「遅れているぅ~」→遅れていておおいに結構である。
「遅れているぅ~」とかからかわれることが、たまにある。知人や家族からである。
なにか?
スマホを持っていないからである。もちろんガラケーであるからだ。要らないのである。そもそも外でインターネットをする機会がほとんどない。さらに、自宅はWi-Fiが整っているから、どの部屋からもインターネットはできる。それに、最近は空港や、旅館、ホテルでもWi-Fiができるようになってきたからありがたい。
先日行ってきた、東北の肘折温泉ですら、ひなびた旅館にWi-Fiがあったのである。こういう時代になってしまったということであろう。米沢市の滑川温泉に至っては、自家発電なのに、ちゃんとWi-Fiがあった。だから、こっちがびっくりしたくらいである。秘湯という概念も変化しつつある。世間の情報が届かないから、秘湯だと思ってきたが、どうもそうではないらしい。
それにこんな秘湯にも外国人旅行客がいたから、実に驚いた。滑川温泉には、中国人の若い女性が3人いた。しかも和服持参で美しい紅葉をバックに、写真を写していた。その和服たるや、yellowの目も覚めるような美しい和服であった。滑川温泉に行くまでには、かなりのダートを行くしか無い。むろんバスも通っていない。どうやって来たのであろうかと不思議であったのだが。まだまだ、中国人に中国語で話しかける勇気はないし、通用しないから、ニコニコしながら私もその美しさを愛でていたけど。
しかし、もうまもなくである。全国にWi-Fi環境が網羅されるのは。そう聞いた。東京オリンピックまでには整備されるらしい。
かえって楽しみである。
そうなのである。スマホを買わなくてもいいからである。
なんでか。
年金生活をしていると、あのスマホの料金は高くてたまらない。それに私には電話なんぞ殆どかかってこない。メールも来ない。LINEとかいうのもやっていないから、関係ない。
だから不要なのである。それでいい。それで。もっとも、昨日の夜に、柔道関係者から久しぶりに電話がかかってきたけど。健康を損ねてから、柔道場に顔を出さないので心配してくださったらしい。それで、いろいろと報告した。まだ生きてまするよんって。しかし、柔道の稽古はできないなぁ。やったら死んじまう。特に出血したらもうアウトである。だから、やらない方がいい。そういうことである。
しかしである。「遅れているぅ~」って言われても、当然のことだが、ハラも立たない。あたりめぇである。流行追随型ではないからである。こっちのジジイは。
スキーをやっていたときも、そう思った。流行だからやっていたのではない。スキーが好きーだからだった(ダジャレのつもりだけど)。それに、スキーはもう流行になっていないし、スノボーにとって代わられた可能性もあるからだ。ま、どうでも良いような話ではある。
「遅れているぅ~」って言われても、「そうなんだよなぁ~」と軽く受け流していればいいのである。なにもそんなことに真剣に関わっていることはない。加齢でもってようやくそういう心境になることができたし。
さらに、流行を過敏に意識するというのは、「ランチェ」と言って、型にはまった保守的な生き方を是とするタイプに多い。サラリーマンだと、上からの指示には従うが、自分ではなにもできないタイプである。それが是であるのなら、それでもいいだろう。
その反対が「スペキュラトゥール」である。革新的人間のことである。しかし、このタイプは圧倒的に数が少ない。革新的であるということはそういうことである。数が少ないから成功するのである。失敗もするだろうけれども。
だから、世の中を、人間を見ていると楽しいのである。自分のことはさておいて、そういう目でもって生きていると現実は楽しいものになっていく。
それに、世の中は循環型でもある。いつどのように変化していくのかわからないから面白いのである。
スマホ全盛文化だって、いつどのように変化していくのかまったくわからないではないか。スマホが廃れたら、スマホしか使えない人間が「遅れているぅ~」ってなる可能性もあるからである。
そのうちスマホが使えない人間が、貴重価値が出てくるかもしれないではないか。
ホンの冗談ではあるけれども。
それくらい、世の中というものは流行廃りがあるっていうことである。
美女の概念だって、昔からコロコロ変わっているではないか。そんな程度である。そんな程度。要するに自分が、美女だと思えばいいだけであって、他人の知ったことではない。
だから、失恋だのなんだのだと、まるで命を捧げるような誤謬を犯さないことである。そんなもん、過ぎてしまえばただの冗談である。そうなのである。時間が過ぎてしまえば、流行廃りもあったもんじゃない。
すべては消滅するからである。
毎度おなじみの「人間は100%死んじゃう」からである。徒労なのである。悩みなんて。
遅れていておおいに結構である。
それが唯一の私のモットーでもあるからである。
では、これにて退散します。