厚化粧だって、顔を洗えば元の木阿弥
塾でアルバイトをさせていただいていると、高校受験のことで、各高等学校がどう評価されているかということが如実にわかって楽しい、楽しい。保護者もどういう考えでいるのかもよくわかるから、これって、現役の高校のセンセに教えてあげたいくらいである。ま、定年で放り出された”洋ナシ(用無し)”であるから、そんなことは誰にも云わないけれども。
昨日の塾では、常連の男子生徒と国語をやっていた。こっちはオレの専門だから、現代文読解でも本当に自分でもあきれるほど、解き方というか、そういうのに詳しいのである。わからなければ、わからないなりに、導くことができるからである。おかげで、直近の実力テストで国語は30点の結果アップ。まったく、正真正銘オレは教師に向いている。ほんとうにそう思う。天職だね。天職。
収入は微々たるものである。Wifeがあきれている。そんなに少なければ、退職しちゃいなさいよ、どうせアルバイトなんでしょ?とのたまう。当然である。稼ぎのないグータラじじいだからだ。ま、いいではないか。塾もまた趣味で行っているのである。ある意味ヨガと一緒である。Gymもそうである。もしなにもやっていなかったら、オレは確実に呆ける。それが一番怖いからである。
しかしである。大学に行っているのも、これまた趣味なのである。ゴミ論文を書いているのもそう。実質、材料としてはA4で500枚(史料集を含む)あるから、構成をいじっても昨日段階で330枚に復活した。第一稿が370枚であった。200枚削除しても、すぐ復活である。しかし、ゴミはゴミである。どんなに厚化粧をしても、ゴミはゴミ。体重計にそっと乗っても、デブはデブである。アデランス、いくら被ってもハゲはハゲ。気取ってドンファンのつもりになっても、じじいはじじいである。つまりごまかしようがないのである。
ごまかしで生きていってはアカン。
厚化粧だって、顔を洗えば元の木阿弥。
無駄なことはしないほうがよろしい。
それにブレないことである。
趣味で余生を過ごしているとなったら、徹底的に趣味で生きればいいのである。どうせ悪口の言われ放題で生きてきた身である。もう取り返しがつかないのである。悪口なんて言った方も、無駄なことをしていたもんである。ご苦労様である。無駄な時間を過ごしている暇があったら、ゴミ論文でも書いていたほうがよろしいでっせ。あるいは、オレのように生涯学習をやって、人間関係を広げることです。
明日も、ヨガがある。あるのだが、行けない。成田で布施明という歌手のコンサートがあるから、行く。夕方5時からである。これもまた趣味である。普段、太平洋しか見てないから、たまにはいいか。成田のような大都会に行ってみるのも。びっくりしてくる。
趣味に余生を捧げるのである。
そういうのがいてもいいではないか。
静かに生きているのだから。
許されよ。
わははっははっはっはっはははっははは。