「(再就職を世話)してもらったら感謝」「してもらえなかったら、それは当たり前」
再就職先をえり好みしていると、どこからもお呼びがかからないということをよく聞く。
なに、私もどこからも及びがかからなかったクチである。しかも、えり好みをしていたのではなくて、こっちから再就職をお断りしたのである。それに声もかからなかったから、正式には断ったのではない。相手にしていただけなかったというのが正解である。
理由は簡単である。
「別の人生を歩みたい」と思ったからである。これまでやってきた仕事人ごっこ時代の人脈とかなんとかというのは、まったく退職したらお役に立たないことはわかりきっていた。ま、一部エリート人生を歩んできた人は、それなりにクチがかかるのだろう。天下りとか、なんとかの人生を歩んでいくのである。それはそれで大いに結構なことである。そういう知人をいくらでも知っているからである。
しかし、アタシャ、庶民である。庶民中の庶民である。
以前やっていた仕事人ごっこの感覚を引きずってもいない。そんなの関係ないのである。再就職先を選ばず、会社を選ばず、新しいことにチャレンジしていく人ほど、再就職はうまく行くのではないか。そう思う。
なんのことはない。
大学の新卒と一緒で、就職難であることに変わりはない。しかしである。再就職するときに、立場をわきまえないで、高収入をねらったりしているのではいけない。私なんか雇っていただいて、感謝しておりまするよんと塾の経営陣に申し上げている。それくらいでいいのである。そうなのである。
こんなジジイを雇っていただいて、感謝しているでいいのである。その言葉のウラには、もちろん思惑もあるだろうから。
(・u・)>ベー
雇われている理由もよくわかっているからである。こっちは。win-winの関係であるからだ。
いろいろ事情もあるのだろうけれども、リタイア後もなおかつ働こうとするスタイルを私はあっぱれだと思っている。どんな形であれ(まったくどんな形であれ)、男は死ぬまで働くべきであると思っているのである。生活に余裕があっても(私は余裕ないけど)、社会との関わりはあった方がよろしい。ただし、現役の若者たちの邪魔をしてはアカン。後進に譲るというスタイルもまた忘れてはならないことである。
当然、収入は最悪になる。
時給も下がる。アタリメェである。時給1000円と言われて応募して、研修中は時給850円だからと言われて、心底ハラを立てて、速攻で退職したリタイア組を知っているが、いかがなものか。気持ちはわかるが、再就職者であることを忘れてはならない。
そうなのである。
雇っていただいているだけ、めっけもんなのである。退職したら、予備役のようなものである。平時には役に立たないのである。お呼びでは無いのである。それに伝家の宝刀もさびているだろうから。誰も相手にしてくれないのはわかりきっていることである。
だから、「別の人生を歩みたい」という私の願いは、そういう人間であることを実際わきまえていないと、社会に対して失礼なことになる。つまり、「どんな仕事でもやらせてもらえれば実にありがたい」ということになるのだ。だから、感謝しているのである。これがリタイア後の、社会に対する礼儀でもある。当然のことであるが。
あれこれ再就職先に文句をつけていてはならない。いったい何様だと思っているのかと言われる。以前の役職がどんなにエライもんであっても、リタイア後は、アタマを低くして、働かせていただくという気持ちでいることである。
リタイア後は、「素」の人間でもって生きているだけである。虚栄も、地位もなんもないからだ。むろん化粧もしないし、できない。スッピンである。もっとも、私は化粧なんかしたことがないから、そういうのを良く知らないが。
高齢になったら、「狎れる」ことのないようにすべきである。そう思う。
周囲のものを軽く扱わないことである。クルマ椅子の世話になるようになったら、押してくださる方々に感謝すべきである。それをである。押し方が悪いだの、オレはアタシは、昔は裕福で、エラかったんだぞ!とか病院で喚いているバカな高齢者を見かけることがあるが、あれはいかがなものか。
私だって、去年入院してクルマ椅子で病院内を移動していた時は、押してくださるNurseに最大限の感謝のことばを捧げていたのだ。こんな汚ぇジジイを丁寧に扱っていただいて、本当にこころから感謝した。
だから、大いに考え方を修正したのである。大学院なんか入って、大学院ごっこ、論文ごっこをしていたのは、全部テメェのためだけでしかなかったことに気がついたのである。
人生観を修正したのである。テメェのためだけに生きていてはならないと、まことに遅まきながら気がついたのである。
少なくとも共同体のためになることをしていかなくちゃならんと思うようになったのである。アドラーの言うとおりである。
「してもらったら感謝」
「してもらえなかったら、それは当たり前」
この言葉をモットーにして生きていきたいもんである。
今日も良い天気である。
午前中は歩いてきた。6キロほど。ずいぶん体力が持つようになってきた。これもまた私の内面から修正できてきた精神状態のあり方が関係しているのかもしれない。
ありがたいことである。
さ、午後はgymに行く。そして、寝る。あ、教材研究は午前中に終わった。英語と数学の問題集を解いてみた。それだけだが、惚け防止にはなっているだろう。
それにKindleで、NHK海外ワールドというテレビを見ていた。これもまた語学学習にはなる。なにしろ、全部英語である。Kindleもなかなかいいものである。それに、youtubeの動画もクラウドからいつでも、どこでも見られる。能も、千葉県の郷土史のテレビも見ていた。Kindleで。
(^-^)/
良い時代になったものである。
それでは、(ToT)/~~~