slow life
昨夜、九十九里浜でもっとも美味だとボクが勝手に思っている鮮魚店から刺身とカマを買ってきて、家のものと食べた。非常に新鮮で、いきがいい。しかも、長いことおつきあいいただいているので、サーヴィスがいい。正月の新年会もここから料理を取る。肴ばかりではない。揚げ物も、なんでもうまい。サラダまでうまい。うまい、うまいの合唱である。
ちょいと、家族内で祝い事をしたからである。あくまで家族内の。マル秘情報。わははっはははは。
なに、ちょっと美酒を呑みたくなったからでもある。黄桜の大吟醸を買ってきて、呑んだ。うまいではなく、美味い!「うまい」よりこっちだな。「美味い」である。!をつけたくなるほど、美味い。まさしく美しい味である。これはこれは、非常に幸せである。どんな美女よりも、美味い肴と、美酒があれば、ボクは非常にご機嫌なのである。美女は三日たったら飽きるけど、美味い肴と、美酒は飽きない。
ま、美女は素材が良くないと、あまり美女とは云えないし。さらに、教養の無い方は、こっちが願い下げである。ミニスカートはいた、おバカキャラのおねーちゃんでは、ゲップが出る。しかも、夜遅く、ネオンと香水のにおいでゲホゲホとなるようなところでは美女など見たこともない。美女がいないのである。そーゆーところには。ボクは、冗談でも石部金吉とは云えないので、そういうところに行ったことがないとは、云わない。いろいろと経験豊富でもあるから。
しかしだ、今日も11:30から12:20くらいまでヨガ講座を受けていたのである。gymで。美人インストラクターが、とてもとても素敵な方で、ボクはもう楽しみでならないのである。なにがそんなにいいのかというと、slow lifeということを感じ取るからである。そういうことを力説されているのではないが、ボクの方がヨガのポーズをとることで、そう感じるのである。
ゆっくりゆっくり息を吐く、吸う。
その間に、気持ちいい範囲でいいですから、ゆっくり身体を動かしましょう・・と美人インストラクターが云われる。美しいお声と、スタジオに流れる癒やしの音楽がこれまた快適なのである。あれほど堅かったボクの関節がとろけるようだ。ま、それは大げさであるが、本当にslow lifeなのである。こういう感覚は、これまで一度も味わったことがなかった。成果を求めて、モーレツに生きてきたから、なんでもスピード大事、瞬発力大事、成績重視、点取りゲーム、ランクづけ大事、利潤競争にそれこそ「狂騒」してきたのだった。関節だって悲鳴を上げていたのである。自分で自分を縛っていたのである。ハードゲームばかりやってきたのである。バカみたいに。
これからは解放である。
自分で、自分を解放してやらなくちゃアカン。
縛りがないから、誰とでもクチをきけるようになってきた。これもまたいい。これからは職業人として生きるのではないからである。定年がないのだ。定年の代わりに、ご臨終があるだけである。いつご臨終になるかが、ボクにもわからないけれども。(^0^)
だから、実に気楽である。
スピードが要らないからである。
以前何をしていたのかということもまったく関係ない世界で生きているからである。やっとこういう心境になれた。嬉しいかぎりである。そういう質問が来たら、「孫の面倒見ている年金生活者ですよん」ということにしている。それ以上聞かれることもないし、面倒くさくない。ただし、誰かが、このじーさまは大学生で、変人なのだと周囲にいいふらすときもあって、実はこまっちまうのだ。そういう時は。変種の豚を見るような目つきに周囲の方々がなるからである。
ボクはなにも自己主張のために生涯学習をやっているわけではないからである。ゆったりと、slowに生きていきたいというのが、願いだからである。
だから、gymのヨガの美人インストラクターに感謝しているのである。良い方とのご縁をいただいたものである。
感謝、感謝である。
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