行きつけの美容院に行ったら・・・・・
おお、サンタが壁を登ってる! もうすぐ窓に届きそう!! あら、このサンタ、袋をしょってない。 これじゃ、サンタのかっこうしたドロボウみたいじゃないの。 でもこの姿、小さい子が見たら喜ぶでしょう。 サンタはああやってうちにも来るのかと。
子どもたちが小さい頃、クリスマスが近づくと決まって繰り返される会話がありました。
父 「ぶじこちゃん、今年はサンタに何をおねがいするんぞ?」
ぶじこ 「○○」
父 「それはくれんのじゃないか?」
ぶじこ 「どして?」
父 「サンタさんはみんなにプレゼント持って行くけんの、あんまり高いもんあげたらお金がなくなろ?」
ぶじこ 「そしたら△△にする。」
姉のぶじこは即断即決。 ほしいものもはっきりしていて、サンタとしては非常に扱いやすい子どもでした。 サンタさんの入る煙突がないからと窓の鍵をあけておき、お茶とケーキをお盆に入れて、「さんたさんありがとう おちゃとけえきをたべてください」 と手紙を書いて置きました。 朝起きてプレゼントを見つけると大喜びで
「どしてサンタさんは好きなものがわかるんじゃろ?」
と、つぶやいていましたが、それ以上深く考えることもなく単純に喜んでいました。 サンタさんがお茶しか飲んでないのに気づいてがっかりし、「サンタさんもほうぼうでごちそうになるけん、お腹いっぱいじゃったんよ。」と言われて、これまた素直に納得し・・・・といった具合です。
しかし、妹の方はなかなかてごわかったのです。 同じような質問に彼女は、2階建ての家が欲しいとか、星がほしいといったたぐいの、時には夢のような、時には壮大な願いを言うからです。
「○○ちゃん、お金で買えるもんじゃないとサンタさんが困るじゃろ」
「ほしいもんがいっぱいあってわからん。」
ある年などは絶対に欲しいものを言おうとしませんでした。
「ひみつにしとっても、サンタさんがほんとうに欲しいもんを持ってきてくれるかためしてみる。」
これにはまいりました。
ですから、妹の方は、いつも一番欲しいものをもらったわけではないのです。 浮かない顔をしているので、「うれしくないん?」ときくと「うれしいけど、一番欲しいものじゃない。」と言うんです。
<しょうがないでしょ、言わないんだもの。>
ある年のこと、ぶじこが言いました。
「Mちゃんとこはサンタが来んのじゃって。 お父さんがおもちゃ買うてくれたんじゃと。 どして来んのじゃろ。」
確かに、毎年毎年のプレゼント攻防戦を考えると、正体をばらして子どもと交渉する方がよっぽど簡単なんだけどなあ。 毎晩毎晩子どもの希望を聞き、自分の懐具合を考えながらそれとなく希望を変更をさせ、こっそり買い物をして、24日の夜中まで車のトランクにしまい、なかなか寝付かない子どもたちの様子をうかがいながら自分の眠気と闘い・・・・・
でも、
「サンタさん、来とった!」
と、プレゼントをかかえて台所に駆け込んでくる子どもたちの顔を見ると、やっぱりサンタさんであり続けようと思ったものです。 サンタという見えないものを信じていた子どもたちと、夢を壊すまいと懸命だった親たちと、クリスマスは両方に幸せを運んでくる日でした。
さて、愛媛県は12月25日が2学期の終業式。 つまりこどもたちは、プレゼントをもらった喜びに浸るのもそこそこに登校してくるのです。
「先生、サンタさんに○○もらったんよ。」
「わたしは××。」
口々に話しかける子どもに交じって
「サンタなんかおらんのよ。あれはお父さんなんよ。」
と、口走る子どももいます。 そんなとき、わたしは、
「サンタさんのこと信じてたらサンタは来るんよ。 でも、信じんかったら来んのよ。 だからお父さんやお母さんが代わりをしてくれるんよ。」
と、答えることにしていました。 すると、別の子が、
「うちはサンタも来んし、お父さんもお母さんも何にも買うてくれん。」
「・・・・・・・」
公立の学校にはいろいろな境遇の子がいるのです。
子どもたちに通知票を渡し、さよならをすると、いろいろな意味でほっと一息できました。
美容院は、入り口も中もクリスマス一色。
夜はこんなふうに輝きます。