「サヨナラ、あばよ、また会おうな、生きていろよ、元気でな、死ぬんじゃねぇぞ」
あばよ! 「サ ヨナラ」って、一番好きな言葉だなぁ。 だって、逢っている瞬間、その時だけが共有させていただいている「...
「敬老」されるほど立派な人間であったろうか
日々修行ですねぇ~。まったく、まったく。そもそも自分がいかに罪深い人間であるか、どれだけ他人や家族にご迷惑をおかけしてきたか、あるいは虫や植物、牛や豚、鶏の命をいただいてきたか・・・・等々を思うといてもたってもいられないという心境である。今日は敬老の日である。オノレもまた敬老の対象である。しかしながら、「敬老」されるほど立派な人間であったろうかと思うとまったく情けなくなってしまう。しかもまだまだ世間のことに拘泥している。つまらない、ああつまらない。学位とか資格がほしいとか、地位とか名誉とか金とか、あとなんだ?拘っているなぁとしみじみ思う。還暦過ぎて現役大学生などというようなくだらないことばかりやっている。やっていないのは、泥棒と不純異性交遊くらいか。この二つだけは完全にやっていない。後者の方は相手がいねぇ。わはっはははは。
しかし、話にならんですよ。
そもそも思い上がっていたのだ。退職した知人で、オイラにこう云ってくるのがいる。「退職した高校の**なんだから、もう少し報酬をくれればいいのに」というのが。塾のことである。なんだか勘違いしていないか?と云ってやった。退職した**がそんなにエライのかねぇ。たいしたことはないのだよ。エラそうにしている奴ほど、中身はなんにもないのだよん。話してみればわかる。ま、それほど出世のために、地位や名誉のために心身を消耗させてきたのだろうから。馬鹿馬鹿しい人生だったと思わないとアカンですな。オイラもそうだ。馬鹿馬鹿しい人生だったと思うからこそ、こうやってじじいになっても生涯学習だと自称しながら、勉強させていただいているのだ。
てめぇ一人だけでうぬぼれていたら、天に笑われる。天は見ている。平等に見ている。何を考えて、何をしてきたのかを。
だから「修行」なのである。日々是修行なのである。完成はない。他人に指導できるほど、オイラには実力がない。日々是自習である。自ら学ぶしかない。他人に教えていただいて、自分の糧にしなくてはならない。その点伊能忠敬はエラかった。自分の子供のような師匠に鍛えていただいているのである。オイラもそうだ。ついている師匠はオイラなんかよりずっと年長であるが、中には若い先生方もおられる。オイラは断じて、若い先生であっても礼を尽くす。当然である。オイラのようなバカじじいにも指導をしてくださるのだから、こんなにありがたいことはない。そのことだけは、感謝しているのだ。当然である。さらにある。クラスメイトたちである。コンピュータでもなんでも教えてくださる。一種の憐れみである。こういうことを云ってくださるだけでも、ありがたいではないか。バカだと思うから教えてくださるわけである。感謝しなくちゃ天罰が下るというものである。
今日は敬老の日だけれども、オイラには「敬天」の日だなぁ~♪
(^_^)ノ””””
今、2:08。
昨日は、この時間に起きて雑文を書いていたのに、今日はまだ起きている。
お肌に悪いから、もう寝まひょ。良い子は寝るにかぎります。(^-^)/
今朝は町内の側溝掃除である。イテテとなった。そうなのだ。もう若くないから、側溝のコンクリート製の蓋が持ち上げられないのだ。(^w^)
じじいになったなぁ~。体力がねぇよん。これで、柔道マンだったなんて冗談でも言えないよん。
明日は、敬老の日だそうだ。
オイラは、自分で自分を祝ってくる。うまい料理も食ってきまひょ。もっとも、オイラの周囲には、敬老対象者がオイラを含めて3人いるからだが。
まさか、くまさか、(これ、オイラのふるさとだけに通用するダジャレ)還暦すぎて、敬老の日をきちんと迎えることができようとは、思ってもみなかった。一念発起で、居住地の市役所がやってくれている社会教育講座に申し込みをしてくる。なに、相... fb.me/1GYQ5Wdhf
“@hahaguma” RT @hiroco2003 所詮マイノリティなんて、マジョリティの胸先三寸で決まるのです。
マジョリティによるマジョリティのための…
matome.naver.jp/odai/214104060…
相手の立場を想像する力、相手の欲することを与えることが「愛」です。相手が何を欲しているかを考えて下さい。相手の身になってしたいことをしてあげればいいのです。
私は、自分がこの世の営みの役に立たないことを、嫌というほど思い知らされました。そして私はそれを真正直に信じ込んだのです。私は実際思ったんです―これも再び、私の両親が同じような状況にあったことと関連があるんですが―どのみち自分は、どうあがこうと、予め挫折を運命づけられているのだと。
「自分で思うほど、社会は高く評価してない」と言う意味では、大手のメディアと大学は似たようなものかも。特に大学は少子化で確実にパイが減る。前列踏襲の事なかれ主義で、保守的で硬直化している大学は淘汰されるだろうな。自分も危ないと思ってる。
新聞は元々ネットによって部数を減らしていた。今回の朝日の件で、他の新聞の部数が増えるというよりも、全体のパイの減少に拍車が掛かると思われる。歴史ある業界が少子化、グローバル化、IT化など社会の変化に対応できずに衰退する、一つの例か。次は教育、特に大学に来そうな予感。
(人口減にっぽん)20年度を境に縮む教員採用 - 朝日新聞デジタル t.asahi.com/fthm 学大もヤバいかな。ますますゼロ免課程を増やさんといかんか。
テレビや新聞の取材はこんな感じ。例えば東芝の情報漏洩の電話取材では、記者「工場には荷物チェックのゲートがありましたか?」、竹内「自分が居た10年位前は無かったですが、その当時は海外の会社も同じでしたよ」。これが「元従業員の竹内によると東芝はセキュリティが甘い」という記事に化ける。
自分の子をおしえると、厳しくなりすぎるか、優しくなりすぎるか、どちらかになる。いかなる聖人でも、わが子の教育については、ほど、というものを見失うのです。
(宮城谷昌光『孟嘗君』)
今現在で、(14:09)342枚でしゅ~。
これ以上やると基地外になりそうだから、これからgymにいく。
夜またやると、今度は賢くなるのかな?
わははっはっは。
拙ブログを大幅に修正させていただきました blog.goo.ne.jp/tym943/e/dc39b…
【東浩紀vs田原総一朗】「今や日本では高学歴の人材を持て余している」