ジャンル別友人に会いに行く
今日のTwitterでエンデのつぶやきを読んだ。
いいこと書いていますねぇ。
>ミヒャエル・エンデ @Michael_Ende_jp 13分
沈黙というのは言い淀んで黙ってしまうという方の黙るではなく、ある一定のものを表しておきながら、何かを意図的に語らないという意味です。そうしておいて読者の中にそれが湧いてくるのを待つのですね。そういう意味で私は文学は「沈黙」の芸術であって「語り」の芸術ではないと言いたいのです。
べらべらしゃべっていたって、なんにもならんっちゅうことですなぁ。オレも、Twitterとか、BLOGとか止めたほうがよろしいようで。でも、あれだ、これもあれも全部止めたら、オレ自身が暇になってやることなくなっちまうですな。Facebookもそう。二つやっているし。一つは郷土史のを。
今週のゼミからは、だまーっていよう。べらべらしゃべっていたって、来年からいなくなっちまう可能性が高いんだったら、おとなしくしているしかないですな。
理論で文学を分析して論文書くっていうのもオイラはできねぇしな。だいいち、そんなアタマがねぇし。本当に鬼来迎が好きで好きでたまらんから、31万字もゴミみたいな駄文を書いていられるのだよん。
たぶん鬼来迎の信仰者なんだ、オレ。
毎年、毎年、見にいっても飽きない。飽きないどころか、涙を流して帰ってくるし。いい年こいたじじいが、鬼来迎の賽の河原の場面でうるうるしちゃうのだよ。あふぉ~みたいだと家のもんにも云われるが、これって、信仰者としての態度だね。まったくまったく。賽の河原で、おさなごたちが、石を拾っている場面でオイラは必ずうるうるしちゃうのだ。
そして、そこに地蔵菩薩や、観音菩薩が現れるのだ。
感動だねぇ~。
今日は鬼来迎の縁起と台詞を読んでいたら、目連救母との関連の単語を見つけてしまった。楽しい、楽しい。論文の構成を大幅にいじって、ちょっと枚数が減ったんだけど、夕方やっていたら、元に戻った。昨日と同じ枚数になった。復活した。喜ばしいことだ。他にやることもないから、これでいいのだ。これで。
中国語講座もやっていただけるようだ。全八回で三千円である。一回ではない。全部で三千円である。講師は留学生だからホンモノの発音が聞ける。大学もいいことをやってくださるもんだ。
さらに、今年前半の執筆で、オイラ、いろいろ浄土教についての新発見をしてしまったので、来年楽しみである。それは、大学を中退したら、あるいは除籍になったら、やはり浄土教を学ぶしかないと思っているからである。中央仏教学院である。年間学費四万である。通教だからだ。6年くらい勉強できる。来年の九月から。
それまでは生きていたいもんじゃよ。
さ、これから「ジャンル別友人」に会いに行く。
柔道である。
ちびっ子たちの友人である。
キーボードばっかり見ているから、腰が痛くなってきたのだ。最近。
だから、運動をしてくる。
柔道なら、できそうだから。
オレでもである。
わははっははっはははっはは。