「説教調」でものを云われる方々
快晴である。こういうのが良い気分にさせてくれる日で、いつもこうでありたいと思う。思うが、なかなか曇天のときもあって、日々うつろいやすいのが人間っちゅうもんだ。気分が落ち込んだときは、落ち込めばよろしい。落ち込みを異常だと考えるから、辛くなるのである。「人生をエンジョイ」すべきである。なにかに囚われているから、エンジョイできないのである。
その点教師は他人に説教ばかりたれているから、エンジョイできないのである。そもそも「説教調」でものを云われる方々は、このあたりに注意していないと、今度はご自分がやられる。鬱の悪魔に攻撃されてあえなくダウンを喰らうのである。管理職とか、なんとか課長とかリーダー性を要求される仕事の方々に多くなる。
教師もそうである。リーダーシップを要求される仕事である。いろいろご批判も受けることだが、大学を出て現役で教師になったときに、22歳からもう「センセ」と呼ばれるのである。ある意味孤独な仕事である。だから気をつけなはれや!と教えている方の大学で学生さんに、注意をしているのである。ちなみにオレの授業はかなりおもしろいらしい。終了たんびにガクセイさんが、講壇に駆け寄ってきていろいろと話をしていく。オレの性格が「きさく」であるからである。そういうことではオレはプロである。(^0^)
もう一つお題がある。
説教するのが好きだというパーソナリティは、周囲に害毒をまき散らす。他人のミスを細かくあげつらい、説教する。指摘してあげただけじゃないかというのは、違う。自分はかる~く指摘したつもりが、相手を深く傷つけている場合だってあるからである。説教の好きな人は、自分のことは棚に上げて、他人を説教する。
教師に多いのは、こういう説教好きである。だからオレは困ったのだ。ふふふふふ。これ以上は書かないが。
あまり説教ばかりしていると、相手は閉じ籠もってしまう。そりゃそうだ。相手に対して開放的だとそれだけで説教の対象になるからである。ちなみにオレは、実に開放的なパーソナリティで、アタマの毛も隠し立てができないというざまである。一本もねぇのだ、わはははっはは。
ここらへんは、講壇の上からしゃべっている方々は注意していくべきだ。いわゆるお偉い方っちゅうわけである。教師とか、牧師とか、社長とか、部長とか、課長とか・・・いろいろおられる。
たまには、オノレの姿を鏡で見ることである。(見てびっくりするだろうけど、そのあまりのみっともなさに・・いや、オレのことだけど)
オレ、他人のことを言えた柄か?ってことをである。
神社にたまにいくことがある。拝殿の奥になにがあるのかご存じか。「鏡」なのである。(そうでない神社もあるけど)あれはパラドックスである。いつも祖先たちの智慧に恐縮してくる。「人のことを云う前に、オノレのことを見ればいい」ということだとオレは解釈している。たぶん間違っていないだろう。
もっとも、どんな神社に行ってもオレは信仰の証としての金銭は、出さない。信仰していないからである。寺院もそうだ。お賽銭というのはやらない。その寺院なり、神社が出版をしていたらそれは買う。それがオレのお賽銭である。だから、宗教がカネ寄こせというと、オレは極端なアレルギーを起こしてしまうのだ。
わははっはははっはである。
それだけだけど。
さ、今日も精一杯孫と遊ぼう。明日帰ってしまうからだ。
時間は限られているのだ。
あと何年会っていられるかと思う。もうそんなに生きているわけにもいかないだろうから。120歳くらいまで生きるつもりだけどねぇ~。
再度、わはははっはははである。
猫が犬に体当たりして飼い主を救出する監視カメラの映像がネット上で凄い勢いで話題となったうえ、各テレビ局が取り上げ話題となっています。 /飼い猫が男の子を救出-噛んだ犬に猛突進 keimusho.net/crime/2014/05/… pic.twitter.com/5J4mRONn8M
話にならんなぁ~
今日は金曜日だから、師匠のゼミがあった。さらに今年来られた教授の下に師... blog.goo.ne.jp/tym943/e/df914…
話にならんなぁ~
今日は金曜日だから、師匠のゼミがあった。さらに今年来られた教授の下に師... blog.goo.ne.jp/tym943/e/bcbd6…
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