人生はエンジョイしなくちゃ
ゼミが休講になったのだが、その掲示が出る前にもう愛車にのっかっていたので、知らないで来てしまった。在籍大学に。
(^_^)
だから、在籍大学の図書館で打ち込みをしていた。休講だから、このまま院生室で論文を書き続ける。せっかく来たのだから、楽しんでいこうっと。
教えている大学の方で教育についていろいろご指導をいただいている教授と、昨日話をしていた。哲学の先生でもおられるから、楽しいのである。オレも好きだからだ。この分野は。
この先生と会えるから教えている方の大学とご縁がありますようにと祈っているのである。不思議なご縁である。願うとかなえられるというのは本当らしいと、思う。6月に欧州に行くので、補講のことでお詫び方々四方山の話をさせていただいていた。その中で、はっとなったことがある。それは、オレのやっていることは、生涯学習ではなくて、生涯教育であろうというようなことであった。学習となると、やはり成果を求められたりする。評価もからむ。評価が低ければ放校の憂き目にも遭う。なにもカネさえ払っていれば、学生生活を続けられるというものでもない。
やはり「生涯教育」なのである。オノレに課した、生涯にわたる教育なのである。そして、その教育は「アート」である。自分でやっているアートなのだ。なぜなら、教育はパーソナリティの発揮であるからである。パーソナリティが発揮できるのだから、こんなに楽しいことはないのである。
オレは成果は求められていない。
昨日お会いしていた教授にも、「まさかこれから大学のせんせにでもなって働くつもりじゃぁないでしょうな?」と聞かれた。呵々大笑である。そんなわけはない。まかり間違ってなったとしても、すぐ定年になる。それにオレが大学の教授なんてわらわれっちまうですな。高校時代の同級生に。10代後半に勉強していなかったから、大学院が趣味になっちまったのだからねぇ~
わはははっはっははっはっははは。
旅行ができないでしょうよんと申し上げた。当然である。
繰り返すけど、趣味で大学院に通学しているのである。
だから古女房殿に叱られるのだよ。時間とカネの無駄だって。それでもオレはめげない。若い人に囲まれて、実にはつらつと生きることができるからである。楽しいではないか。これが逆に、周囲が全部じーさまとばーさまだけで、「オレはいつ死ぬんだろう」とか、あちこち病気の話ばかりでは気が滅入る。
「人生はエンジョイしなくちゃならんのである」
そうでなくちゃ、生きる甲斐もない。
そういうこっちゃ、そういうこと。
じゃぁね~!