壁ドンを 妻にやったら…第28回サラリーマン川柳コンクール100選
出雲風土記に記録が残っている。温泉街の中心を流れる川に「まがたま橋」や川には今はやりの「足湯」もあります。
山陰の旅「玉造温泉」.mpg
「ドン底のさらに深いドン底」を掘っていくつもりだ(^_^)
昨日も雨が降っていた。
それはそれなりに楽しいものである。雨も。洗濯物が乾かないというグチを古女房ドノから聞かされるのがどうにもしょうが無いが。それでも、雨もまた良し。外出してウロウロと歩いている方々もいないし、なにより野草が生き生きとしている。傘をさして、私もウロウロと歩く。昨日もちょっとだけ歩いた。時間にして15分。最近は暑くなってきたので、日中の散歩はしないことにしている。暑くてたまらん時は無理をしないに限りますなぁ~。こっちは無理をしたらイカンのであるから。もう退学する大学もない。あ、ひとつだけあったか。老人大学の方である。なんだか、マジにつまらなくなってきたが、爺婆の友人がいればいいかと思っているだけなので、あまり気にしない。雑談をしに行っているようなものであるから。それに惚け防止のためでもある。
歩くというと、昨日の午前中に市営のGymではけっこう運動をしてきた。
午前中、このGymは混む。かなりである。Walking machineは予約制になっているのであるが、順番待ちになっていた。なんと、一時間待ちである。しょうがないから、体育館の2階がランニングコースになっているので、こっちに切り替えて歩いた。でも、ランニングなんてとてもじゃないが、できやしない。入院してから、考えが変わった。無理しない程度に鍛えようと思っているからである。だから、30分程度歩いた。むろん速歩である。速歩といっても私が歩くのである。そんなに速く歩けるわけもない。私の姿を見たら、なんだそんな程度かと言われてしまうだろう。それでもいいのである。なにも爺婆と競争しているのではない。マジに。そういうバカみたいな世界からはリタイアしたのである。誰がどうなろうとまったく興味関心がないから気楽なものである。
だからICレコーダを聞きながら、英単と中国語の単語を暗記していた。そんなもんである。そんなもん。もっとも、英単が30分。中国語の方は、バイクという自転車こぎのmachineがあるからそっちで30分やっていただけである。
むろん成果はない。
まるでダメ。まるでダメオである。
それでもまったく焦らない。成果がなくても構わない世界に住んでいるからだ。
Gymでは、バーベルも上げない。こっちもまったく関係ない。バーベルなんか上げていたら、血圧があがる。柔道もやらないことにしたし、トレーニングする意味が無くなってしまった。体調を崩してから、すべてが変わった。
つまり「ドン底」である。
でも、私はさらに「ドン底のさらに深いドン底」を掘っていくつもりだ。「どこまで続くぞ、ドンドン底」だ(ちなみにこのドン底は『金輪際』といふ)。わははっはははっはははである。
一旦、蹉跌を味わったのなら、どこまで続くのかということを、確認してみたい。
八方ふさがりになったからである。どっちを向いても、病気と入院と葬式とあの世の話しか無い。だからである。八方ふさがっているんだったら、周囲をなんとかしようというのではなくて、さらなる底を掘ることである。それしかないではないか。
上は最初から無い。無いから考えない。考えたって無駄である。上昇したいとくっちゃべっても、聞いてくれる相手もいない。ましてや、大学院すら学業の継続ができなかった学業劣等爺である。体調不良ということもあったが、それよりもなによりも学業が劣等であったということは歴然とした事実である。評価も低かった。こんな迷いの多い爺大学院生を3年間も相手にしていただいて、実に辛抱強い先生方であったと感謝しているのだ。教えなきゃ良かったと思われているだろう。無駄な時間を使ってしまったと。どんなにご迷惑であったかと思うと、まことに申し訳なくなる。もうちょっと実力があればよかったのであろうが、それが無かった。実力が。
修了できたら、大学の宣伝でもしたかったが、退学ではそれもできない。高校の現場では相手にもしてくれないだろう。高校の校長をやったのには、そういう宣伝マンも多い。大学のである。パンフレットかなんか持参して学生募集の仕事をしているのが。退職した友人知人でもけっこうな数でいる。そういう再就職をしたのが。
私はそれもできなかった。
ドン底だからだ。
ま、自業自得である。博士になってみたいなんていうアホな夢を見てしまったからである。もうそれも潰えた。閉じこもって論文書きをしていたら、今度こそ死んでしまう。Doctorがいうのだから、間違いない。だからもうやらない。書庫も不要になってしまったなぁ。なんでこんなんものを作ってしまったか。気取っていたんだよん。バカですな。バカ。
昨日から漢文体系の「老子荘子」を見ている。
こういう短文の漢文をちらちら拝見している方が健康にいい。さらに老荘思想は、個人の迷いにはいい。かなりいい。考え方を変えることができからである。個人としてどうすんだ?というツールである。老荘思想は。
ここまでドン底を経験してきたのだ。
さらに底の底になにがあるのか。
丈夫なスコップを持って、アナを掘るしかないですなぁ~。
他にやることもねぇから。
さ、けふは一日暇じゃ。
昨日のGym、退学した大学がやっている中国語講座、夜は塾のアルバイトというかなりハードな日程ではない。朝もゆっくり起きたし。
教材研究でもやって、それから男の料理教室の案内が来ないので、そちらの施設にも行ってみようかと思っている。可能なかぎりカネがかからないように生きていくしかないので。
年金生活者だから。
(^_^)ノ””””
「うるせぇ、黙ってやれ」である。
あまりまじめだと、いろいろと立ち往生することもある。日本人というのは、勤勉を絵に描いたような方々が多い。多いから、ここまで発展してきた... goo.gl/0bXJQQ
日光がさしているのに空が白いことが夏にはよくあった気がする。そういう日には三年連用日記の天気の欄に「白晴れ」と書くことにしていた。白晴れとはわたしの新造語でどこにも通用しない。何かあいまいな性質がその天候にはある。日の光がさしていて地上はたしかに晴なのだ。-どうなとなれ
山梨清水寺木造勝軍地蔵騎像:勝軍地蔵は中世武士の地蔵信仰を背景に室町時代に入って生み出された地蔵。多くが騎馬武者姿で表され、戦国武将に篤く信仰さた。本像は武田信玄を擬した恵林寺不動明王像の作者として知られる京仏師・康清作。山梨市所在。 pic.twitter.com/DD3zHlCheo
■「命とはなにか。それは、夜の闇にまたたくホタルのきらめき。凍てつく冬の空気にバッファローの吐く白い息。草原を走りまわり日没とともに消えてしまう小さな影。」【インディアンの言葉】
【三重・潮かけ祭】<旧暦6月1日>正式名は大島祭。志摩町に伝わる780年の歴史がある祭り。漁業関係者がその年の獲物を捧げ、安全と豊漁を祈願する。神事の後は禊と称してホースやバケツを使って無差別に海水をかけ合い、人々を海へ投げ入れる。pic.twitter.com/srmcW4Wxn4
第63回日本エッセイスト・クラブ賞が発表され、磯田道史静岡文化芸術大学教授著『天災から日本史を読みなおす』が受賞しました。
磯田先生、おめでとうございます。 ""ハ(^▽^*) パチパチ♪
受賞作は中公新書コーナーにて展開中です。 pic.twitter.com/XCKTCY3YSg
現代の大人は、演技するとか遊ぶということをすっかり忘れてしまっていて、だから演戯や遊びを本気にすることができないので、二つの平面を混同してしまう。ファンタジーを失った大人は、この想像力の平面に四苦八苦するわけだけど、子どもは全くそんなことがない。
今朝はうちの定番のひとつ。長芋汁のぶっかけ麦ごはん。すり鉢で長芋をすりながらみそ汁を加えていきます。麦と白米は半々で炊いています。ちょっと実山椒を加えて、ごはんにぶっかけていただきます。おいしいです。長芋好きにはたまりません……。 pic.twitter.com/ikpC9AJ81Z
見るからに丈夫そうに見えるから、丈夫に働くだろうと、
田舎の者を連れてきて、それで都会で働かせる。
ところが都会の雰囲気に慣れてない。
習慣が違う。第一、空気が違う。食い物が違う。
何もかもが違ってしまうだろ。
それだから… bit.ly/1dMozoF
黒山の石仏:滋賀県にある黒山集落の外れに所在。高さ約80cmの花崗岩に、1尊は柄の短い錫杖を持ち、もう1尊は合掌する計2尊の古式の地蔵が刻まれている。鎌倉時代後期の作風が伺える磨崖仏。 pic.twitter.com/chtj7zqL0G
【老子 第五十一章(2)】道の尊きと、徳の貴きとは、夫れ之を命ずる莫くして而して常に自然なり。故に道之を生じ、徳之を畜い、之を長じ、之を育て、之を成し、之を熟し、之を養い、之を覆う。生じて有せず、為して恃まず、長じて宰せず、是を玄徳と謂う。