「すべてはあなたが決めたこと」なんだねぇ~アドラーの言う如く
昨日、ヨルバイトの塾から帰ってきて入浴をしてからyoutubeを見ていた。亡父が体験したシベリア抑留ということを検索ワードにして、ちょいと調べてみたのである。南京大虐殺がユネスコにどうだらこーだらと騒がれているからである。シベリア抑留も大虐殺であったのではないかとふと思ったからである。そして、もしかしたら動画であるのではないかと思ったので、そのとおりにした。あった。たくさんあった。そのうちのいくつかは、拙ブログにリンクをかけておいた。いつでも見られるようにである。
こういうように、テーマ別にyoutubeの動画を整理できるというのがgooブログの良い点である。ありがたいもんである。惚け防止のために始めたのだから、リンクをかけておけば、ジジイの私はいつでも見られるというもんじゃ。感謝、感謝。
その前に、実はアドラー心理学も調べていたので、それも動画をリンクさせておいた。こっちも、いつでも見られるようにと思ったからである。
なぜアドラー心理学かというと、お世話になった方に、コーチングというのを教えていただいたことがあって、どうやらこの両者関連するらしいと思ったからである。
一冊の本がきっかけである。
そうなのだ。昨日のgymの帰りに、「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる 100の言葉」(ダイアモンド社)というのを古本店で買ったからである。ダイアモンド社だから、ビジネス書である。こういう類いの本は久しぶりである。そうなのだ。もうビジネスをやっていないからである。仕事をしていないのに、ビジネス書を買う必然性はない。
わかりやすかったから買ってみた。それにアドラー心理学は、知らなかった。というよりまがい物という認識があった。さらに、フロイトの方がホンモノだという思い込みがあって、敬遠していたという方が当たっている。
そんな誤解が一気に解消してしまった。
知らないということは、恐ろしいことである。誤解も誤解。なんにも知らなかったということである。まったく、どうしようもない。
「自己啓発の父」であるという。さらに「まえがき」に、「自己啓発の父・アドラーはなぜ無名なのか?」とタイトルが書かれている。これが買った理由である。無名?・・そんなことはないだろうと思ったからである。少しくらいなら、私も知っていたからである。しかし、フロイトに比べたら確かに無名である。さらに、アドラーからいわゆるぱくりをしていった学者・研究者が多いとも書かれていた。それは知らなかった。
大前研一さんもアドラー派だと言ってはばからない。デール・カーネギーもそうだという。例の「道は開ける」「人を動かす」という名著を書かれた鉄鋼王である。
もっといる。マズロー、フランクル、ロジャーズ、アルバート・エリス、フロム等々である。こっちは、まったく知らなかった。不勉強で。ただし、ロジャーズ、フランクル、アルバート・エリスは、現場の仕事人をしていた時代は大いに参考にさせていただいた。つまり、狭い範囲でしか勉強していなかったということになる。
(_ _ )/ハンセイ
どーも、心理学というと生理的な反発を感じてしまっていた。心理学をやっている方々の分析的な傾向にである。したり顔で、こっちを簡単に分析してくるから、フンと思っていたのである。マジに。
京都の龍谷大学で研究発表をさせていただいた時もそうだった。仏教心理学会で研究発表をさせてもらったのである。退学した大学院の一年生の時であった。その時に、酒宴があって、心理学系の研究者にいろいろと言われたのであった。なにしろ分析的であるから、閉口した。マイッタ、マイッタというわけである。こっちは定年退職してから、生涯学習を気取って、現役の大学院生をやっていただけで、他意はなかったからである。目的もなにもない。ただひたすら勉強したいから勉強していたのである。それを分析されて、どうのこうのと言われたくない。なかったからである。ま、今となってはどうでもいい。退学してしまったからである。そう、もうなんにも関係ないからである。分析していただいたが、あれは徒労でしかなかったというだけである。ま、オレがかなりの変わりもんだということだけは理解できたが。(^0^)
原因とか、理由なんてあまり信用できない。
そもそもなんでもかんでも、人間の行動に原因とか理由が存在するのであろうか。遺伝が人間の行動を縛るもんであろうか。さらに潜在意識が、人間の考え方や心理を左右するのであろうか。正直な疑問である。かなり以前からそう思っているのだ。フロイトのいうように性欲というものが、人間を左右するものであろうかとは、しみじみ感じる。年取ってくると、ますますそう思う。フロイトの言っているようなことが、ほんとうにそうだったのだろうかという疑問である。
そうなのである。
もう恋愛とか性欲とかのフロイトの言ったようなこととは、無縁であるからである。かえって面倒臭いだけであるからだ。なにを今更である。バカバカしいと思うしか無い。村上春樹に対する思いと一緒である。若い時だけの一時の感想でしかない。
ところがである。
アドラーはちょっと違う。
責任転嫁をしない。「すべてはあなたが決めたこと」と、最初にハンマーパンチをくらわしてくる。どうしても他のヒトのせいで、アタシャ、こうなったと言いがちであるからである。評価されなかったのも、アンタのせいという論法である。終いには、オレの能力が低いのは、政府のせいだと言いかねないのが、私のような一般庶民にはありがちであるからだ。親のせい、会社のせい、大学受験に熱心でなかった教師のせい、論文が書けなかったのも教授のせい、大学のせい、カネがたまらなかったのも古女房のせい、子どもが思うように育たなかったのも、社会環境のせい・・・・・と延々と恨み辛みが続く。
そんなんじゃぁ、人生は辛いだけである。そうなのである。「すべてはあなたが決めたこと」なんだねぇ~。退学したのも、そう。病気になったのもそう。酒を飲みすぎて、あるいは毎日ゴミ論文書きに、10時間以上も机にしがみついていたのもそう。「すべて自分で決めたこと」でしかなったのだ。
もっとある。
「幸せになる唯一の方法は、他者への貢献」という考え方もなかなかである。アドラーは「共同体感覚」を大事にせよと言っておられるが、これもマスターすべき考え方であろう。
他にもたくさん宝石のような言葉がたくさんある。
しかし、まだまだこれからアドラーの本を読むしかないから、拙ブログにはこれくらいしか書けないし、書かない。
逆に楽しみである。楽しみ。
さ、今日はこれから塾の研修会がある。午前中である。歩いて行ってくるつもりである。運動のためである。
じゃぁねぇ~。
(ToT)/~~~