喜怒哀楽、どれも必要な感情なのかもしれません

2015年06月26日 | よもやま話

人の感情には「喜怒哀楽」というものがありますよね。

東洋医学では「怒喜思憂恐」の5つの感情があるって言うんです。

それらの感情たちは各々臓腑との関連があって

それらがバランスよく循環して初めて心身の健康は維持される

っていうのが五行学説(のごくごく一部…)というものなのですが…

 

ま、私はあまり東洋的な考えを基盤に治療を組み立てないので、

今日のお話は、よもやま話ということで…

 

さて、「笑う門には福来る」とは言いますが、

常に「喜楽」で過ごせたらどんなにいいか…

って、思います?

私はそうは思えないんですよ。

時折、ネガティブな感情はすべて悪だとするお話を聞きますが、

人間ですから怒ったり哀しんだりもあるでしょう!?

 

のべつ幕なしに好き勝手に怒り哀むってのは論外ですよ。

でも、

大好きだった人との突然の別れ

そんなことが起こった時、

やっぱり会えなくなるのは哀しいし

急にそうなったことへのやり場のない怒り、

思い返しての後悔、

そんなマイナス感情を持たないほうが不自然だと思いませんか?

正しく怒るべきことに怒る。

哀しむべきことに哀しむ。

これはあっていいことでしょう?

その方が、ずっと人間らしいと思います。

心理的な落ち込みがあった時、空元気をふかすよりも

一度きちんと落ち込んであげるほうが、そこからの心理的な回復も早いそうです。

それに無理に感情を押し殺しすぎて起こる故障もあるんです。

胸郭出口症候群なんてその最たるものだと思います。

この故障は手がしびれたり、痛んだり、あちこちに症状が飛び火するんです。

実際は肩を含む胸郭のてっぺん周辺の問題を取らないとにっちもさっちも行かないんですが

ちゃんと腕に故障があったりするもんだから、

ついつい腕ばかりにとらわれて見過ごされてしまうことも多いんです。

そうした問題を見過ごすことなく治療して、その反応も良かったとしても、

いい状態が続かずに、じきに元に戻ってしまうとき、

その方が負った心的トラウマが根っ子に居座っていることがあるんです。

 

ちょっと寄り道しますが、

呼吸という自律的な運動は古く原始的な部分の脳でコントロールされており

感情(情動)とも密に繋がりを持っているんです。

不安や恐怖は呼吸を浅く頻回にします。

そうした状況が長期にわたると呼吸にかかわる筋肉たちはカチコチに疲弊して、

その隙間う縫うように張り巡らされた腕への血管や神経を挟み込んでしまうんです。

すると腕の神経を故障したり、腱鞘炎になったり、いろんな故障が起こりだすんです。

そういった訳で、

胸郭出口症候群には心的ストレスがきっかけとなることがよくあるんです。

 

話を戻して、

 

そんな患者さんを診ていて気付くのは、

上手に感情を吐き出せてないなってところ。

そうした方はだいたい決まって、「別に何かをぐっと堪えているつもりはない」といいます。

でも、ふとした拍子に感情が関を切ってあふれる瞬間に居合わせることも少なくありません。

 

「いつまでもクヨクヨしちゃいられない」

そう、確かにそれはその通り!

私も「ずっと」はダメだと思います。

でも、本当に哀しかった出来事なら、

何年たっても、その時を思い起こして涙していいと思います。

それってごく自然なことだと思います。

人には陰陽二極に属する感情があり、どれかが過剰であっても、どれかが過少であっても健やかではいられないそうです。

単なる私の思い込みが大きいかもしれませんが、

胸郭出口症候群の治療を通じた経験からも、

山あり谷あり、決して平たんでない人生を活きるには、

喜怒哀楽、どれも必要な感情なのかもしれないなって思います。

 

哀しい時には泣くだけ泣いて、そしたら自然と笑えるようになる日が、きっと来ます。

その方が、人間らしくて自然だなって思います。

転んでも、また立って進みましょう。

 

そう自分にも言い聞かせつつ、今日はここまで。

だらだら書いて、オチもなし。

ま、今日はそんな日だったってことで。

では。(^^;)


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