15 古文書入門 第3章 候文・返読文字 ~第3講 候文の解読~
14 古文書入門 第3章 候文・返読文字~第2講 候文とその周辺の文字~
13 古文書入門 第3章 候文・返読文字 ~第1講 候文を翻刻文で~.wmv
12 古文書入門 第2章 人名・数字 ~第6講 解読にチャレンジ!②~
11 古文書入門 第2章 人名・数字 ~第5講 解読にチャレンジ!①~
10 古文書入門 第2章 人名・数字 ~第4講 日付や時間を知る~
06 古文書入門 第1章 かな ~第5講 かな文字の解読にチャレンジ!~
なんでもかんでも遊び半分でやっているからこうなる。楽しいから学んでいただけなのであるが。
唯我独尊になる学びということをよく考えることがある。
特に、老後にそういうようになる方々が多い。自分の考え方というか、意見というようなものは変わらなくなるということである。今更なにを変えようというのだということになる。ある種の居直りである。もう、オレは、アタシは完成しているというのである。立派な学者であり、研究者であるということを当たり前のように言い立てる。
私なんか、中途半端な学びしかやってこなかったから唯我独尊になってしまったのだとしばしば言われる。でも、徹底して学んだからドンドン唯我独尊になっちまった方々もいる。むしろこっちの方が多いのではないのか。
しかし、唯我独尊というのはなにも悪いことだけで使われているのではない。
釈迦が言ったことばである。
いつも使っている検索サイトのgooによると、
「この世で、自分ほど偉いものはいないとうぬぼれること。釈迦が生まれたときに七歩歩き、一方で天を指し、他方で地を指して唱えたという言葉と伝えられる。この世の中で自分より尊いものはいないという意味。▽「天上天下唯我独尊」の略。「唯我」はただ自分のみということ。「独尊」は自分だけが一人尊いということ。」
と書かれている。
まさに、「自負」と「独善」の両方を意味している。「自負」というのは自分に信を置くのであるから、別に間違ってはいない。さらに自分を否定的に見て、批判的にみることも間違ってはいない。自分を批判的に見ているかぎり、自分に信を置こうというのは、賢明なる人間に共通する態度である。
逆が、自分に信を置きすぎて、過信になり、狂信になる場合である。他人を全否定して、自分を見失ってしまう。これが独善である。
他人の意見は聞かない、自分の意見は間違っていない、変える必要もないというのは、独善であって頑固である。水気がなくなって、枯れてしまうことである。生きていないということである。
だから、学ぶということは、我が人生に水分を与え、新しい養分を自分に吸収させることである。学んで独善に陥るということは、この養分を自ら捨てることである。自分のずっと以前から持っていた意見や思想というものに添ったものしか学ばなくなってしまうということである。
そんなことをしていると枯れてしまう。植物だってそうだ。枯渇してしまう。だったら下手に学ばない方がいいんじゃん?っていうことになる。
しかし、そうではない。
学んで賢明になることが難しいのであって、学びそのものは、自己満足でいいのではないのか。
なにも他人に評価されるために学んでいるのではない。オノレのためにやっているだけである。それが誰かのお役に立てれば幸甚であるというだけである。しかし、そんなことはめったにない。だから自己満足であるというのである。
さらに言えば、それでもって身を立てようとする方々はむしろかわいそうである。これでもって食っていこうというのだから、厳しいもんだろうなぁと推測する。
頑張るという言葉はそういう意味も持っているのだろう。
若い時に大学院に入って勉強している方々というのが、これである。
学問をやってそれでもって身を立て、研究者として食っていこうというのだから。これは大変な悪路であろう。風雨も激しい世界であろう。台風も来る。地震もある。根底から覆されることもあろう。そして、大学教員とか研究者を目指して必死で努力される。それ自体はおおいに結構なことである。ただし、精神を狂わせない方がよろしい。山月記の李徴のように。それだけを心配している。孤独な研究生活には、焦りもあるだろうし、功績も実績もあげなくてはならないだろう。かわいそうにと思ってしまう。
なぜなら、私には関係の無い世界であるからである。
昨日、Twitterにもつぶやいてみたが、爺になって大学院に入って勉強したというのは、これから再就職していきたいというのとは大いに違っているのである。
むしろ、そういう俗世間を捨てたから大学院で「遊学」したのである。先生方にもクラスメイトにも、相手にされていないというのは、はじめからよくわかっていたし、そもそもこんな爺になってもモラトリアムにさ迷いこんでいる精神不安定な爺ではないのか?と在籍した大学院の先生方も思っていたのかもしれない。
そうではない。
そもそもこの年になって、第二の人生だとか、再就職だとか、モラトリアムだとかまったくない。
ナイナイのバァ~である。(アタマはもともとバァ~でなくて、パーであるけどね・・・トホホ)
楽しかったから遊学したのである。趣味で大学院に3年間通ったのである。クラスメイトには、趣味で勉強していると言ったらかなり嫌がられてしまったが。
あたりめぇ~である。趣味で学んでいる爺と一緒にされたくないであろうから。
じゃぁ、なんのために3年間も遊学したのか。
それは、これまでやってきたオノレの学びをまとめてみたかったからである。中途半端ではあったが、A4 で500枚の論文めいたものができた。それをもって、一昨日の土曜日に文化講座で話をさせていただいたのである。
捨てる神あれば、拾ってくださる神もいる。ありがたいものである。
できれば、私家版で印刷してみたかったが、それもできなくなってしまった。それはそれで仕方がない。それより、これから何年生きていられるかの方が大事になってしまった。長生きできないかもしれないという不安の方が大きくなってしまったからである。
バチが当たってしまったのである。
なんでもかんでも遊び半分でやっているからこうなる。楽しいから学んでいただけなのであるが。
生きているうちである。
生きているから、学びも遊びもできるのである。
だから来月、カナダに行ってくる。あまり評判の良くないエア・カナダで。
飛行機が落っこちないように祈っているだけである。
わははっははっはははっははっははははの「ハ」。
けふは朝から暑いなぁ。
オレのアタマも。
(^_^)ノ””””
それに一切自慢しないことです。そんなもん、自分だけ言っていればいいだけですから。自慢してるから、老人に学ぶという若者がいなくなっちまうんです。周囲から。(^-^)/
エアカナダのクチコミ情報のサイトを見ていたら、びっくりした。悪口雑言ばかり書いてあったのだ。ありゃ~、困ったな。来月利用するので。それにしてもホントかね?このサイト。e.his-j.com/static/kuchiko…
団地住民の挑戦 孤独死・孤立を防げ、地域の力で高齢者見守り goo.gl/wvjoOf
独り暮らしの老後、まず現実を知ろう 小桜義明静大名誉教授 goo.gl/hDT3DN
Kelly Chen 陳慧琳 - Kelly Dance Medley (大日子 / 花花宇宙 / 失憶週末) goo.gl/Ok7gFo
人間ていうのは滑稽なものであるということを常々思うべきなんや。・・・・・・滑稽なものやで、人間のやっとることは。俺は絶対正しい思うとる奴ほど敵わんものはないな。-日本人を考える 司馬遼太郎対談集
唐招提寺如来形像:頭部、両手先、両脚先を欠失する「唐招提寺のトルソー」の通称で著名な像。和様化の進んだ平安時代初期の作と思われる。多くの芸術家に親しまれた仏像である。トルソーとは人間の胴体部分のみの彫刻やマネキンのこと。pic.twitter.com/v3QEvqzEJr
東大寺地蔵菩薩:釈迦入滅後、弥勒菩薩がこの世に現れるまでの仏のいない期間(56億7千万年)に、地獄・飢餓・畜生・阿修羅・人・天の六道に輪廻して苦しむ人々を救うという菩薩。 後の日本の地蔵信仰にも繋がり、説話等にも導入された。 快慶作。pic.twitter.com/49Ha9LpZDE
01 古文書入門 はじめに ~これから古文書を読むために~ goo.gl/LcASdJ
03 古文書入門 第1章 かな ~第2講 明治時代の読本を読む~ goo.gl/eZsTqF
おれは感傷は大嫌いだ。しかし、それにもかかわらず、おれが感傷からものへ入って行く傾向がひどく強いということは自分でも否定出来ない。-見殺す
■「私の子供たちよ、人生の道を歩んでいるときには、けっして他人を傷つけてはいけないし、悲しい思いをさせてもいけない。反対に、おまえが他人を幸福にできるようなときには、いつでもそのようにしなさい。」【ウィネバゴ族インディアンの伝承のことばより】
【富山・福井・正月の天神様】長男を出産した年の12月に妻の実家から贈られた天神様の掛け軸や置物を毎年正月に床の間へ飾り、鏡餅やお神酒を備える風習。飾りは1月25日に収納する。幕末の福井藩主が推奨し、富山の薬売りが広めたという説あり。 pic.twitter.com/jjTJmhW52k
【カスタマーレビューがありました】
『最終講義 生き延びるための七講』(内田 樹著 文春文庫)
【Amazon紹介文】「学びの本質をとく、感動の講演集 神戸女学院大学退官のさいの「最終講義」を含む、著者初の講演集」
【Amazon】→ amazon.co.jp/gp/product/416…
中田考先生との中東問題をめぐる対談(というか僕があれこれと中田先生にインタビューします)はまだ残席があるそうです。朝カルまで、どぞ。6月17日(水)18:30から中之島です。
asahiculture.jp/nakanoshima/co…
おはようございます。今日は朝10:00から光岡先生と対談。14:00から講習会、そのあと懇親会です。頭使って、運動筋使って、胃袋と肝臓使って、バランスよくフル稼働の一日であります。
この二つの非現実(過去と未来)の交点が推定上の現実、つまり瞬間を生みます。瞬間とはなんでしょうか?それはどんどん小さくなって、最終的にナノ秒にまで縮小するため、完全に消え去ります。時間とはなんでしょうか?それは本来存在しません。それにもかかわらず、それは経験内容なのです。
700年前に書かれた『源氏物語』の仮名文字が自宅で浮き出たこと(鷺水亭より) genjiito.blog.eonet.jp/default/2015/0…
彼だけが私を傷つけなかった。彼のまえにすわっていると私は何も口をきかなくてもよかった。そのような時間のすごしかたのできる場所はほかにどこにもなかった。-開高健『青い月曜日』
認識者は山々を用いて建築することを学ぶべきだ!精神は山々を移すというのでは、取るに足りない、汝らは既にそのことを知っていたか?-ツァラトゥストラ- ow.ly/6Eu8N ow.ly/6Eu9u
ファンタージエンから日常世界の中に何かを持ち出す、これはいけません。あなた自身がファンタージエンで経験する変化だけを持ち出すことができるのです。しかし、ファンタージエンそのものの一部は持ち出せません。 『Zeit-Zauber』
朝起きると、まず第一に、ニッコリと笑う。もう、くせがついているから、ひとりでにニッコリと笑う。そして、「今日一日、この笑顔を壊すまいぞ!」と自分自身に約束する。
「言葉の慰めなんて何になる。人を甘やかし、自分も甘えるこっちゃ。お前がおれをむごいと言えるのにはなあ、せめてあいつの小銃一つでもかついでやらななあ。お前はそれをせなんだぞ」-死ぬ奴
「馬の列ちゅうもんは、世の中で一番静かなもんやなあ、見てみい」とおれは言った。
「遠いよって、蹄の音がきこえんからやないか。近くやったら、やかましいで」
「いいや、蹄の音がしても静かなもんや」
「そうかな」
「そうや」-死ぬ奴
人は、当然というか残念というか、年をとったら学ばなくなるからこそ大事でっせ!
昨日の文化講座は無事終了した。終了後、聞いていた方(ご夫婦)から握手を求められた。内容が鬼... goo.gl/93fxIX
【良かったね】北京で「青すぎる空」が続く…中国各紙で一面トップ
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市当局者は環境対策の成果だと誇るも、専門家は「最近続いた雨と北風で汚染物質が拡散したため」と指摘している。 pic.twitter.com/raVLU2PB9G
東大寺大仏殿賓頭盧尊者像:堂の前に置き、撫でると除病の功徳があるとされ、なで仏の風習が広がった。この像を「おびんづるさん」「おびんづるさま」と呼んで親しまれてきた。pic.twitter.com/UxWSqYKVxc
ジジィになってからの大学院生活というのは、具体的な職業を目指すからではないですなぁ~。これまでやってきたことを、まとめるという程度でしかないし。勘違いしないこってすよん。まったく。