映画で泣けてしまったのだ
昨日の午後、「アナと雪の女王」を映画館で見てきた。
泣いたね、実にいい映画だった。なるほど、これでは「風立ちぬ」もかなわなかったわけだと正直思って帰ってきた。
女性の二面性ということであろうと思った。かわいい女性の面と、おどろおどろした女性の面と二つあるような気がした。呪術的な、女王である姉。彼女のような側面はどんな女性でも持っているだろうし、これは男でも持っている側面であるのかもしれないとも思った。そういう自分の内面にあるところの葛藤というものが、この映画のある意味主題なのではあるまいかとも。
氷運びのクリストフというのだっけかな?
アレがこの映画では陰の主人公のような気がするのだけれども。善良で、まっすぐで、自分を省みず、他者のために一生懸命生きる。まさに日本の庶民の生き方である。こういうのがオレは一番好きだ。しかし、生き方としては格好が悪い生き方であろうなぁとも思った。愚直。まさに愚直である。オロカでなければ、こんな、他者のために一生懸命生きることなんてできない。
しかも、未練もない。
今の生き方になんの未練もないのである。実にいい。爽やかな生き方である。未練がまったくないのは中国の人と韓国の人だとつい最近聞いたのだが、なるほどそれなら彼らのドライな生き方というのがよく理解できたからである。かえって爽やかである。留学生の生き方を見ていると。それでいいのである。好悪の感情で生きているのではないからである。
これは在籍大学で一番勉強になったことである。いつまでも人間関係でぐだぐだとやっていないからである。駄目なら駄目。きっぱりとしているからである。こいつは実にいい。爽やかである。
通行人と一緒で、ちょっとだけ会ったら、それっきりである。左右に別れるだけである。なんの引っかかりもない。これでいいのだと思った。
それで寂しいと思うならば、自己責任で寂しいと思っていればいいだけの話である。誰にも頼らず、自分一人で生きていくというのは、孤高である。孤高もオノレの責任で引き受けるのならば、こんなに爽やかなことはない。
ある意味、うらやましいことである。
孤高に生きるというのは、バイクを愛する人種に共通している。バイクはどこまで行っても、自分一人の乗りものである。全責任をオノレが負っている。怖いくらいに、自分一人で乗って居るマシーンである。
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この映画を見て、思った。
女性というのは、どこまでいっても孤独なのだろうなと。
だから子どもを産むのだろう。辟易するほど、恋愛に拘るのだろう。家族というものを構築したがるのだろうと思ったのである。
云い足りない部分はたくさんあるが、そういうことを感じたのである。
それだけである。
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