あ、孫が起きてきた。
「過去遡及的な本質主義、民俗の標本主義と揶揄される要素主義、固有信仰という文化ナショナリズムというものが、民俗学への批判」だそうな。
今朝、こんな文章にでくわした。そうかもしれないなぁとしみじみ思った。批判はどこからでも降ってくる。当たり前である。オノレのやったことではないからだ。他者のやったことをあげつらい、批判することは容易い。それがいけないというのではない。批判もされないような論文を書いていたら、それはそれでいかがなものかとオレのようなものでも思うからである。
いきなりこんな書き出しで始まったが、なにが影響しているかというと、最近書けない病気にかかっているのだ。日課にしている論文書きが進まない。
むむむむむむ。
あ、孫が起きてきた。
これにて中断(^0^)
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今、13:30である。
午後の執筆に入っている。
220枚まできた。
これから絞って行く作業もあるから、枚数だけは稼いでおかんとならない。
広く、浅くでは話にならんからだ。
入り口は狭く、奥に入るともっと深く。
こういう文章を書きたいものである。
実は、孫が昼寝をしていたのだ。
中間の時間を。
約2時間30分。
奇跡じゃな、奇跡。
オレの部屋に鍵をつけていたら、鍵かけて閉じ籠もっているんだけど、無いからできない。
それよりも、孫と過ごすかげがえのない時間を精一杯過ごしたいからである。もう、こんなに長い間を孫と過ごすことはないだろうからだ。
オレの駄文なんか、不合格になる可能性も高いしなぁ~。
それなりの価値しかなかったら、潔く引き下がるしかない。
そのあたりは、オレは拘らないつもりであるから。
所詮、愚たる存在でしかないのだから。
批判されても気にしないのだけれども。
あ、その前に、批判されるだけの文章が書けているかどうかっちゅう問題もあるなぁ~。
イケメンじゃねぇのに、おなごにもてると勘違いしている基地外のような男ではないつもりであるから。
わはははっはっはははっはははっははっははははは。