中国人留学生から総勢五人で教わっていることが楽しいからである(^_^)
昨日も午後から中国語講座に行ってきた。これで連続6回くらい行っている。ホンモノの中国人留学生から教えていただいている。退学した大学が九十九里平野にある成東駅前のインフォメーションセンターでやってくださっている講座である。
昨日も初級クラスに五人参加した。上級クラスには十人ほどいるが、私たちはみんな仲良く初級クラスである。年齢は私も含めてみんな高い。かなり熱心である。私も熱心であるが(自分で言うか・・トホホ)、アタマがついていかない。アホだからである。覚えられないのだ。まったく、まったく。しょうもねぇ爺である。
アタマの悪いのはわかっていた。なにしろ学業劣等でその大学を退学したくらいである。話にならないとはこのことである。だから、諦めているのだが、おおいなる勘違いをしていたことにも気がついた。それは、中国語を翻訳しようとばかりしていたからである。つまり意味は何か?とばかり考えていた。どうも長年やってきた英語学習というか、受験英語の悪い癖から抜けきっていないらしい。翻訳学習なのだ。これじゃぁマスターできないのは当たり前である。
もう遅いか。遅いだろうなぁ。
でもいいのだ。それでも。こうやって、美人の中国人留学生から総勢五人で教わっていることが楽しいからである。受講生同士の人間関係もできてきたし、冗談も飛ばす。私ばかりではなく、みんな世間を長いこと生きてきたから、雑談も楽しい。それでもって毎週行っているのである。
私以外は地元の方々ばかりである。クルマを飛ばして行っているのは私くらいである。もの好きにも程があると思うが、古女房ドノにも激励されているから喜んで講座に参加している。そうなのだ。可能な限り、外に出て多くの人間関係でもって鍛えていただくことがいい。なにがいいと言うと、閉じこもらないからである。
閉じこもって、コンピュータの前に座っていると病気になるからである。一旦、ゴミ論文を書き始めると、10時間くらいはあっと言う間にたっちまう。それくらい、アホ~なバカチカラという名の集中力があるのである。私には。これが美人を見ていてもすぐ飽きるという私の欠点とはちょいと違っている。そうなのである。そもそも美人にあまり関心がない(どうもウソっぽいなぁ~)。
つまり閉じこもっていないことが最重要である。そういうことである。生活をいきいきと活動的に送ることである。それが私にもっとも求められることである。そいつを忘れていたから、エコノミークラス症候群になってダウンしたのである。
そして加えて、頑張らないことである。
あまり頑張っていると、また病気になる。所詮、なにをやってもモノにならなかった爺である。だから余計なところに力を入れないことである。
しなやかに生きていくことが一番である。
努力が前提になっているということはよくわかっている。無為ではないということである。それくらいのことは。しかし、病むほどやっちゃぁいけない。限界というものをわきまえていないとアカン。自分を追い込んでもいい。いいけどやり過ぎはいけない。
今日はこれから千葉市に出かける。
千葉市民会館で行われる文化講座という名の講座で2時間ほど話をさせていただく。ありがたいかぎりである。「鬼来迎と目連救母劇 日中比較芸能の視点から」という内容である。
昨夜、パワーポイントのチェックも済ませた。資料は全部用意した。資料1から資料7まである。20枚くらいあるだろうか。コピー代がかかってしまった。主催団体からいただけるようだが、そんなことは問題外である。
こうやって途中の段階であっても、話をせよという機会を与えていただいたことを感謝しているのだ。
そうなのである。私の話は、完成した内容ではないからである。退学した大学で挫折してしまった内容であるからだ。そのことは今日の話の冒頭に申し上げてから始める。映像もふんだんに使って話をさせていただく。
鬼来迎の映像の方は、九十九里浜で行われる民俗芸能であるから、毎年撮影に行っている。だから映像はかなり多くある。民俗学としては初級レベルであるから、聞いてくださっている方にはわかりやすいだろうと思う。
問題は目連救母劇の方である。
目連救母劇も中国に実際行ってみて、直接の映像を撮りたかった。しかし、できなかった。厦門大学への短期留学も計画していた。今年である。三ヶ月くらいである。行きたかったなぁ~。でも中国語がまったく話せないから、中国の空港で立ち往生だったろうけど。
福建省の泉州市にも行ってみたかった。目連救母劇のメッカであるらしい。中国語講座の上級コースを教えていた留学生が、その市から来ていたことも知ったが、上級なので相手にしていただけなかった。それに今年からその留学生は、指導陣におられない。私ら初級コースは、天津からきた留学生である。しかも美人だから、アタシャ、ボーッとして受講している。ますますアホである。
アホは、アホなりに生きていくしかない。
ある意味、諦めが肝心でありまする。
誰からも相手にされていないただの老いぼれである。老いた馬である。なんの役にも立たないのだが、唯一塾の生徒だけが救いである。
そうなのだ。昨日も塾で全員英語であったが教えていたのだ。男子ばかり。受験英語である。一人だけ、地元の進学高校。しかも英語科である。マイッタね。受験英語なんか教えているから、英語もマスターできないのだよん。
彼らと雑談していたら、今日の土曜日も来てくれないかと言われたのである。
Test対策である。
今日から始まるらしいのだ。だから、「と~ま君!一緒に勉強しましょう」というわけである。マイッタね。そんなに働いたら、こっちが死んでしまう。
それに今日の千葉市の予定をちょっとだけ話して、悪いけど塾には来られないからと言った。
そしたら、「ボクも聞いてみたいなぁ~」だって・・・・。うれしいねぇ。まったく。だから男子生徒はかわいいのである。
もっともこんな坊主アタマのじーさまに教えてもらいたいという生徒がいるだけでも、現代の珍奇現象である。
さ、これくらいにしましょ。
あまりつまらないことばかり書いていると、緊張感というものがないのか!と叱られてしまうだろうから。これから千葉市に行くというのに。
もっとも人前で話をするってぇのは慣れているので。緊張感の持ちようがない。そういふ仕事をしてきて、定年で放り出されたのだから。
じゃぁねぇ~。
(^_^)ノ””””