自主講座として中国語講座が継続するらしい・・ありがてぇこっちゃ
昨日の居住地で行われている中国語講座で、とうとうこれでお仕舞いになっちまった。もう来年の春まで無い。だからまたまた最初から仕切り直しになってしまう。現代中国にはまったく興味がないから、旅行する予定もない。思想の国中国には憧れていたが。
で、困ったから、中国語講座のお偉いさんに相談をしていた。なんとか継続してもらえないだろうかということである。そしたら、なんとかなりそうだ。自主講座としてである。講師も、獣医の中国人女性である。獣医だから豪邸に住んでおられる。ここらあたりが、理系の大学を出た方と文系の大学を出た方との違いである。つまり、国際的にも十分通用するってぇわけだ。経済的には。だから文科省が血迷ったことを言っているわけだ。人文科学系の大学は不要であると。そしてたちまちのうちに訂正発言を繰り返している。笑ってしまうですなぁ。文科省の高級スーパーエリート公務員も、文科系だったら、もっと笑えない冗談になっちまうではないか。(^0^)
延長講座を希望しているのは、受講生全員である。先日、講師の先生のご自宅に押しかけて、餃子パーティをやってきたメンバーである。全員60代以上。(一人だけ20代女性がいたけど)
ありがたいものである。
こういうつながりがである。こういうのは、国籍も人種もなんも関係がない。つながりである。肝胆相照らすである。こころとこころの交流がないとできない相談である。
英語と違って、中国語は意図的に学ばないとアカン。まったくこれまでの言語学習とは違う。だからできない。言い訳だけど。そもそもオノレのアタマがよく働いていないからだ。簡単に言えば、アホなのである。発音が難しい。それに、教えてくれる人のスタンスでその困難度が違ってくる。ともかく慣れることだという講師の方がありがたい。あまり文法だの、四声だのとやかましく言われるとめげてしまう。
いくら「教育は断念させること」もミッションの一つであるとしても、それではあんまりである。最初から諦めようとして学びをスタートする基地外はいない。いたとしたら、アッシくらいだな。わははははである。だから「ごっこ」なんであろう。
むろん、そこに諧謔があることはわかっている。そのつもりで書いている。皮肉である。学校に対する。生涯学習に対してもである。わかっているから書けるのである。だいたいにおいて、励ましのない教育は教育では無い。どんな程度の悪い劣等生でも(つまり私だ)、やる気のある人間を最初から切り捨てはならない。私は、そう思っている。そう思ったからこそ、「先公ごっこ」を37年間もやってこられたのだ。
ま、たいして自慢できるような話ではないけどね。
たいしたことはないというと、オノレもそうだが、大学の評価というのも当てにならない。なにをもって評価の高い大学とか言っているんだろう。いわゆるブランド大学ということなのか?
ある程度はそれもありうることであろう。Aランクから、Fランクまでいろいろあることは、よ~く知っているからである。そりゃそうだ。大学に送り出す方に棲んでいたからである。そういう話にかけては、プロである。
学部がFランクで、大学院がAランクに行くというのもある。学歴ロンダリングという。それも私は十分知っていた。退学した大学院のランクも知った上で入学したのである。当たり前である。ランクなんか関係ナカッタからである。マジに。
しかし、私の場合は、「ごっこ」である。生涯学習ごっこである。つまり、遊びであり、遊民なのである。歌手のユーミンではない。遊民である。夏目漱石が「高等遊民」ということを言ったけど、私の場合は「低レベル遊民」である。やることがないから、時間つぶしでやっているだけである。ま、どっかで役に立つ事はあるかもしれない。しかし、それだけが目的ではない。そもそも目的を設定して、がむしゃらに突っ走るということも無くなってしまったし。そんなことをして、またまた体調を崩して再入院になったら基地外の上塗りである。
コレ以上、異常になったらおしめぇである。(これも以上と異常を掛詞にしてあるけど)
むろん老人大学でのボランティア活動には参加している。草刈りとかやっている。しかし、それだけがメインではない。それも人にデカい声で自慢するような内容ではない。絶体にない。
ささやかに世の中の片隅で生きているだけである。そういう方がふさわしい。
あまり世の中に拘泥して、みっともない生き方だけはしたくないからである。そもそもカミの毛がフサフサしていないではないか。つるつるなのである。つるつる。なんの虚飾物もアタマの上には乗っかっていないのである。寂しい限りである。それこそ私にはふさわしい。なにもないからである。
惚け防止しか興味がないのだから、始末に負えない。
惚けを防止してなにをするのか?と聞かれることもある。それは簡単である。惚けたら、楽しいことをしていても記憶に残らないではないか。それが嫌だからである。それでやっているだけだよ~ん。
今日は夜の塾がある。若い人たちと90分過ごす。英語が主体になってきているから、余計楽しい。数学もだ。国語?・・・お呼びがかからない。なにしろ実力がないからなぁ。塾から大学に進学していった連中には「小論文の神様」とか言われて神棚に鎮座ましましているらしいんだけどね。
わはははっははははっははっはははっはははっは。
(^_^)ノ””””