海外て?トヨタ車のCMか?面白すき?ると話題に!外国人「笑えるwww彼女の涙腺か?崩壊した・・・」
141203/ユーモアセンスに溢れている会社!楽しそうですね
2篇 グリコ ドロリッチ CM 「オフィス」&「モデル」
ラップで機内アナウンス(日本語字幕つき) The Rapping Flight Attendant
【美輪明宏】ユーモアは生活の余裕から生まれる H.24.9.30
けふはwalkingから始めよう。暇な爺である。お笑いくださいませ
昨日、拙ブログにドストエフスキーのことを再読してみようかと書いた。
書いて、ふと思った。十代後半、つまり大学の学部生(国文学科)のときに、ムチュウになって読んだ。とうとう、卒業論文にまで書いた。学生生活が苦しかったから、ある意味現実逃避のような心境であったのかもしれない。麻疹だったのかもしれない。
尊敬する鷲田小彌太先生がそのことをある文庫本で取り上げていたことを思い出した。たしか「シニアの読書生活」という文庫であったと思う。確認していないのだが。
そこに、ナボコフの「ロシア文学講義」というのが紹介してあったのだ。で、昨日の夜インターネットからAmazon経由で古書店に注文した。1390円であった。古本である。楽しみである。この書は「ロリータ」で有名なウラジーミル・ナボコフのコーネル大学での講義録をまとめたものである。
早く配本されてこないかなと楽しみである。
そうなのだ。定年になったからといって、本を買わなくなる生活は考えられないからである。趣味である。そして生きがいである。撤退はないのである。細々とやっている現在の三つのバイト生活も本を買うためにやっているだけだ。
若い人からは、勝手にやっていればぁ~と嘲笑されるだろうが、なにそんなことは関係ない。なにを言われても、もう耳が聞こえない。自分に都合の悪いことは、聞くつもりがない。聞こえない。聞こえないから好き勝手にやらせていただく。
そういうことである。爺になった方が勝ちである(^_^)。しかし、積極的にこっちから、「あんた、読書せぇ~よ」というような説教はしない。やりたくない人に、説教したって無駄である。それに、現代はスマホ文化である。なんだか知らないが、ウキペディアのような検索サイトを使って、薄っぺらな知識をもって知ったかぶりをするのが流行っているから嘆いているのだ。
旅に出ても、添乗員がスマホを使って、現地の紹介説明をしている時代である。情けない。プロの旅行案内業なら、あらかじめ予習していただきたいと思うくらいである。アタマの中に入れてから、我々のようなすっかり惚けたアタマの持ち主を案内してもらった方が安心できるというモンジャ。せめて、ノートなり、カードなりにまとめてから、旅先案内をしてほしいと思う。なかには、そういう方もいたのだが、最近は堂々とのたもうからいただけない。スマホに書いてあると発言する添乗員がいるからである。紀州和歌山に行ったときもそうだったからだ。中上健次の枯木灘を案内するとパンフレットには書いてあったのに、ここがそうだという案内がなかった。無かったから、枯木灘はどこですか?とバスの中で聞いてみた。そしたら、見事に忘れていた。もしかしたら、枯木灘という小説を読んでいなかったのだろう。私は、Kindleを持っていって、バスの中でも風景と文章を見比べながら、旅をしていたからがっかりした。
そういう時代ナンであろう。諦めるしかないか。
だからスマホが嫌いなのである。どこでもインターネットができるってぇことは、それだけ人間の頭脳を退化させてしまうんじゃないのかねぇと思うからである。
ま、私の場合、スマホに使えるカネもねぇけどね。あれって月々の使用料が高いらしいから。爺には無理である。それに、インターネットは自宅だけで十分である。Kindle(二種類所有している)のタブレットも家で使えるし。それに、電話もまったくかかってこない。かかってくるのは、迷子になっていない?っていう古女房ドノからのスーパでの電話のみである(^_^)。これじゃぁ徘徊と一緒である。情けないけど。
今日は完全休養日である。
市営のGymもお休みである。公営だから月曜日が休みになるらしい。そらそうだろう。でないと職員がかわいそうである。特に管理職が。休み無しに仕事をしていたら、精神を病む。だからである。たまには、ゆっくりしていただきたいと思う。
スマホなんか捨てて。
退化するからである。わははっはははっははっははははである。
もっとも、ワタシャ、他人のことを心配している暇はない。オノレの頭脳の退化を心配しないとアカンですな。
英語も、中国語もいまだにまったくしゃべれないし。単語もなかなか暗記できない。もっともこんなことは、高校生時代からずっと続いていたことだった。なにしろ劣等生であったから。今でもそうだがねぇ。小学校、中学校、高等学校、大学学部、中央仏教学院、大学院修士課程(放送大学大学院も含む)、大学院博士課程と学んできたが、全部劣等生であった。最後が情けないけど。学業劣等、健康不安でとうとう退学したのだから。
古女房ドノが怒るわけだ。
ある意味、退化の専門家でありんすよん。
バカの見本ですな。
それでも、まだまだ読書だけは継続している。爺になってますます盛んである。
懲りもせず、ノートまでとっている。
塾の教材研究と自称して、英数主体の自学自習もやっている。
まったく懲りないバカである。
誰にも頼まれたわけではないのにねぇ~と思う。
好きだからであろう。
それだけである。
さ、けふはwalkingから始めよう。
ブログを書いたから、今度は運動。それから英数の自学自習をやる。暇な爺である。
お笑いくださいませ。
わはははっはははっははっははは。
(^_^)ノ””””
興福寺木造不空羂索観音坐像:変化観音と呼ばれ、手に持つ羂索で、人びとの願いを空しいものにしない誓願を持っている。12世紀後半に約15ヶ月を費やして、運慶の父・康慶とその弟子達が造ったもの。 pic.twitter.com/Z4Yd4DW2tX
喰初寺白面金毛九尾稲荷:栃木県の当寺には玉藻御前の伝説が伝わる。鳥羽上皇の寵愛を受けた伝説上の美女だが、天竺と中国で王を誘惑して王朝を滅ぼし、日本に飛来した金毛九尾狐の化身だった。陰陽師・安倍泰成に正体を見破られ、この地で成敗された。 pic.twitter.com/ia1DwRugNA
500RT:【期待】既存の「Wi-Fi」で無線充電できる技術が開発される
news.livedoor.com/article/detail…
ワシントン大学が、実際にワイヤレスで充電を行うことに成功しています。あらゆるものが充電できるようになる時代も近… pic.twitter.com/R8AC9q0raj
放光寺天弓愛染像:放光寺(山梨県)は源平合戦で功績をたてた安田義定が、一ノ谷の戦いの戦勝を記念して創立したといわれる。義定の死後は地域の甲斐源氏が本尊を守り、後世へと伝えた。日本最古の愛染明王像で、特徴的な躯体は天弓愛染と呼ばれる。 pic.twitter.com/nsAmR8KbSS
”父親の喋り方は、子供が世の中に出てから他人とコミュニケーションする上での重要な基盤となる。ほかの人たちはママのように自分の心を読んでくれないと知ることになるのだ。” sciencebook.blog110.fc2.com/blog-entry-127… 『男脳がつくるオトコの行動54の秘密』ローアン・ブリゼンディーン
精神的には別段何もないが偏頭痛と貧血でしょっちゅう保健室に連れてかれては、意外と相容れない体調悪い系女子の中で居辛い&養教にも追い出されるを繰り返してた。「じゃ早退します」って言うとそれはダメだと。今養教の話を聞くに何故そうだったのかは一応わかるが、納得のバランスは難しい。
禁欲というのはもともとそういう意味だったんではないか。無理矢理に諦めて、貧しくなるということではなくて、別の領域で、もっとインテンシヴ(※濃密さ)にできるから、結果として日常の領域では弱くなっていくんだということ、むしろより豊かになることだったのです。 『三つの鏡』
醍醐寺三宝院弥勒菩薩坐像:仏師・快慶初期の代表作であり、眉目秀麗な顔立ちが特徴。醍醐寺は、874年に理源大師聖宝が京都・笠取山山上に准胝・如意輪両観音像を安置したことに始まる。以来、真言宗小野流中心寺院として発展し、重源らを輩出した。 pic.twitter.com/OLabaJq4rN
戦争によって道徳は嗤うべきものとなってしまう。手立ての全てを尽くして戦争を予見し、戦争において勝利する技術、つまりは政治が、かくして、理性の働きにほかならないものとして理性に課せられることになる。哲学が素朴さに対置されるように、政治が道徳に対置されるのである。-全体性と無限-
人間ていうのは滑稽なものであるということを常々思うべきなんや。・・・・・・滑稽なものやで、人間のやっとることは。俺は絶対正しい思うとる奴ほど敵わんものはないな。-日本人を考える 司馬遼太郎対談集
金剛峯寺孔雀明王像:後鳥羽法皇の御願で仏師・快慶が1200年に造立。孔雀の背に乗る絵画的な姿を仏像彫刻として表現。孔雀明王は、孔雀が美しい姿をしながらも人間の天敵・コブラを食べ、その害から守ってくれるところから無病息災の信仰を集めた。 pic.twitter.com/ATQeM82v34
金剛峯寺深沙大将像:和歌山県にある高野山真言宗総本山。重源が安置したといわれる。伝奇小説『西遊記』の基となった唐代の僧・玄奘三蔵が天竺から持ち帰った「般若経」の守護神として祀られる。沙悟浄のモデルでもある。快慶による制作。 pic.twitter.com/KJVoGgxXg7
永興寺十一面観音立像:北原白秋、西條八十とともに童謡界の三大詩人と謳われた野口雨情が「日田の底霧 古典の絵巻 鐘のひびきも慈眼山」と詠んだ大分県慈眼山に位置する。運慶・快慶の流れを汲む仏師が作った仏像が多く安置されている。 pic.twitter.com/qLxNd4KtWP
「言葉の慰めなんて何になる。人を甘やかし、自分も甘えるこっちゃ。お前がおれをむごいと言えるのにはなあ、せめてあいつの小銃一つでもかついでやらななあ。お前はそれをせなんだぞ」-死ぬ奴
さっき孫が帰ってしまったのだが
軽いタッチの小説を毛嫌いしていたが、どうも退職してからあまりにも時間があるので、読むことにした。村上春樹もそうである。軽い小説だと思えば... goo.gl/xscrw9
ダジャレ弁当 妻が1年ボケ続けた“だじゃれ弁”がほっこりと話題 goo.gl/4bIucQ