近所のじいさまたちと
元気いっぱいだった子どもの時に、60代、70代の老人のことは、よぼよぼだなぁと思っていたもんだ。本当に、よぼよぼの方々が多かった。今?・・・今は元気な老人が多いなぁ。オレをはじめ...
近所のじいさまたちと
元気いっぱいだった子どもの時に、60代、70代の老人のことは、よぼよぼだなぁと思っていたもんだ。本当に、よぼよぼの方々が多かった。今?・・・今は元気な老人が多いなぁ。オレをはじめ...
映画「永遠のゼロ」を見てきて
今日の午後から、映画「永遠のゼロ」を見てきた。
結論から言って、いい映画であった。この映画に関しては、いろいろと批判はあるのだろうが、主人公の宮部久蔵が云う「生き延びることのできる者は、生き延びよ」というのは、まるでレヴィー・ストロースである。そうなのだ。生きることは最も重要である。戦争というのは、前提に自分だけは助かる、生き延びることができるというものがある。一方的に一瞬で殺戮できると豪語している国家があるが、あれだって、前提にオノレだけは助かるというのがあるから放言できるのだということである。
戦争なんかやっちゃいけない。必ずお互いに犠牲者が出る。残された家族もどうするのだ。自分だけは安全圏にいて、若い人をけしかけてそれじゃぁアカンですぜ。
ずっとそんなことを考えながら、ハンカチを握りしめながら、映画を見ていた。この思いは、戦争礼賛の思想からは絶対に出てこない種類のものである。
それにしてもテーマが重たい映画である。
先輩達の尊い犠牲によって、愚生たちは生きているのだが、それにふさわしいだけの価値ある生き方をしているのかどうか。そういうことを考えた。反省させていただいた。
映画中で、若い男女のコンパを描いていたが、ナンパだの、つきあいだの、男と女がどうしたこうしただのという風潮が現代にはたくさんあって、ゲップが出た。そんなんでいいのかねぇ。
生き延びることができる者は生き延びよ、ということはもっと別の次元のことを云っているような気がしてならないのだが。
ウキペディアからの引用 ↓
大学生の佐伯健太郎と、出版社に勤める姉の慶子は、亡くなった祖母・松乃の四十九日から暫くした頃、祖父・賢一郎から彼が自分たちの実の祖父ではないことを知らされる。第二次世界大戦後に松乃は二人の母・清子を連れて賢一郎と再婚しており、実の祖父である松乃の最初の夫は、終戦間際に特攻で戦死した海軍航空兵だという。
それから6年後、司法浪人が長く続き人生の目標を見失っていた健太郎は、フリーライターとなった慶子から、新聞社で主宰される終戦60周年記念プロジェクトのアシスタントを頼まれる。プロジェクトを進める高山は、神風特攻隊のことをテロリストだと語るが、祖父の話もありその考えに釈然としない慶子は、このプロジェクトに際して特攻隊員だった実の祖父について調べようと決めた。姉弟はわずかな情報を元にその足取りを追い始める。
厚生労働省や方々の戦友会に連絡を取った放言ところ、祖父の名が宮部久蔵であり、関係者9人が存命であることが知れた。その内の一人、戦闘機搭乗員としてラバウル航空隊で一緒だったという男を訪ねるが、元海軍少尉の男は久蔵について「海軍航空隊一の臆病者」「何よりも命を惜しむ男だった」と姉弟に蔑みの言葉をぶつけた。健太郎は元戦友から聞く祖父の話に困惑し、次第に調査を続ける気を無くしていたが、母から健太郎と同じ26歳で亡くなった父・久蔵がどんな青年だったのか知りたいと改めて頼まれ、更に手がかりとなる海軍従軍者たちを訪ね歩く。だが、生前の久蔵を知る者たちの語ることはそれぞれに全く違っており、調べるほどにその人物像は謎に包まれていた。戸惑いつつも二人は、国のために命を捧げるのが当然だったと言われる戦時下の日本と、そこに生きた人々の真実を知っていく。凄腕の零戦乗りで、卑怯者と誹られても「娘に会うまでは死なない」と松乃との約束を守り続けていた久蔵は、どのような生涯をおくり特攻を選んだのか。終戦から60年を経て、各々の壮絶な生き方と封じられていた事実を明らかにする。
ニュースで考えること
退職してからあまりニュースとかに興味がなくて、これじゃぁアカンと思っている。まずテレビのニュースを見なくなった。暗い話ばかりしているから、こっちがつらくなる。その点新聞はいい。選ぶことができる。暗い話は、すっ飛ばすのだ。これでいいのである。もっとも、新聞の方は斜め読みで、概略は知ることができるから、もっといい。もっと知りたくなったら、インターネットでも調べることができる。しかし、最近拙宅で買ったテレビは、インターネットも、youtubeもできるのだから、たまげたもんだ。メールも、ウェブ検索もできるのだから、良い時代になったものですよん。
そんなのスマホでいいじゃぁないかと云われる方もあろう。しかし、オレ、スマホを持っていないのである。今更携帯電話でも使い方がわからんちんで、困っているのに、もういい。面倒である。いちいち、オレの名前はどうやって打つのかね?と、クラスメイト辺りに聞いていたら、殴られるですよん。うるさい!って、ね。
そして今日のお題である。
今朝の新聞、千葉版に高校入試の志願倍率が出ていた。さすがのオレでも、これは見なくちゃならんと思って、数値を見ていた。もちろん最後に退職した高校の志願倍率は気になるから一番最初に見た。安心した。地区で一番人気があった。一クラス減であるにもかかわらず、である。ま、そのことはいい。そんなことより、数値をどう読むかということである。そのことはここには書かない。退職したじじいの書くことでは無い。思うことはいくらでもあるが。
書いちゃアカンこともあるからである。
後輩の方たちのがんばりに期待するしかない。
引退したじじいはそっと見ているしかないのである。
そんなこともニュースというのは考えさせてくれるのである。
(^_-)-☆
ソチもうすぐオリンピックオリンピックがもうすぐである。
楽しみにしている。愚生は、スポーツも好きだからだ。なに、たいした才能はない。当たり前... blog.goo.ne.jp/tym943/e/b249c…
老人も中年も若者も、自分たちが一番正しいという誤った自信を捨て、無垢(むく)な感性を取り戻し、自分をもっと柔軟にしていけば、滑(なめ)らかな人間関係が生まれてくるはずです。
台湾の海岸線をめぐる800マイルの自転車の旅。ターコイズ色をした太平洋など⇒自転車でめぐる台湾の旅
on.wsj.com/LNWohP pic.twitter.com/0K1ItpAY5a
私は、物質主義や唯物論自身がその思想全体に、死の萌芽を持っていると思うのです。なぜなら、それは途中で立ち止まっている思考であり、そのため、人間や世界の真の本質を把握しえないものだからです。 『エンデの文明砂漠』
ふうううう。
文債の返済が可能となった。ありがたいことに、学事出版社様からもう一本原稿を書けと言われて快諾したのだ。研究費もなにもない天下の素浪人であるから、実にありがたい。わははははなの... goo.gl/VjXwHK