とても珍しい美術展が新居浜市のあかがねミュージアムで開かれています。
「素心 伝心 ー東京芸術大学スーパークローン文化財展」
うたい文句は
「世界の至宝がクローン文化財で甦る」
パンフレットを要約すると、現在劣化が進行しつつある、あるいはすでに失われてしまった文化財を、過去の写真や記録を元に再現して未来に繋げようという試みらしいです。その再現技術は東京芸大が独自に生み出したもので、その技術を用いて復元された文化財をクローン文化財と呼んでいるようです。
失われた文化財を本物に近い形で見るーこれを不要不急の外出とみるか・・・自己判断でいいんですよね? 某大臣の見解によれば。大勢引き連れて銀座へ繰り出した某国のお偉いさんに比べれば、これくらいは許してもらえるでしょう。一人で行ったし、美術館開いていて来るなと言ってないし、展示場はがらがらだったし。(ついつい皮肉っぽい言い方になる)
結論から言えば、
「行ってよかった。コロナで閉館してなくてよかった。見られてよかった」しかも、写真撮影OK、SNS投稿OKなんです。
今回の展示は5つのエリアに分けられていて、シルクロードの9つの遺跡が復元されて展示されていました。
まず第1展示場
入り口からは読経の声が響き、まずは法隆寺の修復場面がスクリーンで紹介されていました。そこを抜けると
いきなり圧倒されました。
中央にどーんと展示されていたのは、教科書で見覚えのある「釈迦三尊像」このお顔のモデルは聖徳太子だそうです。
周囲の壁には壁画が張り巡らされていました。法隆寺の金堂を再現した部屋です。
仏様のお顔って柔和で美しいですね。
で、次の狭い空間に行くと
あれ? これって先の?
椅子に座っていた係の女性がにこやかに説明をしてくれました。
作られた当時、釈迦三尊像は金ぴかだったんですって。
「どちらが好きですか?」と聞かれて、正直に
「あちらのほうかな?」と答えてしまいました。今金箔はほとんどはがれ落ちていますが、わずかに残っていました。
第2展示場は、北朝鮮の高句麗古墳群と、中国の敦煌莫高窟。そしてウイグル自治区のキジル石窟。こんな機会でもなければおそらく一生見ることはないものでしょう。
古墳は、昔韓国の慶州でみた古墳と同じような形をしていました。
キジル遺跡の壁画は大半を第2次世界大戦時のドイツ軍が持ち去り、戦火のベルリンで焼失したそうです。
この壁画は、「人類の英知によって作り出された文化財が、略奪と紛争によって奪われ破壊された歴史」が今でも繰り返されていることを伝えるために復元したそうです。
クローンのいいところは大きさも実物と同じということ。莫高窟にはミニチュアにはない臨場感がありました。
第3、第5展示場は洋画と浮世絵のちょっとしたお遊びの技術が展示されていて
風に草木がなびいたり
夕立に、通行人が走り出したり
浮世絵から花の香りが漂ってきたり
「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴」は巨大壁画になって展示されていました。こんなに大きくしても、実物と変わらない緻密さというのがすごい。
ここではクレヨン作りなどのワークショップも開かれていたのですが、今は感染拡大防止のため中止。残念。
さて、ここを出ようとしたら、また椅子に座った女性が、「あの裸の女性があったでしょ?」
ああ、アングルの「泉」ね。
「横から見るのと正面から見るのとスタイルが違うんですよ。」
わたし、動くというのにどこも動かないので不思議に思って何度も見返してたんです。
出口に向かう途中見てみたら
そういうことだったのか。
さて、時間もあまりないので最後の展示場へ
ここはウズベキスタンのアフラシャブ遺跡(コロナが収束したら絶対行きたい国)から出土したゼウスの足(本当に足だけ)や、タジキスタンのペンジケント遺跡の壁画などが展示されていました。そこを抜けると、アフガニスタンのアイ・ハヌム遺跡から出土したゼウス像。
そしてバーミヤン石窟。
ここへ来て、神とは、つくづく考えさせられました。
タリバンによって破壊された石窟の大仏。その天井には天かける太陽神(ギリシア神話)の絵と,多くの仏像が描かれていて、シルクロードをへて東西の文化が融合したことを物語っています。アフガンの人々が父、母と慕っていた大仏を、タリバンは破壊しました。二度とは戻ってきません。
それは模型でいうとこういう姿なのですが、
目の前に広がるのは、大仏の目が見たであろう,実際のアフガニスタンの景色。
鑑賞していた人の誰もがこの前でたたずみ、静かに離れていきました。
わたしの脳裏に、ニュースで見た最近のアフガニスタンの惨状がつぎつぎと浮かびました。人々の苦しみをすくうために宗教は生まれたのではなかったのか。このように人々に犠牲と戒律を強いる神とは何なのか・・・・
ただでさえ、全世界が新型コロナで苦しみ、未だ経験したことのない大災害で苦しんでいる、その上に戦火に追われその日の食べ物さえ口にすることのできない人がいる。失われた大仏は今の世界をどう見るのでしょう。
この部屋でわき上がったのは、感動という言葉では表現できない複雑な感情でした。