだ。

―旨いな、

心つぶやいて掌のカップにほっとする。
インスタントでも山で沸した湯のコーヒーは旨い、それは山の空気のお蔭だろう。
いま黎明時の涼やかな空気に炎を見つめる時間、小さな欠伸ひとつで英二は微笑んだ。

「原さんの彼女って、どうやって出逢ったんですか?」

問いかけに原が振向いて、すこし眠たげな瞳に炎が映る。
大きな手に持ったカップの湯気を吹き、ひとくち啜りこんで低い声がすこし笑った。

「中学の同級生だ、」

短い言葉で答えてくれる、その貌がふっと和む。
きっと良い恋をしている、そんな空気に英二は笑いかけた。

「彼女は今も地元に?」
「ああ、静岡の事務所に勤めてる、」

徹夜のビバークにも疲労少ない声は、いつもの一本調子でも笑っている。
夜霧が晴れる前よりも打ち解けた、その様子が嬉しいまま英二は微笑んだ。

「事務所だと士業?」
「税理士だ、専門学校出てる、」

短い言葉の応酬、それでも会話が成り立つ。
そこに見える眼差しは質朴に温かい、そして確信がまた積まれる。
ゆるやかな焚火の熱に貌を照らしてコーヒー啜りながら、夜明けを共に待つ時間。
いま穏やかに晴れた山の夜にある、けれど3時間ほど前は相互理解の緊張が霧に籠められていた。

『俺を信用するヤツを裏切ることは、いちばん大嫌いだ、』

そう告げた原の言葉が、緊張を信頼に変えてくれた。
そして今は連帯感が焚火の前に照らされる、この紐帯を固めたくて英二は笑いかけた。

「告白のきっかけって何でした?」
「卒業式だ、高校の、」

短く応えて笑んだ瞳が、照れくさげに炎を見た。
手許も困ったよう焚き木を掴んで火にくべる、そんな仕草のぶっきら棒を英二は突っついた。

「彼女から告白されたんだろ、原さん?」

がらり、

放りこんだ焚き木が燃え崩れ、照れくさい視線が英二を見る。
ひき結んだ口許がへの字に言い澱む、それでも原は観念したよう口を開いた。

「…不覚にもな、」

不覚、その古風な言い回しが面白い。
なにより告白「された」ことが不本意だという思考に笑いたくなる。

―告られたって自慢しても良いとこだけど、本気だから悔しいんだろな?

男なら本命の相手には自分から言いたい、そんな意地は解かる。
自分は周太への告白も婚約申込みも自分から出来た、この首尾は本音かなり誇らしい。
だから原の「不覚」はよく解る、けれど原には「された」が似合うようで可笑しくて、英二はつい噴き出した。

「ふっ、」
「笑うな、」

冷静な一本調子で遮って、けれど原の目も困ったよう笑いだす。
その空気に許しと親しみを見て、英二は笑ったまま訊いてみた。

「彼女のこと原さんもずっと好きで、本当は自分から告白したかったんだろ?」
「…ああ、」

ぶすっとした声音で答えてくれる、それでも精悍な目は照れくさく笑う。
このアンバランスに気づいてしまえば原は親しみやすい、そう気づけた2週間に笑って提案した。

「原さん、結婚の申し込みは自分からしなよ?また後悔しないようにさ、」
「だったら教えろ、」

不貞腐れた、そう誤解されがちの一本調子が英二に問う。
こんな言い方でも原は心底から訊きたいと思っている、その意志へ笑いかけた先で精悍な瞳がすこし笑った。

「どういう言い方が女は嬉しいんだ?その、申込みとかって、」

こんな質問を原にされるなんて、2週間前は誰が予想しただろう?



夜明の下山に救助活動は無事撤収し、奥多摩交番へ着くと畠山と木下の妻が炊き出しをしてくれた。
熱い味噌汁と握飯の朝食は空腹にしみて旨い、狭い交番からはみ出て立ち食いしていると後藤に呼ばれた。

「おうい、宮田。ちょっと二階に来てくれ、食いもん持ったままでかまわんよ、」
「はい、」

返事して味噌汁を啜りこむと、最後に熱い湯気が喉を直撃した。
すぐに咳が迫り上げる、噎せあがるまま咳こむ隣から原が湯呑を渡してくれた。

「よく噎せるな、心肺機能は強いくせに変なヤツ、」

一本調子の台詞が前より長く、言葉も親しいトーンになっている。
こんな順化は嬉しい、受けとった水を飲んで英二は綺麗に笑った。

「いろんな貌があって良いだろ?水、ありがとな、」
「ふん、副隊長んとこ早く行けよ、」

英二のタメ口にも原は笑って、握飯を頬張りながら二階を指さしてくれる。
もう昨日とは違う空気が楽しい、微笑んで英二も握飯を口に押し込みながら中に入って流しへ湯呑と椀を戻した。

「ごちそうさまでした、旨かったです、」

奥へ声をかけ笑いかける、その向こうで畠山と木下の両夫人が微笑んだ。
ふたつの笑顔に感謝で頭を下げて、混雑を縫うよう二階へ上がり後藤の前に座った。

「おつかれさまでした、調子はいかがですか?」

挨拶すぐに問いかけた先、大らかな笑顔がほころんだ。
いつもの元気そうな貌にほっとする、そんな想いを知るよう後藤は言ってくれた。

「すまんなあ、心配かけて。おかげさまで痛みとかは何もないよ、でも吉村から早速に呼びだしだがね、」

笑いながら携帯電話を開いて見せてくれる、その画面に短いメール文は温かい。
今日は何時でも良いから診察に寄るように、そんな文章に英二は後藤に微笑んだ。

「今日は土曜ですから、御岳の病院に呼び出しですね?」
「だから昼の訓練はつきあえるぞ、御岳の河原でボルダリングでもするかい?」

病院の話題だったのに「山」の話になってしまう。
こんな後藤らしさに笑った英二に、後藤は目を細めながら言ってくれた。

「もう宮田なら解ってるだろう?おまえさんと光一を異動させる理由と、蒔田はまだ俺の体のことは知らんだろうってこと、」

蒔田にはまだ話していない、そんな後藤の気持ちは解かる気がする。
この切ない現実に微笑んで英二は穏やかな瞳のまま頷いた。

「後藤さんが現役でいる間に光一へ引継がせる、そのために光一のカリスマを早く着実に認めさせることが俺の役目だと思っています。
今回の異動は、光一の実力を警視庁の外で示す機会だと俺は考えます。機動隊なら警視庁の管轄外でも活動する機会から、人脈も作れます。
この考えは藤田さんも同じだと思います、でも副隊長のお体には気づいていないでしょうね?いつも一緒に登ってなければ気づき難いですから、」

言われなくても後藤の病変に気付けるのは、警察内部では吉村医師と自分くらいだろう。
それくらい後藤の様子に変化は見られない、そんな理解に笑いかけた先で深い瞳が満足げに微笑んだ。

「おまえさん、ちゃんと解ってくれてるなあ。俺の見込みは間違っちゃいなかった、嬉しいよ、」
「ありがとうございます。後藤さん、光一にはもう話したんですよね?」

きっと話しているはずだ、その方が光一は奮起するだろうから。
この推察に後藤は、ますます愉快そうに頷いた。

「話したよ、あいつが異動する朝だ。署の診察室でおまえさんが仕事してた後ろでな、吉村と簡単に話しておいた。冬富士も無理だってな、」
「解りました、病名はまだ言ってないんですか?」
「すまんなあ、宮田から説明してくれるかい?」

深い目は信頼に笑って寛いでいる、その貌には徹夜の疲れが僅かに燻らす。
やはり前よりも無理は利かなくなり始めている、今も早く後藤は休ませた方が良いだろう。
そんな判断をめぐらせながらも英二はいつもどおり、穏やかな笑顔で頷いた。

「検査の結果が出たら話しますね。あと富士の計画ですけど小屋で1泊しませんか?翌朝の早くに下山すれば昼前には戻れます、」
「うむ、泊まりは良いなあ?俺のほうは構わんよ、元から翌日も振休扱いにしてあるからな、」
「良かった、昼に変更後の計画を渡しますね、」
「よろしくな、楽しみにしてるよ、」

話しながら頷く顔は登山計画を愉しみに待っている。
この山を愛する笑顔を続かせてあげたい、そんな願いに英二は山時計を見ながら立ちあがった。

「そろそろ署に戻ります、吉村先生の診察が終わったらメール頂けますか?」
「うん、吉村と昼飯食ってから駐在所に行くよ、」

言いながら後藤も立ち上がってくれる。
たぶん後藤も帰宅するのだろう、ほっとして微笑んだ英二に後藤が愉快に笑った。

「そういえば宮田、ずいぶん原と仲良くなったみたいだな?おまえさんたち一晩、なにを話してたんだい?」

自分たちの変化が傍目にも解るんだ?
こういうのは嬉しい、なにより後藤には話しておきたい。
けれど今は後藤を早く帰したくて、一緒に歩きだしながら英二は核心部だけを口にした。

「俺のカミングアウトと、原さんの結婚観についてです、」

言って笑いかけた隣、深い目がゆっくり瞬いた。
すこし考えるよう瞳を細め、すぐ愉快に笑いだすと後藤は英二の肩をひとつ叩いた。

「へえ、そりゃ濃い内容だなあ?さぞ愉しかったろうよ、」

確かに「濃い」時間だった。
そんな感想に嬉しく笑って英二は綺麗に微笑んだ。

「はい、愉しかったです。またちゃんと話しますね、」
「おう、ぜひ聴かせてほしいよ。原の件は本人から聴いてみたいなあ、」

可笑しそうな笑顔と階段を下りると、表で木下と原が話していた。
ふたり楽しそうな笑顔でいる、その横顔を眺めて後藤は言ってくれた。

「やっぱり原の雰囲気、ぐっと明るくなったなあ?光一の時と同じだよ、ありがとうよ宮田、」

光一の時、そう言われて小さく心が軋んでしまう。
光一と初めてビバークした時から一年も経っていない、けれど遠い時間にも思える。
それくらい光一と過ごした時間には記憶と変化が積った、そんな想いごと英二は綺麗に微笑んだ。

「俺のほうこそ、ありがとうございます、」

本当に、自分の方こそ感謝したい。
光一と出逢って自分は「山」の多くを学んだ。
山にある現実の喜びも哀しみも、山に見る夢の傷みも誇りも知った。

その全てが自分を援けて「自分」を見つける光になる、この明暗ともに誇らしく、ただ嬉しい。









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紅梅黒白、花と告知

2013-03-10 18:32:17 | お知らせ他
紅に黒白、春点景



こんばんわ、春の温かさだった神奈川です。でも明日から寒いそうですが。

写真は曽我梅林の紅梅です。
あざやかに濃い紅色と黒紫の幹、白っぽい空のコントラスト。

紅梅ブログトーナメント



三彩の世界は鮮烈で、ちょっと宮田のイメージとも似ているかなと。
第62話「夜秋4」の英二は久しぶりにダークサイドです、読まれてどんな印象でしょう?

いま第62話「夜秋4」加筆校正が終わりました。
鷹ノ巣山@奥多摩の尾根筋にて霧のシーン、原と対峙する宮田の嘘と真実の物語です。

今朝UPの短編「銀雪の月」はこのあと加筆校正していきます。
短篇「雪花の鏡」の雅樹サイドです、クリスマスイヴ前夕の新宿シーンになります。

取り急ぎ、










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春朗花披、梅の里にて

2013-03-09 23:27:22 | お知らせ他
香らす光、質朴の美に



こんばんわ、春の日和なごんだ神奈川でした。

写真の花は曽我梅林@神奈川県小田原市にて。
ここは神奈川ではちょっと有名な梅郷で、梅干用として植樹されています。
観賞用では無い農作物、その質朴な手入れに整った梅林は観光梅林と違う空気です。
果樹として実りを贈ってくれる、そんな感謝が温和な透明感になるのかもしれません。

この梅林は梅祭りを毎年開催するのですが、終った三日後に行ってみました。
まだ花は観頃でしたが観光客は少なくて、ゆっくり歩きながら眺める風情は春の長閑です。
そんな花の下に地主さん達らしき酒席が楽しげで、茣蓙の笑い声はまた麗らかな風に明るくイイモンでした。

いま連載中の舞台、奥多摩も梅の里として有名です。
むこうも今、綺麗だろうなと思いながら撮影しました。





白梅と紅梅の見分け方ってご存知ですか?
よく花の色だと思いがちですが、枝の断面で見る色が判別基準です。
ようするに花が白くても樹液が赤なら紅梅という場合も勿論あります。
外見的な花の色ではなく実質的な樹液に因る、なんて何だか人間も同じですね。

今朝UPの第62話「夜秋4」加筆校正がまだ途中です、倍ほど増筆になるかと。
そのため短編連載のUPが遅くなります、楽しみな方いらしたら暫しお待ちください。
朝までにはと予定しています、たぶん「雪花の鏡」雅樹サイドになりそうです。

取り急ぎ、花写真にて進捗報告









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