おかしい、どうしてこんなに蝋が細かく割れてしまうんだろう。
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いつもなら、薄氷を割るように大きくひびが入ってそこからきれいにはがせるのに。今回は蝋がゴミのように小さく砕けてなかなかはがせません。下の方の葉っぱはカビが生えたように白っぽく見えますが、ろうがクモの巣状にこびりついているのです。
ここでろうけつ染めについてちょっと解説ー興味のない方はスルーしてくださいね。
絵画はキャンパスや紙の上に絵の具を置いて描いていきますが染めるという作業は、布や革などの繊維に染料を染みこませる作業の繰り返しです。薄い色から濃い色へ、何回も何回も染料を染みこませます。
写真で言うならレースのようなカラスウリの花は、何も色をつけない段階で、筆に溶かした蝋を含ませ、絵を描くように革の上に描いていきます。その上から濃い色をつけると、カラスウリの花だけ白く残るというわけです。写真のような多色で染める場合は、色つけ→ろうがき→色つけ・・・と何回も繰り返しますから、最後には背景をのぞいてほとんどが蝋で覆われます。背景を染め終わったら、最後に、今までかぶせてきた蝋を手ではがすのです。
この瞬間がわたしは一番好き。一応計画どおり作業をしてはいますが、その通り行かないのがろうけつ染めのおもしろいところ。思わぬ失敗をしていたり、偶然にも自分が考えた以上に出来のよい部分があったり・・・どんな風にしあがったかわくわくしながら蝋をはがすのです。
が、今回はわくわく感が-全くない。埃のようにゴミがたまるだけで全貌が見えてこないのですから。
蝋を刷毛で集めてはまた残りをはがし、また集めてははがし、もうこれ以上は無理と言うところまでは蝋を取り除きました。
手で取り切れなかったろうは水で洗い流します。
風呂場をきれいに掃除して、排水溝にはストッキングタイプのネットをつけて、細かい蝋をキャッチします。
洗い場の半分を占領する革にシャワーで冷水をかけて、指の腹で爪を立てないように気をつけながら、ざらざらする部分をこすり落とします。
革が水洗いできるのかって思う人もいるかもしれませんが、できます。 少々縮みますけどね。あまりにも蝋が残っているためにずいぶん時間がかかりました。まだ残暑が残っているというのに素足が冷たくなってきました。
洗い終えた革は、古いタオルケットの上に広げて水気を切ります。
いつもならここでしっかり乾かせば終了なのですが、
あれほど念入りに洗ったのにまだ蝋が残っていました。
小さくきらきら光っているのが蝋。かさぶたみたいでしょう? むやみに手でとろうとすると返って革にこすりつけてしまいますので、ガムテープを軽く押さえて粘着面にくっつけます。
それでも、まだ。
牛皮の小じわが写るほど大写しにしてやっと見えるくらいの蝋です。
こうしてきれいになって行くにつれて自分の失敗が見えてきました。たとえば上の緑の葉っぱ
わたし、輪郭を濃く描くようなことはしてなかったのにー
原因は蝋が熱すぎて革がやけどしたことでした。カラスウリの花もちょっとベージュがかったところがあってここは多分蝋で焼けたところでしょう。冴え冴えと青いお月様のはずが、焼けてクレーターができちゃったし・・・・
あまりにも蝋がしっかりと革にくっつきすぎたのではがれにくかったのです。蝋の温度は年中一定にしていましたが、暑かったことしの気温に合わせて蝋も調整すべきでした。
だけど、仕上がりを見れば焼け焦げは何となく陰影が増えただけのように見えるし、花のベージュも、単調な白一色より深みがあるように見えるし、
「狙ったように焼き焦げを入れるねえ。」と妙なほめられ方をしました。
このあとまだ何段階かの仕上げ作業がありますが、革をパネルに貼り付けて額に入れれば完成です。
出来上がりです。
これを見た娘が、カラスウリの花とセミとを月が見守っているようだといいました。誰も知らないところでひっそりと生き物たちのドラマが生まれていると。
おお!そのとおりなのよ。
カラスウリの花って、わたしの友人知人の間でも、知らない人が多かったです。あんなにどこにでもあるのに。なので、題を何にしようか悩んでいると言ったら、「誰も知らない」というような題にして、と友人に言われました。何人かが同じような感想を言ってくれたので、題名は
「月明かりの下で」
誰も知らない夏の夜、密かに行われている植物や虫たちの活動は、何が起ころうとも変わることのない、普遍的な、命を繋ぐという営みです。
人間は新型コロナ騒ぎで暮らしが変わる、経済が変わると騒いでいますが、それは本当につらいことなのだけど、どんなときでも大切なことは、命を守ること、命を繋ぐこと、そんな当たり前のことに気づかされたこの夏でした。