昔話になったオイラ
昨晩は、早く寝たつもりだったが、結局原稿を手直ししてから寝たので、真夜中になっちまった。身体に悪いなぁ。こんなことをやっていてもなんにもならないし、家族に反対ばかりされているし、まったくマイッタ、マイッタ。血圧も上がる。つまりアタマが悪いから、理解も遅いし、論文もなかなか書けない。それでも328枚まできた。昨日は、今昔物語集の原文を入力していた。例の滑稽譚である。楽しい、間抜けな主人公がいくらでも出てくるから今昔物語集は実に楽しい。勘違いとか、そういうのがたくさんであるからだ。
つまり、オイラのような「異常なじじい」が出てくるのである。こいつはたまらんではないか。まるで鏡を見ているようである。
しかし、今昔物語集の編者は人間観が実にあたたかい。決して全否定はなされない。オイラのような民衆の側から登場する方々の滑稽な部分を的確に描いている。芥川龍之介が好んでここから小説化したわけだ。と、書いてあっと思った。そうなのだ。中世の持経師と呼ばれる僧侶たちも、ご自分の説法で今昔物語集のような説話譚からネタとして話の材料にしているからである。それは全国に及んでいるのではないかと推測している。ある意味、素敵なことである。
オイラが、もし今昔物語集に書かれるとしたらどんな案配になるんかの?
「むかーしむかし、房総半島九十九里浜っちゅうところの辺鄙な村に、一人のバカなじいさんがいたそうな。63歳にもなって、少年のころにお勉強が嫌いだったからということで、これまでやってきた悪業をこころから反省して、家から近い大学というところに通っていたそうな。生涯学習だとか屁理屈をつけて、年若い男女と一緒にお勉強をなすっていたそうな。おっかーからも、息子や娘からも反対されて、何を血迷ったんじゃろか、毎日いきいきと大学っちゅうところに定期券持って電車で通って、せっせとノートとって。大学のセンセからも叱られながら、迷惑がられているのも知らんぷりをして、また、クラスメイトからも嫌われているのも気がつかないふりをしていたそうな。時間とカネの無駄遣いというお友達からの批判も全く聞こえないふりをしていたそうな。論文を書くといって、論文にもなにもなっていないただのゴミみたいな文章を書いて、一人悦に入っていたのだが、それがなんの意味があるじゃろかと聞かれてもそれも聞こえないふりをして、しぶとく生きていたんだそうな。昔から、いる魑魅魍魎というのが、こういふじーさまなんですな。(この話を聞いているわらしべたちよ)こういう無駄に長生きしているじーさまのようにはならんでたもれ。こうなっちゃおしめぇですよ。良い子は、よーくお勉強して、世の中のためになるようなお人にならんといけないですよ。わかったかなぁ~♬」
以上のような民話になっちまうかな?
あ、そもそも民話なんかになるわけねーな。なまはげならわかるけど。
わははっっっっっっっは。