二人きりの生活に
脱力感というものを初めて味わってしまった。孫である。とうとう昨日帰ってしまった。こりゃたまらん。いなくなってしまって初めてオレの心の中で相当に重い位置を占めていたのだと思った。こりゃかなり重傷である。
もっとも、あのときはかわいかったとか、あの悪さにはマイッタっけって、笑いながら重傷だと思っているんだから、ま、たいしたことはないのだが。失恋とは違う重みだ。相手にされなくて、喪失感を味わっているわけではないからである。もっとも2歳2ヶ月という年齢が年齢だから、すでにじ~じのことなんか忘れられてシマッタ可能性も高いんだけれども。
そのときはそのときである。仕方なし。オレが死んだら葬式には出てくれるだろうから、安心している。? たぶん。おっとこれはブラックジョークだな。あまり言わないほうがよろしいようで。
今朝から配偶者と二人だけで暮らしている。また元の生活に戻った。で、この記事はリビングでノートパソコンとにらめっこしながら書いている。論文書きも復活である。ピッチを上げていきたい。在籍大学にも通学する回数を増やすつもりである。図書館と院生室である。クルマだから自由自在である。さらに、居住地の図書館にも籠もる。
論文を書く前にトレーニングとして、ブログの記事を書く。これがオレの指をあたためる運動である。身体の運動も今日から復活する。午前中にGymに行く。そしてサウナに入ってくる。これも復活である。Gymに行かないと、頭の働きが鈍る。おっと、鈍るというより、もともと鈍いのだから、昨日と同じ程度に鈍ったままというほうが正解だ。
オレごときが、インテリぶっていたら笑われる。
なんにも知らねぇのだから。
語学講座を録音してあったのを、孫がいたときは整理できなかったので、今、この記事を書きながらやっている。録音はUSBメモリにしてあったのを、SDカードに再度落として持ち運びに便利なようにした。これでなんとか語学講座の準備はできた。ただし、こっちもあまり拘ると論文書きができなくなる。ほどほどにしていくつもりである。海外旅行に行って会話をしたいというのが目的ではないからである。
趣味程度である。ほどほどでいいのだ。評価も絡まないし。
もっともこういう態度で生きてきたから、娘に叱られてしまうのだなぁ~。いい加減だからだ。でも、このいい加減さが、生き延びてきたコツでありまするよん。ノイローゼにならなかったからである。思えば、厳しい世界でよくぞまぁ定年まで勤められたものだと今でも思っているのだ。
さ、録音のコピーが終わった。また論文書きに戻る。
忘れないうちに。
(^_-)-
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孫とお別れである
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夜の熟睡を死んだように眠るとたとえるのは、適切な表現かもしれません。人は夜、眠りの中に死んで、朝目を覚ます時は死から甦るのだと考えられるからです。「日々これ新たなり」ですね。
メルキュールの間 1678年、アポロンの間にあった寝所(国王の公的かつ正式なベッドである盛儀寝台)は、このメルキュールの間に移動されたそうです。天井画でみっちりですね~。 pic.twitter.com/ApPrJuK3oN
私が書く行為は冒険のようなものだ。その冒険が私をどこへ連れてゆき、終りがどうなるのか、私自身さえ知らない冒険です。だから、どの本を書いた後も私自身が違う人間になりました。 『ものがたりの余白』
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