老人大学で特別養護老人ホームのことを聞いた
今日は、老人大学に行ってきた。当番で早く行って受付をやったり、黒板を拭いたり、講師の先生におしぼりを用意したり、水差しを用意したりしていた。帰りは、全員の机を拭いたり、イスを並べたりして帰ってきたのである。
今日は特別養護老人ホームの話ばかり聞いていた。
やがて行く道である。例外なく行く道である。と、ここまで書いて、その段階すらいけない可能性もあるということにハタと気がついてしまった。その時期まで生きていられるだろうかということである。
つまりその前に死んじまう可能性だって大いにあり得ることだということである。
しかしである。
まったく老人大学にふさわしい講義である。ありがたくてナミダが出てまいりますよん。
これまではかねていく道とは聞いていたけれども、もうそういう時期になっているのである。このことの方がショックだったのだ。まったくまったく。そういう時期になっているということを知るべしということである。これはのがれられない運命である。
だって、ヒトは100%死んじまうからだ。
誰だって老いて、病気になって、死ぬのである。イヤだと言っても逃れられないのである。
いつまでも死なないでじゃましていたら、それこそ迷惑であろうから。
周囲の老人たちも同じ思いでいたのに違いない。いろいろと話もしていたからである。特に私の隣で受講していたご婦人は、そういう関係の仕事を今でもやっておられると言われていたからである。そういう方に直接お聞きしながら、考えることがたくさんあった。
こんなことを書いていたら、定期的に拙ブログに来てくださる方には申し訳ないが、やはり「無常観」が襲ってくることは否定できない。
これまで表面的な幸せだけを考えて、そういうのをがむしゃらに追求してきた。それが、どうやら何の意味もなかったということである。つまり人生を終局から考えたら、つまらないことしかやってこなかったとしか感じなくなってしまったのである。
一生懸命生きて、働いても、結局最後は特別養護老人ホームに入って、介護のお世話になるだけなら・・・・となって、無常観が漂ってしまう。
だから、人生に意味がないとか、あるとか、価値があるかないかということを考えるのは、まさに意味が無いっていうことになるのだ。
それでもって、青年時代に悩んで、苦しんで、自殺したヒトは浮かばれないではないか。
それならば、人生に意味を求めることなんてやめっちまぇってことになりかねない。つまり、瞬間だけでもいいから幸せだといいというのになっちまう。刹那的に生きるってぇやつである。
それじゃぁあんまりだ。
ただし、連綿と我が人類はそういうことを繰り返してきたのである。それだけは言える。つまり、生まれて、老いて、病気を得て、死んでしまうのである。これだけ繰り返してきただけである。我が先祖もそうやって生きて、死んできた。そしてその結果が現在の私である。それも古ぼけてきたけど。
さらに、介護職につこうとしている若い方々が、我々のような老人たちの下の世話までやってくださることでも赤裸々な実態もお聞きした。さもありなん。去年の11月2日に巨大病院に入院したときも、そうだった。icuに入っているのだから、それこそ下の世話もしていただいた。感謝である。こんな汚いジイジを見捨てなかった。ありがたいがぎりである。こんなありがたいことはない。
福祉学部とか介護の専門学校の生徒の充足率も50%だという。これもまたショックであった。それほど深刻なのだ。甘かったな。介護とか福祉とかそういう実態に関して。
すべてそうだったけど。
老人大学でほんとうにこういう赤裸々なことを詳しく言っていただけるだけでも、私は幸せなのかもしれない。
それはいつまでも生きていられるという観点からだけ我が人生を考えることがなくなってきたからである。現実をよく見なくちゃならないということである。
しかも制度とかシステムとかそういうことだけでもって、我が老後が安心になるわけではない。実はそこに問題の本質があるのではないのか。制度とかシステムだけでもって解決できないのは、世の中当然であろう。
それはそれでまったく同感である。
安心できる老後なんてない。
だからいつまでも、不変の人間関係なんてないし、制度もシステムも不変ではない。
変わらないものは永遠にないのである。
みんな変化してしまうではないか。
人間関係も、家の建物もである。
どんなに美女だともてはやされたとしても、年齢は美女を変えてしまう。これは美男もそうだ。
だって、私だって、幼児時代・少年時代はかわいい「と~まチャン」であったのだから。マジに。
あああああああああ、老人大学に行って良かったけど、無常観ばかり感じて帰ってきたよん。
これもまた人生。
しょうがないか。
意味の無いのもまた人生。意味のないのがそもそも初期設定されているのかもしれないし。
それが世の中っちゅうもんでしょうからなぁ。
Bye-bye