シリーズのようなタイトルの割に、まとまりのない文章で申し訳ない(-_-;)
なかなか腰据えて書くには時間的な余裕がなくって…
ほんと、ぽっと浮かんだことを書きなぐる感じで恐縮ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。
と、いうことで
サックリ独り言のように始めさせていただきます…
健康的な身体操作を考えるとき、私の頭には「ヒトの基本構造に沿った運動」っていうのが浮かびます。
で、そんな切り口から「ヒトは何に対して優れた適応を持った動物なのか?」という疑問が浮かぶわけです。
ほら、魚は水中での運動に、鳥は空での運動に適応した構造をもってるでしょ!?
そんな切り口で見ると、私にはヒトが「重力への適応に優れた動物」に見えてしょうがないんです。
二本足で立ち、重い頭を脊柱の先にヤジロベーのようにバランスよく乗せながら歩き回り、さらには移動中にも自由な手を使って様々な仕事を他のどの動物にも成しえない水準でこなしてしまう。
こうした自由な身体操作の基盤にあるのはなんだ?
と考えた時、浮かんだ答えが「重力への適応」でした。
ちょっと突飛な感じに思うかもしれませんが、そんな答えが浮かんだのにはそれなりの訳があるんです。
ヒトが二足歩行や手の機能の獲得といった「自由」を手に入れたきっかけは、ヒトの祖先に起こった生活環境の変化に起因しているとする説があります。
ヒトの祖先は初め群れを作って樹上生活を送っていたサルの一種だったそうで、群れの生活は社会性を生み、その樹上生活によって前脚の付け根=肩は大きな可動域を、手は巧みさを手に入れたそうです。
チンパンジーにも見られるように、発達した手は道具の利用を可能にしたでしょうね。
その後、訪れる氷河期で森林は減り、彼らは樹上生活から平原での生活を送ることになります。
馴れない平原での生活を強いられた人の祖先たちは、ライオンなどの肉食獣から逃れるために走る必要があったでしょう。
しかし、樹上生活に適応した前脚(=腕)は樹上生活に特化しすぎていて、四つ足で速く走るのには適していなかったそうです。
ちょっと木の上を移動するオランウータンを想像してみてください。
長い腕で木の枝を掴んで、ブランコのように身体をゆすって移動してゆくでしょう!?
あの動きをするために、前脚の付け根=肩は身体の真横に移動して、かつ、関節を緩くつなげることで大きな可動域を手に入れていたんです。
それは木の上で生活するのには有利です。でも、平地を四足で素早く移動するときには仇になります。
身体の正面を向いて腕がついていたら、走る際の地面からの衝撃(床反力)をしっかりと受け止められますが、前足が横に向いていたらどうです?
しかも、肩関節は大きな動きをするために緩く作られてもいます。
そう、この時私たちの祖先は、構造上四足で素早く草原を走ることは出来なくなっていたんです。
今でも樹上生活に高度に適応したサルは平地では前足(=腕)を挙げて飛び跳ねながら移動するものがいます。
なぜそうするのかと言えば、腕を付いて四足で走るよりも速く移動できるからなんだそうです。
これをヒトの祖先たちに当てはめれば、この平原での生活によって二足歩行を手に入れたのだろう、という意見も頷けますよね。
二足歩行を選択したならば、当然脚のコンパスが長いほうが有利だったでしょうから、自然の摂理に従ってより足の長い個体が生き残っていったんでしょう。
そうして、だんだんと今の私たちに近づいて行ったわけです。
事の真意は確認のしようもありませんが、ともかく直立二足歩行の獲得は私たちに何かと有利に働きました。
例えば、頭部の保持。
胴体を垂直に立てて、その上に頭を乗っけることができるようになると、頭を支える力は今までより小さくて済むようになりました。
これにより脳は大きく肥大し得る条件を得たそうです。
移動に使われなくなった腕は食物を運んだり、より精密な道具を造ったり操ったりすることに使われていったようです。
樹上生活から続く社会性を持った生活や、自由になった手による選択肢の多様化は彼らの脳をさらに肥大化させ、脳機能の向上はさらに高度な社会や文明を生み出してゆくようになったようです。
このように、変わりゆく環境への適応を通じて発達した身体と知性は、生きるために必要な様々な活動を効率化してゆき、私たちヒトは、他の種よりも安定して「生きる」ことができるようになったわけです。
さて、長々書きましたが、様々な能力の獲得、その根底にあるのが重力への適応だと思うんです。
だって、木に登っていた時には腕を接点にぶら下がりながら体勢を保持していましたが、その力を発揮する方向は地面に対して上でしょう?
地面に降り立ってからもやっぱり足を接点に地面に対して上に力を発揮しています。
二つのシチュエーションとも、地球から頭を遠ざける方向に力を発揮しています。
ガラリと変わったシチュエーションでも、重力に抗うという条件で共通しているわけです。
そうした点から考えて、私たちヒトは「重力への適応」を基本条件として発達した動物なんじゃないかと思うんです。
そうであれば重力に上手に抗う、そういう構造を持っているということで、
だとすれば、身体を無理なく効率的に機能させるためには「抗重力」つまり重力に抗うという切り口で読み解いてゆけばいいんじゃないか!?って、そう考えたんです。
実際、寝たきりの患者さんへのリハビリでは、いかに重力へ適応させるか?を基盤にプランを練りますしね。
そうした切り口から現代の私たちの生活を見ると、長年培ってきた文明による利便性の高まりがヒトの特徴ともいえる「重力への適応」を奪うものにもなっているように見えます。
ふう…(*_*;
ちょっと、フラフラした文章になってしまいましたね…
申し訳ない。(^^;)
そろそろ切り上げて、続きはまた後日ということで。
では!
=つづく=