と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

今日は、三時くらいまで鹿児島空港にいた

2014年09月03日 23時03分18秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 

薩摩の旅からさっき帰ってきて

 

 

今は、23:02である。

平成26年9月1日(月)から平成26年9月3日(水)まで、薩摩を旅していた。今日は、三時くらいまで鹿児島空港にいた。それから飛行機で帰ってきた。

なぜ薩摩か。

霧島神宮に行ってみたかったからである。なにしろ、雑文を書くのにも行ってみなくちゃ勝負にならない。古代、中世の宗教や説話集を学んでいるからである。だから、霧島神宮の写真をたくさん撮ってきた。そして、いろいろと雑文書きのネタを仕入れたのである。旅をすることによって勉強になるという屁理屈をつけて、全国各地を放浪しているのだから、いい気なものである。定年退職したから時間に余裕ができて、行けるようになったのである。現役の仕事人のときは、とうてい無理であった。こうやって旅をしていられるような年代まで生きていたいと思っていたが、どうやら今のところはできるようである。病気とかになったらおしめぇであるからだ。

それに今回は死んだオヤジと約束した知覧の特攻記念館にお参りに行きたいと思っていた。オヤジは、ソ連によるシベリア抑留の犠牲者である。だから、どれだけ戦争が悲惨なものであり、人間の運命を変えてしまって、思想的にも虚無主義となってしまうかというこをずっとオレに云っていたのである。オヤジが生きているときから、約束していたのだ。知覧を見て、供養塔を見て、考えてこい!という約束である。

本当に悲惨なものであった。二十歳前後の青少年たちが、飛行機に乗って、爆弾を抱えて敵国の戦艦に突っ込んで行くのである。人生の意味とかを考えている特攻の青少年の遺書、ノートもあった。しかしながら、無我夢中で亡くなっていったのではあるまいかと思った。価値もなにも考えている時間はなかったであろうと思う。やはり戦争はいかん。やっちゃいかん。このことについては、またの機会にまとめてみたいが、今日は疲れてしまったので、これくらいにする。

実は、帰ってきて、なんと夜8時30分に中国語勉強会に行ったのである。資料だけでもほしかったので。英語もやらなくちゃいかんのだけれども、中国語も駄文を書くためには必須である。

これで試験があったら、間違いなく落ちますな。

わははっははである。

 

笑っている場合じゃないな。

マイッタな。

ま、落ちたら、いなくなっちまうだけである。

オイラは、後ろ向きの人生ばかりだったから、致し方ないのだよん。

 

じゃぁねぇ。

お休み。

 

 

 

コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

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高齢\(^_^)/