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あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

死んだハトを見たことがありますか その2

2007-12-02 23:44:05 | くらし

 昨日の続きです。 


 死んだハトを抱えて保育園に行ったぶじこを見ての、3人3様の言葉でしたが、これを一人で言うならば、その順番は、わたしとしては
 1 かわいそうにねえ。
 2 大事そうにかかえて
 3 でも、さわってはだめよ。 ばい菌がいっぱいいるから。
であってほしいですね。 開口一番が3の「さわってはダメ」では淋しすぎます。 ところが・・・・・


 20数年後


 「運動場にハトが死んでます。」と子どもが知らせに来ました。 ちょうど鳥インフルエンザが流行し、学校にも県の教育委員会から、死んだ野鳥は素手でさわらないようにとか、学校の鶏小屋は週に1度は消毒するようにとか、飼育当番の児童は、薬用石けんで手を洗うようにとかのお達しがきていた頃です。 わたしは、即座に
 「手でさわったらだめよ。 さわったら石けんで手を洗ってよ。」
と、言ってしまいました。 


 運動場へ出てみるとそこには無惨に頭をくいちぎられたハトが横たわっていました。 野良犬か猫がどこかから運んできて放置したもののようでした。 よく見ると足にはリングが。 ナンバーが打ってあります。 レース用のハトだったのでしょうか。
 子どもたちとハトを葬った後、ハトレース関係の団体に電話して番号を伝えたのですが、飼い主を見つけるのは難しいとのことでした。 ハトは、どんな危険に出会って死んだのだろうか。 過酷なレースの末、帰り着くことなく死んだハトが哀れでなりませんでした。


 


  飛ぶ姿はとても美しい。 ハトレースで飛び立つときもこんな感じなのでしょうか。



 


 オランダ、アムステルダムのハト。 ダム広場で撮しました。 人間の食べたお菓子のかけらなどを拾っていました。 いろいろな羽のハトがいます。 中にはカラスみたいに黒いのも。  



   冬のドバト。 寒そうに首をすくめています。 今年2月、松山市の公園で撮りました。 わたしは一時(今もですが)ハトさえ見ればカメラを向けていたのです。 でも、さっぱり構想が固まりません。 


   

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死んだハトを見たことがありますか

2007-12-02 00:21:17 | 生き物

 小学校の楠の黒い実が落ちだしました。 キジバトはこの実が好きならしく、 多いときは6,7わも運動場に集まっていたりします。(去年の話) 学校の裏の道を自転車で走っていたら、道にハトがいました。 あまり警戒してなくて、かなり近づいても逃げませんでした。 よいカメラがあれば鮮明に写せたのにー。


 



 キジバトは我が家の周辺にもいて、樫の木に巣をかけていたりします。 キジバトはいつも2羽で行動しているようです。



 さて、ハトを見ると去年の秋を思い出します。 体育館のそばで死んだハトを発見。 じつは前々から練っていた構想があって、ハトをろうけつ染めで染めたいなあと思っていたのです。そこへ降ってわいたようにハトの体が・・・・。これは是非染めなさいという天からの啓示、と思ったものです。まだ暖かいそのハトをわたしはもらいうけ、 急いであらゆる角度から写真を撮り、スケッチをしてから葬ってやりました。 死骸の写真を好きな人はいないでしょうからUPするのはやめておきます。 その代わりこちらの写真をー。羽が大変美しく、スケッチはむずかしかったです。



 死んだハトを見たのはこれが3回目です。


 1回目は、ぶじこがまだ2歳になったばかりのとき。 下の子が生まれるので産前休暇にはいっていたわたしがぶじこを保育園に送って行ったときのこと、途中で死んだハトを見つけました。 キジバトではなく伝書鳩でした。 ぶじこは死んだハトを保育園に持って行きました。 園庭に入っていったときの保母さん(今は保育士さん)たちの反応はとても興味深いものでした。


 「あら、ぶじこちゃん、死んだハトをさわってはだめよ。ばい菌がいっぱいいるのよ。」
 そう言ったのは、スポーツマンのベテランのM先生。
 「まあ、大事そうに何を持ってるのかと思ったら・・・・。ぬいぐるみでも持ってきたのかと思った。」
 これは、一番若い、かわいいK先生。
 そこへ園長先生がいらっしゃって
 「ハトが死んでたの? かわいそうにねえ。 お墓をつくってあげましょうねえ。」
 こう言ってぶじこの手を引いて行かれました。 


 一番に安全を気にしてくださったM先生。 「大事そうに」とぶじこの気持ちを受け止めてくださったK先生。 どちらもありがたいことばでした。 とりわけ園長先生の言葉と行動は、幼くてあわれみの感情を自覚も表現もできないぶじこに、初めて「かわいそう」という感情と言葉とを教えたくれたのではないかと思います。 一緒にお墓を作って、生き物を慈しむこと、命を大切にすることを身をもって教えてくださった園長先生に対しては尊敬と感謝の念でいっぱいになりました。
 子どもは、こうしていろいろな考えをもった大人から多様なものの見方を学ぶのだと、改めて考えさせられたできごとでした。 続く・・・・

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