健康に良いこと
温泉が好きで、随分あちこちと行ってみたっけ。これからかも行くけど。
健康のためにである。オレのような、身体も、アタマもよくねぇじじいにはいいものである。基本的に身体を温めれば健康にいいと、体験的に思っているから実践しているだけである。あ、生まれたところも、育ったところも赤湯温泉というところだから、そう思っているだけなのかもしれない。しかし、いくら温泉町に育ったといっても、身体の扱いを粗雑にしていたらそりゃアカンですな。
健康に良くないのは「酒」である。適量というのがよくわからない。オレには。いつも飲み過ぎてしまう。でも、定年で退職できた。これがいいきっかけとなった。ムリして呑む必要がなくなった。こいつはオオイニ結構なことである。今は、もうストレスもなんにも無い世界で生きている。笑ってばかりで生活している。どうせ能力もねぇのだから、評価を気にしていることもない。こういうのもなかなかのものである。
失恋で悩むこともまったくない。相手にしてくれる人がいねぇからだ。
収入も少ないなら少ないなりに、それ相応の生活をしていけばええだけだ。
やることもある。アルバイト、雀の涙ほどのアルバイトをやって古本を買うくらいのことはしている。
まぁ、自己満足ですな。
自己満だ。
そんな名前のまんじゅうを売りに出したら、売れるかも。わははっはははっはは。
でもねぇ、健康のためには、この「自己満足」ってけっこう大事なのかもしれませんぜ。あまり若い人には勧められないのだれども。
自分の実力以上のことを求めないことである。本当にそう思う。「ムリに延びたゴム紐は切れる」からである。無理矢理引っ張ってはアカンですな。そもそも「無理矢理」っていうのはなんでもそうだ。もめ事のたいていの原因はそこにある。無理矢理であるからである。
自然体で生きていきたいものである。そしてゆっくりと逝きたいのだ。同じ生きと逝きで読みは同じだが、意味は全く違うのですがねぇ。(^0^)
人生は闘争ではないからだ。権力闘争とか、銭もうけの闘いとか、なんとか、かんとかとかいろいろあらーな。それをカタカナ用語を使って経済用語に仕立てて、さも新しい理論のように見せかけているのを、これまでいくらでも見てきた。横文字を使えばいいってもんではない。イノベーションという言葉だって、登場してきたときは、いいことを考えたものだなぁと思ったが、今では陳腐化しているしねぇ。ロジカルシンキングというのもそう。興味を持っていろいろ、本当にいろいろ勉強したが、なんということもない。これも陳腐化している。
変わらないものが、やはり底流にはあるのだ。不易と流行ってことを云っているつもりであるが。
教育だって、経営理論を持って来て、横文字を使って説明している輩をよく見るが、結局は教える側の人物できまるのだ。そこのところを勘違いしてはアカンのだ。教育はマニュアルではないのだ。教育はあくまで、教わりたい弟子と、優れた教師との関係性にあるのだ。
そういう他者に求められているという自覚。オレと一緒に学ぶことを楽しみにしてくれる若人の存在。非常勤講師をさせていただいている大学でもそう。オレとの学びの場を楽しみにしてくださっている大学生がいる。拙ブログでは殆ど書いていないけれども、オレの楽しみですらある。そういうことを語りあうことが、オレの後半生の楽しみでもあるからだ。
塾もそう。今日の夜もあるが、オレのようなじじいセンセを嫌がらないで、よくまぁつきあってくれるものである。しかも、オレ、人気があるのだ。マジに。ご指名をいただいているし。(^0^)
そういうことが、オレの健康の源だとおもうねぇ。
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