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Pretenderの備忘録

演劇 1 2

2012-11-06 23:32:27 | 映画
監督 想田和弘
出演 平田オリザ、青年団

デジタルになったからだろうか、ちょっとだらだら長いものが、特にドキュメンタリーということで、最初から採算をそれほど考えずに作ることができるようになったのではないか。
1において、平田が繰り返し稽古をしていくプロセスを描くが、少し長すぎ。
Youtubeみたいに、見る方が短くなっていく一方で、こういうのがどこまで支持されるか。
ある意味、良くできたプロパガンダ映画だが、ちょっと長すぎないか。

桜の園で感じていたこの劇団は役者の個性を感じないというのが、ここでますます強くなる。
間の取り方について、非常に細かく注文をつける。役者の自主性なんてものはないと思う。
役者はつらいな。客演したときに、普段できないことができるのか、あるいはできないのかは興味がある。

2も、1と明確に線を引くことができないのだが、少し視点が変わる。
ここでは、団員が地方公演でセットから何から手弁当でやる小劇場の状況が描かれる。
ああ、そうだったと思うのだ。
そして、助成を受けるために、ワークショップをしたり等々だ。
ワークショップが助成を受けるための目的であるとすれば、うーんという感じがする。
まあ、誰もやりたがらないから、やってという戦略は成り立つ。
ワークショップでは子供たちに、自由に考えて表現することを奨励する平田がいる。
劇団員はこれをどう見ているのだろうか?

役者はロボットでいいと言い切る平田。駒にすぎないと言い切る平田。

最初のシーンで民主党の政治家との会食が出てくる。玄葉、前原、古川、細野等々が政権に就く前だ。
そして、地方でのワークショップで地方への食い込みが出てくる。出てきたのは鳥取だが、それだけではない。

フランスでの成功が出てくる。これがどの程度の成功なのかは正直、良く分からないが、見た人に凄いと思わせるだけの演出はしている。

演劇は芸術だから、才能だと言い切る。そうだろうが、かなり主観的な判断にならざるを得ない。
この映画ではないが、クオリティーの高いものは海外で評価されたものという。海外で評価されれば、なんでもクオリティーが高いのだろうか?
国が助成しなければならないという。本当だろうか。税金で、年間6000万~8000万の税金を、駒場アゴラ劇場に投じなければならないのだろうか?費用対効果はどうなのか?

地方を押さえた、民主党も押さえて首相の原稿を書いた、海外もそこそこなのだろう、ロボットという新しい試みもした。
しかし、なぜ、もっとブームにならないのか、そこに物事の本質があるような気がしてならない。

劇団に一つの閉じた帝国を観、彼の行動に膨張主義を観、その目的が自分の帝国拡大だけのゲームなのか、もう少し違う何かがあるのか、興味深い。
コメント
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