教師の仕事はアートである
教師の仕事はアートである。教育はパーソナリティの表現である。いろいろな教育心理学や教育哲学を学び、学んだとしてもその知識を応用して、現実に対処していかなくてはならないのだ、と今日の午前中に教えている方の大学で話していた。学生に渡す資料はたくさんある。全15回で、200枚は超えるだろう。
しかし、自分でしゃべっていてぎくっとなった。オノレのやってきたことそのものであったからである。実践行動と結びつかなくては話にならない世界であるからだ。そういう意味で、教師というのはプラグティズム哲学となじむ仕事である。
その前提に「自分を受け入れること」というのがある。
厭世家であったり、自己嫌悪を持っていたり、自己否定をしているような人は教師にならんほうがいい。オレは本当にそう思っている。つまり「人好き」の教師でありたいものである。「人好き」の教師は、「自分を受け入れている」からである。
教師の仕事の殆どは、人間と関わる職業である。保護者、同僚、生徒たち・・全部人間と関わる。じっと閉じ籠もって、一人孤高に書を読むだけが教師の仕事ではないと思っているからである。少なくとも、教師は学者ではない。あくまでも実践家である。そのことを崩したくはなかったから、定年まで勤めあげることができたのだと思っている。自分では。
さらに「教師はきさく」でありたいとも述べた。
生徒が「先生!」と寄ってこられる教師でありたいものである。どこまでも謹厳実直で、他者に対する警戒心があって、構えていると生徒は警戒する。当然である。得体が知れないからである。
笑顔のある教師、知らないことは知らないと言える教師でありたい(むろんその陰には研究するという努力が前提となるが)。
きちんとして、崩れがなく、なかなかホンネが出てこないというのは、外部に対して構えているからである。とっつきにくいというパーソナリティなのである。教師の子どもにこういうのは多い。いつも良い子でいなさい、おとーさん、おかーさんは教師なのだから、あなたは勉強もよくできて当たり前という育ち方をしたからそうなる。外部からの攻撃を未然に防いでいるからである。
三つ目は「打てば響く」ような人間でありたいものであると述べた。何を云っても無反応。笑顔の一つも出ない。笑ったら、利息が減るとばかりむっつりしていてはアカンのである。生徒が危機的な状況になったときに、マニュアルを探しているようでは話にならんのである。だから普段から想定しておくことである。何をどうしたらいいのか、あるいはオノレのとるべき行動はなにかということをである。東日本大震災のときに、オレは迅速に行動した。できるだけのことは、やった。携帯もつながらないから、教育委員会の指示を待っているわけにもいかないからだった。
で、何をしたのか。
Twitterで生徒に語りかけた。そして、当時の生徒達は安堵したのである。それを見ていたマスコミもあった。日本教育新聞である。記事にしていただいた。感謝している。
そういうことを常日頃から考えておくことである。まさに危機管理である。
最後に「人生をエンジョイ」せよと述べた。
人生をエンジョイしていない人間は教師になっちゃいけない。ペシミズム主義者では、生徒は生きていく意欲を失う。このことは覇気のある教師ということにもつながる。だから、スポーツをやったほうがいいということなのである。
あっと思った。
まったく、まったく全部オレのことではないか(^0^)
わははっはははっはははははっは。
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