不思議なことがあって
不思議なことがあるものである。最近は八重山の神事のことを調べているが、なんだかいろいろと本での出会いがある。不思議なもので、これまでずっと愚生がやってきたことが、ほぼ間違いのなか...
不思議なことがあって
不思議なことがあるものである。最近は八重山の神事のことを調べているが、なんだかいろいろと本での出会いがある。不思議なもので、これまでずっと愚生がやってきたことが、ほぼ間違いのなか...
今14:47である。
そろそろ帰宅する。今日も院生室にはオレくらいしか居ない。男の院生が院生室のず~っと向こうの方にいたっけかな?
なにしろでかいので、誰だかまったくわからない。
ついたても立っているし。
今日は、なかなか文章の神が降臨してくれなかった。
四苦八苦していた。
それでもA4で187枚になった。
第Ⅱ部に入っていく。これから。しかし、第Ⅰ部だけで187枚だ。
こりゃどうなることやら。
第Ⅱ部はオレの大好きな折口信夫のことをからめて書いていくつもりである。だから書きすぎに注意せんとアカンですな。
少しはあちこち書き散らしていたから、骨格は見えているのだけれども。
第Ⅲ部は、もっと困難なことになるだろう。唯識がとうとう登場してくるから。
どうなるのかね?
オレは。
これじゃぁ死んでいる暇がにゃ~ぞな。
わはははっはははっははっはは。
ぜーたくじじいの好き勝手でござるよん。
じゃぁ、これで帰って、これから孫と遊ぶのじゃ。
(^_-)-☆
今は12:07である。
大学で持参した弁当を食べて、ひまだなぁ~とやっている。そうなのだ。オレ、大学の学食でめしを喰わなくなってしまったのだ。飽きたのだ。美人と一緒で、最初の三日だけだった。珍しくて喰っていたのだが。それに、全員若人である。オレみたいなじじいは誰もいない。一緒に喰ってくれるような奇特な方もいないしねぇ。
お昼にFacebookとか、メールとかチェックしていたら、なんと旅行の宣伝がいっぱい入ってきた。もっとも、オレはFacebookもなんとか観光協会とか、阪急交通社とかが多い。友人はほんとうに少ない。だから感謝しているのだ。ちょ~少ない友人達に。こんなじじいの戯言につきあってくださるのだから。(^_^)
そこでだ。
旅行のムシがまたまた騒いでいるのだ。
どっか行きてぇ。あったかい温泉に入って、じっと目を閉じ、なにも考えずに過ごしたい。そして、美味なる料理をいただいて、配偶者とテレビでも見ながら、つまらない話をして過ごしたい。
先月沖縄に行ったじゃねぇかと叱られるけど、オレは旅行に行きたいから再任用をしなかったのである。働いていたらできねぇではないか。
それにこれまで、どこにも行かないで仕事一筋できたからなぁ。それくらいいいではないか。死んだら旅行にも行けないからねぇ。
でも、今はできないのだ。四月いっぱい孫がオレの家にいるからである。そうなのだ。もうじき二人目の孫が生まれるから、母子共に無事であることだけを祈って毎日過ごしているのだが、この孫がオレのことが大好きで大好きで参ってしまう。いろんな機械がオレの部屋にはあるので、忍び込んでは悪さばかりやっちょるのだ。
しょうがねぇから、昨日から折り紙を始めた。オレが。折り紙を500枚買ってきて、次から次へと折っている。千羽鶴みたいに、糸でつるして下げてもいる。あまり喜ばないのだ、それが。がっかりである。ま、いいやと思って孫を足の間にだっこして、それでも折っていた。鶴を。
そしたら家人になんと云われたと思う?
ぼけ防止にいい!だと。
ああああああ、芭蕉翁のようにどっかにふらふらと居なくなってしまいたいものだよん。
(^_-)-☆
資本主義というのは、ほんとうに病気の温床だ。誤解のないようにいっておけば、共産主義的色彩のこい国家資本主義も、私的資本主義もね。未来に存在できるのは、非資本主義社会だけだ。でなければ、社会なんて存在しなくなる。 『オリーブの森で語り合う』
わたしたちは神のおられる天国を、いつも待ち望んでいます。しかし同時に、今このときに神と共にいる幸せにも招かれています。この「今このときに神と共にいる幸せ」とは、神が愛するように愛し、神が助けるように助け、神が与えるように与え、神が仕えるように仕え、神が救うように救うことなのです。
ただ生命のあるところにのみ、意志がある。さあれ、そは生命への意志にあらずして、かく我は汝らに教える、権力への意志である!生ける者によって、多くのものが生命そのものより高く評価せられる。即ちこの評価するということそれ自体から語っているではないか、権力への意志が!-ツァラトゥストラ-
#経済 RT @WSJ: The Lego Movie was No. 1 at the box office for the third weekend in a row: on.wsj.com/1cgxG0h pic.twitter.com/m0nGW90LQ1
■「神はすべてのものをシンプルに創った。インディアンの人生はとてもシンプルだ。わしらは自由に生きている。従うべきただひとつの法は自然の法、神の法だ。わしらはその法にしか従わない。」【マシュー・キング(ラコタ族)の言葉】
The marketplace gave Claire options she didn’t know were possible?and savings of more than $600 a month: ofa.bo/g93 #ThisIsWhy
こんなことも自己満足だというように云われる理由なのだろうなぁと思う。しかし、何度もいうけど、オレの初期設定は、あんたと違うのである。どっちが上とか下というのではない。そもそものスタートが違ってい... goo.gl/Fz5Qfz
郷土史の研究誌に掲載される他人の原稿を打った。オレよりもだいぶ年長の方のである。手書きだから、オレが入力をしたのである。まだまだオレは現役だ。(^... blog.goo.ne.jp/tym943/e/e180f…
「アンネの日記」イスラエル大使館が寄贈へ/NHKニュース nhk.jp/N4C66Vyh
イスラエル大使館と日本ユダヤ教団は、被害に遭った図書館に対し新しい「アンネの日記」の本を寄贈することを決めました。破られたすべての「アンネの日記」の本を補いたいとしています。
【ニコ生】「「饒舌大陸」大学院行って、…」 頬拾の放送は 面白かった(83%) まあまあ(10%) nico.ms/lv169679010#1:… #nicoch1074 #jozetsu いつも楽しくみてます 常見さんやはり最高ですね 飯田さんとの掛け合いが好きです
人間の出来が違うというか、格が違うというか。元首相の恥がかえって強調されたね。――真央会見「私はなんとも…森さんが後悔しているのでは」 - 朝日新聞デジタル (asahi.com) t.asahi.com/e2qb
「軍靴」というとなんとなく軍国主義の象徴っぽいけど軍手はみんなふつうに毎日使っているぞ。軍手いいのか軍手。音がしないから大丈夫か。軍手で手拍子してもばふばふ言うだけだから大丈夫か。
エマーソン。カーライルよりもはるかに啓蒙されていて、放浪的で、複雑で、老獪で、とりわけ幸福な男。……本能的に神々の佳肴Ambrosia(ギリシア神話で、不死になると言われた神々の食べ物)だけしか糧とせず、不消化物は事物の中に置き去りにしておく、と言ったその手の男。-偶像の黄昏-
忙しい、忙しいとあまり云わない方がよろしいようで。
それは「能力が無いと自分で云っているようなもん」であるから。
特に研究者とか、学者になられる予定の方々に申し上げたい。
余裕というものがなくちゃアカンです。あ、努力したうえでの話ですよん。(^_^)
で、書いた論文がろくなものでなかったら、どうすんですか?って叱咤激励したくなっちまうのだ。オレは、もう駄目だけどね。これから、それ専門で生きていかれるんでしょ?って。精一杯努力したって、周囲にアピールしたって、そんなもんは誰もなんとも思わないのだから。云えば云うほど、誰も相手にしてくれなくなるから。
だから注意された方がよろしい。
あまり多忙感を出さないことであると思っているからである。しかし、ストレスをためることはあまり良くない。それはどっかで捨てることである。恋人が邪魔だったら捨てることである。そもそも、そんなに多忙感があって、ストレスを感じていて、恋をするなんてバカである。(申し訳ないけど・・)
オレも極力忙しいという言葉は出さないようにしている。出てきたら危険ゾーンである。そう思うことである。でないとモタナイ。自分がモタナイ。
それと他者からどう思われているかってこともできるだけ考えないことである。できるだけである。
でもそうもいかないのだろうな。
これからの方々というのは。他者から評価されてナンボの世界だろうからなぁ。
時間が無いって言葉も同様である。云わないことである。時間は見つけ出すものだからだ。恋人とデートしている時間はあっても、資料収集や論分を書く時間が無いっていうのはいかがなものか。それって、本末転倒であって、なんだかおかしいと思うのだが。
違いますかな?
違っていたらごめんよ。
(^_^)
美人は飽きる・・・
今日は大学に行って、昨日まで郷土史関係で時間をとられたから、オレ個人の駄文書きをするつもりである。今は5:17である。そう、今日も早起きをしてさっきまで駄文を書いたりしていた。
どういう展開になっていくのか、それは神のみぞ知るである。そもそも劣等生のオレが、生涯学習に目覚めて、この道に入ってしまったのが間違いであったのかなぁ、そんなこともないだろうと思ってはいるのだが。ま、仕事をしながらやってきたからそれなりに良かったのだと思っているのだ。成果主義者には、ここらへんがわからないのだろうなぁ。
オレは退職時に管理職をさせていただいていたが、それをやるためにひたすら努力したわけではない。**になるために、大学を出たのではない。そういう人間がいたら実にさもしい。空しい人生である。逆に、オレの場合は学校経営という仕事があまりにもハードで、本当にやりたかったこと、つまり文学研究とか、教育そのものについての勉強に対する不全感というのがあった。満足できなかったのだ。
ほら、あるっしょ?
どんな美人と知り合っても、その美人が顔だけきれいで、中身がなんにもなかったという事例。
もっとも、オレは美人というものをあまり知らないがねぇ。(^_^)
怖いもの見たさというのはあるけれども。銀座あたりに行くと、美人がそれこそ山盛りのようになって、しゃなりしゃなりとお歩きになっているから、オレは鑑賞させていただいているけど。それなりに楽しいからね。伊豆の温泉で、芸を見せていただいた芸者さんも、きれいだったなぁ。和服の似合う美人は、オレの好みであるから。わはははっははははは。
しかしだ。
美人は飽きる。三日見たら、もうけっこうである。さらに中身があればもっといいのだが、なかなかおられない。もっともこのことは男性もそうだ。
男の方が話にならないかもしれない。妙なプライドばかり高くて。たとえば、オレと生涯学習の話をするときに、「どちらの大学を出ましたか?」とか聞くお方がいる。そういうことを聞くときには、まず「オノレの出た大学から名乗るべき」であって、潜在意識に「オレは優秀だ」というのが必ずあるのだ。まったく、それでもって他者を評価しようってかい?とオレは皮肉を言ってしまうのだ。じゃ、オレのようにあちこちいろいろ出ているのはどうするんじゃ?と云いたいが、云わない。云ってもわからないだろうから。そういう輩は。こういうのは、集団をリードすることはできない。管理職は無理である。そんなものは、別のルートで情報収集をしとけよん!と申し上げたいくらいである。ま、いいかどうでも。退職したのだから。
今は、ただの瘋癲じじいである。
なにを云ってもクチさみしいだけである。だからなにも云わないほうがよろしいのだ。誰にも求められていないのだしなぁ。
郷土史の世界だけだな。オレと関係してくださる方々は。今週の土曜日にまた千葉市に出かけて、郷土史の会議に参加させていただく。会場は千葉経済大学である。楽しみである。
え?
美人が歩いているからだろうって?
わははははっははっはははっはははは。
そうかも知れない。
(^_-)-☆