時の流れに身を任せ.wmv
月亮代表我的心 Yue liang dai biao wo de xin 麗君Teresa Teng,pinyin
今日の中国語講座で教えてもらったテレサテン様の歌です~♪
カラオケでできるようになりたい。
あ、オレと一緒に行く人がいねぇ~~~~~~とほほ。
レベルが違うなぁ~
昨日、古本チェーン店で、現代国語の入試問題集を10冊買った。ある目的があって買ったのだが、出口さんという著者のが知らないうちに増えた。経歴を読んでびっくりしたのだ。ある宗教家の曾孫だと書いてあった。おもしろいものである。文章書きでならした宗教家であったからである。彼の曾祖父は。ま、これ以上は書かないが、なかなかである。なかなか。その他の現代国語の入試問題集は、一般の著者であったのだ。しかし、あまり個性がない。普通の大学受験参考書なんてもう何年つきあっているのだろうか。ちょ~古女房みたいなものである。アキアキしている。(^_^)
ついでに、学者の仕事場を紹介する古本も買った。社会学者の阿部謹也先生の仕事場が紹介されていたからである。
その本にこんなことが書いてあった。「楽しいから研究生活を続ける」という先生の方針に、非常に納得した。研究は、そろばん計算でやってはならないと言われる。大学教授になろうとか、金持ちになろうとか、勲章がほしいとか、そういう世間知で行動をしておられなかったのである。
非常勤講師をさせていただいている大学の先生から、阿部先生のことを教えていただいたのだ。かなりおもしろい先生である。そもそも神父になろうとされていたということが、オレの興味を引くのである。さらに世間体ということでも阿部先生に興味を持つのである。著書も相当数読んでみたのだ。
本当だろうなぁ。楽しいからやっているのである。まったく他の方から見たら、変人・奇人・軍人である。オレなんか。ま、軍人は冗談である。あの有名な元政治家が言った台詞である。
さらに阿部先生は留学したドイツでドイツ語の古文書まで学ばれた。
このことが大切であるとオレは思ったのだ。徹底的にやる。これである。徹底して全部吸収スルのである。
だからまだまだなのだ。古文書でもオレはまだまだである。しかもオレの場合は日本語じゃぁないか。母国語である。話にならんなぁ~。
7:35である。
今日はこれから在籍大学に行く。
師匠のゼミがある。午後は、中国語の学習会が成東駅前である。やるべきことは多い。楽しいからやっているだけだが。
阿部先生とは、レベルが違うなぁ(>_<)ゞ。
阿部先生のことを以下に紹介してみよう。
例のウキペディアからである。
来歴・人物[編集]
東京都千代田区生まれ。早くに父を亡くし、中学時代にカトリック修道生活を送った経験から西洋中世史の研究を志し、一橋大学で上原専禄に師事。上原の辞職により、大学院では増田四郎の指導を受けた[1]。
また『中世の再発見』での対談で日本の中世民衆史研究に大きな足跡を残した網野善彦と出会い、意気投合。これをきっかけに家族ぐるみの付き合いにまで発展する。その後も度々対談などで仕事をともにするなど、その親交は深かった。
小樽商科大学教授、東京経済大学教授を経て、一橋大学社会学部教授。一橋大学を定年退官後、同名誉教授となり、同大学長。後年は国立大学協会会長、文化功労者審査会委員、財団法人大学基準協会副会長、大学審議会特別委員、学術審議会委員、 東京都青少年問題協議会副会長(会長:石原慎太郎東京都知事)、大学評価・学位授与機構大学評価委員会委員長等を歴任。1997年紫綬褒章。
最晩年は腎臓病を患い、人工透析を受けながら、研究執筆を続けた。2006年9月4日午後9時37分、急性心不全により東京都新宿区の病院で死去。71歳だった。
著書に『ハーメルンの笛吹き男』『刑吏の社会史』『「世間」とは何か』など。『中世を旅する人びと』でサントリー学芸賞、『中世の窓から』で大佛次郎賞。筑摩書房から「著作集」が刊行されている。「世間」をキーワードに、個人が生まれない日本社会を批判的に研究し独自の日本人論を展開、言論界でも活躍した。
学歴[編集]
1941年 鎌倉第一国民学校(現鎌倉市立第一小学校)入学
1947年 中野区立第五中学校入学
1949年 練馬区立石神井西中学校転入
1950年 東京都立石神井高等学校入学
1958年 一橋大学経済学部卒業(上原専禄ゼミナール)
1960年 一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(指導教官増田四郎)
1963年 一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了(指導教官増田四郎)
職歴[編集]
1963年 日本学術振興会奨励研究員
1965年 小樽商科大学講師
1966年 小樽商科大学助教授
1969年 - 1971年 ドイツ連邦共和国ボン・ゲッティンゲンに出張(アレクサンダー・フォン・フンボルト財団奨学生)
1973年 小樽商科大学教授
1976年 東京経済大学教授
1979年 一橋大学社会学部教授
1987年 - 1989年 一橋大学社会学部長
1992年12月 - 1998年11月 一橋大学学長(2期)
1995年 国立大学協会副会長
1997年 国立大学協会会長(1997年11月〜1998年11月)
1999年3月 一橋大学を定年退官(名誉教授の称号を受ける)
1999年 - 2002年 共立女子大学学長
1999年 - 2002年 学校法人共立女子学園理事・評議員
2000年 - 2002年 共立女子短期大学学長
この間、国立民族学博物館共同研究員や国立歴史民俗博物館教授を務めたほか、講師として東京大学文学部・教養学部・教育学部、東京外国語大学、千葉大学文学部、名古屋大学文学部、富山大学人文学部、東京都立大学、岡山大学教育学部、日本女子大学、藤女子大学、北星学園大学、札幌大学などでも教鞭をとった。
昨日の中国語学習会は、楽しかったなぁ。
15名もいるのだ。
むろんオレが一番できない・・・
次回は水餃子を作って食べるとのことだ。
これまた、楽しいですなぁ~
それにしても、講師が言っていたけど、大手の... fb.me/1RVCTVK2Q
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