あた子の柿畑日記

田舎での日々の生活と趣味のレザークラフトについて

小学生の干し柿作り

2007-12-10 00:21:59 | くらし

 先日、柿産地のT小学校と隣の小学校との児童が合同で柿むぎをしたことが新聞記事に載っていました。 このT小学校こそがわたしがこちらへきて最初に赴任した学校なのです。



 T小学校はこんな柿畑端っこにあります。 まだ収穫されてない柿が帯のようにひろがっています。


 近くで見るとクリスマスのイルミネーションのように華やかです。



 T小学校の干し柿作りは、昭和53年にはじまりました。 そのきっかけは、わたしのちょっとした思いつきから始まったのですよ。 


 わたしが初めてT小学校に勤務したとき、児童は全校で28名。 女教師はわたし一人でした。 1年生を受け持つかたわら、全校児童に音楽を教え、高学年に家庭科を教え、養護教諭のかわりに身体測定や健康診断、予防接種などの世話をし、学校図書館の本を整備し・・・・とフル回転の日々でした。
 


 家庭科の調理実習をしたとき、子どもたちがジャガイモの皮をむけないのに困り、なんとかむけるようにならないかと考えていたとき、目に入ったのが、規格外で出荷できず畑に捨てられていた柿でした。
 わたしは教頭先生に、あの柿をもらってくれるようお願いしました。 すると教頭先生、
 「どうせむぐんなら干し柿をつくろうや。 高学年だけでせず、全校でおやりな(やりなさい)。」
校長先生も
 「それがええ、せっかく柿の里におるんじゃけん、ここでしかやれんことをしよう。」


 というわけで、木のリンゴ箱に4,5杯の柿をむいだのが、干し柿作りの始まりです。 むいだ柿を当時木造の校舎の軒下につるし、柔らかくなるように毎日子どもたちと揉みました。
 そして、甘いおいしい干し柿ができるとー また教頭先生が言いました。
 「売ってそれで本を買おうや。」 
 「よし、わしが売ってくる。」 と校長先生。
 でも、市場へ出荷したところ2束3文の値段だったようで、ついに校長先生は、教育委員会や、知り合いの先生たちに押し売り(?)をはじめてしまったのです。
 干し柿は完売し、そのお金で子どもたちが読む本を買い、干し柿文庫と名付けました。


 つづきは明日・・・・

コメント (2)
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