ユーモアあふれる観光案内 箱根登山鉄道車掌・落合伸哉さん/神奈川新聞(カナロコ)
【意味が分かると笑える話ブラックユーモア】猟【2ちゃんねる】
ほほえましい郷土自慢と誤解ということ・・村上春樹も漢文学も
昨日の佐原への遠足は楽しいものになった。まさにルンルンである。千葉県内には歴史的な芸能も多いから私は退屈しないのであるが、地方人物の歴史もまた楽しい。佐原の郷土自慢もほほえましいものである。事の真偽は別としてである。そこはそこである。郷土自慢は、ともかくほほえましく受容するに限るからだ。しかも案内人が、90歳の大先輩。聞いている方が、老人大学の爺婆たち。まるでマンガである。わははははっはははである。
それでいいのである。
郷土自慢なんて、血筋を自慢しているのと一緒であるからだ。当人がそう思っているのだから、ふんふんと聞き流していればいいのである。
だから、千葉県内の各市町村の栄枯盛衰というのがおもしろいのである。佐原はあまり影響を受けていないが、江戸時代水運に頼っていた市町村は大きく変貌した。つまり交通手段の変化によってである。コメとか地方生産物を江戸に運ぶために栄えていた市町村は、運搬の方法が変わったとたんに、運命が変化したのである。地方創生となんとか言っても取り返しのつかないものは、事実らしい。
しょうがないといえばいえる。栄えて、枯れて、盛り上がって、衰えたからである。それを栄枯盛衰というのである。
しかも、栄枯盛衰は世の習いである。大学だってそうだろう。東大を頂点とした日本の大学は、正直言ってAからFまでのランク付けがなされていることは万人の認めることである。しょうがないということである。だから大学といっても、中身はそれぞれ違っている。研究者になろうとしたら、それなりの大学院を出ていないと話にならない。先生方であっても、どこの大学の先生であるかによって価値が左右されるのではないのか。
普段どういうような教育的実践と研究業績をあげられているのかということが、勝負であろうと思う。したがって、そういう教育的実践と研究業績の無い研究者の話を聞きたいというニーズがない。
就職だってそうだろう。ニーズがどれだけその大学にあるのかということが勝負を決している。東洋経済のサイトに、東大と早慶が就職戦線のトップでmarchとか、その他大学が最初から学歴でもって勝負がついているという記事をみつけてこれまたフンフンと読んでいたからである。ホントかねと思いつつ。
あまりここに書くといけないからこれくらいにするが、そういうもんだろうと思っている。
だから、一介の庶民である私は今でも悪夢を見るのである。
こっちは悲惨であるからだ。学歴がないからだ。よくまぁ、これまで37年も仕事人間としてやってこられたものだ。そう思う。
なんでもかんでも私は三流であるからだ。実績もなにもない。人間的にも欠陥だらけである。酒飲みだったし、だらしなく酔っ払っていたし。反省材料にはこと欠かない。だからである。
今朝、夢でもってうなされて目が覚めた。まだ仕事人時代にいじめられたことが登場してくるのである。マイッタね。
そういう話をここに書いたらアカンから、黙っているが、なかなか今でも苦しめられるってぇことは、トラウマである。
バカバカしい。
悟っていないということは、こういうことである。もう関係ねぇじゃないか。前の仕事なんか。元***とかナントカである。
こっちは老人大学で楽しく生きているだけだ。
遠足に行って、郷土自慢をフンフンと聞いて笑って帰ってくるだけである。
すべてはファンタジーである。
作り話である。
村上春樹である。
あんな軽いタッチのバカ小説は風呂の中でフンフンと読んでいるに限る。
トイレでもいい。事実、昨日は村上春樹のウソ話『ノルウェイの森』をフンフンと読んでいた。これで何度目になるだろうか。4回目かな。相変わらずである。読み終わったら捨てる。古本店にである。そして読みたくなったら、108円でまた買ってくる。その繰り返しである。
退屈しのぎに読んでいるだけだ。ちょっと違った発見もしたが。それは外国人に人気があるっていうのが、よくわかったからである。村上春樹が。ある種の誤解に基づいているのではないのかと感じたからである。日本及び、日本文化というものに対しての。そういう誤解があるのではないのか。冒頭シーンなんか格好が良すぎる。飛行場のシーンである。しかも英語と日本文まじりだ。これだと、日本というのはこういう国なのかという誤解を生む。1987年の出版だから、もう古いのではあるが。
それは中国文化に対する私の理解ということでも言えることだ。私もまた中国文化に対して誤解していた。学部時代に中国哲学科が在籍していた大学にはあったので、そういう方面の友人もかなりいた。だから、影響されたのである。そして、私なりにかなりの漢学の書籍を神田神保町で購入していた。買うだけではない。苦学していたので、身を入れて読んだ。当たり前である。それだけ真剣だったからだ。
それと徒然草も読み終わった。こっちは、古文書でも読んでいる。やっぱり退屈しのぎである。
そもそも読書からなにかの教訓を得ようというのが、スケベこころである。そういうのはつまらない。所詮ファンタージ、ウソ話と思えばいいのである。時間つぶしと言ってもいい。
だから収入とは結びつかない。
なるわけもない。
一介の田舎人である私がやっているからだ。趣味である。つまらない読後感を書いてみたりしているだけである。
けふもまた、暇つぶしで読書する。
古本店からいろいろ買ってきたからである。書き込みをするから、自分で買うしかない。
そしてまた厭きたら、売る。書き込みがあるから、ゴミとして処分されるだけである。
あ、私のゴミ論文と一緒ですな。ゴミということに関しては。
そして、市営のGymに行って、夕方まで過ごす。
それだけである。
中国語講座を探してくるけど。居住地のカルチャーセンターでやっていたような気がするから。
じゃぁねぇ~。
(^_^)ノ””””
諦めさせるのも教育の重要なポイントである。私はそう思っている。断念させることも、大事である。所詮、「遠足」みたいなものだからなぁ~
けふは、老人大学で佐原に行く。
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