在籍校で四苦八苦でした
まいったです。西洋ワープロで、郷土史の会に提出する縦書きの文章を書いていたんですが、どうしても脚注がうまくいかない。横書きなら実に軽くていいワープロなんですが、ほかの大学の先生方...
在籍校で四苦八苦でした
まいったです。西洋ワープロで、郷土史の会に提出する縦書きの文章を書いていたんですが、どうしても脚注がうまくいかない。横書きなら実に軽くていいワープロなんですが、ほかの大学の先生方...
郷土史の研究誌に掲載される他人の原稿を打った。オレよりもだいぶ年長の方のである。手書きだから、オレが入力をしたのである。まだまだオレは現役だ。(^0^)
船橋の歴史を俯瞰したもので、入力しながら実に参考になった。査読会議でOKなら、掲載されるだろうから、記念誌の発行の際に打ち上げがある。その時に、名刺交換をさせていただこうと思った。これも役得である。しかし、オレの名刺は、自作名刺である。そうなのだ。もう余計な金はないのである。名刺すら自作なのだよん。その代わり、かなりユニークな名刺だけれども。
今日は、一日中家にいたから、孫が昼寝をしている隙をねらって入力していたのだ。
しかし、随分孫と遊んだなぁ。家の掃除もして、散歩も行って、おむつもとりかえて。むむむ。うんちの世話がまだ経験していないけど。
午後になって、やたら静かであったから、何をしているのかと見に行ったら、なんと、トイレットペーパーを全部出して、トイレの中に捨てているではないか。
ぎゃ~となった。さすがにこれは叱らなくちゃならん。というのも自動で流れてしまうトイレだからである。詰まってしまうからだ。
孫は泣いた。しょうがない。こういう時もあるのである。
おっかねぇじーさまだって、オレのこと嫌いになってしまったのかなぁ。
(>_<)ゞ
※今日はこれから塾に行く。高校入試の後期が始まる。オレが最後に退職した高校は、この地区で最高の倍率だった。隔世の感がする。良い学校になったものである。感謝である。
昨日、ブログである主婦の方の記事を拝読した。なかなかおもしろかったと書いたら叱られるが、専業主婦の方のようで、配偶者が会社に行く傍らあそびをやっているのが許せないらしい。ゴルフだとか、カラオケだ... goo.gl/jcrc2i
大学で、オレの駄文を印刷してみた。
185枚あるから、かなり分厚い。
しかし、これをじーっと読み込んでいくと、アラが目立ってくる。いろ... blog.goo.ne.jp/tym943/e/10645…
12:17である。
院生室にいる。昼食も食べ終わり、のんびりしている。ただし、午前中はかなり忙しかった。論文を印刷して、チェックしていた。しかも二つ。オレの駄文である。なかなかの作業である... goo.gl/ftiHBe
制作中にスタッフが疲れてくると、ある匂いというか、悪臭みたいなものが漂ってくるんです。だから、全員が帰宅したあとには空気を入れ替えるために窓を開けるんですよ。でも、どういうわけかその匂いが消えない。それはぼくが感じ取っている“悪い気”なんです。
宮本常一著作集別集『私の日本地図9 瀬戸内海III 周防大島』をながめながら明後日からの周防大島行きに思いをはせてるところだけど今日明日に終わらせておかなければいけない仕事がけっこう多い。 miraisha.co.jp/np/isbn/978462…
中国語も主語なしで通じますが。RT @toshi_fujiwara 続き)ちなみに日本語は「主語」がなくても文章が成立する、かなり珍しい言語です。これが日本人の思考の特徴にも関連し、それは寛容で他者への理解度があがる傾向が強い一方で、無責任にもなりがち。”
【悲報】埼玉県は国外
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図書館が休館なのだ
居住地の大図書館が、今日まで休館なのだ。実に困っている。蔵書数が三館あわせると、千葉県内ナンバーワンであるからだ。もしかしたら、全国でも有数なのかもしれない。居住地の図書館は、文学・哲学・歴史系に特化しているから大好きなのである。図書館の実力が大学の実力だと思っている。その点では、オレは学部の時は、実に助かった。こちらも蔵書数では大学有数の大図書館だったからである。在籍大学もそうだ。どこになにがあるか、だいたいわかってきたけど。しかも、県立図書館同士で図書を搬送してくれるサーヴィスもあるから、実に助かる。人文科学系統に限っても非常に優秀な図書館である。年度末の蔵書整理ということで、十日間ほど休館しているのだ。ま、しょうが無いか。国会図書館の本も取り寄せてくれるし、古文書もだ。さすがに古文書は、図書館そのものが借りてくれるだけであって、オレはそれを館内で拝読しているだけだが。
こんなことも自己満足だというように云われる理由なのだろうなぁと思う。しかし、何度もいうけど、オレの初期設定は、youと違うのである。どっちが上とか下というのではない。そもそものスタートが違っているのである。学部を出た時が、一番最初のオレ自身の個性の初期設定であった。それが生涯学習をやることで、どんどん変化していったのである。
その最初の初期設定に満足していなかったというだけである。ま、どっちにしてもたいしたこたぁねぇのだが。
わはははっはははっは。
つまり、このまんまじじいになって(もうなっているけど・・)棺桶に入ってから後悔したくなかったからである。生涯学習では喰っていけないというのは、オレの方がよく知っている。そして、大学のせんせになってみたいと思っても、もう年である。定年が65歳だ。出来ないのだ。年齢オーバー。わはははっははである。だから、そんなことは一切考えていない。そう、もう働きたくないのである。いい加減死ぬほど働いてきたからだ。退職して旅行に行きたいと思っても、働いていたらできないではないか。それより、論文を書きたい。それさえやっていれば、実に快適である。そして、それを非常勤講師をさせていただいている別の大学で青年たちに伝えていきたい。思えば、ずいぶんの大学生がオレの講義をとってくれているから感謝である。殆どが教員を目指している。合格率も高い。すばらしい青年たちと出会ったものである。
郷土史の世界でもそうだ。文化講座というのが年間十回ほどあって、それを主催している。一回2時間である。そのあと古文書の解読講座がある。こっちも2時間。こういうのに関わっていきたいと思っていたら本当に実現してしまった。あるいは、これからはこっち専門でやらせていただいてもいいくらい感謝している。
しかも一年目で編集委員にならせてもらった。研究誌のである。これもまた非常に名誉なことである。なりたくてもなれないからだ。なかなか。
ありがたいのは、郷土史の世界には「定年がない」ことである。いつまでもできる。アメリカや中国のように大学のせんせになるために論文を書くのではないから、こっちの郷土史の世界もやる気になる。定年がないということはそういうことである。
今日は家にいる。孫の面倒をみるつもりである。
彼が昼寝をしたら、原稿書きをする。夜は、塾がある。こっちも楽しみである。いいもんである。いろいろやることがあって。
(^_-)-☆